4-2 再訪
「寧々さん。人の恋路に首を突っ込む気など、俺には毛頭ないんですよ」
「え?」
「そんなことをしても話がこじれるだけでしょうから。ですが――、首を突っ込む無粋な輩にお灸を据えるくらいはしてもいいかと、ここに参った次第です」
寧々が首を傾げた。そんな寧々には説明を加えず、豆は少年に視線をやる。
「ねえ、茶吉さん」
びくりと少年の肩がふるえた。まだ幼い茶吉を、豆はじっと見つめる。
「あなた、妖怪でしょう?」
「え」
「俺は妖気を読むのが得意なんですよ。どんなにうまく隠しても、俺には筒抜けだと思ってください」
茶吉の目が見開かれ、場を沈黙が支配した。
「……ちょ、ちょっと。なんの話ですか? 変なこと言わないでください!」
反論したのは寧々だった。豆から守るように茶吉を抱きしめる。まるで仲のいい姉弟だ。それでも豆は言葉を止めない。
「朔夜さんに効く毒を手に入れるなんて、人間の娘には難しいはずです。だれかが寧々さんに毒を融通した。そのだれかは妖怪でしょう。妖怪に効く毒を融通できるのは、同じく妖怪くらいでしょうから」
「毒なんて、本当になんのことですか」
「寧々さんは朔夜さんの膳に毒を盛っていたはずです。そうするように、あなたをそそのかしたのは茶吉さんですね」
「そんなの知りません、勝手なこと言わないで!」
寧々は豆を睨みつける。愛らしい笑顔は消え、彼女の身の内で血が湧きたっていくのがわかった。そんな鋭い瞳を見てしまったものだから、豆の背中に汗が伝う。やはり、鬼女にも勝る迫力だった。
寧々がまた、なにかを言おうとする。
だが意外にも、彼女を止めたのは茶吉だった。
「……姉ちゃん、もういいよ」
諦めたように息をついた少年の口調は、存外しっかりとしていた。
「いまさら嘘ついても仕方ないって。この兄ちゃん、全部わかってるんだと思う」
「でも茶吉」
「……兄ちゃん、百鬼の妖怪?」
豆は首をふる。
「俺はしがない豆腐売りです」
「そっか。まあどこの妖怪でもいいや」
茶吉の眼が光った。人ではない、その証明であるかのように。
怯えた少年の態度はもう消えていた。
彼の顔と体が、みるみる小さくなっていく。子どもらしくつやつやしていた肌は鱗に覆われ、赤く変色していった。妖気を隠す気もなくしたのか、まとう空気が重くなる。
それは豆の手の大きさにも満たない小さな蛇だった。四本の脚がついていて、龍にも見える。
「兄ちゃんは、おれたちの邪魔をしに来たんだね」
殺気にも似た妖気を向けられて、豆はじりと後ずさる。茶吉の妖気は毒のように肌をひりひりと刺してくる。相手は小さな妖怪だが、やはり豆腐小僧の自分ではどうにもできないだろう。
「俺はただ、話をしにきただけですよ」
茶吉が鼻で嗤った。
「話すことなんてないね。邪魔するなら――、毒をお見舞いするだけだ!」
鋭く叫ぶと同時に身体をくねらせて跳躍した茶吉が牙を剥く。赤く光る目が豆を捕えた。とっさに豆は紅葉豆腐の載った盆を掴む。茶吉の口から、鮮やかな赤い飛沫が飛んだ。血のような禍々しさを持って宙を裂き、それが向かってくる。
――ああもう、だから嫌だったのに!
とっさに盆をかざすと、じゅっと音がして飛沫の当たった部分が溶けた。毒だ。これを身体に受けたらどうなることか、想像して背筋が凍った。
「つぎは当てるよ」
茶吉は再び天井まで飛び、梁を蹴って飛び掛かってくる。豆も盆をかざそうとしたが――遅かった。間に合わない。
目の前に迫る赤い眼光。光る牙。
まずい。
妖怪と関わるなんて、ろくなことが起きない。
痛みを覚悟して、目を閉じた。
――だが、悲鳴を上げたのは豆ではなく、寧々だった。
「茶吉!」
茶吉を心配する声だ。
豆は恐る恐る目を開き、様子をうかがった。攻撃はもうやんでいる。茶吉はなぜか、奥の壁に弾き飛ばされていた。
「無事か、豆」
「……朔夜さん」
ふり返れば、朔夜が刀を構えて涼しい顔で立っていた。どうやらその刀の峰で茶吉を吹き飛ばしたらしい。ほっとした豆はその場に座り込みそうになった。
「よかった、いてくださったんですね。……もうすこし早く来てほしかったですが」
「悪い悪い。豆の戦いぶりも見てみたくてな」
「戦えないから朔夜さんに来てもらったんですよ。相変わらず妖気が読めないから、約束を破られたのかと思いました」
朔夜は心外だと言わんばかりの顔をして、刀をおさめる。
「豆が話をつけにいく代わりに、俺も気配を消してついていく――。一度した約束は守るさ。信じろよ」
「信じ切れるほど深い仲でもないもので」
恨めしさに突き放すように言えば、朔夜は「悪かったって」と眉を下げた。
なにか起きたときのために朔夜も一緒に来てくれ、と昨日舟の上で豆が頼んだのだ。かっとなりやすい寧々や、どれほどの力をもった妖怪か見当がつかなかった茶吉を相手にするのだから、豆ひとりでは荷が重かった。
予想通りというか、やはり揉める結果になったのだから豆の予感は的中したといえる。
「それにしても丁稚小僧が一役買っていたとはなあ……、よくわかったな、豆」
「妖気があるのはすぐに気づきましたよ。それに俺たちを警戒していたようだったので、彼もこの一件に関係しているのだろうと思いまして」
昨日も今日も茶吉は店の陰からずっとこちらを気にしていたのだ。なにかあるだろうなと気づくのは容易いだろう。妖気があるなら、なおさら。
「なるほど……。お寧々、大丈夫だぞ。峰で打っただけだ。たいした怪我でもないだろう」
茶吉を手のひらに乗せた寧々に近寄って、朔夜は小さな妖怪をつまみ上げる。「あっ」と抵抗しようとする寧々の腕も掴んで封じた。
「さて茶吉。寧々に毒を盛らせて、俺を殺そうとしたわけを教えてくれるかい」
「……殺そうなんてしてないよ!」
はたから見ていても茶吉が身を強張らせたのがわかった。もう逃げ場はない。まな板の上の鯉も同然だ。彼は蛇だが。
「言い訳はいい。正直に話せ」
朔夜の声が鋭く切り込み、茶吉がまたもやびくりと跳ねた。
「た、たしかにおれがつくった毒は盛ったよ。でも、おれは、そんなつもりじゃ……」
「じゃあ、どんなつもりだってんだ」
それは、と茶吉がわなわなふるえる。その瞳から大粒の涙が落ちた。
「おれはただ……、ただ、江戸一番の妖怪になりたかっただけなんだぁ!」
そう叫んだと思うと、うわあああと泣き出した。朔夜も虚を突かれたのだろう。縛りがゆるんだそのすきに、茶吉が逃げ出す。
「姉ちゃあん……!」
ぽんっと煙が立ったかと思うと、茶吉はもとの小僧の姿になっていた。寧々にすがりついて泣き叫ぶ。さきほど毒を浴びせてきたときの威勢はどこにもない。
豆と朔夜は、顔を見合わせた。