第16章 洋館の大掃除と奇妙な共同生活
◾︎東京郊外 古びた洋館
郊外の深い森を抜けた先に、その建物はひっそりと佇んでいた。
かつての華族が建てたという、古びた、しかし威厳のある巨大な洋館。
「……おぅ。やっと着いたか」
ハンドルを握っていた鈴木浩三が、エンジンを切ってドアを開けようとした。
その瞬間、後部座席から鋭い声が飛んだ。
「待って。降りないで」
「あん?」
サラ・コッホが窓から鋭い視線を走らせる。助手席のアレックス・ターナーも同様に、周囲の森や建物の死角を目で追っていた。
「……クリアだ。罠の痕跡もなし」
「了解。……鈴木、降りていいわよ」
「ったく、何なんだよ」
鈴木はブツブツ言いながら車を降り、伸びをした。
「獣の気配はするが、人の気配なんてしねぇぞ? 神経質すぎじゃねぇか?」
「あのね、鈴木」
サラが呆れたように車を降りる。
「『気配を消せる人』なんて、音無以外にも結構いるのよ? 貴方も多分狙われてるんだから、もう少し気をつけなさい」
「へいへい。……さて、ここが俺たちの城か」
鈴木は東から預かっていた真鍮製の重たい鍵を取り出し、巨大な玄関ドアの鍵穴に差し込んだ。
ガチャリ。重厚な音が響き、扉が軋みながら開く。
「お邪魔しまーす……っと」
三人が足を踏み入れた瞬間、そこには驚くべき光景が広がっていた。
天井には蜘蛛の巣が張った巨大なクリスタル・シャンデリア。
大理石の床、螺旋階段、そして壁一面の絵画。
舞踏会が開けそうなほど広々としたエントランスホールだが、その全てが分厚い灰色の埃に覆われていた。
「……うわぉ」
アレックスが口笛を吹く。
「ゴージャスだな。……ゴーストハウスとしてなら最高だ」
「ゲホッ! ゲホッ! ……なんだこりゃ、雪国か?」
鈴木が鼻を押さえて顔をしかめる。
「ここであってるのか? 廃墟じゃねぇか」
「住所はあってるわ」
サラはハンカチで口を覆いながら、床をライトで照らした。
「……見て。埃に足跡がない。最近誰も入ってない証拠よ。つまり無人。安全ね」
「安全だけど、肺が死にそうだな」
三人は埃を巻き上げないように慎重に屋内を探索した。
「……一階に部屋が6つ。奥にデカい風呂が一つと、トイレが二つか」
「二階も同じく6部屋ね。トイレも二つ。真ん中に広い食堂とキッチンがあるわ」
「合計12部屋か。……おいおい、これ何人で住むんだよ?」
鈴木が呆れてぼやくと、サラとアレックスは顔を見合わせて肩をすくめた。
「さぁ? 東のことだから、もっと人員を増やすつもりかもね」
その時、外から車のエンジン音が聞こえてきた。
谷雄一が運転する車が到着したのだ。
車から降りてきた谷、白川、音無、そして幸田美咲の四人は、開け放たれた玄関から中を覗き込み、絶句した。
「……で、デカいですね」
音無が圧倒されたように呟く。
「デカいだけじゃありませんよ。……この埃、見てください」
白川が指先で手すりをなぞると、指が真っ黒になった。
「これ、業者が入ってないんですか? ここで暮らすんですか?」
谷も苦笑いするしかない。
「東先生……予算ケチったのかな」
重苦しい空気が流れる中、ジャージ姿の幸田美咲が、小さく拳を握って声を上げた。
「あ、あの! 私……!」
全員の視線が集まる。
美咲は少し震えながらも、気丈に振る舞おうとしていた。
「私……掃除、頑張りますから! 皆さんに助けてもらった分、これくらいしかできませんけど……精一杯、綺麗にします!」
健気なその言葉に、大人たちの表情が和らぐ。
鈴木がニカっと笑って頭を撫でようとした——その時。
シュンッ!!
エントランスの中央、埃が舞い上がるほどの風圧と共に、二人の男が現れた。
「うおっ!?」
「ゲホッ、ゲホッ!」
現れたのは、両手両肩に大量のデッキブラシ、バケツ、雑巾、洗剤を抱えて人間荷物置き場と化した髙橋俊明と、手ぶらで優雅に立つ東義昭だった。
「と、到着しました……。重い……」
髙橋が荷物をドサドサと床に下ろす。
「ご苦労、髙橋君」
東は埃一つ被っていないスーツ姿で、皆を見回した。そして、視線を美咲に向ける。
「君が幸田美咲君だな。初めまして、東義昭だ」
「あ、は、初めまして……」
「君の心がけは素晴らしい。だが……」
東はピシャリと言い放った。
「君一人に掃除をさせるつもりはない。それじゃあ意味がないんだ」
「え?」
東は全員に向かって宣言した。
「これより、**『第一回・協調性強化訓練』**を開始する」
「訓練……?」
音無が聞き返すと、東は床に積まれた掃除道具を指差した。
「そうだ。名目は『大掃除』だ。
広大な屋敷、限られた道具、そして未知の汚れ……。これを如何に効率よく、役割分担をして攻略するか。これは立派なチームビルディングだ」
東は不敵に笑った。
「今日中に、この館をピカピカに磨き上げろ。寝床を確保したければな」
その言葉に、音無、鈴木、サラ、アレックス、谷、白川、そして美咲。
全員が同じ顔をして、東を見た。
(((……マジで?)))
「さあ、動け! 作戦開始だ!」
東の号令と共に、最強の能力者たちによる、史上最も埃っぽい戦いが幕を開けた。
■エントランスホール 吹き抜け
「……うわっ、高っ……」
音無賢人は、天井付近の梁の上で足がすくむのを感じていた。
下を見下ろせば、床が遥か遠くに見える。脚立では到底届かない、巨大なシャンデリアの真横だ。
「大丈夫かい、音無くん? 怖くない?」
髙橋俊明が、心配そうに声をかけた。
「……大丈夫です。髙橋さんの転移、意外と酔わないんで」
「はは、よかった。娘にもよく『パパのエレベーター』ってせがまれるんだよ。……さあ、そこの曇ったクリスタル、拭いちゃって」
賢人は雑巾を手に、シャンデリアのガラスを磨き始めた。
「音」の能力を使い、ガラスの微細な振動を感じ取ることで、汚れの付着具合やヒビの有無まで手に取るように分かる。
「……こんな風に、能力を平和なことに使うの、初めてです」
賢人がポツリと漏らした。
「いつも、気配を消して隠れるか……戦うために神経を研ぎ澄ますかだけだったんで」
髙橋は眼鏡の位置を直し、優しく微笑んだ。
「そうだね。でも、本来はこうあるべきなんだよ。力は、誰かを傷つけるためじゃなくて、誰かを喜ばせるためにあるはずだ」
髙橋は磨かれて輝きを取り戻したシャンデリアを見上げた。
「綺麗になったね。……いつか君も、『音』の力で誰かを守ったり、喜ばせたりする日が来るさ。今日みたいにね」
「……そうだと、いいんですけど」
賢人は照れくさそうに鼻をこすり、次のガラスへと手を伸ばした。
■一階 廊下
「……へっくし! ったく、なんで俺たちがこんなことしなきゃならねぇんだ」
谷雄一はマスク越しにくしゃみをしながら、廊下の掃き掃除をしていた。
箒の動かし方は雑で、埃が舞い上がってはまた落ちてくるだけだ。
「おい白川。業社呼べば一発だろこんなもん。俺たちは刑事だぞ? 掃除夫じゃねぇ」
「文句を言わないでください、谷さん。これも『訓練』らしいですから」
白川真純は、手すりの彫刻の溝を綿棒で丁寧に掃除しながら、深いため息をついた。
ふと床を見ると、谷が掃いたはずの場所に、まだ埃の塊が残っている。
「……谷さん。そこ、残ってます」
「あ? 細けぇな。どうせまた積もるだろ」
「そういう『雑さ』が、捜査報告書にも出るんですよ……」
白川は呆れ顔で立ち上がり、谷の手から箒を取り上げた。
「もういいです。谷さんがいると埃が舞うだけですから」
「なっ、ひでぇ言い草だな!」
「谷さんは、庭に行って鈴木さんやアレックスさんと合流してください。あっちなら力仕事が山積みですから」
「……チッ。分かったよ、ありゃあ肉体労働班か。行ってくりゃいいんだろ」
谷はブツブツ言いながら、逃げるように庭へと向かった。
■庭 搬出エリア
「ぬんっ!!」
ズズズズ……!
大人三人でも持ち上がらないような巨大な木製のタンスを、鈴木浩三が一人で背負い、庭へと運び出した。
「ふぅ……。こいつは湿気吸ってやがるな。重てぇ」
その様子を見ていたアレックス・ターナーが、目を丸くして口笛を吹いた。
「Amazing...(驚いたな)。ドーピングも強化スーツもなしでその怪力か? 鈴木さん、あんた軍隊でも通用するぞ」
「けっ、軍隊なんざ御免だね」
鈴木はタオルで汗を拭った。
「山じゃ猪の方がよっぽど重てぇし暴れるよ。……アンタこそ、重いソファーをひょいひょい運びやがって。何かカラクリがあんのか?」
鈴木の視線の先では、アレックスが一人で三人掛けのソファーを軽々と移動させていた。
「テコの原理と重心移動さ。力任せじゃ腰をやるからな」
アレックスはウィンクした。
「古武術の応用だよ。コツさえ掴めば、鈴木さんならトラックだって持ち上げられるんじゃないか?」
「ふん、理屈っぽいのが都会流か。……だがま、悪くねぇ動きだ」
鈴木はニヤリと笑った。
そこへ、谷が合流してきた。
「おーい、肉体労働班! 俺も混ぜてくれ。……白川の小言に耐えられん」
「お、刑事さんか。丁度いい、あそこの粗大ゴミの山、まとめて焼却場行きだ。手伝え」
男三人は、汗と埃にまみれながらも、どこか楽しげに巨大な家具と格闘を始めた。
■キッチン
「うぅ……全然落ちません……」
幸田美咲は、キッチンで黒ずんだ銀食器や鍋と格闘していた。
スポンジでゴシゴシ擦っても、長年の汚れはビクともしない。
「私、掃除もまともにできないのかな……。皆さんの役に立ちたいのに……」
美咲が半泣きになりかけた時、横からスッと手が伸びてきた。
「貸してごらん? 美咲ちゃん」
サラ・コッホだ。彼女は手元のボウルで何かを調合していた。
「力任せじゃダメよ。こういう時は……これを使うの」
サラは調合したペースト(重曹と酢の混合液)を汚れに塗りつけた。すると、シュワシュワと泡が立ち始める。
数分後、軽く拭き取ると、あれほど頑固だった黒ずみが消え、銀色の輝きが戻っていた。
「えっ!? うそ、ピカピカ……!」
美咲が目を輝かせる。
「わぁ! すごい! サラさんって物知りですね! 魔法みたい!」
「ふふん。これでも証拠隠滅……じゃなくて、科学捜査の基礎知識よ」
サラは得意げに胸を張った。
「汚れも、敵も、性質を見極めて『化学』で落とすの。……ねえ美咲ちゃん」
サラは美咲にウインクした。
「この家には、力自慢の男どもが多いでしょ? だから、私たちがしっかり家事と知恵で手綱を握らないとね?」
美咲はキョトンとした後、嬉しそうに笑った。
「ふふ、そうですね。……私、サラさんがいてくれて良かったです」
「私もよ。可愛い妹ができたみたいで嬉しいわ」
■庭先 エントランス前
夕暮れ時。
東義昭は、綺麗に磨き上げられた窓ガラスと、整えられた庭を見渡し、深く息を吸い込んだ。
廃墟同然だった洋館が、半日で息を吹き返した。
それぞれの能力と特性を生かし、連携することで成し遂げた成果。
「……悪くない」
東は洋館を見上げた。
その輝きは、単なる建物の再生ではない。
腐敗した政治、機能不全の警察、そして暴力に脅かされる社会……。
埃まみれのこの国を、これから自分たちがこうやって「掃除」し、再生させていくのだという象徴に見えた。
「これが、第一歩だ」
東は希望と野心を胸に、夕日に染まる洋館を見つめ続けた。
その背中からは、冷徹な策士としての顔だけでなく、新しい国を創る指導者としての熱が立ち昇っていた。
◾︎洋館二階 食堂
大掃除を終えたメンバーたちは、椅子に座り込んだり、テーブルに突っ伏したりして、それぞれの疲れを癒やしていた。
「あー……腰が死んだ。この家、広すぎだろ……」
「埃の量が尋常じゃなかったわね。マスクしてなかったら肺が真っ黒よ」
鈴木とサラがぼやく中、東義昭がスタスタと歩いてきた。
「髙橋君、白川君。ちょっと来たまえ」
指名された二人が顔を見合わせ、東の元へ歩み寄る。
「なんですか、先生? まさかまだ掃除し足りない場所が……」
「違う。夕食の買い出しだ。……これで行ってこい」
東は懐から封筒を取り出し、髙橋に渡した。
中身を確認した髙橋は、目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
「ご、五万円!? え、これ全部ですか?」
「……なんだ、足りなかったか?」
東が怪訝な顔をする。
「いやいや、多いですよ! 多すぎます!」
髙橋は慌てて封筒を突き返そうとした。
「俺たち9人ですよ? 一人およそ5500円計算? しかも外食じゃなくて、スーパーの惣菜や弁当を買うだけですよね? 豪遊する気ですか?」
「はぁ……。流石議員さんは金銭感覚が違うわ……」
白川も呆れたようにため息をついた。
すると、東は「あぁ」と何かを思い出したように頷いた。
「言っていなかったな。……金のことは気にするな。その金は私のポケットマネーではない。『公安』の経費で落とす」
「え? 公安?」
東は人差し指を立て、声を潜めて説明を始めた。
「いいか。日本の警察予算には、表には出せない**『捜査報償費』**というものが存在する。いわゆる『裏金』だ。
通常は情報提供者への謝礼などに使われるが……今回、私は官房長官を脅して、その蛇口をこっちに向けさせた」
東はニヤリと笑った。
「この金は、国家の治安維持のための『必要経費』として処理される。つまり、領収書はいらんし、使途を報告する義務もない。
上限はあるが、飯代くらいなら湯水のように使って構わん。……それが、この国のブラックボックスだ」
「マ、マジか……」
髙橋は封筒を持つ手が震えた。
「これが……我々の血税の行方……」
「本当だったんですね……噂には聞いていましたが」
白川もショックを隠せない様子だった。
「さて、金の問題は解決したな。行ってこい」
東が追い払おうとすると、白川がハッとして食い下がった。
「ま、待ってください先生! お金があるのは分かりましたけど……何を買えばいいんですか?」
「何だと? 適当に美味そうなものを……」
「ダメです!」
白川はビシッと言った。
「皆さんの好みも分からないじゃないですか。鈴木さんはお肉が好きそうですけど、サラさんはベジタリアンかもしれないし、音無君は魚が苦手かもしれない。……これから共同生活するんですから、そこは確認しないと」
「……ふむ」
東は顎に手を当てて考え込んだ。
「確かに、兵站管理において、個々のコンディション維持は重要だ。……合理的だな」
(……なんでこの人、頭がキレて本当に日本の為を思える愛国者なのに、こんな言い方なんだろう)
白川は内心で呆れつつも、東の次の言葉を待った。
東はパンパン、と手を叩いて全員の注目を集めた。
「——注目! 今日の掃除、ご苦労であった!」
全員がだらりと顔を上げる。
東は全員を見渡して宣言した。
「これより、髙橋君と白川君に夕食の調達を命じる。……が、その前にやることがある」
東は腕を組んだ。
「我々はチームだが、お互いのことを何も知らん。誰が何好きで、何が嫌いか……情報の非対称性は連携の不備を生む。よって、これより自己紹介を行う」
「えぇ~……今から?」
鈴木がげんなりした声を出すが、東は無視した。
「まず私から言う。……心して聞け」
東は姿勢を正し、まるで演説でもするかのように淡々と、しかし流暢に語り始めた。
「名前は東 義昭。
年齢は45歳。
経歴は、大蔵省(現・財務省)の官僚を経て、衆議院議員に転身。現在は当選4回だ」
東は眼鏡の位置を直した。
「このチームへの貢献だが……。
私は**『法律』『予算』『政治的圧力』**の全てを操作できる。君たちが現場で暴れても、私が黒を白に変え、逮捕状をトイレットペーパーに変えてやる。
また、作戦立案と指揮も私の管轄だ。……私の頭脳があれば、君たちは負けない」
(((……自分で言うか)))
全員の心が一つになった瞬間だった。
「最後に、食の好みだ。
好きな食べ物は、ブラックコーヒーと、老舗の羊羹。
嫌いな食べ物は、激辛料理だ。味覚が麻痺するのは非合理的だからな」
東は一息つくと、ズバリと指を指した。
「以上だ。……あまり自分のことを話すのは好きではないが、範は示した。
何をしている? ……次は貴様だ、鈴木浩三!」
「げっ、俺かよ!?」
あまりに情報量の多い、そして東という人間が凝縮された自己紹介に、全員が唖然とする中、指名された鈴木が慌てて立ち上がった。
奇妙な共同生活の最初のイベント、自己紹介タイムが幕を開けた。




