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第五話(完結)

 (五)


 今まで、言葉にするのをためらっていました。だって、恥ずかしいじゃないですか。

 わたしのようなただの電車が、ブルートレインさん憧れていたなんて。本当は、ブルートレインさんに生まれてきたかった、と思っていたなんて。きっと笑われたり、馬鹿にされたりするに違いありません。

 わたしは、生まれてすぐに山手線に投入されてからというもの、東京駅や上野駅を発着するブルートレインさんをいつも隣の線路から羨望の眼差しで見つめていました。

 そのブルートレインさんも、今では数を減らし、上野から札幌へ向かう「北斗星」さんだけになってしまいました。

 『利用者の減少』『車両の老朽化』と、鉄道会社の人たちは言います。そして、世間の人たちも言います。「これも時代の流れなんだな」と。

 ですが、そんなことはどうでもいいじゃありませんか。憧れは、いつになっても憧れ以外の何物でもないのです。


 出発の日、わたしはご主人様を乗せたまま機関車に牽引してもらい、上野駅の一つ隣の駅に隣接した車両基地まで回送してもらいました。そこにはもちろん、憧れのブルートレイン「北斗星」さんがいらっしゃいます。


 「ど、どうも、し、しつれいします」


 と、ぎこちない挨拶をして、わたしは「北斗星」さんの一番後ろに連結してもらいました。

 この車両基地から始発駅である上野駅へ向かう際、本来は先頭である機関車が後押して、つまり後ろ向きで進んでいきます。よく知られていることかもしれませんが、これを『推進運転』と言います。



 【参考】わたしが連結された、この日の寝台特急「北斗星」の編成

 EF510 (上野-青森 間)

 電源車 カニ24

 11号車 オハネフ25 B寝台

 10号車 オロハネ24 A寝台個室(1人用)+B寝台個室(2人用)

 9号車 オロハネ25 A寝台個室(1人用)+B寝台個室(1人用)

 8号車 オロネ25 A寝台個室(2人用)

 7号車 スシ24 食堂車

 6号車 スハネ25 B寝台個室(1人用)+ロビー

 5号車 オハネ25 B寝台個室(1人用)

 4号車 オハネ25 B寝台個室(2人用)

 3号車 オハネ25 B寝台個室(2人用)

 2号車 オハネフ25 B寝台

 1号車 オハネフ25 B寝台

 増12号車 オロネ103 852 A寝台個室(1世帯用)(← わたしです)



 寝台特急「北斗星」は、いつものように機関車が後押しをして、車両基地を出発し上野駅へ向かいました。ただし、その日に限り、最後尾にわたしが増結されていました。つまり、車両基地から上野駅へ向かう間、たかがほんの数キロではありますが、わたしが先頭になって進んでいくのです。しかも、わたしの先端には、ご主人様が用意してくれた、特製のヘッドマークも取り付けられています。そして、18時44分、わが寝台特急「北斗星」は、大勢のお客様や鉄道ファンの方々が待ち受ける13番線ホームへ、ゆっくりと進入していきました。


 「な、なんだありゃあ!!」

 「変なのが連結されてるぞ!」


 ホームから人々の歓声が聞こえてきます。そして、多くの人たちが、わたしにカメラを向けています。わたしにとっては、まさに一世一代の晴れ姿です。わたしはとても誇らしく、そして半ば夢心地でした。もしかすると、本当に夢を見ていたのかもしれません。

 そして、19時3分、わが寝台特急「北斗星」は、多くの方々に見送られ、満員のお客様とともに上野駅を出発しました。

 鶯谷、そして日暮里と、いつも山手線で停車している駅を横目に見ながら通過してきます。ホームには、家路を急ぐサラリーマン風の方々が電車を待っていらっしゃいます。


 「皆さんは、お家へお帰りになるのでしょう。わたしはね、これから旅に出るのですよ」


 各駅停車の通勤電車を、わたしは悠々と追い抜いていきます。


 「アラララララッ!イヤッホォォォォォーー」


 わたしは超ご機嫌でした。

 ご主人様がいつもご機嫌な時に歌っている鼻歌を、いつの間にかわたしも歌っていました。


 深夜、沿線の風景には雪が交じるようになりました。

 途中、小さな駅を通過する時、その周辺にだけ少しばかり街の灯りがあります。しかし少し行くと、灯りはほとんどなくなってしまいます。そして、また次の駅を通過する時、また少しばかり街の灯りで明るくなります。

 わたしには、何もかもが生まれて初めての経験です。生まれて初めて見る景色ばかりです。わたしは、その全てを何一つとして見逃さないよう、暗闇の中、必死に目を凝らしました。

 わたしが生まれて初めての旅に夢中になる中、ふと気がつくと、ご主人様は少し寒そうにしていました。わたしは、車内の暖房をいつもよりも強くし、ご主人様に暖かい風があたるようにしました。


挿絵(By みてみん)


 未明、青函トンネルを通り抜け、北海道に上陸しました。もちろん、生まれて初めての北海道です。と言っても、まだ辺りは真っ暗で実感は湧きません。

 それでも、函館に到着するころには明るくなってきました。天気の方はイマイチで、風が強く雪が舞っています。函館駅のホームに到着するとよくわかりました。冬の北海道ではこれが当たり前なのでしょうか。さすがは北海道です。

 なぜか函館駅を出発するのは10分ほど遅れましたが、それでも寝台特急「北斗星」は、雪が吹き付ける北の大地を、その雪を巻き上げながら力強く進んでいきます。先頭でわたしたちを力強く牽引してくれているは、重連のDD51です。曲線を通過するとき、一番後ろのわたしからでもその勇壮を垣間見ることができます。

 どうやら、今日は少しばかりダイヤが乱れているようです。そのためか、途中いくつかの駅で予定よりも長く停車しました。函館駅で10分だった遅れは、その都度、拡大していくばかりです。それでも、この地では時間の進み方が緩やかなのでしょうか、この程度の遅れで、文句を言う人は誰もいません。

 11時45分、定刻よりも30分遅れて終点の札幌駅に到着しました。結局、わたしは一睡もできませんでした。すべてが夢のような時間でした。そんな夢の時間は、あっという間に過ぎてしまいました。

ですが、余韻に浸る暇はありません。すぐさま車両基地に引き上げ、一晩ともにさせていただいた「北斗星」さんとお別れし、一息つく間もないまま、稚内行きの特急「サロベツ」の一番後ろに付け替えてもらいました。


 12時30分、特急「サロベツ」は札幌駅を発車しました。「サロベツ」君は3両編成のディーゼル特急ですが、今日はわたしが連結されているので特別に4両での運行です。終点の稚内には18時10分に到着し、ご主人様とわたしは、そのまま稚内で一泊する予定です。

 外は相変わらず、雪が降り続いています。というか、北へ進めば進むほど、風が強くなり叩きつけるような降り方に変わってきました。山手線暮らしのわたしには、経験のない降り方です。

 それでも、14時8分、旭川駅は定刻で発車しました。いよいよ宗谷本線に乗り入れていきます。

 宗谷本線に乗り入れると、それまで以上に、何もなくただ雪に埋もれているだけになってしまいました。人跡はほとんど感じられず、たまに短い橋梁らしいものを渡ることがあっても、何もかもが雪に埋もれてしまっていて、どこが川なのかもよくわかりません。

 次第に、わたしは不安になってきました。ですが、もう引き返すことはできません。信じて進むしかありません。ご主人様と一緒ですから。

 しかし、進めば進むほど、わたしの不安は現実のものになってきました。途中、徐行したり、通過するはずの駅で停車したり・・。15時17分発のはずの名寄駅では15分遅れ、16時8分発のはずの音威子府駅では30分遅れ・・、次第に遅れが拡大していきます。もう日は暮れて、あたりは真っ暗です。それでもあと2時間です。あと2時間で、稚内に到着できるはずです。稚内に到着すれば、今夜はゆっくりできます。

 本来なら17時11分発のはずの幌延駅を、1時間遅れで発車しました。あと1時間です。たったの1時間です。


 ・・それは、18時20分のことでした。

 ガッガガッガガガッーーーと、強い衝撃があり、駅でもなんでもないところで急に停止してしまいました。ご主人様は思わずつんのめってしまい、もう少しで壁に体を打ちつけてしまうところでした。

 最初は、何が起こったのかわかりませんでした。ですが、少しして理由がわかりました。「サロベツ」君の先頭の車両が、線路上にできた吹き溜まりに突っ込んでしまったのです。

 吹き溜まりに突っ込んでしまった「サロベツ」君は、身動きがとれなくなってしまいました。その後ろに連結してもらっているわたしには、どうすることもできません。

 もちろん、運転士さんと車掌さんが外に出て、「ああでもない、こうでもない」とやってくれています。ですが、ちょっとくらい雪をかいたところで、また降り積もる方が早いのです。こうしている間にも、猛烈な風が雪を叩きつけてくるのです。

 わたしたちは皆、途方に暮れました。ご主人様も、「サロベツ」君の乗客の方々も、運転士さんも、車掌さんも・・、そして「サロベツ」君も、わたしも・・。

 そのまま時間だけが過ぎていきました。雪も風もいっこうに止む気配はありません。むしろ、時間が経てば経つほど状況は悪くなる一方です。すでに、わたしの車輪の半分くらいの高さまで雪に埋もれてしまっています。

 鉄道会社は、わたしたちが立ち往生している現場まで、救援隊を向かわせることにしました。といっても、この雪と風です。しかも稚内からでさえ、列車で1時間ほどかかる距離です。救援に向かう方も大変なことです。

 そのまま時刻は0時をまわり、日付が変わりました。ご主人様もさすがに疲れたのでしょう、ぐったりしています。

 わたしは、もとをただせば暖地用に開発された通勤電車です。わたしにできることと言えば、ご主人様が寒くないよう、暖房の強さをMAXにすることぐらいしかありません。それでも、上下2段式の窓の隙間から、冷たい空気が入ってきてしまいます。

 午前3時、ようやく救援隊が来てくれました。と言っても、車で近づくことはできず、わたしたちが線路を塞いだために、やはり立ち往生していた稚内発・札幌行きの「スーパー宗谷4号」君が、わたしたちのところまでなんとかたどり着いてくれたのでした。


 はあ、これで助かった。


 わたしだけではありません。皆さん、そう思ったことでしょう。

 ですが、ご主人様と「サロベツ」君の数十人の乗客は、「スーパー宗谷」君に乗り移ることを促されると、言われるがまま「スーパー宗谷」君へ移動していきました。ご主人様も行ってしまいました。

 そして、運転士さんと車掌さんを含め、全ての人が乗り移ると、「スーパー宗谷」君は稚内へ向け折り返していきました。わたしたちが立ち往生していた現場には、「サロベツ」君と、その後ろに連結してもらっているわたしだけが取り残されました。

 いまだに風が吹き荒れ、その風が雪を叩きつけてきます。真っ暗で、何にも見えません。今、自分がどこにいるもかもよくわかりません。


 なんだよ!電車だけ置いてけぼりかよ!

 ここどこだよ!こんなところに置いていかれても困るんだよ!

 ふざけんな!いいかげんにしろよ!


 わたしは、泣きたくなってしまいました。


 こんなことなら、そもそも旅になんて出なかった方がよかったのでしょうか?

 分不相応なところへ来てしまったのでしょうか?

 どんなに上辺だけを塗りたくっても、わたしはやはり暖地用の通勤電車でしかないのでしょうか?

 所詮、わたしはわたしでしかないのでしょうか?


 わたしは、誰もいなくなった車内の灯りを消しました。そして、そのまま深い眠りにつきました。



 どのくらい時間が経ったでしょうか、人々の声と物音で目が覚めました。

 すでに明るくなっており、天気も回復し晴れ間が見えています。

 どうやら、新たな救援隊が来てくれたようです。わたしたちが線路を塞いでいる限り、他の列車の妨げになってしまうわけですから、当然と言えば当然です。

 救援隊の人たちは、「サロベツ」君とわたしの周りに取り付き、せっせせっせと線路と車輪の周りに積もった雪を取り除いてくれています。

 一通りの作業が終わり、やっと回送列車として出発できることになりました。すると、ちょうどその時でした。どこからかご主人様が現れたのです。救援隊の人と話をしています。


 「・・この電車は・・私の家なので・・私が責任を持ちます・・」


 救援隊の人と話がついたのでしょう、ご主人様がわたしに乗りこんできました。


 「・・すまなかった・・」


 小さな声で、彼は呟きました。

 あろうことか、わたしは聞こえないふりをしてしまいました。もちろん、彼にはわからなかったと思いますが。


 「・・すまなかった・・」


 もう一度、彼は言いました。他の誰にでもなく、わたしにそう言いました。彼の目元は潤んでいました。その時初めて、わたしは人の心を理解しました。少なくとも、わたしにはそうでした。


 「行こう!稚内!」


 この旅は、まだ終わっていませんでした。昨日の「サロベツ」君と、その後ろに連結してもらっているわたしは、ご主人様を乗せ、稚内へ向けまた走り始めました。

 それから稚内までの1時間、わずか1時間ではありましたが、わたしはそれまで経験したことがなかったほどの、楽しくて充実した時間を過ごすことができました。


 「あっ!海の中に富士山が浮かんでいます!」

 「今日はついてる。利尻富士があんなにはっきり」


 「あっ!あんなところに、黒と白のまだら模様の四本足の生き物が!」

 「牛って、こんなに寒い季節でも外に出すんだなあ」


 そして、12時47分、18時間37分遅れで、わたしたちは、最北の終着地、稚内駅に到着しました。



 □□□



 北海道への旅から少しして、わたしは引退しました。ご主人様は、新しいお家を見つけ引っ越していきました。実は旅に出る前から、それがご主人様と鉄道会社との約束だったのです。

 近々、山手線にまた新しい車両が登場します。E235系という車両です。わたしはもう、新しい車両に連結させてもらうために、改造してもらうことはありません。ですが、それでよいのです。

 今日は、年に一度のお客様感謝デーです。日頃、電車を利用して下さっている皆様へ感謝の気持ちを込めて、車両基地を一般のお客様に解放しお祭りを開催しています。

 例えば、電車を展示しての撮影会、車両洗浄装置を通過して洗浄する車両への乗車体験、車内放送・ドアの開閉といったちびっこ向けの車掌さん体験、それからもちろん、オリジナルグッズの販売も行われています。

 幸い天候にも恵まれ、今年も多くのお客様にご来場いただきました。とは言え、盛況なのは車両基地の入口からほど近いメイン会場の方だけで、わたしがいる隅っこの方は静かなものです。

 ですが、そんなわたしにも、わざわざ会いに来てくれた人たちがいました。


 「パパはねえ、小さかった頃、この電車に住んでいたんだよ」

 「ええ~、どういうこと?」

 「この電車がお家だったんだよ。パパのパパと、パパのママと一緒にね・・」

 「ええ~、変なお家だねえ」


 わたしには、すぐに分かりました。


 今になって思えば、恵まれた電車人生でした。仲間の車両たちや、わたしを利用して下さった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。時には仲間として一緒に活躍し、時には家族として一緒に過ごしました。そして一緒に旅に出ました。互いに支え合い、互いに与えあう存在でした。少なくとも、わたしにとってはそうでした。何の悔いもありません。もしもまた生まれてくることがあるのなら、わたしは、そのときもまた電車に生まれてきたいです。

 今、わたしはこの車両基地の片隅で、先に使命を終え解体されていった仲間たちのところへ旅立つ日がくるのを静かに待っています。それまでの少しの間、わたしは後輩の車両たちが活躍する姿をこの場所から見守っています。


 これで、わたしのこれまでのことを全てお話しました。最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。



 (完)



---


 この物語はフィクションです。


 以下、年表です。(4章及び5章に関する部分のみ)


 1997年(平成9年)  3番目のご主人様が購入する。

 2002年(平成14年) (山手線)E231系500番台 運行開始

 2005年(平成17年) (山手線)205系 運行終了

              E231系500番台に連結可能なように改造を受ける。

              ただし、車番はそのまま。


              ご主人様と一緒に旅に出る。

              ある年の春、房総半島のローカル線

              ある年の夏、北関東のトロッコ列車

              ある年の秋、北関東のSL列車

              ある年の冬、寝台特急「北斗星」に連結され北海道へ

              さらに稚内へ


 2015年(平成27年) 電車としての使命を終える。

              寝台特急「北斗星」 廃止(ブルートレイン運行終了)

              (山手線)E235系 運行開始予定


 《あとがき》


 子供のころにおぼろげに思い描いた夢物語を、一つ形にすることができました。

 この物語の内容に関して、言い残したことはありません。

 最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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