第12章 4Lのカーディガンと交わされた裏の契約
◾︎警察署襲撃から数日後 山小屋
朝の日差しが差し込む作業場で、鈴木浩三は愛用の猟銃をウエスで磨いていた。
「……ふぅ。こんなもんか」
油の匂いに包まれながら、鈴木は銃身の輝きを確認する。
カチャリ、とボルトを操作する手つきは手慣れたものだ。
「さて、と……」
鈴木は作業の手を止め、壁に掛かったカレンダーに目をやった。
明日の日付に、赤ペンで大きく『警察署』と書かれている。
「あーあ、憂鬱だ……」
鈴木は深いため息をついた。
「よりによって、また表彰式だとよ。しかも二枚だぞ、二枚」
先日、事件のドサクサで中止になった「郵便局強盗(金子)の一件」に加え、一昨日の「警察署襲撃事件での人命救助」。
これらを合わせて、改めて表彰したいと署長から連絡があったのだ。
「断ろうと思ったのによぉ。『髙橋さんも来るし、今回はマスコミもいないから』なんて言われちゃあ、行かねぇわけにはいかねぇしな」
鈴木は無意識に自分の腕をさすった。
一昨日、あの化け物みたいな大男(熊井)に殴られた箇所だ。
「……腫れは引いたか。にしても、あの熊野郎、いいパンチしてやがったな」
ズキッ。
立ち上がろうとした瞬間、脇腹に鈍い痛みが走った。
「いてて……。殴られたとこより、その後吹っ飛んで転んで打った肋骨の方が痛むってのは、どういうこっちゃ」
鈴木は苦笑しながら、午前中で仕事を切り上げた。
今日は午後から、重要なミッションがあるのだ。
◾︎麓のアパート
鈴木は、タンスの中身をひっくり返していた。
「……ダメだこりゃ」
出てくるのは、虫食いだらけのセーターや、襟がヨレヨレになったジャケットばかり。
山暮らしが長すぎて、まともな私服が全滅していた。
「残るは……この前の黒スーツか」
ハンガーに掛かった喪服用のブラックスーツを見る。
鈴木の脳裏に、一昨日の光景が蘇る。
『動くな! 凶器を捨てろ!』
『えぇ……俺、被害者なんだが……』
「……二度と着ねぇ。あんなもん着て行ったら、今度こそなんらかの罪で捕まるわ」
「……服、買いに行くか」
鈴木は決意を固め、ヨレたジャケットを羽織って街へと繰り出した。
◾︎街のショッピングモール
煌びやかなショーウィンドウの前を、巨人・鈴木がのしのしと歩く。
「いらっしゃいませー! 新作のジャケットいかがですかー!」
「今年のトレンドはタイトなシルエットで……」
店員の明るい声が響くが、鈴木はそれらを全てスルーした。
スルーせざるを得なかった。
(……ちっせぇ。どいつもこいつも、子供服かよ)
鈴木はMサイズやLサイズのマネキンを見て、鼻で笑った。
身長190センチ超、猟師として鍛え上げられた筋肉の鎧を纏う鈴木にとって、普通のお店は「立ち入り禁止区域」に等しい。
「すいませーん、これのXLあります?」
「あ、お客様のサイズですと……XLでも肩幅がちょっと……」
数軒回ったが、結果は惨敗。
試着しようとしたシャツが、ビリッと悲鳴を上げかけた時点で諦めた。
「……最低でも4L。できれば5Lじゃねぇと、腕が通らねぇぞ」
鈴木はモールを出て、スマホで検索をかけた。
『近く 大きいサイズ 服屋』
「……お、あるな。『グランデ・メンズ』……ここか」
30分後。
「大きいサイズの専門店」に入った鈴木は、水を得た魚のように安堵していた。
「おぉ……! 並んでる服が全部デカい! ここなら俺でも人間扱いされるな」
鈴木は店内を物色した。
ファッションセンスには自信がない。というか、興味がない。
とりあえず「ヤクザに見えない」「清潔感がある」「サイズが合う」という条件だけで服を選ぶ。
「これでいいか。……無難だろ」
選んだのは、ベージュのチノパンと、チェック柄のシャツ、そして紺色の大きなカーディガン。
これなら、少なくとも反社会勢力には見えないはずだ。
「店員さん、これくれ。試着はいい、どうせ入るだろ」
◾︎麓のアパート
夕方。アパートに戻った鈴木は、洗面台の前で髭を剃っていた。
ジョリ、ジョリ……。
鏡の中の自分と目が合う。
髭を剃ると、強面が少しだけマイルドになる。……気がする。
「……はぁ」
剃り残しを確認しながら、鈴木はまたため息をついた。
「明日は何も起きねぇといいなぁ……」
前回の表彰式に行こうとしたら、強盗犯の仲間と、殺人鬼と、化け物みたいな大男に襲われ、警察署が半壊した。
「疫病神」という言葉が頭をよぎる。
(俺か? 俺が悪いのか? ……いや、髙橋さんのせいってことにしておこう)
鈴木はタオルで顔を拭くと、買ってきたばかりの4Lサイズの服を丁寧にハンガーに掛けた。
「よし。飯にするか」
鈴木は冷蔵庫から、山で獲って下処理しておいた猪肉を取り出した。
包丁を入れると、トントンと小気味よい音が響く。
明日は、ただ警察署に行って、賞状をもらって、髙橋さんと飯でも食って帰るだけ。
そんな当たり前の平和を願いながら、鈴木は慣れた手つきで猪汁の準備に取り掛かるのだった。
◾︎襲撃翌日 警察署の別棟
本庁舎が半壊したため、奇跡的に無事だった大会議室が、音無賢人と幸田美咲のための仮の避難所となっていた。
パイプ椅子を壁際に寄せ、床には防災備蓄用の毛布と簡易マットが敷かれている。
蛍光灯の白い光が、疲れ切った彼らを照らしていた。
「……悪いな、音無君。ホテルの一つも手配してやりたかったんだが、見ての通りてんてこ舞いでな」
谷雄一が、温かい缶コーヒーを差し出した。
賢人はそれを受け取り、小さく首を振った。
「いえ。屋根と壁があるだけマシです。……野宿には慣れてますから」
「そう言ってもらえると助かる。……ほら、コンビニのおにぎりだ。少しでも腹に入れとけ」
賢人は渡されたツナマヨのおにぎりを開封し、機械的に口に運んだ。味はしない。ただ、戦うためのエネルギーとして摂取する。
部屋の反対側では、白川真純が幸田美咲に寄り添っていた。
美咲は白川から借りた、警察学校のロゴが入ったジャージ(通称・芋ジャージ)を着ている。サイズが合わずブカブカなその姿が、彼女の華奢さと、背負った悲劇の重さを痛々しく際立たせていた。
「幸田さん、少しでも眠れた?」
「……ううん。目を閉じると、またあの氷が……」
美咲は毛布を頭から被り、小刻みに震えている。
白川は優しくその背中をさすり、温かいお茶を渡した。
「無理に眠らなくていいわ。私がついてるから。……何か食べる? サンドイッチあるけど」
「……ごめんなさい。喉を通らない……」
「そう。……じゃあ、ここに置いておくね」
部屋には重苦しい沈黙が流れる。
賢人はおにぎりを飲み込むと、ふと視線を上げ、震える美咲を見た。
「…………」
自分と同じ。
理不尽に両親を奪われ、日常を壊された人間。
賢人は何か言おうとして口を開きかけたが、かけるべき言葉が見つからなかった。「元気を出せ」なんて無責任なことは言えない。
結局、彼はボソリと、事実だけを口にした。
「……俺もだ」
美咲がビクリとして、毛布の隙間から賢人を見た。
「え……?」
「俺も、両親を殺された。……似たようなもんだ」
賢人の言葉はぶっきらぼうだったが、そこには微かな共感が込められていた。
美咲は賢人の目を見る。その瞳の奥にある暗い炎を見て、彼もまた深い傷を負っていることを悟ったようだった。
「……そう、なんですか」
「ああ」
会話はそれだけだった。
今の二人には、傷を舐め合う余裕も、励まし合う気力もない。ただ、同じ痛みを持つ他人がそこにいるという事実だけが、冷たい部屋の空気をほんの少しだけ共有させた。
しばらくして、谷がパイプ椅子に座り直し、切り出した。
「さて、音無君。明日のことだが」
「明日?」
「ああ。例の表彰式だ。……君にも同行してもらう」
賢人は眉をひそめた。
「……断ります」
即答だった。賢人はコーヒーの空き缶を強く握りしめた。
「俺の顔や存在が公になれば、奴ら(金剛寺一派)に居場所を教えるようなものです。それに……俺がいるとバレれば、鈴木さんや髙橋さん、それに警察の皆さんにも迷惑がかかる」
賢人は視線を落とした。
「俺は疫病神だ。……これ以上、他人を巻き込みたくない」
谷は困ったように頭をかき、白川と顔を見合わせた。
そして、諭すような口調で言った。
「音無君。勘違いするな。……明日の式は、公にはしない。マスコミもシャットアウトだ」
「え?」
「それに、ただ賞状を渡して終わりじゃないんだ。式の後……**『大事な話』**があるらしい」
「大事な話……?」
「ああ。これからの日本をどう守るか、そして君たちをどう守るかについての話だ。……俺も白川も一緒に行く。鈴木さんたちも来る」
谷は賢人の肩にポンと手を置いた。
「だから、迷惑なんて考えるな。ずっと張り詰めてちゃ身体が持たねぇぞ? ……少しお出かけ、気分転換だと思って一緒に行こう」
賢人は迷った。
だが、谷の目は真剣で、そして温かかった。この刑事たちは、本気で自分を守ろうとしてくれている。
「……分かりました。皆さんが一緒なら」
賢人は渋々頷いた。
ふと、疑問が浮かぶ。
「でも、この惨状で……ここで表彰式をやるんですか?」
賢人は半壊した署内を見回した。ロビーは瓦礫の山だ。とても式典などできる状態ではない。
谷はニヤリと笑い、首を横に振った。
「いや。ここじゃねぇよ」
「え? じゃあどこで……」
「俺も詳しくは知らされちゃいねぇんだがな……」
谷は声を潜め、永田町の方角を指差した。
「とある議員さんの事務所でやるらしいぞ?」
「……議員?」
賢人の脳裏に、以前手紙を送った男——東義昭と、その相棒である長宗我部政宗の顔が浮かんだ。
(まさか……あの手紙の返事が、これなのか?)
運命の歯車が、再び大きく動き出そうとしていた。
◾︎警察本部 留置管理課
男女別々のブロックにある独房で、サラとアレックスはそれぞれの時間を過ごしていた。
サラ・コッホは、硬いパイプベッドの上で優雅に足を組み、天井のシミを数えていた。
「……ふふん、悪くないわね。ルームサービスはないけど、静かだし。誰にも命令されず、嘘もつかなくていい。これぞ待ちに待ったバカンスよ」
彼女は口笛を吹こうとして、途中でやめた。
強がりの仮面が、ふと剥がれ落ちる。
「…………」
静寂が耳に痛い。
グレイからの絶縁。祖国への裏切り。
待っているのは、おそらく終わりのない逃亡か、あるいは死か。
「……これで、良かったのよね」
サラは小さく呟き、冷たい壁に背中を預けた。
「アレックス……生きてるかしら」
一方、別の独房。
アレックス・ターナーは、座禅を組むようにベッドの上で沈黙していた。
(軍に入り、人を殺し、スパイになり、また人を騙し……)
彼は自らの血塗られた半生を反芻していた。
命令に従うだけの機械。それが自分だった。だが、あの警察署で初めて、自分の意志で動いた。
(後悔はない。……だが、これからどうなる?)
日本での裁判、服役、そして強制送還。その先にあるのはグレイによる粛清だ。
死ぬこと自体は怖くない。だが、無意味に死ぬのは御免だ。
(……まだ、何かできることがあるはずだ)
アレックスは閉じていた目を開けた。その瞳には、まだ戦う意志の光が残っていた。
◾︎翌日 取調室
重い鉄扉が開き、サラとアレックスが連れてこられた。
二人が顔を合わせるのは、逮捕以来初めてのことだ。
「やあ、サラ。顔色が悪いぞ。ここのメシは口に合わなかったか?」
「あらアレックス。あなたこそ、髭が伸び放題でクマみたいよ」
二人は椅子に座らされながら、軽口を叩き合った。
その何気ない会話には、スパイ特有のイントネーションによる『現状確認(盗聴警戒)』の暗号が含まれていた。
「……無駄な私語は慎みたまえ」
二人の向かいに座っていた男が、書類から目を離さずに冷たく言い放った。
神経質そうな銀縁メガネをかけた、仕立ての良いスーツの男。その眼光は、犯罪者を解剖するかのように鋭い。
「君たちの会話が『高度な暗号』であることは、素人目にも明らかだ。録音されていることを忘れるな」
「……あら、手厳しいわね」
サラは肩をすくめた。男は名刺を一枚、テーブルに滑らせた。
「私は弁護士の**高柳慎吾**だ。東義昭代議士の代理人としてここに来た」
高柳は分厚い六法全書と、二人の起訴状案を机に叩きつけた。
「単刀直入に言おう。君たちの現状は絶望的だ。銃刀法違反、公務執行妨害、建造物侵入、火薬類取締法違反……。通常なら実刑は免れない。服役後は強制送還され、本国で『処理』されるのがオチだ」
「……脅しか? 弁護士さん」
アレックスが睨むと、高柳は冷笑した。
「事実の羅列だ。だが、蜘蛛の糸が一本だけある」
高柳は一枚の書類を指差した。
「刑事訴訟法第350条の2。……いわゆる**『日本版司法取引(合意制度)』**だ」
「司法取引……? 日本にもあるの?」
サラが眉をひそめる。
「アメリカのそれとは違う。自分の罪を認めて減刑される制度ではない。『他人の犯罪事実』を明らかにするために協力することで、自分の起訴を見送らせる制度だ」
高柳は淀みなく、法的なロジックを展開し始めた。
「検察が喉から手が出るほど欲しいのは、君たちごとき実行犯の首ではない。背後にいる首謀者……**『金剛寺武』**の首だ。君たちには、金剛寺が警察署襲撃を指示したという決定的な証言と、通信記録などの証拠を提出してもらう」
「……なるほど。私たちを餌に、大物を釣るわけね」
「その対価として、検察官は君たちに対する全ての容疑を**『不起訴処分』**とする。これが取引の骨子だ」
「不起訴になっても、ビザがなきゃ強制送還でしょ?」
アレックスの指摘に、高柳はもう一枚の書類を出した。
「そこは東代議士が手を回した。君たちの身柄は、新設される公的機関……**『覚醒者特別犯罪対策局』**が引き受ける。形式上、君たちは高度専門知識を持つ『特別技術顧問』として国家公務員に準ずる立場で雇用される。……つまり、日本政府が君たちの盾になるということだ」
「……!」
サラとアレックスは息を呑んだ。
犯罪者を無罪放免にするだけでなく、公的機関に雇い入れる。
法と政治の隙間を縫った、あまりにも大胆なウルトラC。
(……東義昭。とんでもない絵を描く男ね)
高柳はボールペンをノックした。
「選択肢は二つだ。ここで法の裁きを受けて消されるか、泥を被ってでも生き延びて、我々の飼い犬になるか。……決めろ」
アレックスは、迷わず答えた。
「……その話、乗った」
「アレックス?」
「地獄に送り返されるよりマシだ。それに……俺たちが愛したこの国と、両国が争わず平和になることに貢献できるなら、協力する」
アレックスの言葉に、サラも小さく笑って頷いた。
「……そうね。私も、協力するわ」
「賢明な判断だ」
高柳は契約書を差し出した。
「では、ここにサインを」
二人はペンを取り、書類に目を落とす。
サラサラとサインをしながら、テーブルの下で二人の靴先が微かに動いた。
コツ、コツ、コツ……(タップ・コード)
サラの足が、アレックスの足に触れる。
《この男……高柳。信用できると思う? この契約書に罠はない?》
アレックスの足が、リズムを刻んで返す。
《条文を確認した。抜け穴はない。完璧な法的防壁だ。……まあ、無意味に死んでこの世を去るよりかは、俺たちが愛したこの世界に貢献できるならいいだろう》
音も立てず、表情も変えず。
スパイとしての技量による、無言の会話。
完璧な裏取引——のはずだった。
「……おい」
高柳の冷ややかな声が、頭上から降ってきた。
「バレてるぞ」
「ッ!?」
サラとアレックスの手が止まる。
高柳は眼鏡の位置を直し、侮蔑と感心が入り混じったような目で二人を見た。
「机の微弱な振動、そして君たちの視線の動きと呼吸の同調。……私を甘く見ないでもらいたい。余計な相談は不要だ、今はサインだけに集中しろ」
サラとアレックスは、呆気にとられて顔を見合わせた。
覚醒者でもない、ただの人間。ヤメ検の弁護士。
だが、その洞察力は自分たちスパイと同等か、それ以上だ。
(……コイツ、何者?)
「……はいはい、分かりましたよ。怖い弁護士さんね」
サラは苦笑いしながら、再びペンを走らせた。
(東義昭……。彼の周りには、化け物しかいないのね)
二人は、得体の知れない「日本の底力」に戦慄しながら、新たな所属先への契約書に署名するのだった。




