1 世話焼き
「豆、怪我は?」
「ありません」
「よし」
朔夜はうなずいて、豆の腕に琥太郎を抱かせる。琥太郎が満面の笑みをするのにつられて、豆も微笑んだ。
「琥太郎は今日も元気ですね。すこし重くなりましたか。子どもの育ちは早い」
「年寄りか」
脇息にもたれた朔夜が愉快そうに喉を鳴らした。庭から吹き込む夕風に、彼の黒髪がさらりと揺れる。相変わらずの美丈夫ぶりが、やはり相変わらず癪に障った。
百鬼夜行の屋敷に豆が出入りするようになってから、しばらく経った。
百鬼の妖怪たちは朔夜の宣言どおり、琥太郎の面倒をよく見てくれている。「赤子の暴走くらいかわいいものだ。若大将に叱られたみたいだし、それで手打ちだろう」というのが彼らの見解だ。琥太郎に襲われた当の子ども妖怪も、琥太郎と遊んでいる姿をよく見かける。
さすがの百鬼夜行、大物の妖怪がそろっているらしい。
「にしても、琥太郎はすくすく育つが、豆は細いままだな。ちゃんと食ってるか?」
「いたっ」
急に背中を叩かれた豆は堪え切れるわけもなく前につんのめった。こちらは弱小妖怪の豆腐小僧なのだぞ、と眉をひそめて朔夜へ視線を送る。
「それ、血筋なんですか? 旦那も若大将も、そろいもそろって会うたびに背中を叩いて。旦那は加減してくれますけど、朔夜さんのは痛いだけなのでやめてください」
「ほお? 親父のほうがいいって口ぶりだな?」
と、怒っていたのはこちらのはずなのに、朔夜まで眉を寄せた。
なぜだ。
「どいつもこいつも親父のことばっかり。飽きないのかね、まったく」
……どうやらこの若大将、すねているらしい。
最近わかってきたのだが、彼は父親と自分を比べられることが苦手らしかった。まあ無理もない。百鬼夜行の総大将である父親の威厳は、この江戸の町で大きすぎる。町に流れるのは総大将の噂ばかり。若大将は影が薄い。そういうことを朔夜は気にしているようだった。
とはいえ、今日はいつにも増して打ちひしがれている。さてはまた子ども妖怪にからかわれたか。なんだか不憫になってくる。
――仕方がない。話をそらしてあげようか。
「俺はとうに育ちざかりを過ぎましたから、これ以上は育ちませんよ」
ぴくりと朔夜の眉が跳ねた。
「馬鹿言え。ちゃんと食えば、大人だって肉くらいはつく。豆は食も細いのが駄目なんだ。目を離せば豆腐だけで済ませようとするからな」
「俺は豆腐小僧ですから、いいんです。ね、琥太郎」
意味を理解しているのかいないのか、素直に「あう」とうなずく琥太郎に豆は微笑んだ。そんな豆の傍らには今日も紅葉豆腐の載った盆がある。必需品だ。朔夜は呆れた顔で豆腐をみていたが。
「はい、琥太郎。あげます」
豆は朔夜を無視して、さきほど紙で折った鶴を渡してやる。琥太郎は嬉しそうに鶴を受け取り、そのままぴしゃっと潰してしまった。まだまだ折り紙を見たりつくったりするには幼いが、潰す感覚は楽しいらしい。折り紙を渡せばいつもご機嫌で遊んでくれた。
戯れる豆と琥太郎を見て、朔夜は大げさなため息をつく。
「どいつもこいつも、俺の言うことなんざ聞きゃしねえ……! わかった。とりあえず夕餉を食いに行こう。たらふく食って肉をつけろ」
「いまからですか? ……朔夜さんって、ひとの世話を焼くのが趣味ですよね」
「なんでちょっと面倒そうなんだよ」
豆は苦笑した。正直に言うと、多少鬱陶しいと思っている。
とはいえ若大将というのも大変な立場のようだから、今日ばかりは朔夜のしたいようにさせてあげようかと、大人しく腰を上げた。