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第四話

 (四)


 「だからさっきも言いましたけど、この車両はもう廃車になるんですよ。見るだけでもいいって言うから、ご案内しましたけど」


 ある日、車両基地の片隅でぼんやりしていると、整備担当の方の声が聞こえてきました。


 「・・でも、ちょっと前まで売りに出ていましたよね・・。・・駅前の不動産屋で見たんです・・」


 20代半ばから30歳ぐらいでしょうか、見知らぬ青年と話しています。


 「ええ、でも台車に不具合が見つかりましてね。それで、販売は取りやめになったんです」

 「・・・」

 「もう修理をするにも部品もありませんし・・」

 「・・・」


 わたしのことを購入するつもりで、わざわざきてくれたのでしょうか?

 せっかく来てくれたのに申し訳ないです。


 「・・部品があればいいのですか・・、・・あれは使えないでしょうか・・」

 「・・さっき、倉庫みたいな建物の横に雑草が生い茂っているところがありましたよね。そこに錆びた台車が1つ、雑草に埋もれていましたけど、あれじゃあダメなんでしょうか?」

 「・・あれ、この電車のと同じですよね。205系のじゃありませんよね」


 世の中、不思議なものです。みんなが忘れてしまっていること、みんなが見落としてしまっていることを、彼だけが気付いてくれました。

 彼が見つけてくれたのは、随分と錆びてはいましたが、紛れもなくわたしのと同じ台車でした。なぜあんなところに、使い古しの台車が放置されていたのかは分かりません。

 でも、わたしには分かりました。これは、わたしの相方だった モハ102 の台車に違いありません。その台車からもらった部品を、わたしの台車に取り付けてもらった瞬間、わたしはそう確信しました。

 こうして、新しいご主人様と、相方だった モハ102 のおかげで、わたしはまた山手線の一番後ろの連結してもらえることになりました。


 新しいご主人様との新しい生活が始まりましたが、新しいご主人様のことはよくわかりませんでした。

 ご主人様はお一人でした。どちらの地方かはわかりませんが、ご実家にはご家族がいらっしゃるのでしょうか?

 それから、お仕事もどうしていらっしゃるのかよくわかりませんでした。というのも、ほとんど毎日、朝から晩までずっとわたしに乗っているだけだったからです。誰かが訪ねてくることもなければ、前の旦那様のように誰かを連れてくることもありません。

 ご主人様は、少しばかり電車の模型を持っていました。しかし、それもただ飾って時々眺めてみるだけでしかありません。

 それでも、少なくとも以前は、列車に乗って旅行へ出かけたりもしていたようです。時折、昔の旅行で撮影した列車の写真を眺めたり、時刻表をめくりながら一人でぶつぶつ呟いたりしています。

 多分、交換する相手なんていないのではないかと思いますが、ある時、ご主人様が名刺を作りました。その肩書きには『電車警備員』、住所には『山手線の12号車』とありました。


 ご主人様と相方だった モハ102 のおかげで、わたしは、現役の電車として復帰することができました。

 でも、なぜかわたしの心は晴れませんでした。日々、山手線を何周しても、それは変わりませんでした。


 「最初の旦那様と奥様、それにお子様たちは、今ごろどうしているだろう?」

 「2番目の旦那様と奥様、それに息子さんは、今、どこでどうしているだろう?」


 以前の賑やかだったころのことが思い返され、とても懐かしく感じられました。きっと、お子さんたちも月日が流れた分だけ大きくなったことでしょう。

 ですが、最初の旦那様にも奥様にも、2番目の旦那様にも奥様にも、そしてお子さんたちにも、その後お会いすることはありませんでした。皆さんが、わざわざわたしに会いに来てくれるわけもありませんし・・。


 「わたしは、何のために電車に生まれてきたんだろう?」

 「こんなことなら、『家』になんてならなくても、昔のように普通の電車だった方がよかったんじゃないだろうか。そして、仲間たちと一緒に引退していった方がよかったんじゃないだろうか」


 心の中で、自問自答する日々が続きました。

 そして、そのまま月日が流れて行きました。


 それからしばらくして、山手線にまた新しい車両が投入されることになりました。E231系500番台 という車両です。

 ご主人様は、その E231系500番台 にも連結してもらえるよう、わたしの改造を鉄道会社へ依頼してくれました。

 わたしは、不思議な気がしました。なんとなくですが、次に新しい車両が出てくる時は、もう改造してもらうことはないような気がしていたのです。

 ご主人様の依頼に対し、鉄道会社の担当者はあまりよい返事をしなかったようです。


 「もう古い車両ですから、いろいろ費用もかかりますよ」

 「・・・」


 それから少しして、ご主人様は、家を、つまりわたしを留守にしてどこへ出かけるようになりました。朝出かけて、夜遅く帰ってくるのです。それは、次の日も、また次の日も、それ以来、ずっと続くようになりました。

 毎日どこでどうしているのかわかりませんが、ある日のこと、ご主人様は私の改造にかかる費用を鉄道会社に払いました。と言っても全額ではなく、あくまでその一部、つまり手付金です。残りは分割で毎月少しずつ払っていくのだそうです。

 こうしてわたしは、新型の E231系500番台 にも連結してもらえるよう、改造してもらうことができました。


 それからまた少しして、ご主人様は本格的に電車の模型に取り組むようになりました。発砲スチロールの塊を削って何を始めたのかと思えば、いつの間にかそれは山の形になりました。そして木が植えられ、緑が豊かな山になりました。さらに、その山の裾に線路が敷かれ、そこに電車が走り始めました。

 もちろん、それだけではありません。さらに駅ができ、駅の周りには街ができていきました。駅のホームでは、人々が電車の到着を待っています。それは小さな人形でしかないのですが、あたかも本当に電車が到着するのを待っているかのようです。小さな人形たちも、きっと電車に乗ってとこかへ出かけるのでしょう。

 いつしか、それは部屋いっぱいに拡がり、ご主人様は寝る場所もないほどになってしまいました。


 しかし、ご主人様はそれで終わりませんでした。


 それは、ある年の春のことでした。

 いつものように山手線を何周もして夜遅く車両基地に戻ってくると、ご主人様は私の車体を黄色のペンキで塗り始めました。ご主人様はご機嫌で、鼻歌交じりでした。こんなご機嫌なご主人様は見たことがありません。


 「ああ、とうとうこの人は、模型と本物の電車の区別もつかなくなったのか・・」


 それまで、わたしの車体は山手線のウグイス色と決まっていたのですが、黄色では総武線の各駅停車です。

 その次の日は、山手線の運用には入らず、整備担当の方が何やら「ああでもない、こうでもない」と、一日かけてわたしの機器を調整してくれました。

 そして、さらに次の日の未明、機関車に牽引され、わたしたちは車両基地を出発しました。

 どこへ連れて行かれるのかと思いましたが、やはり総武線に乗り入れていきました。てっきり総武線に転属するのかとも思いましたが、千葉駅からさらに内房線の電車の一番後ろに連結してもらい、さらに進んで行きました。

 しばらく行くと、進行方向右側に海が見えました。小さな港に、小さな船がいくつも停泊しています。そして海に近づいたり遠ざかったりしながら、さらに南下していきました。その日は天候に恵まれ、海の近くを走るところでは、その海面が輝いて見えました。その輝きの中に、小さな船が浮かんでいるのも見えました。


 「ああ、これが海というものか」


 その日、わたしは生まれて初めて海を見ました。海って、わたしが思っていたよりもずっと大きく、そして眩しかったです。

 それから、房総半島をぐるっとまわる感じで、外房線の電車にも連結してもらいました。そして、大原駅ではローカル線の黄色いディーゼルカーに後ろに、さらに付け替えてもらいました。黄色は、てっきり総武線の黄色かと思ってしまいましたが、どうやらこのローカル線の黄色だったようです。


 【参考】わたしが連結された、この日の木原線の列車

 1号車 キハ202

 2号車 キハ103 852 (← わたしです)


 黄色いディーゼルカーに連結してもらってからというもの、あたりの風景は一気に長閑なものになりました。ほとんど山手線しか知らなかったわたしには、その風景の何もかもが目新しいものばかりです。そして、その線路の脇には、黄色い花がたくさん咲います。その一面黄色の世界に飛び込んだ瞬間、「うわー」と思わず声が出てしまいました。


 「ああ、この黄色い花は何という花だろう?」


 わたしには、花の名前なんてわかりません。すると、


 「菜の花がたくさん咲いているね。ちょうどいい時に来た」


 ご主人様が、小さな声でそう呟きました。


 「これが菜の花というものか。今まで気がつかなかったけど、山手線の線路脇にも少しは咲いているのかなあ? 帰ったら気にしてみよう」


 わたしはその日、生まれて初めての経験と、少しばかりの新しい発見をしました。


 また、ある年の夏のことでした。

 ご主人様は、今度はわたしのことを、赤っぽくて濃い茶色という、微妙な色に塗り替えました。

 そしてまたもや早朝に車両基地を出発し、今度は北関東の山の方へ向かいました。そして、両毛線の桐生駅で、わたしと同じ色のディーゼルカーに連結してもらい、少し行った大間々駅で、さらに機関車が牽引するトロッコ列車の一番後ろに付け替えてもらいました。

 そのトロッコ列車はこのローカル線の人気列車で、トロッコの客車は子供たちでいっぱいになりました。


 【参考】わたしが連結された、この日の足尾線のトロッコ列車

 DE10 1537

 1号車 わ99 5010 (元12系客車)

 2号車 わ99 5020 (トロッコ客車)

 3号車 わ99 5070 (トロッコ客車)

 4号車 わ99 5080 (元12系客車)

 5号車 わ103 852 (← わたしです)


挿絵(By みてみん)


 途中、川を渡ったたり、トンネルに入ったりするたびに、トロッコの客車から子供たちの歓声が聞こえてきました。こんなに賑やかな列車に連結してもらったのは、この時が初めてです。トロッコの客車たちのことが、ちょっぴり羨ましく思えたほどでした。


 さらに、ある年の秋のことでした。

 今度は焦げ茶色に塗り替えられ、またもや早朝に車両基地を出発しました。そして、今度は水戸線の下館駅で、ローカル線のSL列車に連結してもらいました。


 【参考】わたしが連結された、この日の真岡線のSL列車

 C11 325

 1号車 オハ50 11

 2号車 オハ50 22

 3号車 オハ50 33

 4号車 オハ103 852 (← わたしです)


 「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ」

 「シュッシュッポッポ、シュッシュッポッポ」


 わたしは、蒸気機関車のリズムに合わせ、わたしと同じ色の他の客車たちと一緒に「シュッシュッポッポ」と歌いながら進んでいきました。

 途中の駅や沿線では、わたしたちに向かって手を振ってくれる人たちがたくさんいました。もちろん、わたしではなくて、蒸気機関車に向かって手を振っているのは分かってはいますが、思わずわたしも手を振り返したくなりました。


 不思議なことに、いつの間にかわたしは、ご主人様と一緒に出かけるのを楽しいと感じるようになっていました。

 そして次第に、次はどこへ連れて行ってもらえるのかと、また一緒に旅に出るのを楽しみにするようになっていきました。


 そして冬。

 とうとうわたしは、北海道へ行くことになりました。まずは、ブルートレイン「北斗星」に連結してもらい札幌へ向かいます。さらには特急で最北端の稚内へ、そしてその後は道内を一周するという、わたしにとっては夢のような、一生に一度の大旅行をさせてもらえることになりました。

 出発の日が近づくと、ご主人様は、いつものように鼻歌を歌いながら、わたしの車体を「北斗星」さんと同じ青色で塗り替えてくれました。そして、テレビやインターネットで天気予報を何度もチェックしていました。その時のご主人様は、難しい、何かを心配するような顔をしていました。

 わたしは、出発の日が待ち遠しく、かつ、楽しみで、ただただ楽しみで仕方がありませんでした。



---


 (5)へ続きます。



 この章の分の年表は、(5)の終わりに合わせて掲載します。


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