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巡り巡る 〜漢字の意味が世界を変える世界〜  作者: 暇な鍼灸師


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12/30

第12章 4Lのカーディガンと交わされた裏の契約



◾︎警察署襲撃から数日後 山小屋



朝の日差しが差し込む作業場で、鈴木浩三は愛用の猟銃をウエスで磨いていた。


「……ふぅ。こんなもんか」


油の匂いに包まれながら、鈴木は銃身の輝きを確認する。


カチャリ、とボルトを操作する手つきは手慣れたものだ。


「さて、と……」


鈴木は作業の手を止め、壁に掛かったカレンダーに目をやった。


明日の日付に、赤ペンで大きく『警察署』と書かれている。


「あーあ、憂鬱だ……」


鈴木は深いため息をついた。


「よりによって、また表彰式だとよ。しかも二枚だぞ、二枚」


先日、事件のドサクサで中止になった「郵便局強盗(金子)の一件」に加え、一昨日の「警察署襲撃事件での人命救助」。


これらを合わせて、改めて表彰したいと署長から連絡があったのだ。


「断ろうと思ったのによぉ。『髙橋さんも来るし、今回はマスコミもいないから』なんて言われちゃあ、行かねぇわけにはいかねぇしな」


鈴木は無意識に自分の腕をさすった。


一昨日、あの化け物みたいな大男(熊井)に殴られた箇所だ。


「……腫れは引いたか。にしても、あの熊野郎、いいパンチしてやがったな」


ズキッ。


立ち上がろうとした瞬間、脇腹に鈍い痛みが走った。


「いてて……。殴られたとこより、その後吹っ飛んで転んで打った肋骨の方が痛むってのは、どういうこっちゃ」


鈴木は苦笑しながら、午前中で仕事を切り上げた。


今日は午後から、重要なミッションがあるのだ。



◾︎麓のアパート



鈴木は、タンスの中身をひっくり返していた。


「……ダメだこりゃ」


出てくるのは、虫食いだらけのセーターや、襟がヨレヨレになったジャケットばかり。


山暮らしが長すぎて、まともな私服が全滅していた。


「残るは……この前の黒スーツか」


ハンガーに掛かった喪服用のブラックスーツを見る。


鈴木の脳裏に、一昨日の光景が蘇る。


『動くな! 凶器を捨てろ!』

『えぇ……俺、被害者なんだが……』


「……二度と着ねぇ。あんなもん着て行ったら、今度こそなんらかの罪で捕まるわ」


「……服、買いに行くか」


鈴木は決意を固め、ヨレたジャケットを羽織って街へと繰り出した。



◾︎街のショッピングモール



煌びやかなショーウィンドウの前を、巨人・鈴木がのしのしと歩く。


「いらっしゃいませー! 新作のジャケットいかがですかー!」

「今年のトレンドはタイトなシルエットで……」


店員の明るい声が響くが、鈴木はそれらを全てスルーした。


スルーせざるを得なかった。


(……ちっせぇ。どいつもこいつも、子供服かよ)


鈴木はMサイズやLサイズのマネキンを見て、鼻で笑った。


身長190センチ超、猟師として鍛え上げられた筋肉の鎧を纏う鈴木にとって、普通のお店は「立ち入り禁止区域」に等しい。


「すいませーん、これのXLあります?」


「あ、お客様のサイズですと……XLでも肩幅がちょっと……」


数軒回ったが、結果は惨敗。


試着しようとしたシャツが、ビリッと悲鳴を上げかけた時点で諦めた。


「……最低でも4L。できれば5Lじゃねぇと、腕が通らねぇぞ」


鈴木はモールを出て、スマホで検索をかけた。


『近く 大きいサイズ 服屋』


「……お、あるな。『グランデ・メンズ』……ここか」


30分後。


「大きいサイズの専門店」に入った鈴木は、水を得た魚のように安堵していた。


「おぉ……! 並んでる服が全部デカい! ここなら俺でも人間扱いされるな」


鈴木は店内を物色した。


ファッションセンスには自信がない。というか、興味がない。


とりあえず「ヤクザに見えない」「清潔感がある」「サイズが合う」という条件だけで服を選ぶ。


「これでいいか。……無難だろ」


選んだのは、ベージュのチノパンと、チェック柄のシャツ、そして紺色の大きなカーディガン。


これなら、少なくとも反社会勢力には見えないはずだ。


「店員さん、これくれ。試着はいい、どうせ入るだろ」



◾︎麓のアパート



夕方。アパートに戻った鈴木は、洗面台の前で髭を剃っていた。


ジョリ、ジョリ……。


鏡の中の自分と目が合う。


髭を剃ると、強面が少しだけマイルドになる。……気がする。


「……はぁ」


剃り残しを確認しながら、鈴木はまたため息をついた。


「明日は何も起きねぇといいなぁ……」


前回の表彰式に行こうとしたら、強盗犯の仲間と、殺人鬼と、化け物みたいな大男に襲われ、警察署が半壊した。


「疫病神」という言葉が頭をよぎる。


(俺か? 俺が悪いのか? ……いや、髙橋さんのせいってことにしておこう)


鈴木はタオルで顔を拭くと、買ってきたばかりの4Lサイズの服を丁寧にハンガーに掛けた。


「よし。飯にするか」


鈴木は冷蔵庫から、山で獲って下処理しておいた猪肉を取り出した。


包丁を入れると、トントンと小気味よい音が響く。


明日は、ただ警察署に行って、賞状をもらって、髙橋さんと飯でも食って帰るだけ。


そんな当たり前の平和を願いながら、鈴木は慣れた手つきで猪汁の準備に取り掛かるのだった。



◾︎襲撃翌日 警察署の別棟



本庁舎が半壊したため、奇跡的に無事だった大会議室が、音無賢人と幸田美咲のための仮の避難所となっていた。


パイプ椅子を壁際に寄せ、床には防災備蓄用の毛布と簡易マットが敷かれている。


蛍光灯の白い光が、疲れ切った彼らを照らしていた。


「……悪いな、音無君。ホテルの一つも手配してやりたかったんだが、見ての通りてんてこ舞いでな」


谷雄一が、温かい缶コーヒーを差し出した。


賢人はそれを受け取り、小さく首を振った。


「いえ。屋根と壁があるだけマシです。……野宿には慣れてますから」


「そう言ってもらえると助かる。……ほら、コンビニのおにぎりだ。少しでも腹に入れとけ」


賢人は渡されたツナマヨのおにぎりを開封し、機械的に口に運んだ。味はしない。ただ、戦うためのエネルギーとして摂取する。


部屋の反対側では、白川真純が幸田美咲に寄り添っていた。


美咲は白川から借りた、警察学校のロゴが入ったジャージ(通称・芋ジャージ)を着ている。サイズが合わずブカブカなその姿が、彼女の華奢さと、背負った悲劇の重さを痛々しく際立たせていた。


「幸田さん、少しでも眠れた?」


「……ううん。目を閉じると、またあの氷が……」


美咲は毛布を頭から被り、小刻みに震えている。

白川は優しくその背中をさすり、温かいお茶を渡した。


「無理に眠らなくていいわ。私がついてるから。……何か食べる? サンドイッチあるけど」


「……ごめんなさい。喉を通らない……」


「そう。……じゃあ、ここに置いておくね」


部屋には重苦しい沈黙が流れる。


賢人はおにぎりを飲み込むと、ふと視線を上げ、震える美咲を見た。


「…………」


自分と同じ。


理不尽に両親を奪われ、日常を壊された人間。


賢人は何か言おうとして口を開きかけたが、かけるべき言葉が見つからなかった。「元気を出せ」なんて無責任なことは言えない。


結局、彼はボソリと、事実だけを口にした。


「……俺もだ」


美咲がビクリとして、毛布の隙間から賢人を見た。


「え……?」


「俺も、両親を殺された。……似たようなもんだ」


賢人の言葉はぶっきらぼうだったが、そこには微かな共感が込められていた。


美咲は賢人の目を見る。その瞳の奥にある暗い炎を見て、彼もまた深い傷を負っていることを悟ったようだった。


「……そう、なんですか」


「ああ」


会話はそれだけだった。


今の二人には、傷を舐め合う余裕も、励まし合う気力もない。ただ、同じ痛みを持つ他人がそこにいるという事実だけが、冷たい部屋の空気をほんの少しだけ共有させた。


しばらくして、谷がパイプ椅子に座り直し、切り出した。


「さて、音無君。明日のことだが」


「明日?」


「ああ。例の表彰式だ。……君にも同行してもらう」


賢人は眉をひそめた。


「……断ります」


即答だった。賢人はコーヒーの空き缶を強く握りしめた。


「俺の顔や存在が公になれば、奴ら(金剛寺一派)に居場所を教えるようなものです。それに……俺がいるとバレれば、鈴木さんや髙橋さん、それに警察の皆さんにも迷惑がかかる」


賢人は視線を落とした。


「俺は疫病神だ。……これ以上、他人を巻き込みたくない」


谷は困ったように頭をかき、白川と顔を見合わせた。


そして、諭すような口調で言った。


「音無君。勘違いするな。……明日の式は、公にはしない。マスコミもシャットアウトだ」


「え?」


「それに、ただ賞状を渡して終わりじゃないんだ。式の後……**『大事な話』**があるらしい」


「大事な話……?」


「ああ。これからの日本をどう守るか、そして君たちをどう守るかについての話だ。……俺も白川も一緒に行く。鈴木さんたちも来る」


谷は賢人の肩にポンと手を置いた。


「だから、迷惑なんて考えるな。ずっと張り詰めてちゃ身体が持たねぇぞ? ……少しお出かけ、気分転換だと思って一緒に行こう」


賢人は迷った。


だが、谷の目は真剣で、そして温かかった。この刑事たちは、本気で自分を守ろうとしてくれている。


「……分かりました。皆さんが一緒なら」


賢人は渋々頷いた。


ふと、疑問が浮かぶ。


「でも、この惨状で……ここで表彰式をやるんですか?」


賢人は半壊した署内を見回した。ロビーは瓦礫の山だ。とても式典などできる状態ではない。


谷はニヤリと笑い、首を横に振った。


「いや。ここじゃねぇよ」


「え? じゃあどこで……」


「俺も詳しくは知らされちゃいねぇんだがな……」


谷は声を潜め、永田町の方角を指差した。


「とある議員さんの事務所でやるらしいぞ?」


「……議員?」


賢人の脳裏に、以前手紙を送った男——東義昭と、その相棒である長宗我部政宗の顔が浮かんだ。


(まさか……あの手紙の返事が、これなのか?)


運命の歯車が、再び大きく動き出そうとしていた。



◾︎警察本部 留置管理課



男女別々のブロックにある独房で、サラとアレックスはそれぞれの時間を過ごしていた。


サラ・コッホは、硬いパイプベッドの上で優雅に足を組み、天井のシミを数えていた。


「……ふふん、悪くないわね。ルームサービスはないけど、静かだし。誰にも命令されず、嘘もつかなくていい。これぞ待ちに待ったバカンスよ」


彼女は口笛を吹こうとして、途中でやめた。


強がりの仮面が、ふと剥がれ落ちる。


「…………」


静寂が耳に痛い。


グレイからの絶縁。祖国への裏切り。


待っているのは、おそらく終わりのない逃亡か、あるいは死か。


「……これで、良かったのよね」


サラは小さく呟き、冷たい壁に背中を預けた。


「アレックス……生きてるかしら」


一方、別の独房。


アレックス・ターナーは、座禅を組むようにベッドの上で沈黙していた。


(軍に入り、人を殺し、スパイになり、また人を騙し……)


彼は自らの血塗られた半生を反芻していた。


命令に従うだけの機械。それが自分だった。だが、あの警察署で初めて、自分の意志で動いた。


(後悔はない。……だが、これからどうなる?)


日本での裁判、服役、そして強制送還。その先にあるのはグレイによる粛清だ。


死ぬこと自体は怖くない。だが、無意味に死ぬのは御免だ。


(……まだ、何かできることがあるはずだ)


アレックスは閉じていた目を開けた。その瞳には、まだ戦う意志の光が残っていた。



◾︎翌日 取調室



重い鉄扉が開き、サラとアレックスが連れてこられた。


二人が顔を合わせるのは、逮捕以来初めてのことだ。


「やあ、サラ。顔色が悪いぞ。ここのメシは口に合わなかったか?」


「あらアレックス。あなたこそ、髭が伸び放題でクマみたいよ」


二人は椅子に座らされながら、軽口を叩き合った。

その何気ない会話には、スパイ特有のイントネーションによる『現状確認(盗聴警戒)』の暗号が含まれていた。


「……無駄な私語は慎みたまえ」


二人の向かいに座っていた男が、書類から目を離さずに冷たく言い放った。


神経質そうな銀縁メガネをかけた、仕立ての良いスーツの男。その眼光は、犯罪者を解剖するかのように鋭い。


「君たちの会話が『高度な暗号コード』であることは、素人目にも明らかだ。録音されていることを忘れるな」


「……あら、手厳しいわね」


サラは肩をすくめた。男は名刺を一枚、テーブルに滑らせた。


「私は弁護士の**高柳慎吾たかやなぎ しんご**だ。東義昭代議士の代理人としてここに来た」


高柳は分厚い六法全書と、二人の起訴状案を机に叩きつけた。


「単刀直入に言おう。君たちの現状は絶望的だ。銃刀法違反、公務執行妨害、建造物侵入、火薬類取締法違反……。通常なら実刑は免れない。服役後は強制送還され、本国で『処理』されるのがオチだ」


「……脅しか? 弁護士さん」


アレックスが睨むと、高柳は冷笑した。


「事実の羅列だ。だが、蜘蛛の糸が一本だけある」


高柳は一枚の書類を指差した。


「刑事訴訟法第350条の2。……いわゆる**『日本版司法取引(合意制度)』**だ」


「司法取引……? 日本にもあるの?」


サラが眉をひそめる。


「アメリカのそれとは違う。自分の罪を認めて減刑される制度ではない。『他人の犯罪事実』を明らかにするために協力することで、自分の起訴を見送らせる制度だ」


高柳は淀みなく、法的なロジックを展開し始めた。


「検察が喉から手が出るほど欲しいのは、君たちごとき実行犯の首ではない。背後にいる首謀者……**『金剛寺武』**の首だ。君たちには、金剛寺が警察署襲撃を指示したという決定的な証言と、通信記録などの証拠を提出してもらう」


「……なるほど。私たちを餌に、大物を釣るわけね」


「その対価として、検察官は君たちに対する全ての容疑を**『不起訴処分』**とする。これが取引の骨子だ」


「不起訴になっても、ビザがなきゃ強制送還でしょ?」


アレックスの指摘に、高柳はもう一枚の書類を出した。


「そこは東代議士が手を回した。君たちの身柄は、新設される公的機関……**『覚醒者特別犯罪対策局』**が引き受ける。形式上、君たちは高度専門知識を持つ『特別技術顧問』として国家公務員に準ずる立場で雇用される。……つまり、日本政府が君たちの盾になるということだ」


「……!」


サラとアレックスは息を呑んだ。


犯罪者を無罪放免にするだけでなく、公的機関に雇い入れる。


法と政治の隙間を縫った、あまりにも大胆なウルトラC。


(……東義昭。とんでもない絵を描く男ね)


高柳はボールペンをノックした。


「選択肢は二つだ。ここで法の裁きを受けて消されるか、泥を被ってでも生き延びて、我々の飼い犬になるか。……決めろ」


アレックスは、迷わず答えた。


「……その話、乗った」


「アレックス?」


「地獄に送り返されるよりマシだ。それに……俺たちが愛したこの国と、両国が争わず平和になることに貢献できるなら、協力する」


アレックスの言葉に、サラも小さく笑って頷いた。


「……そうね。私も、協力するわ」


「賢明な判断だ」


高柳は契約書を差し出した。


「では、ここにサインを」


二人はペンを取り、書類に目を落とす。


サラサラとサインをしながら、テーブルの下で二人の靴先が微かに動いた。


コツ、コツ、コツ……(タップ・コード)


サラの足が、アレックスの足に触れる。


《この男……高柳。信用できると思う? この契約書にトラップはない?》


アレックスの足が、リズムを刻んで返す。


《条文を確認した。抜け穴はない。完璧な法的防壁だ。……まあ、無意味に死んでこの世を去るよりかは、俺たちが愛したこの世界に貢献できるならいいだろう》


音も立てず、表情も変えず。


スパイとしての技量による、無言の会話。


完璧な裏取引——のはずだった。


「……おい」


高柳の冷ややかな声が、頭上から降ってきた。


「バレてるぞ」


「ッ!?」


サラとアレックスの手が止まる。


高柳は眼鏡の位置を直し、侮蔑と感心が入り混じったような目で二人を見た。


「机の微弱な振動、そして君たちの視線の動きと呼吸の同調。……私を甘く見ないでもらいたい。余計な相談は不要だ、今はサインだけに集中しろ」


サラとアレックスは、呆気にとられて顔を見合わせた。


覚醒者でもない、ただの人間。ヤメ検の弁護士。


だが、その洞察力は自分たちスパイと同等か、それ以上だ。


(……コイツ、何者?)


「……はいはい、分かりましたよ。怖い弁護士さんね」


サラは苦笑いしながら、再びペンを走らせた。


(東義昭……。彼の周りには、化け物しかいないのね)


二人は、得体の知れない「日本の底力」に戦慄しながら、新たな所属先への契約書に署名するのだった。

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