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8 襲来

「若大将。遅いですよ」


 屋敷にもどると、庭先に百鬼の屈強な妖怪たちが待ち構えていた。


 小路まで朔夜を呼びに来た童女はあのあと泣いてしまって、詳しい話は聞けなかった。とにかく帰ろうと朔夜が童を抱え、豆はギン太を引っ張ってもどってきたのだ。


 こちらですと案内された場所には、玉砂利の上に子どもが寝かせられていた。朔夜に刀を取り上げられてむくれていた、あの少年だ。その身体が血に濡れていた。朔夜がすぐさま駆け寄ると、男のひとりが言う。


「生きてます。百鬼の妖怪は簡単に死にませんって。子どもだろうとしぶといんで」

「そうだな……。こいつは、女殺しと同じ妖怪の仕業か」


 男の言葉に冷静になったらしい朔夜が、子どもの身体に残る傷を見て苦々しくつぶやく。たしかに小さな噛み痕がいくつも残っていた。長屋の女と同じだ。血の匂いが鼻にまとわりついて、豆は袖で鼻を覆った。嫌な予感がする。


「だれにやられたんだ」

「それが、そいつ、いまは屋敷の中に立てこもってるんですが――」

「こたちゃん!」


 朔夜に抱えられたままの童女が泣きながら叫んだ。小さな指を屋敷に向ける。


「こたちゃん、まだ、中にいるよ!」


 はっとした。


 周囲を見るが、琥太郎の姿がない。


 それに気づくと、豆はとっさに駆けだしていた。


「おい、豆!」


 朔夜に答える暇もなく、屋敷に滑り込む。百鬼の妖怪たちはみな避難したのか、屋敷の中は静まり返っていた。無音が肌を刺す。そのくせ妖気が満ちているのは、下手人だけは中にいるからだろう。


「琥太郎、どこですか!」


 下手人だと思ったギン太は、殺しまで行っていない。もし本当に、長屋の女に恨みを持つ妖怪がいたとしたらどうなる。その妖怪がいま、わざわざ百鬼の屋敷にまで琥太郎を狙いに来たのだとしたら――。


 冷や汗が背中を伝った。あの幼子が殺されるのは止めたかった。


 行ってどうなる、とは思う。自分は最弱の豆腐小僧だ。下手人に立ち向かえるとは思えない。だが物心つく前に親を失った豆だから、同じような境遇の琥太郎を捨ておくこともできなかった。


 自分らしくない。でもじっとしていられない。


「琥太郎!」


 その呼びかけに応えるように、琥太郎の声がした。声を頼りに襖を開ける。ぽつんと行燈の火がひとつだけ灯った部屋に、琥太郎はいた。その姿が血に濡れているのを見て、背筋が凍る。しかしすぐ首を傾げた。


「怪我は、していないんですか……?」

「あう!」


 琥太郎は楽しげにうなずいた。怯えも恐怖も感じられない。血と笑顔の取り合わせがちぐはぐだ。だが安堵した。怪我がないなら、それでいい。


 ――子ども妖怪の血がついたのか。


 琥太郎が床を這って豆に近づき、抱っこをせがむ。そういえば今朝も琥太郎は血まみれだったなと思い出しながら、この子を連れて逃げようと決めた。だが琥太郎を抱き上げようとした手が、ひた、と止まる。


 違和感が胸に暗い色を落とした。なにか、妙だ。


 この部屋は妖気で満ちている。下手人は近くにいるはずだ。それなのに豆にも琥太郎にも手出ししないどころか、姿も現さない。自分たち以外に動く気配もない。


 下手人はどこにいて、なにを考えている?


 ……駄目だ、妖気が濃くて距離が掴めない。


 琥太郎は抱いてもらえないことに首を傾げたようだった。小さな手で豆の衣を引く。それでも豆が動かずにいると、琥太郎の笑い声が不機嫌な声に変わっていった。


 赤子の手が豆の素足に触れる。粘着質な血の感覚がした。とっさに足を引く。


「あ、ごめん、琥太郎」


 まるで琥太郎から逃げるようになってしまったことを詫びながら、どうにも心地の悪さが消えてくれない。そんな豆の様子が悲しいのか恨めしいのか、琥太郎の瞳に涙が浮かんだ。


 次には、不満を訴える赤子の容赦のない泣き声が空気を裂いた。


 そして。


「――いっ」


 豆の足に痛みが走った。雷が駆け抜けるような尋常ではない痛みだった。


 足もとを見る。琥太郎が豆の足を噛んでいた。それだけならば、やんちゃな赤子だと片づけられただろう。だが――、豆には起きた事態が把握できなかった。


 琥太郎の歯が、豆の肌を突き破っていた。


「琥太郎……?」


 さらに歯が深くくいこんだ。激痛が走る。だが、それだけではない。生気を奪い取られるような喪失感があった。


 ――喰われている?


 そうだ、嚙んでいるわけではない。琥太郎は、豆の肉を喰っている。


 ふたたび噛みつこうとする琥太郎の頭をとっさに抑えつけた。だが赤子であるはずの琥太郎に歯が立たない。また痛みが駆けた。こんな所業、人間の赤子ではあり得ない。


 なんなんだ、これは。


「豆!」


 ふっと、足にしがみついていた重みが消えた。琥太郎が目の前から吹き飛び、奥の壁に身体を打ちつける。行燈の火が揺れて、琥太郎を照らす。赤子の瞳が金色に光っているのを、豆は見た。夜空に浮かぶ月の瞳だ。それから額には、小さな角が二本――。


「豆、無事か」

「……朔夜さん」


 ふり向けば、朔夜がいた。琥太郎を蹴り飛ばしたのは彼だったのだ。


「朔夜さん、琥太郎が」


 妖しく光る瞳と、その額の突起を見る。それが指し示すものを察してしまう。


「……訊かなくても一目瞭然だが、一応確認しておくか」


 朔夜が刀を抜いた。琥太郎を見据えながら。


「屋敷に血濡れの妖気が満ちている。発しているのは、琥太郎だな」


 行燈に照らされた琥太郎が身じろぎをする。その額の角は、鬼の証し。豆は朔夜の問いに小さくうなずくことしかできなかった。それでも朔夜には伝わった。


「昼間は人間の赤子だったよな。それがいまじゃ立派な妖怪。つまり」


 つまり。


 琥太郎はきっと。


「半端者――、半妖です」

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