死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!
◆1
ある大陸の中央に、多種多様な宝石を産出する、豊かな王国ローランドがありました。
その王国の公爵バーラント家には、たいそう美しいお嬢様がおられました。
彼女の名前はミリア。
みなが〈宝石の姫〉と呼ぶ公爵令嬢でした。
ミリアは、幼少の頃から、美しい宝飾品に囲まれた生活をしていました。
バーラント公爵家は国内有数の宝石産地を領有していたので、誕生日のたびに、色鮮やかに輝く宝飾品を、彼女はお父様からプレゼントされていました。
かといって、ミリア嬢は、豊かさに驕り高ぶることもなく、お淑やかな性格をしておいでで、〈宝石の姫〉という通称とは裏腹に、質素な草花を愛でる女性に成長しました。
でも、ミリア嬢にお仕えする侍女エイミーは違います。
ローランド王国の貴族家に生まれた令嬢らしく、宝飾品が大好きでした。
今も、お仕えするミリア嬢がお持ちの宝石に目を奪われていました。
「まぁ素敵なネックレスーーそして、真っ赤なルビー!」
大粒の真珠のネックレスに、ハート型の赤いルビーが中央部分で光り輝いています。
今日もこの首飾りを、侍女エイミーは公爵令嬢ミリアの首に付けます。
すると、真っ赤なハート型のルビーがちょうどミリア嬢の胸元で光り輝く寸法になっていました。
「ほんと、ミリア様に、とってもお似合いです。
婚約指輪とお揃いの宝石ーー婚約者であらせられる王太子様からのプレゼントなのでしょう? うらやましいことですわ」
侍女のエイミーは興奮気味に声をうわずらせます。
「ありがとう、エイミー。
これは王太子様との婚約が決まったときに頂いた贈り物なの」
公爵令嬢ミリアは、鏡に映る自分と首飾りとを静かに眺めます。
王太子ラモスとの結婚が、あと一ヵ月後に控えていました。
別に、ミリアは王妃になることは望んでいませんでしたが、そうなっても問題ないよう教育されてきました。
ここ最近、最高に幸せな日々を過ごしていました。
ミリアは首飾りの赤いルビーを優しく撫でたあと、一冊の古ぼけた本を大事そうに抱き締めて、微笑みます。
「でも、宝石よりも、私は薬草の方に興味があるわ。
だって、すべての人の傷を癒してくれるのよ。
わが身を飾るだけの宝石よりも、よほど素敵だと思わない?」
ミリアが抱き締めたのは、薬草の百科事典でした。
おかげで胸元のルビーの輝きが隠れてしまっていました。
侍女のエイミーは、ミリア嬢のプラチナブランドの艶やかな髪をブラシで梳かしながら、溜息をつきました。
「まったく、宝石よりも、そんな野草に浮気なさるなんて。
そのハート型のルビーを良くご覧ください。
それを付けているだけで、まるで夢物語のようですわ。
ほんとに溜息が出ます」
コンコンと、ドアを叩く音がします。
別の侍女が入室してきました。
「ミリア様。お客様です」
応接室に足を運ぶと、第二王子アドルノが面会に来ていました。
許婚者のラモス王太子とは歳が五つ離れた、可愛い弟です。
第二王子がミリア嬢の許を尋ねることは、幼い頃からしばしばあることでした。
ミリア嬢は気兼ねなくアドルノの対面に座り、二人で紅茶を楽しみます。
「アドルノは相変わらず、可愛いわね」
「やめてください、子供扱いは。恥ずかしいです」
「でも、まだ成人なさっておられないでしょう?」
「来年には十五歳になります」
「その頃には、名実共に私たちは義姉弟になるんですから、私が貴方を弟扱いしても、よろしいんじゃありません?」
ミリアは軽やかに微笑む。
対して第二王子アドルノは真面目な顔付きになっていました。
「今朝は緊急の用件でうかがいました。
出来れば、王太子殿下との外出は、お控えいただけませんか?
良からぬ噂がーー」
ミリアは、今日、ラモス王太子と小旅行に出る予定でした。
王都から馬車で半日にかかる遠方の森に出かけるのです。
ラモス王太子じきじきのお誘いでした。
もちろん、それぞれの両親の許可も取ってある、公認の旅行です。
その一方で、ラモス王太子に、新たな女性の影がチラつき始めた、という噂がありました。
ラモス王太子の〈女好き〉は今に始まったことではありません。
それでも、今までは、あまり問題視されませんでした。
なぜなら、付き合った女性はいずれもミリア嬢の知り合いの貴族令嬢だったからです。
彼女たちは、ラモス王太子がミリアと婚約を交わしているのを承知しています。
ですから、王太子の誘いを軽くいなして、彼女たちは本当に遊ぶ程度だったのです。
でも、今度、ラモス王太子と付き合っている相手が誰なのか、判然としていません。
貴族社会の裏事情に通じている侍女エイミーですら、わからないというのですから、相当に秘められた付き合いといえましょう。
それでも、ラモス王太子と付き合う謎の女性がいることが、噂されていました。
そして、いつしかささやかれだした、不吉な噂がありました。
それは、「その謎の女性が、婚約者ミリア嬢を害そうとしている」というものでした。
ミリアは首を強く振り、アドルノ第二王子に言いました。
「単なる噂です。王家の者が噂ごときで動じてはなりませんよ」
アドルノ王子はミリア嬢の決然とした態度を目にして、はあ、と息を吐きました。
「ミリア嬢には敵わないな。
貴女はいつも凛としていて、素晴らしい」
紅茶をスプーンで軽くかき混ぜながら、ミリアは頬を膨らませます。
「アドルノさん。来年からは家族となるのです。世辞はいりませんよ」
「世辞なんかじゃ……」
アドルノ第二王子は耳まで真っ赤にして、うつむくばかりでした。
◆2
アドルノ第二王子との面会をしてから、一時間後ーー。
ミリア公爵令嬢は、王宮の応接室に通され、ラモス王太子と向かい合っていました。
婚約者である王太子とお茶を飲みつつ、第二王子との面会内容について話します。
「弟がそんなことを?
相変わらず、君のこととなると心配性になるな、アイツは」
「ほんと、可愛らしい」
「ふん。アドルノの奴は、俺にとっては、単なる口の減らないガキなんだがな。
最近、口答えが多く、生意気で困る」
もちろん、『王太子と付き合う謎の女性がいる』という噂は、王太子も知っていました。
でも、彼は断言します。
「誓って言う。
俺は婚約者である貴女を、ないがしろにすることはない。
そんな女性は存在しない」
ミリアは王太子が言うことを信じていました。
だから、今回の旅行は、そんな不穏な噂を払拭するために、ラモス王太子様が自ら用意してくださったものだ、と思っていました。
「それにしても、よく聞き届けてくださいました。
私、行ってみたかったんですよ。
ダートの森ーー通称〈薬草の森〉に!」
実際、ミリアは薬草の造詣が深く、今もしっかりと薬草百科事典を手にしています。
薬草が豊富に生い茂っているというダートの森に興味がありました。
ダートの森はローランド王国の領内にありながら、事実上、他国の者も自由に出入りすることが許された公有地でした。
ダートの森入口にある役所で署名さえすれば、誰でも自由に出入りすることができます。
森の中では、薬草ばかりか、貴重な魔鉱石も採取できて、レアな魔獣も棲息しています。
ですから、難易度が高い迷宮と同じように、上級冒険者が活躍する舞台になっていました。
薬草や魔鉱石、それに魔獣の毛皮や牙などのレアアイテムを手に入れるために、世界中から冒険者を招き入れていました。
ローランド王国の財源の一つです。
ですから、ミリアも本当は自ら出向いて、じかに薬草摘みをしたかったほどです。
ですが、公爵令嬢の立場では、おいそれと外出できません。
そのうえ、ダートの森には魔獣もたくさんおり、人間が足を踏み入れること自体が危険とされていました。
それゆえ、彼女にとって薬草とは、冒険者組合に依頼するしか入手できない、特別、価値が高いものになっていたのです。
「まずは、ゆっくりお茶でも頂いてください」
ミリアの侍女エイミーが、紅茶を入れ直します。
彼女も、王家の侍女たちと一緒になって、甲斐甲斐しく働いていました。
「あら。エイミー、随分、用意が良いわね?」
「ミリア様の侍女ですもの。当然、張り切ってますわ。
今回のご旅行、お嬢様は楽しみにしてらしたじゃありませんか。
これは『婚前旅行』だと」
ミリアの顔が真っ赤になりました。
そして、「それは内緒だって言ったでしょ……」とブツブツ小声でささやきます。
そんな彼女の様子を面白そうに眺めて、ラモス王太子は笑いました。
「お泊まりするわけではないんですから、本格的な旅行とはいえませんけどね。
それにしても、ミリア嬢は、ほんとにその本がお好きですね」
婚約者が手にする書物に目を止めて、ラモス王太子は尋ねました。
ミリアは赤くなった顔をあげ、目を爛々と輝かせました。
「ええ。これには数多くの薬草の種類が記されているのです。
お父様が薬学の先生を付けてくださらないので、この書物が私の薬草の先生なんです」
日帰りとはいえ、実際に〈薬草の森〉に入り、挿絵でのみ知っていた薬草の現物が見られるのだと思うと、ミリアは楽しみでなりませんでした。
そして、お茶を楽しんでから、一時間後ーー。
ミリアはラモス王太子に誘われて、侍女エイミーと馬車に乗り込みました。
後方に食糧などを詰め込んだ、かなり大型の馬車で、六人は同乗できる規模です。
その一台の馬車を、二十騎の騎士が取り囲んでいました。
馬車に乗っているのは、将来の国王と王妃であり、目的地の〈薬草の森〉には魔獣が蔓延っているわけですから、警備の厚さも当然といえましょう。
でも、その時、ミリアはふと気づきました。
自分には侍女が同席しているのに、王太子様はお一人だということに。
「あら。ラモス王太子様。いつも随行なさっておられる執事さんは?」
いつもは寡黙な老執事が、王太子の背後で背筋を伸ばして立っています。
でも、今日は姿を見かけませんでした。
「アレは此度の企てに反対しおってな。謹慎処分とした」
「まあ!」
ミリアは、またも顔を赤くしました。
〈薬草の森〉に赴くことができる喜びで、すっかり我を忘れていたようです。
(やはり、婚前の娘が、婚約者とはいえ、殿方と馬車に同席して遠出するのは、はしたなかったのかしら。
あとで、執事さんに謝っておかなければ……)
しばらくすると、王太子の命を受け、御者が鞭打ち、馬車が走り出しました。
ミリア嬢にとっては、初めての遠出でした。
でも、今回の旅は、初心者にはかなりキツいものでした。
小旅行とはいえ、淑女にとっては、とても快適な旅とはいえません。
森への道は結構長く、ほとんどが舗装されておりません。
馬車はガタゴト揺れるうえに、半日は結構長いです。
馬車に乗っているだけでも、相当、疲れてしまいます。
そのため、目的地に着くまでに、何度か休憩を挟むことになります。
王太子と公爵令嬢は、食事とお茶を何度も摂ることになりました。
その度に、エイミーにお茶を入れてもらっていました。
彼女はこまめに気を使い、ラモス王太子にも給仕していました。
周囲を見渡し、またもミリアはちょっとした異変に気づきました。
「あら……。なんだか、騎士の方々が少なくなっているようだけど」
休憩のたびに、何人かが護衛を離れ、現地に駐屯しているようでした。
王太子は居住まいを正して応えました。
「帰りが夕方になるからな。街道を押さえてもらうんだ」
「でも、こんなに櫛の歯が欠けるように騎士さんたちが居なくなってしまうと、森に辿りつく頃には、私たち一行はわずかな数になってしまうんじゃ?」
「大丈夫。森には深入りしない。
日帰りでは、時間があまり取れないからな。
それでも両手一杯に薬草は採れるんだそうだ」
「まあ、それは楽しみですね」
予定より一時間遅れで、ようやく目的の〈薬草の森〉に近づきました。
ですが、その頃には、ミリアは体調が悪くなってしまいました。
(馬車酔いかしら?)
めまいがして、頭がクラクラします。
ラモス王太子が問いかけてきました。
「大丈夫か?」
「少しめまいが……」
「だったら、一刻も早く森へ急ごう。
酔い覚ましの薬草が生えてるかもしれない」
「ええ……」
ラモス王太子は馬車から顔を出し、騎士団に指示します。
「おまえたちは、ここで待機を」
騎士たちは馬上から降りて片膝立ちとなりました。
次いで、ラモス王太子は御者に命じました。
「急げ。全速力だ!」
馬車が高速で走り始めます。
ガタガタと激しく揺れ始めました。
(うう、気持ち悪い……)
ミリア嬢は思わず、王太子にもたれかかりました。
(ほんとに、おかしいわ。
吐き気だけじゃなく、身体が痺れて……)
ミリアが自身の身体の異変に気がついた、まさに、そのときーー。
突然、馬車が大きく横に揺れたと思ったら、馬車の扉が突然、開きました。
そして、その瞬間ーー。
ラモス王太子が思い切り身体をぶつけてきて、ミリアを外へと突き落としたのです。
「きゃあああ!」
叫び声とともに、ミリアだけが馬車から転がり落ちてしまいました。
(い、痛い。いったい、なにがあったというの……)
ミリアは地面に全身を打った直後に、両手を広げて伸ばします。
誰かに助け起こしてもらいたかったからです。
ところが、誰も助けてくれません。
落下する瞬間、馬車の上には、ほくそ笑む王太子の顔がありました。
もはや、声を出す気力も湧きません。
頭を強く打って、ミリアの意識は朦朧としてしまいました。
身体が動きません。
おまけに、四肢が細かに痙攣していました。
(どうしたのかしら、私の身体……)
そんなミリアを地面に置いて、馬車は走り去って行ってしまいました。
「待って、私を置いていかないで!」
ミリアは苦しさと悲しさで泣きました。
が、か細い声しか出ませんでした。
◆3
ミリアが気がついて目を開けると、森の樹々に囲まれた彼方に、赤い空が見えました。
夕暮れ時が迫っているようです。
そんな暮れの時刻に、彼女は森の中でただひとり残され、地面に横たわっていたのでした。
そして、朦朧とした意識の中で、必死に考えました。
(どれほどの時が経ったのかしら。
気を失っていたので、わからないわ。
相変わらず、身体は痺れて動けない……)
しばらくすると、変化が訪れました。
首も動かすことができない状況でも、耳が変化を捉えてくれました。
また馬車の蹄の音が、聞こえてきたのです。
(あぁ。王太子様が、きっとお医者様を呼んで来てくださったんだわ。助かった)
ミリアの体調が悪くなっていたことは、馬車から落ちる前に、ラモス王太子様とエイミーはじゅうぶん承知していました。
自分が何も言わなくとも、二人だったら察してくれているはずです。
ミリアは心底、ホッとしました。
目を開けると、侍女のエイミーの顔がそこにありました。
「エイミー、ありがとう。助けに来てくれたのね」
ミリアは侍女に向かって手を伸ばします。
が、馴染みの侍女は、彼女の手を取ってはくれませんでした。
代わりに、突然、ミリアの頬に痛みが走りました。
エイミーがミリアをいきなり平手打ちしたのです。
それも、二度も三度も。
なにが起きたのか、ミリアには、さっぱりわかりませんでした。
何度も叩かれて頬を赤く腫らしたあと、ようやく声を上げました。
「い、痛いわ、エイミー」
主人の涙声は、侍女を悦ばすものだったようです。
エイミーは口の端を綻ばせながら、吐き捨てました。
「うるさい、黙れ。
ーーふふふ。どうやら、毒が効いているようね。
ふん、いくら薬草に詳しいといっても、濃いめの紅茶にほんの少しずつ混ぜ込んだら気づかないようね」
侍女は懐から小型のナイフを取り出すと、両眼を怪しく輝かせます。
ナイフを凝視して、ミリア嬢は息を呑みました。
「な、なにを……?」
「こーしてやるのよ!」
エイミーは、いきなりミリアの大切なネックレスをナイフで切り裂いたのです。
大粒の真珠がパッとあたりに散らばりました。
そして真ん中のハートルビーの宝石だけを取って、エイミーは歓声をあげました。
「これよ、これ! これが欲しかったのよ」
と言って、夕陽に掲げて、赤い輝きにうっとりとしました。
そして、地面に横たわって動けない主人の方に、すぐに視線を向けました。
「それも、よこしなさい!」
エイミーはミリアの左手を手に取り、ルビーの婚約指輪を取ろうとしました。
ですが、なかなか取れません。
婚約指輪はミリアの指にちょうど良い大きさに調整されていたので、強引に他人が取り外しにくくなっていました。
それでも、エイミーは諦めません。
グイグイ、力任せに指輪を引っ張ります。
ミリアは悲鳴を上げました。
「痛い、痛い。やめて!」
「もう! だったら、イヤリングにするわよ!」
そう叫ぶと、エイミーはいきなり方針転換しました。
今度はミリアの右耳に向けて手を伸ばし、思い切りイヤリングを引っ張ったのです。
耳たぶごと引きちぎって、エイミーはイヤリングの片方を手に入れることができました。
「イヤアアアアア!」
血飛沫とともに、ミリアの右耳に激痛が走りました。
「ああ、うるさい、うるさい」
エイミーはほくそ笑みながら、自分の両耳を塞ぎます。
一方、ミリアは自分の右耳を手で押さえる気力もありません。
彼女の頭の中は、すっかり混乱していました。
「なんで……?
エイミー、なぜあなたは、こんなひどいことをするの」
侍女のエイミーは、足下に横たわる主人ミリアを見下ろして罵りました。
「ひどいことってーーこれは、あなたがワタシに毎日したことじゃない!
あなたは公爵家の長女、ワタシは子爵家の次女ーー。
それだけで、あなたはワタシより二つも年下なのにご主人様で、ワタシは侍女!
こんなに立場も待遇も、大きな違いになるなんて、納得いかないわ。
ワタシだって年頃の女の子よ。好きな男の子だって作りたい。
なのに、いつもあなたの小間使いをさせられて、恋する暇すらありゃしない。
そして、絶えずあなたを『美しい!』『素敵!』『お似合いです』と褒め続けなきゃいけない。
そんな些細な不平不満が、日々の暮らしの中で、埃が溜まるように、ワタシの心に積もっていったの。
あなたはいつだって、自分のお古をワタシにくれた。
『私の肌に合わないから、エイミー、あなた、使わない?』
と言って、使い古した化粧品をくれたり、もう飽きたドレスを、
『エイミー。あなたにだったら似合うわよ』
と言って下げ渡した。
それがどんなに屈辱で、腹が立つことか。
お嬢様のあなたには、わからないわよね。
でも公爵っていったって、そんなに大した違いはないって、ワタシはずっと思っていた。
でも、でもーーどうして?
どうして、いつまで経っても、幸せなのはあなただけなの?
あなただけ、なんで王太子様とご結婚なの?
ラモス王太子様は、本当はワタシのことが好きなのにって、ずっと思っていた」
まさか、噂になってる『王太子と付き合ってる謎の女性』ってーー。
ミリア嬢が両目を見開く。
すると、エイミーの背後に、ラモス王太子が姿を現わすのが見えました。
そして、彼は黙ってエイミーを抱き寄せたのです。
王太子様は若干、すまなさそうな顔をしていました。
が、その一方で、エイミーは完全に勝ち誇った顔をして、言い放ちました。
「悪いけど、王太子様と結婚するのはワタシ! ごめんねーー」
エイミーはこれ見よがしに、王太子とキスします。
口を離してから、ラモス王太子はエイミーに話しかけました。
「早く戻ろう。
これ以上、待たせたら、騎士団の連中が不審に思うだろう。
『ミリア嬢が勝手に森に分け入って、自分たちにはどうにもできなかった』
という体裁を保つには、騎士団とともに、この森から出来るだけ離れていないと」
エイミーは大きくうなずきながらも、視線をミリアから片時も外しませんでした。
「わかってる。
でもーーやっぱ、オソロだから、その婚約指輪もいただくわ!」
そう大声を上げると、エイミーは馬乗りになって、ナイフでミリア嬢の指を切り落としたのです!
エイミーは、豚や猪の屠殺の経験がありました。
ナイフ捌きはお手のものだったのです。
あっという間の出来事でした。
「いやああああ!」
血飛沫が上がると同時に、ミリアは絶叫しました。
そんな主人の姿を見て、口にルビーの指輪を咥え込んだ侍女が、笑みを浮かべました。
「いい気味。お嬢様は、そこで野垂れ死ぬのよ!」
そして、血飛沫を浴びた身体で、エイミーはラモス王太子にすがりつきます。
ラモス王太子は憐れむようにミリアを見下ろしました。
「お気に入りの〈薬草の森〉で死ねるんだ。良かったじゃないか」
そうつぶやくと、エイミーと共に背を向けました。
ミリアはまたも気を失ってしまいました。
◇◇◇
ミリアが目覚めたのは、気を失ってから数時間経たあとでした。
すでに視界は薄暗く、月夜の晩になっていました。
夜目が利かない人間には、森の中では、まるで勝手がわかりません。
ですが、何者かに頬に生臭い息を強く吐きつけられたから、目を覚ましたのです。
(きゃっ……!?)
ミリアは思わず息を呑みました。
月明りが雲間から射し込み、いきなり視界が開けたのです。
すると目の前で、大きな蛇の化け物が、涎を垂らして大口を開けていました。
鋭い牙が、何本も見えます。
森に棲息する大型魔獣でした。
ミリアの周りには、何体もの猛獣や魔獣の死骸が散乱していました。
無防備に横たわるミリアを巡って、ケダモノどもが争ったようです。
同族との戦いに勝利した蛇型魔獣が、屈むようにして、ミリアを上から覗き込んでいたのでした。
ミリアは美しい公爵令嬢ですが、特に鍛えておりませんし、魔法も使えません。
しかも、今も全身から痺れが抜け切っておらず、満足に起き上がることもできません。
(こんな形で人生が終わるだなんて。思っても見なかったわ……)
一冊の薬草本を抱え込んだまま、目を瞑ります。
ミリアは死ぬ覚悟をしたのでした。
でも、魔獣は彼女に噛みつこうとはしませんでした。
先端が二股に分かれた舌を伸ばすばかりで、鋭い牙でミリアの肉や骨を砕こうとはしません。
その代わりに、大口を開け、ひと呑みにされてしまいました。
ミリアは、薄れ行く意識の中で、痛い思いをしなくて済んだ、と安堵したものでした。
◆4
それから、長い時間を経てーー。
ミリアが目を開けると、今度は、人間がーーひとりの眼鏡をかけた男性が覗き込んでいました。
彼に手を取ってもらい、ミリアは半身を起こしました。
いつしか日中になっているようで、視界はすっかり開けていました。
ボウッとした意識のまま、周囲を見回します。
いまだ〈薬草の森〉の中にいるようでした。
眼鏡男の後ろに、何人もの屈強な身体つきをした騎士たちが立っています。
そして、そのさらに後ろには、巨大な蛇が三枚に切り裂かれた状態で横たわっていました。
ミリアを呑み込んだ蛇の魔獣を、彼らが退治してくれたようでした。
「ああ、気がついたようだ。
よかった。びっくりしたよ。
大蛇を切り裂いたら、中から、ちょっと消化されかかったキミが出てきたんだ。
ねえ、見える? この本。
コイツを大事そうに抱えていたんだよ、キミは。
でも、この本はーー」
眼鏡をかけた男がいろいろと早口で話しかけてきますが、今のミリアには、内容が半分も頭に入りません。彼女はボーッとしたままです。
ただ、自分の身体の変化には、気がつきました。
(あら、この指……。たしか、ナイフで切られたはず)
右の耳たぶに手をやれば、こちらも修復していました。
耳も指も、魔法かなにかで治してくれたようでした。
ミリアが指や耳に手をやるのを見て、眼鏡男は得意げに胸を張りました。
「ああ、その指?
それ、ほんとに運が良かった。
わずかしか噛まれてなかったんで、僕が即座に治癒したんだ」
助けてくれた人は、どうやら指や耳たぶの欠損を、魔獣によるものと誤解しているようでした。そのまま延々と説明を続けていきます。
「それよりさ、なにがあったの、キミ?
キミの身体に少量だけど毒が回っていたよ。
身体、痺れて動かなかったでしょ?
あ、でも、おかげで助かったとも言えるか。
蛇型魔獣は、その毒を避けるために噛み付かなかったみたいでさぁ。
丸呑みにしたのは、いずれ時間が経てば毒の成分が弱まるんで、時間をかけて消化すれば問題ないと踏んだんだろうね。
ね、蛇の格好してても、魔獣って、なかなか賢いんですよ」
眼鏡を掛けた細身の男性がペラペラ喋るさまを、ミリアはボーッと眺めていました。
そして、ようやくポツリと声を出しました。
「あなた様は?」
女性がようやく反応したので、眼鏡男は慌てて自分の頭を掻きました。
「ああ、すいません。
僕は〈薬草の森〉に狩りに来ていたんです。
ーーといっても、それは表向きの口実でしてね。
ほんとは薬草と魔鉱石の採取に来てたんです。
で、話は変わりますが、キミ、この真珠をご存知ですか?」
男性は、魔獣の周囲に散らばっていた真珠玉を、両手一杯に差し出しました。
「ああ、それ、私のです。首飾りのーー」
ミリアがボンヤリとした表情のままに答えると、眼鏡男は破顔しました。
「やはり! この真珠が素晴らしいんですよ!
僕、思わず叫んでしまいました。
これほど高価な品を身につけているということは、キミは高貴な身の上なんだね。
そして、こいつはバーラント産の淡水真珠ですね!」
産地まで一目で見抜くとは。
ミリアは目を丸くしました。
(相当の目利きだわ。
鑑定士か、錬金術師ーーいえ、指を生やすほどの魔法を使えるのは、わが国にはほとんどいないはず。
きっと、魔術師さんね。
でも、こんな森の中への探索中だというのに、良い仕立ての衣服に装飾品だわ……)
いろいろと頭が回り始めたのを実感したミリアは、素直に頭を下げました。
「私、バーラントの者なんです。
どなたか存じませんが、助けてくださってありがとうございました」
「おお、バートランド公爵家のお嬢様でしたか!
たしかローランドの王太子様の許嫁だと……」
よくご存知のようです。
ミリアは苦笑いを浮かべました。
「でも、私、この森で捨てられちゃいました。
王太子様は、私に仕えていた侍女に気移りしたようです」
「酷い話ですね……」
眼鏡男は顔を曇らせます。
ミリアを助けた彼は、彼女が森に打ち捨てられ、魔獣に丸呑みされたことまで知っているから当然です。
「ということは、婚約破棄されたと?」
「ええ。さすがに、父にこの事実を報告したら、婚約破棄を認めてくださるかと」
ラモス王太子が、これまで様々な女性を相手に浮き名を流していたことを、父のバーラント公爵は常々不快に思っていました。
「これ以上、ラモスが舐めた真似をするようなら、婚約破棄するよう、国王陛下に掛け合ってやる。
陛下も長男相続の古式にこだわっているだけで、強く訴えたら折れてくれよう。
第二王子のアドルノなんかはどうだ?」
そんな父の怒りを鎮めてきたのは、他ならぬミリアでした。
今思えば、なんてお馬鹿さんなんだろう、と反省しきりのミリアの姿を見て、眼鏡男は膝をパンと一打ちしました。
「ほんと、僕はツイてる。とんだ森の拾い物だ」
「はい?」
「正装と異なった服装で、しかも森の中での遭遇となると、お互い、なかなか気づかないものですね。
何度か、貴国の舞踏会でお会いしているはずなんですよ、僕たち。
覚えておられますか?
僕はお隣のベラマント王国の王子トロントと申します。
みなは『七色オタクの狂王子』と呼んでますがね」
今度は、ミリアがパンと音を立てて両手を合わせました。
(ああ! 思い出したわ。
五年前の舞踏会で、ダンスそっちのけで熱心に薬草や鉱石の話ばかりしていたーー)
「あれがオタクというヤツね」と、居並ぶローランド王国の令嬢方は笑っていました。
でも、ミリアは熱心に聞き入っていたので、隣国の王子は気を良くして、一冊の薬草の本を手渡してくれました。
おかげでミリアは薬草について興味を持つようになったのです。
ミリアは慌てて居住まいを正しました。
「失礼しました。トロント王子様。
あなた様は私の師匠と申しても過言ではありません。
わが国では薬草であれ、鉱石であれ、宝石以外のそういったモノに興味を持つのは、淑女にふさわしくないと、父は教師を付けてもくれませんでした。
ですから、あなた様から頂いた本だけを頼りに、今まで薬草に親しんできたんです」
「ああ、だから、この本があったのですね!
道理で見たことがある文字だと思った」
本とは一冊一冊、修道士が書き写すもの。
それぞれが固有の価値を持つレアなものなのです。
眼鏡をかけた隣国の王子様はおどけた調子で、お辞儀をして言いました。
「では、わが弟子よ。今日より、わが教えを受ける覚悟があるか」
ミリアも笑みを浮かべて頭を下げます。
「はい。師匠」
「僕ならキミに薬草のこと以外にも、様々なことを教えることができる。
たとえば魔法呪文だ。
呪文を詠唱すれば、多種多様な魔法が使えるようになる。
薬草ほど強力ではなくとも、僕のように治癒魔法を行使することもできる。
教わりたいか?」
「もちろん、教わりとうございます。
魔法など、私が使えるようになり得るとすら、思ったことがございませんでした」
「よかろう。わが弟子よ。されば、この師匠のお願いを聞き届けてくれまいか」
「なんなりと。謹んでお受けいたします」
「では、さっそくですが、僕と結婚してくれないか?」
「はい?」
◆5
一方、その頃、ローランド王国では、ミリアの追悼式が開かれていました。
「葬式」ではなかったのは、「まだ、娘が死んだと決まったわけではない!」と父親のバーラント公爵が言い張ったからでした。
ラモス王太子は〈薬草の森〉から馬車を走らせて帰還するや、証言していました。
「ミリア嬢は薬草採取に夢中で、私の制止も聞かず、森の奥深くにまで入り込んだのです。
そして、不幸なことに、魔獣に噛み砕かれて死んでしまいました」と。
そして、「ミリア嬢の最期を見届けたのは、侍女のエイミーです」と付言しました。
その結果、追悼式では、ミリアの専任侍女であったエイミーが、壇上に上がっていました。
エイミーは改めて涙を流し、
「これが、ミリアお嬢様の身印です」
と、白いハンカチで包まれた状態から、ミリアの指を一本、手に取って掲げました。
そして、自らの手に嵌めたルビーの指輪をみなに見せ、エイミーは涙声で言いました。
「ミリアお嬢様は最期に、この婚約指輪をワタシに、とお譲りくださったのです」
バーラント公爵のほか、王族やその他、高位貴族や高官といった出席者たちが、みなして涙を流しました。
公爵令嬢ミリアは、ラモス王太子との結婚を間近に控えていました。
そんな彼女を突然襲った悲劇に、出席者の誰もが涙したのです。
出席者の多くが、次々とお悔やみの言葉を、父親のバーラント公爵に述べていました。
おかげで、陰でエイミーがほくそ笑んでいるのに気づく者は誰もいませんでした。
ラモス王太子も、「愛するカノジョを突然失った悲劇の婚約者」らしく、しおらしく、うつむいていました。
ですが、そんな王太子の許にひとりの少年が近づいて、一言、怒りの声をぶつけてきました。
「よくも、ミリア嬢を!」
ラモス王太子の実弟、第二王子アドルノでした。
彼は、兄がミリア公爵令嬢を暗殺したのだと信じて疑いませんでした。
兄のラモス王太子も、弟相手には隠す素振りすら見せません。
弟の手を引いて廊下に出て、人影がないのを確認すると、本心を吐露しました。
「ふん。貴様こそ本音を言え。
王太子の俺を追い落として、王位を狙えず、残念だ、と」
ラモス王太子には三人の弟、二人の妹がおり、病弱の三男を除けば、誰でも王位を継承できました。
現国王は古式に則り、長男を王太子としていましたが、貴族間では、品行方正で賢い第二王子のアドルノこそ、国王の器だと評していました。
ただ、筆頭公爵家の令嬢ミリアと結婚する方が実力上、王位を継承するのにふさわしいと思われてもいたのです。
アドルノが王位を継ぐには、後ろ盾が弱すぎたのでした。
そうした政治バランスを知悉するラモスは、弟の直情径行ぶりを鼻で笑いました。
「残念だったな。俺がミリアと婚約していて」
アドルノは拳を握り締めて怒鳴った。
「だったら、結婚したらよかったじゃないか! どうしてーー」
「ふん、女の顔色を窺いながらの権力など、権力とはいえぬ。
だから殺した。
おまえがミリアを狙っていたからな。
実際、結婚した挙句、アイツに不倫でもされたらかなわん。
ーーああ、でもアイツはお堅いからな。
婚前交渉すらさせてくれなかったんだ。
だから、いくらおまえがモーションをかけても、不倫なぞしてくれんだろう。
その点、エイミーは可愛かったぞ。
なんでもやらせてくれる」
「兄さんと僕は違う!
本気で僕はミリア嬢を愛してたんだ!」
「あんな堅物を?」
「あなたにはわからない!」
「ああ、わからんさ。
次期国王の俺にはな。はっははは」
ラモス王太子は肩を揺らせながら、踵を返し、立ち去っていきます。
第二王子アドルノは、唇を咬むしかできませんでした。
◆6
ミリアが魔獣の体内から救出されてから、一ヶ月後ーー。
彼女は隣国ベラマント王国の王宮にいました。
(まさか〈薬草の森〉で、救けてくれた眼鏡のヒトが、隣国の王子様だとは……)
信じられないほどの偶然に、ミリアは今でも驚いていました。
ベラマント王国の第一王子トロントーー彼は偽名で冒険者登録をしており、よくお忍びで〈薬草の森〉に来ていたといいます。
それには理由がありました。
トロント王子が正式にローランド王国を訪問するという体裁を取っては、お客様扱いになって、かえって自由に行動できず、薬草も魔鉱石も、宝石すらも手に入れることができなくなるからでした。
ローランド王国の別名が〈宝石の国〉とするなら、ベラマント王国の別名は〈魔法の国〉といえます。
でも、〈魔法の国〉は〈宝石の国〉に頭が上がりませんでした。
じつは、宝石がないと魔法効果が弱まってしまうからでした。
魔法を行使するにあたって、宝石で効果を増幅させる必要があります。
ですから、魔法使いにとって、純度の高い宝石は、まさに必須アイテムでした。
このことは、魔法使いや魔術師の間では〈誰もが知る秘密〉でした。
〈魔法の国〉の王子トロントは、ミリアに向かって、両手を広げて解説しました。
「魔法効果を高めるのに、特にキミの国の宝石は最高なんだ。
ルビーもサファイアも、ダイアモンドも、どの種類であっても、最も魔法効果を高めてくれる。
だから、貴国の宝石は高値で売買されるんだ。
つまり、貴国の宝石の価値を高めてるの、じつは僕たちベラマントの魔法使いってわけなんですよ。
この真珠も、見てください。
真珠は貝から取り出すものなんだけど、貴国ローランド王国の湖は特に魔力がこもっていて、貴国のーーいやキミのバーラント領内の湖から採れる淡水真珠は、物凄く魔法効果を増幅するんだ。
ほら、手をかざすだけで、白く光る。
とんでもなく魔力を引き出してくれるんだ。
キミの傷をすぐに癒して、欠けた指を生やすことができたのも、その真珠のおかげだ。
もっとも、治癒魔法が得意な僕がいてこその芸当だけどね」
ミリアは素直に感嘆の声を上げました。
「凄いですね、師匠!
私、憧れます。師匠の治癒魔法。
大勢の人々を救けることができるんですから。
特定の個人を着飾らせるだけの宝飾品なんかより、よほど価値があります」
手放しの褒めように、照れた王子は頬を掻いた。
「ありがと。まさか、〈宝石の姫〉からお褒めいただけるとは。
とはいってもね、その宝石がないと、魔法は効果が弱くなるんだ。
魔法使いや魔術師って、指輪やブレスレット、ネックレスなど、様々な宝飾品をゴチャゴチャ身につけてるイメージあるだろ?
あれ、魔法効果を高めるために、仕方なくそうしてるんだ。
でもね、こと治癒魔法に関していえば、宝石を介した魔法よりも、薬草を煎じたポーションの方が治癒効果が長持ちする。
だから、薬草は治癒魔法に必須でーーああ、そんなこと、今はいいや。
オホン。まずは弟子よ。
キミに魔力がどれほどあるか見てみよう。
この魔力測定の水晶に手を当てつつ、この真珠を握り締めて。
いいかい?
水晶の方は気に留めないで良いから、握り締めた真珠にだけ意識を集中するんだ。
力いっぱい念を込めるようなかんじで。
さあ!」
言われるがままに、ミリアは真珠を握り締めて念を込めました。
すると、真珠が熱を帯び、白く輝き始めたのです。
「ほう。やはり豊かな才能をお持ちだ」
水晶の測定値を目にして、トロント王子は感嘆の声をあげました。
ミリアは自分の秘められた力に、驚きを隠せませんでした。
「今まで、そんなことなかったのに。
魔力を測っても、私、少ないって言われて……」
「いつも純度の高い宝石を身に纏っていたからでしょう。
宝石というのは、魔力の触媒ですからね。
念を込める対象にしないと、逆に、体内から魔力を吸収するのです。
おかげで、宝石を身につけたままで魔力測定をすると、実際の魔力量より少ない表示になるのです。
ましてや、キミの領内で産出されるような、最高級の宝石を身に付けていては、ろくに魔力が測れないでしょうね」
「ああ、なるほど。たしかに」
ミリアは口に指を当てて、思い出します。
水晶に手を当てて魔力量を測るとき、令嬢方はみな、お気に入りの宝飾品を身につけていました。
「そういえば、総じてわが国で魔力量が多いとされるのは、男性ばかりでしたわ。
女性は宝飾品を常時身につけていますから、低く見積もられてきたのですね」
「失礼ながら、ローランドの方々は、魔力の扱いも、魔法の使い方も知らない。
まあ、それも当然ですがね。
わがベラマント王国で、魔法の発動条件たる呪文の大半を秘匿しているのですから」
ミリアは目を輝かせて、トロント王子に詰め寄る。
「ひょっとして、本当に私にも使えるの? 魔法!」
王子は眼鏡を掛け直して笑った。
「もちろん。
呪文さえ教われば、キミが見たこともない魔法を、自分で使えるようになる。
でも、そうなるためには条件が必要です。
僕と結婚していただけませんか?
身内となれば、呪文を教えて良いのです」
だから、いきなりプロポーズしてきたのかーー。
事情がわかって、ミリアは少し安心しました。
この王子様は、根っからの〈教え好き〉なんだ。
初めて出会った舞踏会のときも、令嬢方が退いてるのにも気づかずに、延々と薬草や鉱石についての蘊蓄を傾けていた……。
とはいえ、お相手は一国の王子様。
ラモス王太子と同じく、王位継承権第一位のお方だ。
一方で、今の私は、外国の、しかも王太子から捨てられた公爵令嬢にすぎないーー。
ミリアは、上目遣いで、おそるおそるトロント王子に尋ねました。
「いきなり結婚だなんてーー私、森に捨てられて、魔獣に食べられた娘ですよ。
貴方のご両親……国王陛下やお妃様が、お許しになるのでしょうか?」
「いえいえ。ウチの両親なら、大喜びですよ。
僕に結婚相手が出来たって、はしゃぐかも。
しかも、〈宝石の姫〉と謳われたバーラント公爵令嬢とならば、なおのこと。
卒倒するかもしれないな。
キミは素晴らしい宝石を産出するご実家をお持ちなんだからね!」
明け透けに、自国の利益を語ります。
トロント王子はどこまでも正直な男性のようでした。
しばらくしてから、随分と失礼な物言いをしたと気づいて、眼鏡をかけた王子様は慌てて言い募りました。
「で、でも! 僕は本気で、キミを気に入ったんですよ。
キミが可愛らしいから」
「あら。そんなことを言われたの、初めてです」
「だって、薬草が好きなヒトに悪者はいませんし、女性なら、みんな可愛いに決まってますよ!」
「それって、ほんとに、私を気に入ったといえるのかしら?」
あ、また失敗した、とばかりに、トロント王子は顔を赤くして、あたふたします。
そんな彼の姿を眺めていると、ミリアは自然に心が安らぐのを感じました。
(でも、まぁ、いいか……)
美辞麗句に彩られた愛の言葉がいかに虚しいか、肌身に沁みる体験をしたばかりのミリアです。
まっすぐ王子の目を見てから、ゆっくりとお辞儀をしました。
「どうぞ、王子様のお言葉のままに……」
◆7
ミリアの追悼式が明けて、さらに一ヶ月後ーー。
ローランド王国では、新国王の即位を間近に控えて盛り上がっていました。
ラモス王太子が国王に即位する直前に、結婚式が開かれることになったのです。
王太子とエイミー公爵令嬢との結婚が正式に決定したのでした。
「ミリアを失ったからには、仕方ない」
とバーラント公爵が渋々、エイミーを養女としたことが後押しとなっていました。
婚約者ミリアを目の前で失い、意気消沈するラモス王太子。
そんな彼を、森で共に死線をくぐり抜けたエイミーが、辛抱強く慰め続けたーー。
そうした美談が巷で広まり、身分を超えての恋愛成就を実現させようとしていたのでした。
ですが本当を言えば、王太子とエイミーの結婚はすっかり打算に基づいたものでした。
王太子の方は、国王に即位した後も、自由に恋愛し、多くの側室を設けるつもりです。
他方、エイミーも、それを承知で王妃になる心積りでした。
浮気性の国王に頭を悩ませる体裁を取りながらも、代わりに宝飾品に囲まれた豊かな生活を送り、自分も好きに火遊びをする魂胆でした。
今夜もいつも通り、婚前交渉に励んだあと、王太子は裸のまま椅子に座って、書状に目を通していました。
大半が結婚式への招待に対しての返答でした。
むろん、出席の返事がほとんどです。
変わり映えのしない内容の確認に、いささか飽きてきた頃、いきなり王太子は声をあげました。
「おお、こりゃあ、驚いたな!」
「どうしたの?」
ベッドの上で寝そべったまま、エイミーが問いかけます。
「お隣の〈魔法の国〉ベラマントの王子が、結婚式に参列してくれるそうだけど、なんとソイツが『婚約者を連れていくが、よろしいか』と問うてきた!」
「なにか、都合が悪いの?」
「いや、なにも。
『どうぞ。ご自由に』と返事するだけなんだがな。
ーーそれにしても、あの眼鏡オタクに婚約者か!
アイツ自身、なかなか良い顔してるんだが、趣味がなぁ。
石や草ばっかに目がないヤツでな。
男として、てんで話にならんヤツなんだ。
これは見物だな。
きっとその婚約者ってのも、メガネをかけた、もっさりした、色気もなにもない女に違いない」
◇◇◇
王太子の予測が大外れになって、色を失ったのは、結婚式前日のことでした。
来賓者を集めた前夜祭の式場で、王太子は眼を剥きました。
眼鏡オタクが、どんな婚約者を同伴してくるか楽しみにして待っていたら、まさに亡霊にでも遭遇した感覚に陥ったのです。
ベラマント王国の未来の王妃様は、スカートをたくし上げ、丁寧に頭を下げました。
「お招きありがとうございます。ローランド王国、ラモス王太子殿下。
そしてエイミー子爵令嬢ーーああ、そのように呼称するのは失礼なのかしら?
未来の王妃様に対して」
隣国の王子の婚約者が、森で死んだはずの公爵令嬢ミリアに瓜二つだったのです。
王太子とエイミーだけではありません。
国王も王妃も第二王子も、さらにはバーラント公爵もーーいや、会場に来ていたローランド王国の貴族にとって、誰しもが驚くべき事態でした。
瞬時で、ざわめきが会場に広がっていきました。
「ミリア嬢がーー〈宝石の姫〉が生きていた?」
「話が違うじゃないか。王太子が嘘を言っていたのか?」
辛抱し切れず、バーラント公爵は駆け寄って、噂の的になっている女性を抱き締めました。
相手の、娘に瓜二つの、隣国の王子の許嫁も、特に抵抗することなく、ハグを受け入れました。
「よく、無事で。息災か」
「はい」
とだけ、隣国の王子の許嫁は、小さな声で答えました。
次いで、臨席していたローランド国王陛下が立ち上がりました。
「其方、まことにミリア嬢なのか?
で、あれば真実を話せ。
森の中で、何があった!?」
ミリア代わって、隣国ベラマントの王子が前に出て、片膝立ちとなりました。
「ローランド国王陛下。
この者は私の許婚者でございます。以後、お見知りおきを。
近々、私どもも婚姻の儀を行なう予定になっておりますので、その折には、ここにおられる幾人かには招待状をお送りするつもりです。
特に、バーラント公爵閣下には、家族を挙げてご招待申し上げます」
「ああ、心得た!」
バーラント公爵は涙ながらに大声をあげた。
そして、エイミーの方を向いて怒声を張り上げた。
「この嘘つき侍女め!
娘が生きておったのなら、貴様との養女契約は解消だ。
王太子の相手には、ふさわしくないわ!」
エイミーとラモス王太子はすっかり青褪めてしまいました。
自分たちが毒を使って痺れさせたうえで、ミリアを森に放置したことを暴露される、と覚悟したのです。
言い訳をあれこれと考える二人でした。
ですが、その心配は肩透かしで終わりました。
ミリアが毅然と胸を張って言ったのです。
「失礼ながら、なんのことか、わかりません。
私はミリアなる者ではございません。
他人の空似でしょう。
風の噂によれば、ミリア嬢というお方は、こちらにおられる王太子様とその相方から酷い目に遭ったうえに、虚偽の報告をなされた者のようですね。
けれども、私は、このように不躾に睨みつけてくるような下品な方々などと、知り合った覚えはございません。
お見受けするところ、権力を振りかざして大勢の女性を泣かせて喜んだり、他人から下げ渡された宝石を付けて喜んでいるのがお似合いのおふたりのようですね」
エイミーがキイイイと甲高い声をあげて発狂しました。
「嘘おっしゃい!
『他人から下げ渡された宝石を付けて喜んでいる』ですって?
このワタシが?
違うだろ!
奪ったんだよ。ワタシの力で。
ナイフでじかに、私が指を切ったんだから!」
エイミーは隣国から来訪した女性の手を取り、強引に左手の手袋を引っ張ります。
ですが、エイミーは目を見張りました。
「指がある!? なんで!?」
絶句して、ガクッと膝を落としました。
ざわざわとしたざわめきが、再び会場に渦巻きました。
「宝石を奪ったって、言ってなかったか?」
「じかに私が指を切ったって……?」
「どういうことだ?」
騒ぎが収まりそうもありませんでした。
国王陛下と王妃様は、二人揃って無然としています。
そのさまを見て、王太子は慌てて隣国ベラマントの王子の許に駆け寄せました。
「おい、トロント。貴様は俺の結婚式の邪魔をしに来たのか?」
「とんでもない。招待に応じただけだよ。
式の様子を黙って見ているよ。わが許嫁者と共にね」
ベラマント王子の隣で、腕を組みながら、ミリアとしか思えない女性が、ラモス王太子に向けてニッコリと微笑んでいました。
◆8
前夜祭の直後ーー。
王命を受けて、バーラント公爵と、隣国ベラマントの王子、そしてその許婚者が、ローランド王宮の奥の間に入っていました。
国王と王妃が並んで座る席の対面に、テーブルを挟んで、招かれた三人が腰掛けます。
さっそく、国王陛下が口火を切りました。
「なにがあったのか、余には教えてくれぬか?
事と次第によっては、王太子であっても罰するつもりゆえ」
ミリアは微笑みながらも、首を横に振りました。
今度は、王妃様が身を乗り出します。
「では、ラモスがエイミーと結婚するのを、貴女は見過ごすと?」
王妃様はこの結婚を是非とも阻止したがっていました。
自分が腹を痛めて産んだ長男とはいえ、ラモス王太子の女癖の悪さには辟易としていたのです。
しかも、エイミーの欲深さには我慢がなりませんでした。
この二人が国を運営できるとは、到底、思えなかったのです。
国王陛下も、引くに引けなくなって困っていました。
宰相でもあるバーラント公爵も、眉間に皺を刻むばかりです。
娘が生きていた喜びはあれど、ローランド王国貴族筆頭としての体面もあります。
そこで手を挙げる者がいました。
ミリアでした。
「よろしければ、明日、挙式において、王太子殿下がエイミーに授けることになっている首飾りーーネックレスをお見せいただけないでしょうか?」
ローランド王国では、結婚式において誓いを述べたあと、新郎は新婦に首飾り《ネックレス》をはめてあげる習わしとなっていました。
そして、そのネックレスは、新郎の両親が当日まで保管することになっています。
本当は挙式前に部外者に見せるものではありませんでしたが、王妃様は即座に侍女に命じて用意させました。
ネックレスをテーブルに広げます。
その途端に声を上げたのは、バーラント公爵でした。
「こ、これはーー亡き妻の形見ではないか!」
白い真珠のネックレス、その中央に輝く赤いハート型のルビー……。
宝飾品を見慣れた公爵が、間違うはずがありません。
エイミーがミリアから強引に奪ったルビー。
このルビーは、じつは王太子からプレゼントされたものではありませんでした。
ミリアは、ラモス王太子からは婚約指輪すらプレゼントしてもらえてなかったのです。
「〈宝石の姫〉に贈る宝石など、ありはせぬからな。
俺からの贈り物は、王妃ーー国母となれることだ。
それで充分だろう」
というのが、ラモス王太子の言い分でした。
なにも贈り物をしようとしない、ケチな王太子の体面を慮り、彼から婚約指輪とともに赤いルビーをプレゼントされた、という体裁に、ミリアがしてあげていたものでした。
「やはり……丁寧に真珠で作り直して、用意してましたか。
エイミーはこのルビーに固執していましたから。
これを王太子殿下から自分が頂いたものだ、という形に持ち込むものと思っていました」
王妃様は涙を流しました。
「なんと恥知らずな……ミリア、ごめんなさいね。辛い思いをさせて。
これは即刻、お返しして……」
「いえ。結構です。
ですが、この宝石に、私が魔力を込めてもよろしいでしょうか?」
「魔力を?」
父親のバーラント公爵は首をかしげます。
「ミリアは魔力がほとんどなかったではないか」
「いえ。
こちら、ベラマントの王子様のご指導によって、私でも魔力を込められるようになったのです」
国王陛下が顎髭を撫でながら問いかけます。
「構わぬがーー其方が魔力を込めたら、どうなるというのだ?」
ミリアは神妙な面持ちで、淡々と語りました。
「亡くなる前、母が私にこのルビーを渡す際に、おっしゃったのです。
『この宝石には、私の想いをーーミリアの幸せを願う強い想いを封じておきました。身に危険が及んだ際に、力を発揮するでしょう。護身用にたえず身につけておきなさい』と。
つまり、このルビーは護身用の魔宝石だというのです。
加えて、以前、わが家に仕える魔術師に、このルビーを見せて問いましたところ、
『悪意に対し、悪行で返す魔法が刻まれております』
と教えてくださいました。
それなのに、このルビーが私から奪われる際には、その魔法が働きませんでした。
おそらく、あのときは、私が不意を突かれて呆然としていたせいで、魔法効果が発揮できなかったと思われます。
ですから、今、強くこのルビーに、私の念と魔力を込めておきたいのです。
そうしたら、本来持つ魔法効果を発揮するかと思います」
国王陛下も、じっくりとハート型のルビーを見詰めました。
「ふむ。『悪意に対し、悪行で返す魔法』ーーか。
つまり、なにか不測の事態が起こっても、それは悪意を発した者に跳ね返っただけ、というわけじゃな?」
「はい」
ルーペを取り出して、ハート型ルビーを検分したトロント王子も太鼓判を押しました。
「たしかに。
これは悪意ーーと申しますか、人を騙したり、傷つけて喜ぶような、後ろ暗い意識に感応する術式が込められています。
それも、かなり強力なーー」
「よかろう。魔力を好きなだけ込めるがよい。
その結果をもって、王太子とあの女がなしたことへの裁きとしよう」
ローランド国王陛下の裁可を受け、ミリアの隣で、トロント王子がうなずきます。
かくして、ミリアは母の形見のルビーを握り締め、ありったけの念を込めたのでした。
◆9
そして、翌朝ーー。
いよいよラモス王太子とエイミーの結婚式が開かれました。
とはいえ、来賓者のほとんどが、前日の醜態を知っています。
おかげで、トロント王子とミリアが登場すると拍手が送られ、ラモス王太子とエイミーの二人には白けた視線が送られました。
それでも、ラモスとエイミーはへこたれません。
二人して、ふんと鼻息荒く、背筋を伸ばします。
王と王妃になってしまえば、コッチのものだ、と思っているのが露骨でした。
事情を知らない司祭は、おかしな雰囲気が式場全体に漂っているのを不思議に思いながらも、淡々と儀式を進めました。
そして、誓いの儀式となりました。
「汝、病めるときも健やかなるときも、この者を愛すると誓いますか?」
と司祭様が問うと、
「誓います」
「ワタシも、誓います」
と、ラモス王太子とエイミーのそれぞれが、そう宣言しました。
司祭様は安堵の溜息を漏らすと、次の儀式に進行しました。
「それでは、誓いのネックレスを」
「はい」
王太子がエイミーの首にネックレスを通します。
その瞬間、キラキラと、ハート型のルビーが、一段と赤く光り輝いたように見えました。
エイミーは得意満面の表情で、踵を返し、参列者の人々を壇上から見下ろしました。
以前だったら、会うことも許されなかった高位貴族の面々ばかりか、国王陛下、王妃殿下の姿も見られました。
そして、外国からの来賓も。
エイミーは、参列者の中の、ひとりの女性に目を止めました。
眼鏡男の隣で、〈宝石の姫〉と謳われた女性が、ジッとこちらを見詰めています。
私は認めない、とでもいうような、強い眼差しーー。
エイミーはギリッと奥歯を噛み締めました。
(なによ、相変わらず、馬鹿にしたような目をして。
ふん。あなたが外国に逃げたからって、ワタシは負けない。
きっと、ワタシのことを悪く吹聴するんでしょうけど、それよりも先にコッチから仕掛けてやるわ。
ベラマント王国なんて、魔法だけの国で、貧しいんだから。
魔法を使える者なんて少数だけど、こっちには大勢の人間を動員する財力があるわ。
ちょっと王太子をけしかけてやれば、アンタの国なんてーーぐっ!?
なに、どーいうこと!?)
エイミーは激しく動揺しました。
自慢の首飾りーーネックレスが、ギュッと引き締まってきたのでした。
「な、なによ!?」
力いっぱい緩めようとしますが、締まる力が止まりません。
中央でハート型のルビーが、ドス黒く濁り始めていました。
ギリギリとネックレスの輪が縮まって、エイミーの首を絞めます。
息ができなくなってきました。
「魔法か!? おのれッ!」
異変を感じたラモス王太子は、エイミーの許に駆け寄りました。
ネックレスを力づくで広げてやろうとします。
が、ますます締まっていきます。
王太子の指もネックレスと首の間に挟まって、取れなくなるほどでした。
たまらず、ラモス王太子は声を上げました。
「おい! さすがに酷くないか、ミリア!
いくら〈魔法の国〉の後ろ盾を得たからって、エイミーの首を絞めるだなんて!」
ミリアは無表情なままに、ただ冷たい視線を送るだけです。
代わって、ミリアの父、バーラント公爵が低い声を上げました。
「その首飾りにあるルビーは、私の娘ミリアが、亡き妻から形見としてもらったものだ。
なぜ、王太子殿下がエイミー嬢に贈るなんてマネができるのだ?
しかも、結婚の誓いの儀式においてーー恥を知りなさい!」
次いで、ベラマント王国のトロント王子が、声を上げました。
「助かりたいなら、他人を逆恨みするのを即刻、やめることだ。
そのネックレスは、悪意に感応する。
あなたたちが悪意を撒き散らさなければ、首が締まることもない」
ざわざわーー。
参列者たちが、ざわめき始めます。
参列者の中には、エイミーの両親もいました。
子爵位の彼らは始終、顔をうつむかせていました。
彼らはエイミーがミリア嬢の陰に隠れて王太子と付き合っていることなど、娘が今まで散々、不義理を働いてきたことを知っており、いずれ天罰が下るんじゃないかと、内心、怯えていました。
そして、今、その天罰が下ろうとしていると察して、視線を落としていたのでした。
反して、他の参列者は、壇上でうごめく若い男女を、喰い入るように見詰め続けました。
血色を悪くして紫色の顔になって苦しむエイミー。
そして、なんとかネックレスを外そうとしてもがくラモス王太子ーー。
ネックレスを必死に引っ張りながら、王太子は叫びました。
「だから、宝石なんか漁るな、って言ったんだ!」
その声を合図にして、キュッとネックレスがさらに締まりました。
その途端、エイミーの首からプシューッと鮮血が迸りました。
もはや、エイミーは息をしていませんでした。
白眼を剥いて、口から涎を垂らすのみです。
今度は、王太子が悲鳴をあげる番でした。
「がああ! 外れない。指が抜けない!」
ネックレスを引っ張ろうとして指を挟み込んでいましたが、その指が抜けず、そのままエイミーの首との間で締め付けられていったのです。
「ギャアアアア!」
叫び声とともに、王太子の指がちぎれ、それと同時に、エイミーの首はスパッと切り落とされてしまいました。
ゴトンと鈍い音を立てて、若い娘の首が落ち、ゴロゴロと参列者の足下へと転がり落ちました。
真っ白な床が、鮮血で真っ赤に染まってしまいました。
あまりの惨劇に、参列者はみな言葉を失い、沈黙が場を支配します。
そして、彼ら参列者たちが、壇上の彼、彼女を見て思ったことは、
「王太子の気が触れた!」
ということでした。
バーラント公爵やトロント王子らの言葉は、壇上にあった王太子らに向けられたものでしたから、居並ぶ参列者、特に後方で座る人々には、よく聞こえませんでした。
聞こえたとしても、事情がわからない彼らは、壇上でルビーに秘められた魔法効果が現われているなどということを理解する人はいません。
ですから、一般参列者にとって、ただ、わかったことは、王太子の指もちぎれましたが、はたから見れば、王太子が新婦エイミーの首をネックレスで絞めて殺したようにしか見えなかったのです。
「どういうことだ?」
「ラモス王太子が、乱心なされた!」
わあああああ!
悲鳴とともに、参列者のみなが式場から逃げ出しました。
新婦エイミーの首なしの身体は、赤く染め上がった壇上で倒れ込みます。
ネックレスの輪は、今や指輪なみの、小さなものになっていました。
しかも、赤く光り輝き、綺麗だったハート型のルビーは、今やひび割れ、黒く濁った色になっていました。
王太子は泣きながら壇上で振り向き、ミリアを睨みつけました。
「ミリア、貴様のせいだ! この悪魔め。俺が成敗してくれる!」
式場であっても剣を提げるのを、王族のみは許されています。
ですが、自慢の剣を抜こうとしても、指がちぎれていて、剣を握れません。
「ううッ!」
それでも、ラモス王太子はミリアを討つことを諦めません。
両手の指をゴッソリ持って行かれた激痛は、察するにあまりあります。
ですが、怒り心頭に達したラモスは、痛みを感じなくなっていました。
両腕をあげてミリアに襲いかかります。
ところが、ミリアの首を絞めようとするも、指がなくては叶いません。
血糊でミリアの首を赤く染めた段階で、トロント王子が立ちはだかりました。
そして、背後から、弟のアドルノ第二王子が腕を回して、押さえ込んできました。
こうして、ラモス王太子の動きが、完全に止められたのでした。
「良い加減にしないか、兄上!」
アドルノの叫び声を耳にして、最前列で参列していた王妃様が、見かねて甲高い声を上げました。
「衛兵! この痴れ者を外へ出しなさい!」
式場に配置された近衛兵たちが、いっせいに動き出しました。
そして、数人がかりでラモス王太子の腕を捻り上げ、ズルズルと身体ごと、式場の外へと引き摺っていきました。
その時には、ラモス王太子もグッタリとして、無言になっていました。
やがて、最前列で事の次第を見詰めていた国王陛下は大きく嘆息し、嗄れ声をあげました。
「いつまでも長男相続にこだわるのは、余の間違いであった。
新たに王に即位するのは、第二王子とする。
明日の新王の即位式は中止だ。
ローランド王国の国王として、長男が醜態を晒したことをお詫びする」
そう語ってから立ち上がり、衛兵に守られながら、王妃と共に肩を落として退場していきました。
これに第二王子アドルノが続きます。
立ち去り際、第二王子はミリアの前で立ち止まり、爽やかな笑顔を見せました。
「隣国の未来の王妃様。
貴女は、私が憧れていた女性にそっくりです。
その方はいつも凛としていて、とても立派でした。
どうかお幸せに」
そう語ってから背を向け、立ち去っていきました。
こうして、ラモス王太子の野望に満ちた結婚式は、惨劇のうちに終わったのでした。
◇◇◇
この日以降、ミリアは公然と身分を明かすようになりました。
数日の間、実家であるバーラント公爵邸に婚約者ともども逗留したのち、隣国ベラマント王国へと帰っていきました。
帰国途上の馬車の中ーー。
ベラマントのトロント王子は、眼鏡を取り、向かいの席に座るミリア嬢に、いきなりキスをしました。
ミリアは目を丸くして驚きます。
「なにを……?」
トロント王子は顔を真っ赤にしながらも断言しました。
「キミは僕のものなんだからな。忘れるなよ!」
そう言って、彼女を強く抱き締めました。
「ええ」
とミリアは、目を閉じながら応えました。
後にベラマント王国の王妃となったミリアは、宝石の供給を豊かにすることに成功し、大陸有数の魔法強国となるよう王国を導きました。
なんでも気さくに語る、優しい王妃様として有名になりました。
それでも、王様との馴れ初めについては、
「森の中で魔獣に食べられたのを、救けていただいたのです」
とだけ語り、ローランド王国での出来事を、誰にも話そうとはなさらなかったそうです。
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今後の創作活動の励みになります。
なお、すでに幾つかのホラー短編作品、
『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』
https://ncode.syosetu.com/n6820jo/
『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』
https://ncode.syosetu.com/n2323jn/
『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』
https://ncode.syosetu.com/n1348ji/
『噂の《勇者を生み出した魔道具店》が潰れそうなんだってよ。そしたら勇者がやって来て……』
https://ncode.syosetu.com/n1407ji/
などを投稿しておりますので、楽しんでいただけたら幸いです。
さらには、以下の作品を、一話完結形式で連載投稿しておりますので、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
【連載版】
★異世界を舞台にしたホラー短編作品集
『あなたへ贈る異世界への招待。ただし、片道切符。あなたは行きますか?』
https://ncode.syosetu.com/n2296jl/
★ 公園を舞台にしたホラー短編作品集
『あなたの知らない怖い公園』
https://ncode.syosetu.com/n5088jm/
★恋愛を題材にしたホラー短編作品集
『愛した人が怖かった』
https://ncode.syosetu.com/n2259jn/
●また、以下の連載作品が完結しましたので、ホラー作品ではありませんが、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
【連載版】
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