8-2 襲来
琥太郎が朔夜を睨み、不満を叫ぶ。赤子の周りに青白い火が灯り、ぱっと明るくなった。鬼火だ。
豆は自分の足を見た。小さな噛み痕が幾重にも重なって、いまやべっとりと血で濡れている。長屋の女や、外で倒れていた子ども妖怪と同じ。
「人食い鬼か。血の匂いにあてられて、本能に呑まれたらしいな」
朔夜が刀を構え、刀身が行燈の光をはね返したとき、琥太郎が朔夜に向かってきた。赤子とは思えないすばやさだったが、朔夜は怯むことなく刀を構え、ふるう。刀身が琥太郎を捕らえた。豆はぎょっとする。
「朔夜さん!」
「赤子だろうと、うちの子どもを襲ったんだ。お咎めなしってわけにはいかないぞ」
そうは言っても、峰で打っただけらしい。琥太郎はうめいているが意識はあるようだった。ほっとした。このまま大人しくなってくれればいい。だが琥太郎が口の周りについた豆の血を舐めると、その妖気が膨れ上がるのがわかった。鬼火も数を増して屋敷の柱をたちまち燃やし、その熱気で豆を襲う。
朔夜が眉を寄せた。
「鬼だから血を飲めば強くなるのか? それにしても妖気の膨れ方が異常だな」
たしかに、異常だ。
だが――当然だ。
その疑問の答えを、豆は知っていた。口に出すだけの余裕はなかったけれど。
幼子ながら自分に敵意を向ける存在はわかるのだろう。琥太郎は朔夜を見ると牙を見せる。愛らしさはもうどこにもなかった。
しかし朔夜は動じず、再び向かってくる琥太郎をかわしつづける。どれほど赤子が怒ってわめいたところで朔夜に傷がつくことはない。実力差は明白だった。琥太郎が鬼であったとしても、大人と赤子であることに変わりはないのだ。結果は目に見えていた。その予想通りに、やがて琥太郎の動きが鈍くなっていく様を朔夜は見下ろした。
「うちの屋敷で好き放題してくれたんだ。おいたはここまでだぞ、琥太郎」
朔夜の瞳が光った。
ぞくり、と。
豆の背筋に悪寒が走った。
「ちょいと大人しくしてな」
――動けない。
これは重圧というのだろうか。それとも、恐怖か、畏敬か。
朔夜の放つ気配に頭がしびれて、手指の一本も動かせなくなる。なにが起きているのかと困惑した。琥太郎も豆と同じものを味わっているようで、鬼火がふっとかき消える。呆然と赤子の瞳が朔夜を見つめた。
部屋を包む闇が濃くなり、肌寒さに襲われる。
豆も琥太郎も動けない空間で、朔夜だけが平然と立っていた。
「よし、そのままいい子にしてな」
ふっと空気が弛むと、豆は耐えきれずに崩れ落ちる。琥太郎と同様に、呆気に取られて朔夜を見た。ふり返った朔夜はなんの疲れも見せずに、豆を見返す。
「悪い。豆は妖気に敏感だから、あてられやすいんだな」
「妖気って」
「なんだ、喰らったことないのか? 妖気にも色々使い方があるんだよ。相手にぶつければ威圧できる、とかな。まあ子どもに使う脅し程度だが」
朔夜は肩をすくめ、面倒そうに頭をかいた。
「本来なら叱るどころの話じゃないが、赤子相手だとどうしたもんか。人を殺したうえに、うちの妖怪まで傷つけたんだから、責任は取ってもらわないといけないんだが」
とたんに脳裏に死んだ女の姿が浮かんだ。惨い骸だった。悲惨だった。あんなことを――。
「琥太郎がやったんですか。すべて」




