5 合流
豆が女の長屋にもどって息を落ち着けていると、しばらくして朔夜が現れた。
「豆? どうした、大丈夫か」
「朔夜さん。――そちらこそ、どうかされたんですか」
顔を上げた豆はぎょっとした。朔夜がなぜだか満身創痍の様子だったのだ。殴られでもしたのか頬は赤いし、あちこち切り傷ができている。「ああ、まあちょっとな」と居心地悪そうに頬をかく姿は、さすがに色男と呼ぶのも憚られる。
彼に抱かれた琥太郎に怪我はなさそうだが、落ち着きなく手足をじたばたさせていた。
別れて行動している間に、なにがあったのだ。
いやそれを言うなら、自分もかもしれないが。全力疾走した身体はいまだに調子がもどらない。そのうえ、着物のあちこちに埃やら蜘蛛の巣やらをつけていた。ぼろぼろの男がふたり並ぶおかしな光景の出来上がりだ。
「ひどい怪我ですね。破落戸にでも遭遇したんですか?」
「馬鹿言え。俺が人間に負けるかよ」
「では、なにが?」
「これはその……、あれだ。うちの連中がいろいろと、な」
そっぽを向いて口ごもる朔夜に、ますます意味がわからなくなる。
「百鬼の妖怪にやられたんですか? 仲間なのに?」
朔夜はしばらく声にならないうめきで茶を濁していた。やがて観念したように息をつく。
「……子連れで帰ってくるとはどういう了見だ、と問い詰められたんだ」
「え?」
「だから――、どこの女と恋仲になったんだ、おまえにはまだ早い! って責められたんだよ」
「……はあ、なるほど?」
豆は首を傾げつつも、一応相槌を打った。やはりよくわからない。そうしている間に、怒涛の勢いで朔夜がまくしたてた。
「あいつら、いつまでも俺のこと子どもだと思ってるんだ。しかも向こうが勝手に勘違いしたのに、全力でぶん殴ってきやがるし。弁解の余地もない。こっちの話くらい聞けっての。っとに、どいつもこいつも毎度毎度、勘弁してくれ。……おい、なんだその顔」
じとりとした視線を向けられて、豆は頬に手を当てる。どうやら自分は笑っているようだ。身体から気が抜けるのも感じた。眉を寄せている朔夜に向けて、ひらひらと手をふってみせる。
「べつに馬鹿にしているわけではありませんよ。百鬼夜行というのはずいぶん仲がいいんだな、と微笑ましく思っただけです」
意外で、面白かったのだ。
「……仲ねえ。まあ悪かないんだろうが、今回のことは古株連中がいまだに俺のことを子ども扱いしてるだけだ。困った話だよ」
それを仲がいいと言うのだろう。
朔夜は子どもという歳ではないから、その扱いに納得がいっていないようだ。だが不機嫌な顔をしている彼の姿には、たしかに幼さが覗いている気がする。見目がいいだけに落差があった。それに百鬼夜行の若大将ぬらりひょんでもそういう顔をするのかと、すこし親しみが湧く。
また笑ってしまった。
「仲睦まじいのはよいことですよ」
「だから、そんなんじゃねえって。あー……、とにかく! すったもんだのあとに誤解は解けた。琥太郎は百鬼で面倒を見るから安心しな。ったく、俺らが騒いでいたからか、琥太郎も虫の居所が悪いんだよなあ」
朔夜が赤子の小さな背中をなでるが、琥太郎に落ち着く気配はない。豆もその膨れた頬をつついてみた。「あぶぅ」と鼻から息をもらす様子は、これはこれで可愛らしいが、やはりご機嫌な笑顔になってほしいところだ。
「で、豆のほうは? 収穫あったか?」
「いえ。残念ながら、簪を見たことがある者は長屋にいないようでした。役人がいるので、部屋の中は調べられませんでしたが」
「そうか。わかった。ちょいと琥太郎頼む」
「え? あ、ちょっと!」
朔夜は赤子を豆に預けると、役人たちが集っている部屋に向かった。どうせ入れてはもらえないだろうと思ったのだが、意外にも彼は中に入ってしまった。役人たちはなにも言わない、というより朔夜がいることに気づいてすらいない。
――そうか、ぬらりひょんだから相手に知られずに立ち回れるのか。
便利なものだ。豆腐小僧には豆腐をつくる才しかないから、使い勝手のいい能力は羨ましい。
「ないな、簪」
あらかた部屋を捜し終えたらしい朔夜が難しい顔でもどってくる。
「盗まれてるってことは、やっぱり物盗りのための殺しだったのかもな」
「あ。――それなんですが、下手人ではないかという妖怪に会いましたよ」
「は?」
驚く朔夜に、豆は先ほどあったことを話すことにした。下手人を逃してしまったのだから気が引けたが、隠しても仕方がないだろう。ちなみに走るために放り投げた豆腐と盆はだれかに捨てられたのか、返ってこなかった。それも含めて無念だ。
「と、まあそんなことがありまして。すみません、まんまと逃げられました」
ざっと話し終えてから、豆は小さく息をつく。
――さすがに、役立たずと思われるかな。
最弱妖怪の自分にたいしたことを為せるとは思っていないが、そしられれば、そこそこ傷つく。でも今回はそうなっても仕方がない。あの場にいたのが自分ではなく朔夜だったなら、もっとうまく立ち回れたかもしれないのだ。
自分の腕の中にいる琥太郎に苦笑を向けた。豆が下手人を取り逃さなければ、母の仇を打つことができただろうに。すみませんと小さく謝るが、赤子の丸い瞳は不思議そうに豆を見上げるだけだ。
「ったく。豆、おまえなあ」
呆れたような声に居心地悪く思いながら、顔を上げた。小言を向けられても動じないようにと気持ちを固める。朔夜も豆を見ていた。ため息のあとに、言葉がつづく。
「そういうことは先に言え、馬鹿」
「……え?」
「怪我がなかったんなら、なによりだが。危険な目に遭わせて悪かったな」
「あ、いえ、べつにあなたに謝られるようなことでは」
「いいや、謝ることだよ。この件におまえを巻き込んだのは俺なんだから。悪かった。そこ、蜘蛛の巣ついてるぞ」
ぽいと豆の着流しについた蜘蛛の巣を取って捨てた朔夜を、豆は呆気に取られて見つめていた。思っていた反応とちがう。
「……俺より朔夜さんの方が、よっぽどひどい姿じゃないですか」
「それは言うな。不可抗力だ。ほら、きれいになったぞ」
「ありがとうございます。……あなたはなんというか、変な若大将ですね」
「あ? なんだそれ」
心底不思議そうな朔夜に、すこし笑ってしまう。器がでかいというか、なんというか。百鬼夜行の若大将なんて肩書きを持っていては唯我独尊にもなりそうなものなのに意外だ。いや、こういう男だからこそ、百鬼夜行の若大将が務まるのだろうか。
よくわからないが、悪い気はしなかった。