第21章 迫る狂気と東の交渉
■移動中の車内(熊井の運転する大型SUV)
ブォォォン……。
重苦しいエンジン音だけが響く車内。空気は澱み、狂気と焦燥が混ざり合った独特の臭いが充満していた。
後部座席で、金剛寺武は血走った目でノートPCの画面を睨みつけていた。
カチャカチャカチャ……ッ!
キーボードを叩く音が、彼の焦りを代弁している。
助手席の氷川智宏が、わざとらしく大きなあくびをした。
「ふわぁぁ……」
氷川は電動ウィンドウを全開にし、入ってきた風に当たりながら気怠げに言った。
「ねえ、金剛寺さぁん。今度はどこなんですかぁ?」
氷川はシートのヘッドレストに両腕を回し、ふんぞり返る。
「俺、もう飽きてきたんですけど。米軍基地もハズレ、その前の倉庫もハズレ。……もう次くらいで当てないと、俺、降りますよ? 疲れるし」
ピクッ、と金剛寺の眉が動いた。だが、すぐに愛想笑いを浮かべる。
「ま、待て氷川君。次は大丈夫だ。今度こそ『アタリ』だ」
「へぇ? 何が違うんすか?」
金剛寺はPCの画面を指差した。
「信号の発信源だ。……山奥の、しばらく使われていない『洋館』から反応がある。人里離れた場所で、しかも空き家のはずの場所だ。米軍基地の荷物に紛れ込むより、よほど信憑性があるだろう?」
「ふゥん……。ま、どーだかなぁー」
氷川は興味なさそうに鼻を鳴らし、窓の外へ視線を戻した。
「熊井! 次の交差点を右だ! ナビの指示通りに進め!」
「……ウす」
ハンドルを握る熊井猛が、短く低い声で答えた。
その熊井の隣、後部座席のもう一人——金子は、さっきから震えが止まらなかった。
「ひっ、ひぃ……」
金子は手元のスマートフォンで、ニュース速報の動画を繰り返し再生していた。
画面には、氷川の能力によって氷漬けにされた米軍車両と、パニックになる街の様子が映し出されている。
『——テロとの断定はまだですが、現場は依然として……』
「や、やべぇよ……。これ、完全に俺たちがやったってバレてるじゃん……」
金子はガタガタと歯を鳴らしながら、前の席の氷川に話しかけた。
「あ、あの、アニキ……? 俺たち、大丈夫っすかねぇ? これ、ヤバくないっすか?」
氷川は振り返りもせず、ケラケラと笑った。
「ハハハ! 大丈夫なわけねぇだろ、バァカ」
「ヒィッ!?」
「世界最強の軍隊に喧嘩売ったんだぜ? 全員、指名手配でハチの巣だよ。あーあ、面白い」
「そ、そんなぁ……!」
金子は絶望で目の前が真っ暗になった。
(もう終わりだ……。でも、やるしかないんだ。ここで逃げたら金剛寺さんに殺される……! やるしかねぇ、やるしかねぇんだ……!)
金子は必死に自分に言い聞かせ、崩壊寸前の精神を辛うじて繋ぎ止めていた。
ハンドルを握る熊井は、無言だった。だが、その内心ではドス黒い復讐の炎が燃え盛っていた。
(……あのメガネ野郎。俺を海に落としやがった転移使い……! 絶対に許さねぇ。ぶっ殺すまで、捕まるわけにはいかねぇんだよォ!)
ハンドルを握る手に力が入り、ギチギチと音が鳴る。
そして、金剛寺。彼はPCを閉じ、歪んだ笑みを浮かべていた。
(フフフ……そうだ。音無だ。あの『見えない』ガキさえ見つければ、こっちのもんだ!)
彼の頭の中は、もはや政治的野心など微塵もなかった。あるのは、ただの強欲のみ。
(あいつを捕まえて、海外の裏組織に高く売り飛ばす! その金で高飛びして、整形して、あとは南の島で酒と女に囲まれて豪遊しながら老後を過ごすんだ! 知ったことか! 日本なんてどうにでもなれ!)
この車の中に、まともな精神状態の人間は一人もいなかった。
唯一、恐怖で震える金子だけが、逆説的に最も「人間らしい」反応をしていると言えた。
やがて、車のスピードが緩んだ。
「……おい。もうすぐ着くぞ」
熊井の低い声が響く。
窓の外、木々の隙間から、古びた洋館の屋根が見えてきた。
「……よし」
金剛寺はネクタイを緩め、深く息を吸い込んだ。
彼の身体が、金属質の光沢を帯び始める。
「全員、準備はいいな? ……これより、『狩り』の時間だ」
■在日米軍基地・作戦司令室
巨大なモニタースクリーンに、高精細な衛星映像が映し出されていた。
映っているのは、郊外の森の中に佇む洋館——東たちが立てこもる「対策局本部」だ。
そして、その洋館に向かって猛スピードで直進する一台のSUV——金剛寺たちの車。
「……完璧な構図だ」
グレイ司令官は、コーヒーを片手にモニターを見下ろした。
「ネズミ(東たち)の隠れ家も、暴走する獣(金剛寺)の動きも、全て掌の上だ」
副官が尋ねる。
「司令。金剛寺の車両をドローンで爆撃しますか?」
「いいや、待て」
グレイは冷酷に首を横に振った。
「金剛寺には働いてもらわねばならん。奴が洋館に突入し、東の施設や職員を薙ぎ払い、消耗しきったところを……我々が叩く」
グレイの作戦は、徹底的な「漁夫の利」だった。
金剛寺が勝とうが、東が勝とうが関係ない。
双方が潰し合い、疲弊したタイミングで米軍が介入し、全ての不都合な真実(人間)を消去し、音無賢人だけを回収する。それが最も効率的だ。
「広報部に連絡しろ」
グレイは淡々と指示を出した。
「今すぐ、日本のテレビ局に速報を流させろ。
『在日米軍は、都内の車両襲撃テロに対し、自衛権を行使してテロリストとその拠点を制圧する』とな」
「日本政府の許可は?」
「事後承諾だ。テロリスト(金剛寺)を放置している日本側に責任があると言えばいい。……始めろ」
■洋館・作戦室
「……準備完了だ! センサー稼働!」
アレックスの声と共に、モニター類が一斉に起動する。
その時、リビングのテレビ画面が緊急ニュースに切り替わった。
『——速報です。先ほどの車両襲撃事件を受け、在日米軍司令部は緊急声明を発表しました』
アナウンサーの緊張した声が響く。
『「我々はテロリズムに屈しない。日本政府が事態を収拾できない以上、米軍は自衛権を行使し、首謀者と見られる武装集団の拠点へ特殊部隊を派遣する」……!』
「なっ……!?」
髙橋俊明が顔面蒼白になる。
「ここが金剛寺の拠点という事にして米軍が来る!? 」
「ふざけるな!」
鈴木浩三が吠えた。
「金剛寺だけでも手一杯だってのに、アメリカ軍まで相手にしろってのか!?」
室内に動揺が走る。
しかし、東義昭だけは画面を睨みつけたまま、微動だにしなかった。
(……グレイめ。やはりそう来たか)
東は瞬時にグレイの思考を読み解いた。
(奴は衛星でここを見ている。そして、金剛寺が向かっていることも知っている。
奴の狙いは「共倒れ」だ。我々が金剛寺と戦って消耗したところを、法的な正義(テロ対策)を掲げて蹂躙し、音無君を奪う気だ)
東の専用回線が鳴った。官邸からだ。
『東先生! 大変です! 米軍の特殊部隊ヘリがそちらへ向かっています! 到着まであと15分です!』
「……分かっている」
東は表情一つ変えずに答えた。
「官邸は動くな。遺憾の意でも表明しておけ。……実務は私が処理する」
東は通話を切り、即座にグレイへの直通回線を開いた。
以前、脅迫状を送った番号だ。
「……久しぶりだな、司令官殿」
『忠告しておく、ミスター東。手を引け』
電話に出たグレイの声は、勝利を確信した者の余裕に満ちていた。
『金剛寺の処理は我々が行う。君たちの貧弱な装備では被害が拡大するだけだ。大人しく投降すれば、命だけは助けてやる』
「断る。ここは日本だ。日本のゴミは日本が片付ける」
『我々の車両が攻撃されたのだ。介入する正当な権利がある』
「権利? ……笑わせるな」
東は低い声で恫喝した。
「貴様が来たいのはテロ対策のためじゃない。『証拠隠滅』と『音無賢人の強奪』。そして、我々ごと金剛寺を始末するのが目的だろう?」
『…………』
「いいのか? ここに軍を強行投入すれば……私が持っている**『留置場での暗殺未遂データ』**を、BBCとCNN、そしてアルジャジーラにリアルタイムで配信することになるぞ?」
東は切り札を切った。
「『米軍、口封じのために日本の民間施設を空爆』。……明日の見出しはこれで決まりだな。世界中が貴様を非難するぞ」
電話の向こうで、グレイの息遣いが変わった。
痛いところを突かれた沈黙。
『……いいだろう。部隊の到着を遅らせることはできないが……』
グレイがギリギリと譲歩案を出す。
『"突入"のタイミングは、現場の判断に任せよう。……ただし』
グレイの声がドスを帯びる。
『もし我々が到着した時点で、テロリスト(金剛寺)が制圧されていなければ……その時は、君たち諸共、更地にするぞ』
「……フン。上等だ」
通話が切れる。
東はすぐに振り返り、凍りついているメンバーたちに声を張り上げた。
「総員、聞け!!」
東の怒号が、混乱を断ち切る。
「米軍が介入を宣言した。奴らの目的は『漁夫の利』だ。
我々が金剛寺と戦ってボロボロになったところを、まとめて掃除機で吸い取るつもりだ!」
「そ、そんな……」
幸田美咲が震える。
「だが!」
東は時計を指差した。
「奴らが到着する前に、金剛寺を完全に無力化し、我々が『事件を解決』していれば話は別だ!
日本の警察権(対策局)が犯人を確保している状況で、米軍が手出しすることはできん!」
東は窓の外、迫りくる金剛寺の車のエンジン音を聞いた。
「タイムリミットは……米軍到着までの15分だ」
「15分……!?」
谷雄一が呻く。
「あの化け物どもを、たった15分で!?」
「やるしかないんだ」
音無賢人が前に出た。
「やらなきゃ、俺は連れ去られ、皆さんは殺される。……やるしかない」
その目に宿る覚悟を見て、全員の腹が決まった。
「……へっ。忙しいこったな!」
鈴木が木の実をジャラリと鳴らす。
「15分一本勝負か。上等じゃねぇか!」
東はニヤリと笑い、号令を下した。
「来るぞ!
事後承諾だ。勝てば官軍、負ければ賊軍。……徹底的に叩き潰せ!」
「「「了解!!」」」
最強のチームによる、究極のタイムアタック防衛戦。
森の向こうから、金剛寺の狂気を乗せた車が、門を突き破って突っ込んできた。
■米軍特殊作戦ヘリ・機内
バラバラバラバラ……。
鼓膜を叩くローターの重低音と、機体の振動。
日本の空を切り裂いて進む漆黒の機体の中で、グレイ司令官は組んだ足を崩すことなく、膝上の戦術タブレットを凝視していた。
画面には、衛星から送られてくるリアルタイムのサーマル映像が映し出されている。
深い森の中に浮かぶ洋館。そこに猛スピードで突っ込む赤い熱源反応(金剛寺一派)と、それを迎え撃つ青い熱源反応(対策局)。
「司令。目標ポイント(洋館)まで、あとETA(到着予定時刻)10分です」
ヘッドセット越しに、副官の無機質な報告が入る。
グレイは指先で画面上の光点をなぞりながら、冷ややかに呟いた。
「……始まったか。ネズミと獣の共食いだ」
「突入プランはいかがなさいますか? 現地は交戦状態にあると思われますが」
副官の問いに、グレイは目を細めた。
彼の脳内では、スーパーコンピュータ並みの速度で損益計算が行われていた。東義昭という厄介な交渉相手と、金剛寺という暴走した駒。そして、喉から手が出るほど欲しい「音無賢人」という素材。
「状況次第だ。……プランはA、B、そしてCを用意しろ」
グレイは指を一本立てた。
「プランA:『掃除』」
「掃除、ですか?」
「ああ。我々が到着した時点で、金剛寺側が勝利していた場合だ。
……東たち対策局が壊滅し、音無が金剛寺に捕獲されている状況。これが最も手間が省ける」
グレイの声には、慈悲の欠片もなかった。
「その場合、金剛寺一派はもはや用済みだ。口封じも兼ねて、ヘルファイア(対戦車ミサイル)を撃ち込んで消去しろ。奴らはテロリストとして処理する。
そして、瓦礫の中から音無賢人の生体反応だけを回収し、本国へ直送だ」
「イエッサー。……では、プランBは?」
「**『混乱』**だ」
グレイは画面上の、入り乱れる熱源を指差した。
「15分経っても決着がつかず、まだ泥沼の交戦中だった場合だ。
このケースが最も繊細な操作を要する。……全隊、スタングレネード(閃光弾)とCSガス弾を最大濃度で使用し、視界と聴覚を奪え」
グレイの瞳が怪しく光る。
「敵味方の識別は不要だ。混乱に乗じて強襲降下し、音無を確保する。
その際、東義昭やその部下が『流れ弾』に当たったとしても……まあ、テロ現場の不幸な事故だ。誰も我々を責められんよ」
「……了解しました。交戦規定(ROE)を一部解除します」
副官が手元のコンソールを操作する。
機内の武装兵たちが、銃の安全装置を外す乾いた音が響いた。
「……最後に、プランC」
グレイの表情が、僅かに、しかし明確に歪んだ。
それは苦虫を噛み潰したような、不愉快さを隠しきれない顔だった。
「**『撤退』**だ」
兵士たちが一瞬、動揺して顔を見合わせる。
「撤退……ですか? ここまで軍を動かしておいて?」
「ああ。もし我々が着く前に……東たちが金剛寺を完全に制圧し、事態を収束させていた場合だ」
グレイは忌々しげに吐き捨てた。
「その状況で手を出せば、もはや『テロ対策』という大義名分は消滅する。単なる『同盟国の治安機関への武力攻撃』だ。
加えて、東は私の弱み……『留置場での暗殺未遂データ』という核弾頭を握っている。
平和的に解決した現場に軍事介入すれば、奴は躊躇なくそのカードを切るだろう。……それでは、私が社会的に死ぬ」
グレイは窓の外、眼下に広がる日本の夜景を見下ろした。
平和ボケした国だと侮っていた。だが、あの東という男だけは違う。
法律、メディア、そして軍事力。全てのカードを使って、米軍を盤面から追い出そうとしている。
「東義昭……。貴様にできるか?」
グレイは独りごちた。
「あの狂った金剛寺と、化け物じみた能力者たちを相手に。
たった15分で。死者も出さず。法的にクリーンな状態で制圧することが。
……もしそれが出来たなら」
グレイは無線機のスイッチを入れた。
その声は、全ヘリコプターのパイロットと隊員たちへ送られる。
「全機、傾注せよ。
現在、作戦エリアへ急行中。
武器の使用は許可するが、発砲の最終判断は私の合図を待て。
現場の状況を見極めろ。……我々が到着した瞬間に立っている者が、我々の敵だ」
タイムリミットまで、あとわずか。
空の死神は、審判の時を待ちながら、静かに高度を下げ始めた。




