第1話 紡がれた糸と賭け
渡り階段を降り、王宮1階の大広間へと入っていく。
騎士棟(西宮)3階から直接繋がっている階段。庭を通って大門を通ると目立つので、いつもここから通っている。
この容姿をくれた両親には感謝しているが、限度というものがあると思っている。もう少し野生的であれば良かったなぁと愚痴をぼやくと、双子の護衛に呆れられた。
黒く長めの髪を後ろで軽く束ね、濃い青色の瞳、端正でどことなく女性的な顔立ち。騎士として鍛え抜かれた体躯。
誰の目から見ても一目置かれる。どうしても表舞台に出るので、相手になめられのである。
大広間に入ると、伝達をしている各府官女達の視線が重くのしかかり、後ろから双子の兄のキールが軽くつついている。
つまり、にこやかにしろという事らしい。
軽く片手を上げ、やや引き吊りつつ愛想笑いをする。2階の王の間へと足早に階段をあがった。
王の間に繋がる扉の前にいる護衛に声をかけると、軽く頭を下げられ重い扉を押し大きく開いた。
「お呼びでございましょうか」
片足を床に付き、片手は立てた膝に乗せる。反対の手は片足の付いた横に置く。
「世話しいときにすまぬな」
玉座に座るそのお方は、一国を統べる威厳に満ちた顔をしながら、その目は少し優し気なまなざしをしている。国王陛下その人である。
玉座の両側にいる近衛の騎士に「さがれ」と声をかけ、立ち上がるとルイの前まで歩み寄る。
「ゆっくり話がしたい。ついてくるが良い」
言うと玉座から右側に見える扉に向かい歩き出す。
ルイもまた立ち上がると後ろから付いていく。扉の前まで来ると、付いてきた護衛のキールは扉の前に立つ。
中に入ると、陛下はすでに長椅子に座り寛いでいた。
侍女がテーブルにお茶を2つ置くと、ルイの方を見て、頬を少し赤くしながら外へ出ていく。
「……」むっとなる顔色を変えないように、横を向く。
「おまえも座れ」
向かい合わせに座ると、陛下は大きく溜め息をつく。
どうしたものかと思うが、こちらから聞く訳にいかない。
「あの娘はどうだ?脅威になるか?」
脅威か…、500年前とは違う。もし同じなら、俺はここにいないな。
本気で心配している様には見えない態度で、心ここにあらずと言えよう。
「その娘が私の元にいるという時点で、その様に思っていらっしゃらないでしょう。本題はなんでしょうか」
「分かるか…、さすがだな」
「誰でも分かります。お顔にでているじゃありせんか」
ルイは呆れながら部屋を見渡す。
護衛や側近を外させた事も、意味があるようだ。
「あれのことはもう知っておろう」
「ええ…まぁ…」
答えに詰まる。口には出さないが、たぶん息子のことだろう。
「なら、話は早いな。その件でお前の臣下を派遣してもらいたいのだ」
「臣下を?」
「そうだ。困った事に、お前の侍女にマリーという子供がおろう。娘を使用人として仕えさせたいから、宮使いを辞めさせたいと申し出てきた」
「それは困りましたが…」
何かを含んだ言い方である。
マリーの両親は、ルイの侍女となったことを知らないのかもしれない。彼女はまだ10才だ。しかしここに来て5年にもなる。幼い子供を外に出すとは、色んな意味合いがある。
「今頃ですか?」
「だいたい想像がつくだろう」
「給金が上がり、家へと送られた分がある程度貯まった。次により高値に売りつけようとしている。ってところですか」
まだ幼い子供を売り、さらに食い物にする親なのか。
「それと両殿下とどういう関係が?」
直球で聞く。回りくどいのはいらない。
「とある貴族から、使用人という名の奴隷を買っている」
「…」
とある貴族、言わずとも予想は簡単につく。
思わず陛下の顔を見据えてしまう。
陛下は額に手を当てると、さらに溜め息をついた。
また面倒な事をしてくれると悪態をつきたくなる。まだ先の事とはいえ、跡目争いを始めている2人。
おまけに、人攫いや強盗が横行している。派閥まで作り、大事になってきている。
その最中に当人がやらかすとは、かなりの迷惑だ。
「どちらもですか」
「分からん…、上手くごまかしているようだ。どちらかが動いているのは掴んでいるのだが、恥ずかしながら分からんのだ」
分からない?そんなことがある訳がない。
しかし何よりも、国王直属の諜報部隊は優秀だ。『分かりませんでした』など、そんなお粗末な結果を報告などしない。
ルイを呼び寄せ、侍女であるマリーの件を調査させ内密に処理しろということらしい。王族たる者がかかわったら、名も名誉も地に落ちるだろう。
下剋上の世の中だ。もしもの事だとて考えるだろうし、最悪、切り捨てることもあるかもしれない。
しかし、気になる点もある。何故、ルイの臣下にこだわるのか。陛下直属を出せば、すぐ片付くはずである。
「マリーがこちらの侍女だとしても、どうして私なのですか?」
今までいろんな大義名分を付けて、面倒事を押し付けられた。陛下だからこそ、ルイも素直に応じてきたのだ。
マリーの件とて動かなくても、報告だけもらえれば済むというもの。
陛下はルイの顔を見て、気まずそうにした。
「ロラウドに…、いや息子を誑かしていた男がいた。世間知らずな息子に、一度その甘い蜜を吸わせればどうなるか…。今の現状がそれよ」
「その男とは」
「長身で、銀の髪をしていたそうだ」
バンっとテーブルを両手で叩いていた。
叩いた手が、じぃんと痺れている。
「……、そんな事が出来る訳がないでしょう」
恐ろしく声が冷たくなる。
感じたことない激しい苛つきが、握りしめた拳を震わせる。
彼女をこれ以上、傷付けるな。
「それしかあるまい。騎士をどれだけ出したとしても意味がない」
「……」
見開いた目は怒りを通り越し、次第に表情が消えいく。
「ならば私も同行します」
「ならん」
「何故です」
「お前に何かあっては…」
「それほど危険なところへ、部下を向かわせることは出来ません」
今までとは比にならないと言っているのだ。
あの存在があるからこそ、ルイに頼ったと物語っている。
「お前にしか頼めぬ。あの娘にしか出来ぬ」
足早になっていく。
体中の血が煮え、それでも足りない。
今まではただの茶番だったのだ。
長い時間をかけ、この瞬間を待っていたように思える。
全部、一本の糸に繋がっていた。
こんな事が出来るのは、この世に1人しかいない。
「キール、先に戻っていろ」
「分かりました」
どうしてとは聞かない。弟のキーグも同じだ。
ルイの側近となり護衛になった。絶対的な信頼を寄せているし、もう家族とも言えるだろう。それ程の時間を共にすごしたのだ。いつもちゃんと分かっているからこそ、今は何も言わない。
王宮の西側に建つ西宮の3階に戻ると、応接室の反対の扉をバンっと乱暴に開ける。
そのままカッカッと足音をたてて中に入ると、ドサッと長椅子に座った。
「ご機嫌が悪い様だな」
足を組み片肘をテーブル、手は顎に、優雅に茶を飲んでいる女がいる。この部屋の主である、宮廷大魔術師だ。
「気長なことをするんだな」
視線を外すことなく、両手を組み顎をのせる。
刺々しく、今にも食らいつくしそうだ。
「何のことだ」
飲んでいたカップをテーブルに置くと、少し緩んだ目元はルイを挑発しているように見える。
「お前が仕組んだんだろう。先読みはいつからしていた?何年かけて今を視た?あいつを利用するためか」
「…」
「教えろ」
「だから何をだ」
知らぬ存ぜぬを通しているムーランに、ポツリとつぶやいた。
「やっと少し、笑う様になったんだ」
息を吸い込むと、目線を下げながらゆっくりと吐く。
ルイがユズをこの王都に連れて来て、半年以上はたつ。
寒い時から暑い時に変わっていた。あの存在だ。監視の意味合いもあったが、そんなものは初めだけだった。する意味もなかったからだ。
ユズはあまり感情を表に出さない。いや出せないのかもしれない。言われた事には丁寧に答えるが、自分から話す方ではなかった。周りからは無愛想などと言われている。
また、突然連れて来たユズを侍女ならまだしも、側近として迎入れた。護衛の任につけたのが他の者の気を触ったようだ。
もちろん実力を伴う。知らない他の所属の騎士から、練習の名のつく試合を申し込まれていた。
結果は言うまでもない。あたり前だろう。
キールとキーグでも場合によっては、一本取られるぐらいなのだから。
一番はこの部屋の主であるムーランと、その弟子のアルベルトにしごかれても泣き言とをあげない。そもそも付いていける者は、ごく僅かだ。
そんなユズが、日常のたわいないことだったのだが、初めて声をあげて笑ったのだ。お茶の味が甘いだの違うだの、くだらない会話。それを見て、目にうっすら涙をためて声をあげて笑った。幼さを残す、可愛らしい年相応の感じで。そこにいた皆が驚いて目を丸くした。笑った本人も、周りの反応の方にびっくりしていた。
そんな彼女を見て、少しでもここに溶け込んでくれたようで喜んでいたのに。
椅子から立ち上がるとムーランは、窓側に移動する。
「賭けだった」
「…」
何も答えずにずっと見ていると、窓側にある本棚から古ぼけた冊子を取り出した。中をパラパラとめくり、目を細めている。
「500年前、力を取り戻してもおかしくはないだろう」
「生きているとでもいいたいのか」
「何を言っている。私が生きているのだぞ」
ムーランの年はそのままではない。アルベルトもだ。
魔導士として、この国建立間もない時から存在していたとか。
知る者はもう、おそらくいないだろう。
「私とアルベルトでは、根本的に無理なんだ。50年前ぐらいから気配はしていた。その頃から先読みをしていたが」
「そんな前から」
「もうひとつ…あった」
「あった?」
開いたページを見せる様にテーブルに置く。
世に彷徨う扉よりいでし
2つの異なる琥狼が現れる時
終焉をもたらす混沌か
来世を繋ぐ混沌か
問いかける
是か非
数多ある心が指し示すものが導く
是とするか、非とするか
ひとつにならぬ、ふたつの混沌
数多の心が指し示す
やがて溶かし、真実を見るだろう
どうか願う
違えることなきよう、真実を見間違えぬよう
この世のすべてを託す者よ
声に出してムーランが読む。伝承の一節。
誰が残したのか分かっていない伝承。口伝のみで伝わったものを書き残したもの。書いた者も誰かさえ分かっていない。
「鍵はお前だ」
「?」
何を言っている?
「修道院で現れる先読みをしていた。しかし、どっちに傾くか分からない。そもそも、現れるかも分からなかった」
何を言いたいのか分からない。
「お前の存在が、私の先読みに力を与えている」
「待て、50年前は俺は生まれていない」
「すでに分かっていたことだ。確定している先読みに手出しは出来ない。変えてしまったら、死ぬのは私だからな」
椅子に座ると、お茶を口にする。
「不確定なことに、俺が関係しているのか?」
苦笑いをしながらムーランは、ため息をついた。
「お前が生まれたことで、もうひとつの世界から、この世に来ていた何かが繋がりを持った。それを時間をかけて、ここへ引き寄せたんだろう。だから陛下にお前を、関わりがあることに全部に、お前本人を派遣させたんだ」
「…」
「きっとお前、ルイがいれば私の先読みの賭けは、是になるはすだと」
とんでもない時間をかけて、今を導き出したとでも言うのか。
「それで俺がユズを引き寄せたというのか?…琥狼として、変えてしまったのか。俺が生まれたから、今が始まってしまったのか」
「違う。どんな形であれ、ユズはこの世界にいたはずだ。不完全な者が先にあれに会ったら、どうなると思うか?伝承のことばを用いるなら、終焉をもたらす者になるやもしれん」
強く握りしめた手は、行き場を失う。
どうすればいいのか、分からない。
「もし、俺がユズとは会わなかったら、見つけられなかったら、どうなっていた」
「陛下は息子を切り捨てていただろうな。そして私の賭けは、失敗に終わっていた」
どうであれムーランの手の平で、転ばされていたようだ。
引き返すことも出来ない。ただ前に進むだけ。
「アルベルトとジルも同行させる。いざという時は、私も出る。ユズなら大丈夫だ。お前が思う程、弱くない。笑える様になるぐらい、ルイや私達を信頼し始めてくれたんだぞ」
それがどうした。信頼したからって、危険と分かって対面させようとしているんだ。苦しい思いをまたさせようとしているんだ。
「お前の言いたい事は分かる。しかし、現実はこれしかないんだ」
「……」
選択の余地はなかった。
こんなにも自分の無力さに、打ちのめされたことは、なかったかもしれない。
「分かった。でも、条件がある」
「なんだ」
睨み付けながら、ムーランにいう。
「ユズには本当の事をいう。嘘は言わない。承知の上で任務として行ってもらう」
執務室の机に視線を移してから、ユズは何かを考えている様に見える。僅かに体が震えているようにも見えた。
「分かりました。承知の上で任務にあたります。それでは用意がありますので、失礼します」
ユズは執務室を後にする。彼女の顔は普段よりもさらに、表情がなくなっていた。




