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2 過去

「――騒がしいな」


 なぜ柳の旦那が出てくるのだろうと豆が困惑していると、琥月が外に視線をやった。戸口を開け、夜風を招く。


 ここは、どうやら山の上に建つ社らしい。月や星が近い。空気に草木の匂いも溶けている。


 琥月は口の中でなにごとかをつぶやいた。妖気が一瞬、琥月の身体から放たれる。鬼は力が弱められているはずなのに、彼の妖気は百鬼の妖怪たちと比べても遜色がないように思えた。


「俺は、一族最後の望みを背負っている」


 豆の心を見透かしたように、琥月が背を向けたままに言う。


「生き残った鬼たちが、俺に力を分け与えてくれた。すべては一族の再興のため」


 ふり返った彼の瞳には暗く鈍い光が宿っていた。豆は長くその瞳を見ていられず、目をそらす。怨みや復讐といった感情は禍々しくて、触れたくない。


 戸口が閉められ、再び闇が訪れた。


「――かねてから俺たち鬼は、一族にかけられた術を解くために手を尽くしていが、成果は出なかった」

「え?」


 突然昔語りをはじめた琥月は、こちらの様子を気にすることなくつづける。


「だがそのうち、半妖の力に目をつける者たちが現れた。彼らは熱心に方々を探し回り、やがて当たりを引き当てたそうだ」


 表情を動かさず、書物に描かれた物語を読み上げるように、彼の声が響く。


「それは、豆腐小僧と人間との間に生まれた赤子だったらしい」


 そのひと言が、やけに大きく聞こえた。


 豆腐小僧と人間の血が混ざった半妖。


 それは。


「しかし鬼たちの企ては阻まれた。赤子をさらいに行った先で、百鬼の総大将に返り討ちにされてな。狙われていると気づいた赤子の親が、百鬼に頼ったらしい。それで――」

「ま、待ってください!」


 思わず遮ると琥月が鬱陶しげに視線を寄越してきたが、そんなものは気にならなかった。


「……いまの話は、俺の過去なんですか」

「そうだ。おまえが知らぬと言うから、教えてやっている」


 鬼に狙われた赤子の話が、自分の過去――?


 両親が豆を庇って死んだことは知っているが、鬼が関わっていたなんて聞いたことがない。それにもし彼の話が本当だとしても、どうして百鬼夜行や旦那の名前が出てくるのだろう。赤子の豆を助けてくれたなんて、そんな話は一度も――。


 いや、そういえば、自分はいつ旦那に出会ったのだろう?


 旦那はいつだってふらりと現れて、いつのまにかそばにいる。そのせいか、出会った日のことは覚えていない。いつから彼は自分のそばにいた?


 琥月はどこか同情するような眼差しで豆を見た。


「おまえの親を殺した者のことも知らぬのだな」

「……あなたは、知っているんですか」

「俺の父だ」


 感情のない口調で、琥月はそう言った。目を見開く豆を、彼の冷めた目が捉えている。


「親を殺したあとで気兼ねなく赤子をさらう算段だったようだが、赤子は総大将にまんまと連れ出されて逃がしてしまった。それからは赤子の居所がわからないまま時が過ぎていったようだ。総大将がぬらりひょんの力で隠したのだろうな」


 琥月の声は耳に入ってくるが、意味を理解するためには時間が必要だった。そうしてようやく理解できたときには、頭の中を匙でかき回されたような心地になる。


 豆は幼いころ山姥に育てられ、ひとりで生きていける歳になってからは、豆腐売りとして江戸の町に出た。旦那とはたしかにずっと交流があったが、こんな話は知らない。


 ましてや親の仇なんて、豆はなにも知らずに生きてきたのだ。


 自分の過去はいつだって曖昧な姿をしていたのに、いま、輪郭を持ちはじめている。


 ふいに、目の前の床へ刀が投げられた。


「俺の父はもう死んだ。いまの鬼は寿命が短いからな。仇討ちがしたいなら、俺が相手を務めよう。おまえにそれができるなら、だが」


 仇討ち。


 その言葉が頭の中で鈍い音を立てた。

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