第19章 初陣の反省と新たな学び
■洋館 リビング(作戦室)
『——現場の谷です。対象「風間」、確保しました』
無線からの報告を聞き、東義昭は満足げに頷いた。
「ご苦労。警察に引き渡し、そのまま身柄を拘束させろ」
通信を切ると、東は即座に手元のメモ帳にペンを走らせた。
(……対象は風と共に「隙間」を抜ける能力。通常の留置場や刑務所では、通気口一つあれば脱走される)
東の脳裏に、以前の国会で協力させた清野議員(一定空間内の能力無効化)の顔が浮かぶ。
(既存の施設では管理不能だ。……ならば、作るしかない。清野議員のような『無効化能力者』を常駐させるか、あるいはその力を科学的に再現した**『覚醒者専用収容施設』**をな)
東はニヤリと笑った。
「風間……。奴は、予算を分捕るための良い『サンプル』になる」
その横で、待機していたサラ・コッホと幸田美咲は、顔を見合わせて安堵のため息をついた。
「よかったぁ……。誰も怪我なくて」
美咲が胸を撫で下ろす。
「ええ。初陣にしては上出来ね」
サラも肩の力を抜いた。
その時、リビングの空間が歪んだ。
シュンッ!
髙橋俊明の転移により、現場に出ていた五人が帰還した。
しかし、その空気は決して「凱旋」と呼べるものではなかった。
「……だーかーら! アレックス、お前の判断は危険すぎるって言ってんだ!」
帰還早々、谷雄一がアレックス・ターナーに食ってかかった。
「令状なしでの突入? 日本じゃそれは違法捜査だ! もしあの中に犯人がいなかったらどうするつもりだったんだ!」
「可能性の話をしている場合じゃない」
アレックスも譲らない。
「犯人は現に逃走しようとしていた。俺たちが議論している間に逃げられていたら、再確保にどれだけのコストがかかると思っている?」
「だからって民家のドアをぶち破るのか!?」
「必要ならな。それが最短の解決策だ」
間に挟まれた髙橋が、困り果てた顔で眼鏡を直した。
「いやぁ、僕としては谷さんに賛成かな……。もしドアを壊して犯人がいなかったら、器物損壊で訴えられるのは僕らかもしれないし……罪もない家主さんに迷惑はかけられないよ」
大人たちが揉める横で、音無賢人は深くフードを被り、沈み込んでいた。
(……俺が、もっとうまくやっていれば)
賢人は自分の手を見つめた。
(家の中に風間が侵入して、あぶり出したまではよかった。でも、そこから確保に繋げられなかった。……奴を空に逃がしてしまった)
「……音無、どうしたの? 暗い顔して」
サラが近づくと、白川真純がそっと耳打ちした。
「……実は、現場での判断で少し揉めまして。音無くん、自分が犯人を逃がしたと思ってるみたいなんです」
白川は事の顛末——突入か待機かの口論、そして音無の攪乱と風間の逃走、髙橋のリカバリー——をサラに伝えた。
「ふむ……なるほどね」
サラが腕を組んだその時、東がパンパンと手を叩いた。
「——全員、そこまでだ」
東の冷徹な声が、加熱した空気を断ち切った。
「報告は聞いている。……全員、耳を貸せ」
東は部屋の中央に立ち、全員を見渡した。
「今回の件で、我々の行動指針における**『ライン』**を明確にする必要がある」
東はホワイトボードに線を引き、説明を始めた。
「我々は法を超越した組織だ。だが、それは『無法者』になっていいという意味ではない。
超えていいラインは、今回の髙橋君のような『緊急避難的な能力行使』や、音無君のような『隠密捜査』だ。これらは結果さえ出れば揉み消せる」
東は赤ペンでバツ印を書いた。
「だが、超えてはいけないラインがある。
それは……**『確証のない状態での、市民社会への物理的被害』**だ」
東の視線が、アレックスに向いた。
「アレックス・ターナー。前へ」
「……イエッサー」
アレックスが神妙な面持ちで進み出る。
「君の『突入』という判断。軍事的には正しい。だが、政治的には0点だ」
東は厳しく叱責した。
「もしドアを破壊し、中に犯人がおらず、ただの一般市民が昼寝をしていたらどうする?
マスコミに叩かれ、新法案は廃案、組織は解体だ。君の焦りが、我々全員を路頭に迷わせるところだったんだぞ」
アレックスは直立不動のまま、深く頭を下げた。
「……申し訳ありません。焦りがありました。日本の法感覚を見誤りました」
「分かればいい。……君の腕は買っている。次は冷静になれ」
「はい」
東の説教が終わり、アレックスが解放された。
だが、部屋の空気は重いままだ。
谷はバツが悪そうに視線を逸らし、髙橋は縮こまり、音無はさらに俯いている。
鈴木だけが「腹減ったな」という顔をしていたが、口には出せない雰囲気だ。
「…………」
幸田美咲は、ソワソワと皆の顔を見回した。
(どうしよう……。みんな、仲良くしてほしいのに……)
ギスギスした空気に、美咲の胃がキリキリと痛む。
その時、サラがわざとらしく、盛大なため息をついた。
「はぁ〜〜〜〜〜あ!」
全員がビクッとしてサラを見る。
サラは腰に手を当て、呆れ顔で言った。
「もう、湿っぽい! 反省会は終わりよ!」
サラはパン! と手を叩いた。
「いい? 初めての連携で、誰も怪我せず、犯人も捕まえた。結果オーライじゃない!
アレックスも谷も、熱くなりすぎ! お腹が空いてるからイライラするのよ!」
サラはキリッと指差した。
「——全員、集合!
今すぐ食堂へ移動! 美咲ちゃん、悪いけど何か美味しいもの作って!
甘いもの食べて、脳に糖分回して、それから笑って仲直りよ!」
サラの強引な仕切りに、美咲がパッと顔を輝かせた。
「あ、はい! すぐに用意します! ……パンケーキとか、どうですか?」
「最高! ……ほら、男ども! 移動するわよ!」
サラに背中を叩かれ、谷とアレックスが顔を見合わせる。
「……ま、そうだな。悪かったなアレックス、言い過ぎた」
「いや、俺もだ。……腹が減ったな」
二人は苦笑いをして、握手を交わした。
それを見て、音無も少しだけ顔を上げた。
「……行きましょう、音無くん」
髙橋が肩を抱く。
「失敗は次への糧だよ。パンケーキ、楽しみだね」
「……はい」
重苦しい空気は、サラの一喝と美咲の提案で霧散した。
雨降って地固まる。
不器用なチームは、こうして少しずつ「組織」になっていくのだった。
◾︎午後3時 食堂
テーブルの上には、空になった皿とメイプルシロップの甘い香りが漂っていた。
パンケーキで腹を満たし、少し和やかな空気が流れる中、サラ・コッホがナプキンで口元を拭い、スッと表情を引き締めた。
「さて。お腹もいっぱいになったし……**授業**を始めましょうか」
サラの瞳から、先ほどまでの陽気さが消え、冷徹な指揮官の色が宿る。
場の空気がピリッと変わった。
「白川。あなたはこの中で一番冷静に全体を見ていたわ。今日の出来事を、感情抜きでもう一度時系列順に説明して」
「は、はい」
指名された白川真純は背筋を伸ばし、手帳を開いた。
「現着後、音無君が対象の侵入を確認。アレックスさんと谷さんの間で突入か待機かの議論が発生。その間に音無君が攪乱を行いましたが、対象が逃走。直後に髙橋さんが空中で確保。その後私たちの所へ風間と共に転移して鈴木さんの『鈴』で能力を無効化して逮捕……以上です」
「Thank you. 完璧な要約ね」
サラは頷くと、隣のアレックス・ターナーに鋭い視線を向けた。
「さて、アレックス。同僚として、元プロとして厳しく言わせてもらうわ」
「……ああ。聞こう」
「あなたのミスは二つ。
一つは、『漢字(Kanji)』への理解不足による思考のラグ。日本での作戦において、敵の能力推測に遅れが出るのは致命的よ。
もう一つは、『日本の法律』への無理解。ここは戦場じゃない。ドアを蹴破れば、私たちが悪者になって組織が潰れる。そのリスク計算ができていなかった」
アレックスは言い訳せず、深く頭を下げた。
「……面目ない。焦りがあった。完全に私の失態だ」
サラは小さく頷くと、次は縮こまっている音無賢人の方を向いた。
その表情は、打って変わって優しげなものになる。
「音無。あなたは自分を責めてるみたいだけど……仕方なかったのよ」
「え……?」
「あなたは『気配を消す』ことは天才的だけど、**『どう動けば敵を追い込めるか』**という戦術を知らなかっただけ。要は、経験不足なだけよ」
サラは音無とアレックスを交互に見た。
「だから、提案よ。
音無、あなたはアレックスに『漢字の読み書きとニュアンス』を教えてあげて。
そしてアレックス、あなたは音無に『隠密行動時の立ち回り』や『突入戦術』を叩き込みなさい」
「……!」
二人は顔を見合わせた。
「互いに足りない所を補う。……それがチームでしょ?」
「……なるほど。Win-Winというわけか」
アレックスが納得の声を上げる。
「さて」
サラは最後に、谷雄一の方を向いた。
その視線は、今日一番の鋭さを持っていた。
「谷。……あなたには一番キツく言うわよ」
「うっ……お手柔らかに頼む……」
「現場指揮官はあなたよね?」
サラの声がドスを帯びる。
「あなたの判断ミスで、仲間が死んだり、この組織が瓦解する可能性があったのよ。なのにあなたは、『突入は違法だ』とリスクを説明しただけ。……代案なき批判は、指揮官の仕事じゃないわ」
「……っ」
谷は言葉を失った。
「私ならこうするわ」
サラはテーブルの上の調味料を駒に見立てて動かした。
「犯人が家に入ったと分かった段階で、髙橋さんに連絡。
鈴木、アレックス、音無をまとめて**『玄関と裏口の前』に転移**させて、即座に包囲網を張る。
その後、髙橋さんだけまた高所に戻ってもらう」
サラは駒で家を囲んでみせた。
「こうすれば、突入しなくても犯人は逃げられない。出てきたところを袋叩きよ。……髙橋さんの機動力と、鈴木の制圧力を活かすなら、これが最適解だったはずよ」
シーンと静まり返る食堂。
全員が、その鮮やかな戦術プランに舌を巻いていた。
「……なるほど」
髙橋が眼鏡を直した。
「確かに、僕が何往復かすれば可能でしたね。……思いつかなかった」
「すごい……。完璧な采配だ」
鈴木も腕組みをして感心する。
白川は尊敬の眼差しを向けた。
「サラさん、すごいです。現場の刑事顔負けですね……」
賞賛の声に対し、サラはいつもの明るい笑顔に戻り、髪をファサッとかき上げた。
「ふふん♪ ま、やる時はやるのよ? 頼りにしてよね!」
その横で、アレックスが立ち上がり、音無の席まで歩み寄った。
「……音無。サラの言う通りだ。俺は日本の文化に疎い。頼む、俺に漢字を教えてくれ」
「あ、はい! もちろんです」
音無も慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「俺の方こそ……。戦い方を、教えてください。俺、もっと役に立ちたいんです」
「ああ。俺が持っている技術、全て叩き込んでやる」
ガシッ。
大柄な元スパイと、小柄な日本の青年。二人の手が固く握られた。
その光景を見て、部屋の隅でコーヒーを飲んでいた東義昭は、カップの縁で口元を隠しながら、静かに口角を上げた。
(……戦術の共有、相互補完、そして指揮系統の確立。……悪くない)
バラバラだった歯車が、噛み合い始めた音がした。
このチームは、化ける。
東は確信と共に、冷めたコーヒーを飲み干した。
◾︎夕暮れ 洋館リビング
窓から差し込む茜色の光の中で、アレックス・ターナーと音無賢人の熱心な問答が続いていた。
「いいか音無。状況設定だ。
対象は部屋の中に一人。武装の有無は不明。ドアは閉まっている。……さあ、どうやって突入する?」
賢人は少し考え、真面目な顔で答えた。
「えっと……『無』で気配を消して、ドアを静かに開けて……中を確認してから入ります」
「ブブー。不正解だ」
アレックスは指を振った。
「それだと、ドアを開けた瞬間に視界が限定される。もしドアの影に敵がいたら、気配を消していても物理的に鉢合わせるぞ。
正解は……まずドアの蝶番を確認。隙間から中の光源や空気の流れを読む。そして突入時は『カッティング・パイ(円を描くように徐々に視界を広げる)』だ。体を晒さずに、部屋の隅をクリアリングしろ」
「なるほど……! 『見えない』ことにかまけて、物理的な死角を忘れていました」
「そうだ。能力はあくまでツールだ。基本戦術がおろそかだと死ぬぞ。……じゃあ次の問題だ」
賢人は目を輝かせながら頷く。
「はい! お願いします!」
その様子を少し離れたソファから、鈴木浩三と谷雄一が眺めていた。
「……いいよなぁ。熱心で」
谷が缶コーヒーを啜りながら目を細める。
「ああ。青春だよなぁ。俺にもあんな時期があったかねぇ」
鈴木もあぐらをかいて頷く。
まるで孫を見る好々爺のような二人だったが、そこへ台風のような足音が近づいてきた。
「——あら、何サボってるのよ、刑事さん?」
「げっ」
谷が振り返ると、仁王立ちしたサラ・コッホが彼を見下ろしていた。
「さ、ら……?」
「アレックスたちは真面目にやってるわよ? 谷、あんたも今回は現場指揮でやらかしたんだから、少しは反省しなさいよ」
サラはニッコリと、しかし有無を言わせぬ笑顔を向けた。
「私が特別に『現場指揮官』の授業をしてあげるわ。……来なさい」
「え、ちょ、待て! 俺は今休憩中で……」
「問答無用!」
ガシッ!
サラは谷の首根っこを猫のように掴むと、ズルズルと廊下の方へ引き摺り始めた。
「うわぁぁぁ! 鈴木さぁーん! 助けてくれぇぇ!」
「おう、頑張れよ刑事さん。勉強は大事だぞー」
鈴木は他人事のように手を振って見送った。
「……はは。谷さん、災難ですね」
鈴木の背後から、苦笑い混じりの声がした。髙橋俊明だ。
彼は引き摺られていく谷の姿を見ながら、ふと真剣な表情になった。
「……でも、笑い事じゃないんですよね」
「あん?」
髙橋は自分の手を見つめた。
「俺……自分の不甲斐なさを感じてるんです」
「不甲斐なさ?」
「ええ。前の仕事じゃ部下に『指示待ち人間になるな』『能動的に動け』なんて偉そうに言ってるのに……。
いざ現場に出ると、どうしても谷さんや白川さん、アレックスさんの指示を待ってしまう自分がいました」
髙橋は悔しそうに唇を噛んだ。
「あの時、ビルの屋上にいて一番全体を観測できていたのは僕だ。もっと早く、自分の判断で動くべきだったんです」
鈴木はポンと髙橋の肩を叩いた。
「……仕方ねぇよ、髙橋さん。俺たちはついこの前まで一般人だったんだ。普通の仕事には慣れてても、人間相手の戦いなんて知らなくて当然だろ?」
「いいえ。……それを『仕方がない』で片付けてちゃ、次は家族を守れません」
髙橋は眼鏡の位置を直し、キッと顔を上げた。
「俺も……サラさんの授業、受けに行きます。空間把握と指揮能力は、僕の能力にこそ必要なスキルだ」
「お、おい髙橋さん?」
髙橋は小走りで廊下へ向かい、サラたちの背中に声をかけた。
「サラさん! 待ってください! 俺も……俺もその授業、受けさせてください! お願いします!」
サラは足を止め、振り返った。そして、パッと花が咲くように笑った。
「Bravo! 向上心のある生徒は大歓迎よ! ……ほら谷、同期ができたわよ?」
「マジかよ髙橋さん……物好きだなぁ……」
三人が別室へと消えていく。
広いリビングに残されたのは、熱心に議論するアレックスと音無、そして一人取り残された鈴木。
「……ちぇっ。なんか俺だけ置いてけぼりかよ」
鈴木はポリポリと頭をかいた。
別にサボりたいわけじゃない。ただ、何をすればいいか分からなかっただけだ。
だが、みんなが必死に強くなろうとしている姿を見て、じっとしていられる性分でもなかった。
「……しゃあねぇな」
鈴木は立ち上がると、アレックスたちのテーブルへと歩み寄った。
「よう。……アレックスさんよ。俺にも教えてくれねぇか?」
「鈴木さん?」
「俺は頭は良くねぇが、身体の使い方は知っときてぇ。……混ぜてくれよ」
鈴木はそう言うと、ドカっと音無の隣に座り込んだ。
「……Of course。歓迎するよ、鈴木さん」
アレックスは嬉しそうに頷き、新たな「生徒」のために図面を広げた。
◾︎二階 廊下
白川真純は、自分の部屋に入ろうとしていた。
「あ、白川さん」
階段を上がってきた幸田美咲が、白川に気づいて声をかけた。
「どちらに行かれるんですか? 夕食までまだ時間ありますけど……」
「ああ、幸田さん」
白川は少し疲れたような、しかしプロの顔つきで答えた。
「私は、少し仮眠を取ります」
「仮眠、ですか?」
「ええ。今夜は私が、アレックスさんと一緒に夜間警備の当番なんです。……私、サラさんみたいに三徹できる体力はないので」
白川は苦笑いした。
「自分の体力の限界は把握しておかないと、いざという時に足手まといになりますから。……先に休ませてもらいますね」
「あ……はい! ゆっくり休んでください!」
白川が部屋に入り、ドアが閉まる。
廊下に残された美咲は、静かになった洋館の空気を感じ取った。
リビングからは戦術論を交わす男たちの声。
別室からはサラの厳しい指導の声。
そして、夜のために休息を取る白川。
(……すごいな。みんな、頑張ってる)
自分を守るために、そして日本を守るために、誰もが必死に自分を磨いている。
なら、自分はどうする? ただ守られて、震えているだけでいいの?
(ううん。……私にも、できることがあるはず)
美咲は自分の両頬をパン! と叩いて気合を入れた。
「よしっ! ……美味しい晩ごはん、作るぞ!」
みんなの疲れを吹き飛ばすような、最高のご飯を作ろう。
それが、今の自分にできる「戦い」だ。
美咲はエプロンの紐を締め直し、決意に満ちた足取りでキッチンへと向かった。
それぞれの夜が、静かに、しかし熱く更けていく。




