4 再訪
翌日の夕刻前、まだ日もあるうちに豆は寧々のもとを訪れた。
「ごめんください。豆腐売りの豆と申します」
「はーい。あら、あなた、朔夜さんのお友だちの?」
奥で仕込みでもしていたのか、前掛け姿の寧々が出てきて首を傾げる。丁稚の茶吉もいた。こっそりと顔だけ覗かせる茶吉に微笑んでみたが、彼はすぐさま顔をひっこめてしまう。それでも、ちらちらとこちらを気にする視線はあった。
豆はいつもの紅葉豆腐の載った盆を、寧々に見せる。
「今日は客ではなく豆腐売りとして参りました。寧々さんの料理が美味しかったので、ぜひ俺の豆腐も使っていただけないかと思いまして」
「紅葉豆腐の豆腐売り……、あ、聞いたことありますよ! すっごく美味しいお豆腐を売っているって」
「おや、俺の評判もなかなか広まっているようですね。嬉しいことです。ぜひ、お味見だけでもいかがでしょうか?」
寧々はなんの疑いを持つこともなく、「ぜひ!」と店に通してくれた。紅葉豆腐とは別に持ってきていた桶から豆腐を出して渡すと、寧々は早速ひと口食べて瞳を輝かせる。
「美味しい! 朔夜さんってば、豆腐売りさんと知り合いなら、教えてくれればよかったのに。本当に噂どおりすごく美味しいです!」
豆腐小僧として豆腐にはこだわりがあるから、褒められて悪い気はしない。しかし今日は商いのためにきたわけではなかった。豆は微笑んだまま、さりげなく話を変える。
「朔夜さんはよくここに来ているんですか?」
「ええ。お友だちを連れてきてくださいますよ。でも当の朔夜さんが、あたしの膳を食べてくれなくて。一番食べてほしい人なのに」
毒入りの膳を、か。
笑顔は崩さないままに、内心なんとも言えない思いで寧々を見つめる。頬を膨らませる彼女は可愛らしいが、うすら寒いものを感じてしまうのも仕方ないだろう。
「寧々さんは、朔夜さんのことを好いていらっしゃるのですね」
「えっ」
彼女の頬がやにわに色づいた。
「彼のどこが好きなんです?」
重ねて問うと、寧々は恥ずかしそうに目を逸らし、口を開いたり閉ざしたりした。豆が確信を持っているとわかると、やっと白状する気になったらしく、視線を手もとに定めて話し出す。
「……褒めてくれたんです。あたしの料理を、はじめて褒めてくれた」
「はじめて?」
寧々はうなずき、店をゆっくりと見渡した。
「このお店、昔は父と母で営んでいたんです。でも母が病で亡くなってからは、父がひとりで――。あたしも手伝いたかったけど、おまえにはまだ早いって店に出るのを許してくれなかった。それであたしは裏で練習ばかりしていて」
細められた彼女の瞳には過去が映っているのかもしれない。寧々はどこか遠くを見るようにつづけた。
「あの日も、ひとりで厨にこもっていました。そうしたら、いつのまにか朔夜さんがそばにいたんです。あたし、料理に集中しすぎていたのかもしれませんね。朔夜さんがいることに気づかなくて驚きました。そのうえ勝手につまみ食いまでされていて」
……それは集中していたからではなく、ぬらりひょんの力のせいだろう。あの男、勝手に人の家に入って料理を食べていたらしい。迷惑なことだ。
しかし、寧々は幸せそうだった。
「自分の料理を人に食べてもらったのは、あの日がはじめてで。だから褒められて、すごく嬉しかったんです」
「そうですか」
微笑ましい話だった。毒を盛った云々ということを知らなければ、もっと微笑ましいと思えただろう。そんなことを考えていると、ふいに彼女の表情が硬くなった。
「――あたしを止めにきたんですか? 朔夜さんに頼まれたとか?」
そう問われて、豆はすこし考えた。寧々はじっと豆を見ている。
「……止められるようなことに、心当たりがおありで?」
「昨日、膳をひっくり返しちゃったでしょう。それで驚かせてしまったかなって。あたし、重い女だってよく言われるんですよ」
「姉ちゃん」
寧々の暗い声を心配してか、奥から茶吉が顔を覗かせた。そんな少年に寧々は眉を八の字にして笑いかけている。
彼らの様子を見ながら、豆は難しい顔になった。毒の話が出るかと思ったが、そうではなかった。こちらが気づいていないと思っているのだろうか。
のらりくらりとしていても意味がなさそうだ。
ため息をつき、口を開く。
「寧々さんのお気持ちはわかりました。昨日の件は気にしていませんから安心してください。あ、茶吉さん、よければこちらに来ませんか? ちょうど饅頭があるんです」
穏やかな豆の声にいくらか寧々の表情も和らぎ、茶吉も戸惑いがちではあるが近寄ってくる。懐から饅頭を取り出して少年に渡した。
さて、どう切り出そう。
豆は部屋を見渡す。ここにいるのは豆と寧々と茶吉だけ――。
朔夜に頼まれたのは、寧々に恋慕をあきらめさせること。だが、それだけで終わりそうにない予感があった。もうひとつの問題も、同時に解決しなければならないようだ。
できれば穏便に。そう願うが、もしかしたら無理かもしれない。
――朔夜さん、ちゃんと俺の頼みごとを聞いてくれてるんだよな。
頼みますよと内心で思い、口を開く。




