プロポーズと宣戦布告
話が終わった後、私は容赦なくお兄様を部屋から追い出した。
「ーーあの修道院の子供たちみたいに、抱きしめて暖めてくれないか?」
って言われて、心臓がもたないと思ったのよ……!
だって、修道院に行ってからも見守っていてくれたなんて知らなかった。
家族に見捨てられたと思っていたんだもの。
でも……お兄様は、ずっと心配してくれていたんだと思うと、胸がくすぐったくて目頭が熱くなって、涙が出て来た。
冷たく心を覆っていた氷が溶けていくみたいに、お兄様の言葉が沁みてくる。
そっか、私、独りぼっちじゃなかったんだってーーーーーーそう思えてきたから
二百年越しの出会いがこんなに嬉しいなんて……思いもよらなかった
*
「敷島部長って、素敵過ぎる……!エレベーターに挟まれそうになったところを、抱き寄せて助けてもらっちゃったの!『大丈夫?』って耳元で囁かれて、お礼を言うのがやっとだったわ……!」
「お掃除のおばさんのバケツを持ってあげてたのも見たわよ!『重いでしょう?』ってにっこり笑って。おばさんの目がハートになってた!」
「廊下で転びかけたら、手を貸してエスコートしてくれたの‼もう王子様みたいでカッコよかった~!」
「ミーティングルームに入る時、いつもさり気なくレディファーストしてくれるの!そして資料を抱えてると、必ず持ってくれるのよ。優しいのよね……!」
お兄様……侯爵家令息の中身が駄々洩れしてますわよ……!
麻衣は、日に日に社内で人気が高まるお兄様にハラハラしていた。
企画部以外にもファンが出来始め、女性陣が猛禽類の眼で部長をロックオンしている。
水面下での激しい牽制と腹の探り合いが激化していて、笑えないくらいである。
そりゃあね、侯爵令息の本物のレディファーストなんて、現代の男性にはできないから、女性は感動してしまう。
ノブリスオブリージュの精神を叩きこまれていて、部下が困ってるとフォローに走って励ますし、失敗は自分の責任、成功は皆の協力があってこそ、と自然に言えるから男性にも支持されるし、何というハイスペックなんでしょう、お兄様ってば。
で、目下の悩みは、そのお兄様が人目もはばからず、麻衣に絡んでくることでーーーー
*
「ーーーーお呼びですか、敷島部長」
「ああ、呼んだ。ところで、忘れている事があるんじゃないか?」
仕事中に資料室に呼び出されて、びくびくしながら入室した麻衣は、待ち受けていた上機嫌な部長の顔を見て溜息をついた。
「……お兄様、こういうのは止めて下さいと言ってますでしょう。いい加減、同僚を誤魔化すのも限界になってるんですよ」
「誤魔化す必要はないじゃないか。もう公表してしまいたいくらいなんだ。マリーは子供が好きだろう?動物も好きだし、たくさん飼うために、家を建てて一緒に暮らそう」
賢いお兄様は的確に麻衣の弱みを突いてくる。
「……敷島部長、業務時間内ですよ。お仕事してください」
「君が素直にうん、と言ってくれたら、早く戻れるんだけどな」
耳元で喋るの止めてもらえますか⁉
それに、やたらとくっつかないで下さい……‼
スキンシップ過多ですよ⁈
社内セクハラですよ‼
「明後日は休みだし、一緒に猫カフェに行かないか?」
「実は猫アレルギーなんです」
「そうなのか。じゃあ、水族館はどう?車で迎えに行くよ」
「魚は食べるほうが好きです」
「では、料亭にでも行こう。いい所を知ってる」
「そんな高級なところに着ていく服がありません」
「先に服を買いに行こうか。プレゼントするよ。丁度いいから指輪も見に行こう」
……お兄様がしぶとい……!
じりじり近付いてくる部長から逃れようと後ずさっているうちに、資料棚に背中が当たってそれ以上逃げられなくなり、そこへ部長が手をついて囲い込んでくる。
いわゆる壁ドンというやつだ。
話には聞くが実体験のない麻衣は、たかが囲まれるだけで本当にときめくの?と疑問に思っていたのだが、実際にされると部長の唇が目の前にあって、体温や彼のつけている香りがダイレクトに伝わってきて、カッと頭に血が昇り、心拍数がとんでもないことになった。
「私の事はタイプじゃないんでしょう?でしたら、他の方をあたってください」
麻衣が以前言われた事を皮肉って、ツンとあごを上げると、部長はきょとんとして言った。
「タイプではないが、可愛いと思ってる。いつも一生懸命で、守りたくなる。誰かにとられたら嫌だと思って焦ってる。さすがに気が無い女性に迫り倒したりしないよ」
なっ……!
口説かれるのに免疫のない麻衣の顔が、みるみる赤くなるのを見て、部長はいたずらっぽく笑った。
「それを気にしてたのか?可愛いな、マリーは。どう?俺の事、嫌い?一緒にいるのが耐えられないくらいイヤだったりする?」
「……そっ、そんなことは……」
「そんなこと無い?じゃあ、俺の事、好き?」
言いながら麻衣の手をとった部長が、騎士がレディにするように床に跪いて、手の甲にそっと唇を触れさせる。
流れるように優雅なしぐさに見とれ、タイムスリップして二百年前に戻ったかのような心地になった。
「……麗しいレディ、マリエール・ユディット・ヴェトラート。 ランスロット・ハビエル・ヴェトラートの妻になって下さいませんか?ーーヴェトラート侯爵家の名において、あなたのためにわが身と、尽きせぬ愛を、生涯捧げると誓います」
「お兄様……」
甘く熱のこもった視線に、酔いそうになる。
くうっ、本当にカッコイイ。
とっくに滅びた侯爵家にかけていいのか?なんて些事に思える程絵になり過ぎる。
ああ、頭がぐるぐるしてくる、これ 頷いちゃってもいいかな?
いや、ダメダメ、同僚が、女性陣が恐ろしいことになるから……!
そんなことよりも部長、私を惑わしてるより先に、主任に頼まれてた資料探しましょうよ……!
こんなことしてたら、主任が来ちゃうーー成田さんは部長に気があるんですよ⁈見つかったら、私が八つ裂きにされますよ……!
麻衣の心がぐらついたところで、資料室の扉が外からバーン!と勢いよく開けられた。
「ちょっと待ったぁーーーー‼」
ひえっ⁈
慌てて部長の手を払った麻衣が飛び上がる。
びっくりして開け放たれた扉の方を振り返ると、そこに居たのは、ほとんど喋ったことのない、営業部の新人の男の子だった。
跪いていた部長も立ち上がり、三人の視線が絡んだところで、あっ、と麻衣と部長が気付いて声を上げる。
「……セドリック……⁈」
そこにいたのは前世でマリエールの三歳下の弟だった、セドリック・エサイアス・ヴェトラートだった。
現在は黒髪だが、かつてやわらかな栗色の髪をした、優しい顔立ちの少年だった面影がある。
今世でも甘さのあるアイドルの様なルックスをしており、部長とはまた別のタイプのイケメンだった。
何故この会社にヴェトラート兄弟三人が集まってるの⁈と混乱する麻衣のところへ駆けて来たセドリックは、急いで麻衣を背に庇い、部長を睨んで言い放った。
「兄上、お姉さまに何をしているんです……!ずっと遠くで我慢して見守ってたのに、横から攫わないで下さいますか⁈マリー姉さまは、僕のものです……!」
マリエールが修道院へ行った時、十六歳だったセドリックは泣いて悲しんでくれたな……可愛かったな……と思い出していた麻衣は仰天した。
とんでもない爆弾宣言をして、セドリックがお兄様と睨みあう。
……ええっ⁈ど、どうなってるの……⁉
ーーーー情報量が多過ぎて、ついていけないーーーー
哀しい思いをしてた前世だったけど、思ったより愛されてた……ってこと⁈
そして、お忘れの様ですが、二人とも業務時間内なので、お仕事しましょうよーーーー‼
コメディ短編をご覧いただき有難うございます。
この後どうなるか? は皆さんのお好きな展開におまかせしたいと思います。
じつはセドリックにもかなり色々な事情があり、マリエールとは前世で仲が良かったのでした。
機会があれば、続編が出るかもしれません。