第4話 王都と直属
地理や役職は想像上です。
思わず勢い良く起き上がってしまった。
大きく息を吐く。ベットに腰掛けると、もう一度息を吐いた。
あれからどれくらい、たったんだっけ?
与えられた部屋を見渡し、贅沢だと思う。
ベットから立ち上がり、窓を開けると枠に足をかける。そのまま左右の窓枠を掴むと、ひょいと地面に降りる。部屋は3階だ。これくらいならまったく問題ない。
身体能力が著しく上がってしまったようで、自分でも自分じゃないみたいである。しかし、それが今の存在だ。
欠けたものがあるが、普通に動けている。色を失くした左目は、どうしてかうっすらと物や人の存在を映し出していた。白黒ではあるが、生活には支障がないぐらいである。
もう一つ問題があった。
ここに来てから、名前をまたしつこく聞かれた。答えても意味はないと言ったのだがダメだった。仕方がないので答えた。
『ユズキ・タチイ』これなら分かりやすいかなと。声に出すと記憶というものは、思いだしたくなくとも浮かんでくる。どこへ行こうともついて回る。しかし、どうしても大事なことだと言われれば従うしかない。これからは、『ユズ』と名乗れとも言われた。
部屋がある窓側、王宮全体から見ると北側になる。
裏側には大きな池があり、その中央はちょっとした休憩所になっていた。池の真ん中がテラスの様になっており、丸いテーブルと椅子が2脚ある。
そこから右側(東)は、私的な練習場だ。日中なら、誰かしらが汗を流しているだろう。
逆に左側(西)は騎士団の宿舎で、その先は団員の鍛錬場や詰所などがある。
今はまだ夜だ。空には星がキレイに見える。
前の星の位置なんて覚えてないけど、なんか違う気がするな
そんな事を思いながら、テラスがある場所まで歩くとそのまま地面に座った。眠気が覚めてしまって寝られないならとここへ来た。めったににこんな時間に人は来ない。
夜空を見上げていると、ガサっと音がする。横に誰かがどかっと座り込んだ。
「どうしたんだ?眠れないのか…?」
部屋着に上掛けを羽織ったルイが話しかける。
ぎょっと思わず横にずれて頭を下げようとすると、腕を掴まれて座れと引っ張られた。職務を離れているとはいえ、仕えている主である。
「えぇ、ちょっと」と曖昧な言い方をした。
「うん?」
どうやら話を聞こうという体制に入ってしまったようだ。
どうしようか…と頭に中で考えをめぐらせる。まぁ、ごまかすにはと思考していたといっていいだろうか。
…一つ思い当たることがある。
「先日、とある令嬢にあなた様の女性関係を尋ねられました…。返答に困ってました。マリベル様にお伺い致しましたが、明確な答えを頂けなかったので、どうしようかと思案しておりました」
嘘ではない。本当のことである。
でも…事実じゃない。
隣を見ると、主は途端に嫌そうな顔をした。
そりゃそうだろうな。いつの世も罪作りな方はいるもんだ…。ほんとに嫌味なくらい美しい顔立ちだ。
誰でも想像できよう。笑えるぐらい定番な展開だ。
「おまえなぁ…。そんなこと聞くなよ」
大きなため息をついていた。このお方は、その手の話が嫌いでる。実際に、知らないので聞いただけである。ああも激しく詰め寄られ、自分を紹介しろと迫られては怖いものだ。
これなら上手くごまかせるかと思ったのだが、そうはいかないらしい。
「確かにマリベルにも報告を受けた。そんなもん知らぬ存ぜぬで、通しておけ。で、どうして眠れない?」
「……」
無言が答えになってしまう。じいっと見られている。
大変に居心地が悪い。思わず目を反らしてしまっていた。
「夢をみたした」ポツリとつぶやいた。
「あぁ」相槌をうたれる。
「あの時のことを鮮明に思い出しました。ここに来て不思議と忘れていました。自分がこんなに普通でいた事にも今になって驚きで、眠れなくなりました」
頭の上に大きな手を乗せられ、ぽんぽんと軽く叩かれる。
え?と向き直ると、優しい笑みを浮かべていた。
「忘れろとは言わん。だが苦しむことでもない。そのままを受け止めればいい。名を『ユズ』に戻せといったのもそのためだ。シスターが付けた名は、何も知らぬ頃のおまえだ。今は違うだろ?」
だから、身構えるな。おまえのままでいろ。と。
難しいことを言うもんだ。
あの恐ろし気に見られた…、あの瞳は心から消えないのだから。
結局、あの後は無言になり、2人して夜空を見上げて時間をつぶした。おまけに、ご丁寧に部屋まで送られてしまったのだ。本来ならば逆だろうと思う。
ユズはこのお方の護衛として仕えるために雇われたのてある。
今は雇われたというか、側近として仕える者になったのだ。
ちょっと色々とおかしいと思うが、言われれば従うまでである。
そして、幸運だったといえよう。ルイに会えていなければ、ユズはどうなっていたか分からない。今頃は首だけになっていたかもしれない。
そういう状況である。きっと悍ましいものだっただろう。
盗賊の死体がいくつも転がっていたからだ。咎めを受け、この世から消え失せなければならないのは盗賊ではなかった。異様で悍ましいのはユズの方だったのだから。
「おはようございます」
頭を下げ、3階の主で、お仕えするお方に挨拶をする。
「ああ、おはよう」
片手を軽く上げた。
自分の部屋を出て、廊下を挟み向かい側の大きな扉を開けて入る。中央に大きなテーブルがあり、前と後ろには長椅子が置いてある。どれも豪華であるのは一目瞭然だ。
その部屋を通り過ぎ、右側の部屋、居間だ。
ここに居る時は、少し気がゆるむ。
「大廊下の掃除をお願い出来るかしら?」
ガチャガチャと朝食を運び入れている侍女が声をかけてくる。
四十を超えているだろうか。しかし、その容貌は衰えることなく美貌をたたえている。
波打ったブロンズの長い髪を後ろで束ね、にこっと笑っている。
うーん、十うん年前は、さぞや引く手数多だ。泣かした男の数は数知れず…。
この主にして、この侍女だ。そしてもっと、すごいものがある。
「……、ご苦労様でございます。キール様、キーグ様」
応接室を通る時に声をかけていた。
双子の護衛であり、主の側近である。
その2人が応接室の床を、ほうきで掃いていた。
ここでは日常であるが、普通ならありえないことてある。
「はい、分かりました。マリベル様」
「応接室はあの2人にまかせているから、マリーが今は台所を掃除しているから声をかけて大廊下に行ってね」
「はい」
部屋を出ようとすると、主であるルイが手でこちらにと呼び寄せた。回れ後ろして、朝食が並んでいるテーブルの前に戻って頭を下げる。
「ご用でございましょうか」
「用事が終わったら、執務室の方へ来てくれ」
「かしこまりました」
もう一度、頭を下げると居間を抜けて台所へ向かった。
向かう途中の廊下で黒茶の長い髪を両端で束ねた幼い少女が、床を雑巾でギュッギュッと音を鳴らしながら拭いていた。
「マリーさん、おはようございます。マリベル様から大廊下を一緒に掃除するようにと言われました。行きましょう」
手を差し出して、マリーを引っ張りあげる。
「ありがとうございます。お姉さま。大廊下ですね」
にこにこと笑みを浮かべ、パンパンと膝の汚れを叩いている。
黒い大きい目が印象的で、緑色のワンピースに白いエプロンがとても似合っている。
侍女であるマリーの仕事着である。マリベルも同じく服だが、袖に紋様がはいっている。
ユズは侍女ではなく部下であり騎士になるので着ているものは違う。着ているのは小隊略服(騎士通常服)である。暑い時期に入り、生地は通気性の良い物で緑色の詰め襟の上着は脱いで腕にかけていた。中は白い半袖の中着で肩にボタンが付いており、そこで止めている。ズボンは上着と同じ緑色で、半ブーツを履くのが日常である。
緑色はルイの役職、騎士団総隊長を表す色。その緑を着るという事はそれに属する者。仕える者という意味である。
この世界は色や紋様を重んじていて、知らずにそれを身に付けると処罰されてしまう。色などは独特の染め方をするので、滅多に同じ物は出回ることはない。
もう一度応接室に入り、廊下に出る。
双子の騎士は、テーブルやドアを拭いていた。頭を下げながら通り過ぎて、よく働くなぁ、と思い残りの掃除を始めた。
「朝からいつも大変だな」
そろそろ終わろうと思っている時に声を掛けられ振り返った。黒とも間違える紫の長い髪を流したままにし、踝に届く程のロングの体にピタッと貼り付いたワンピースを着ている。目も同じ色で首飾りに緑の石の物を付けていた。色気の漂う美女でルイも化粧して2人揃って外を歩いても、誰も1人が男だと気付かないだろう。
そんな事を考えていると、小冊子がひょいと飛んできた。びっくりしてユズは思わず持っていた雑巾を落としてしまっていた。
「何やってるんだ」
笑いながら応接室の扉を開けて、読んでおけと言うとさっさと行ってしまった。
「師匠…」といつも突飛なんだからと小冊子をめくると、またもやこんなものを、ぞんざいに扱ってもいいのかとユズは大きく溜め息をつく。
「ムーラン様は、いつもの通りですね」
落ちた雑巾を拾うとくすくすと笑っている。大あくびをしながらさっさと行ったムーランに、変わらないですねと小声で言っている。しかし、彼女はこの国唯一の宮廷大魔術師であり、その実力は他国をも脅かす存在でもある。この大魔術師がこの王国に腰を置いているのかは、誰も知る者はいなかった。事実を知るのは、ほんの僅かな者だけ。
この魔術師にユズは連れてこられてから数ヶ月間、特訓という名の地獄を受けた。自分の能力をまずは把握することが大事だと。終わった後はいつも、食事さえとるのを忘れるほど疲れ果てる。たまに来た弟子のアルベルトにも教えを受けた。
疲れというものを知らないのか、師匠と師匠いちの感覚はズレている。やはり何とかは友を呼ぶ。いや、何とかは同じ者を呼ぶである。




