第3話 本当の名前
馬に乗った青年が大きくため息をついた。何度目のため息だろうか。
出来ればこのまま、何もせず馬で草原を駆けていたい…。
そんなことを思っていた。
青年が仕えるこの国、現国王たる王子2人が跡目争いをしている。周りの貴族達や官職に就く者を巻き込んで、派閥を組み始めていた。派閥同士で小競り合いを起こし、それに乗じて国中で人攫いや強盗が横行し始めていた。
何故、兄弟で協力しようとしないのか。陛下も止めもしない
王都より一番離れた町や村、修道院から子供や女を攫い売り捌く夜盗が増えた。近くの町やその領主に属している衛兵では、取り締まる事すら出来ない無法地帯になってしまっている。
国王陛下の命で、王宮騎士総隊長である青年自ら派遣されたのだ。青年はどの派閥にも属していない。中立の立場を貫いている。
そのためか面倒事やあらゆる件に、指名される事が一番多かった。
ほんと、何とかしてくれ…、自分の子供だろっと言いたい
「総隊長様、前方に見えるのが唯一シスターが在中している修道院です。夜も更けております。今晩はそこで休ませてもらいましょう」
「あぁ、そうだな。まさかこんな所まで来るとは思わなかったぞ」
「仕方ありません。陛下はあなた様を、信頼されているのですから」
「そんなもんいらん。俺は外戚だぞ…、これ以上、孤立するのはごめんだ」
青年の後ろから2人の騎士が話しかける。顔立ちが良く似ており双子の様だ。
前にいる青年を護衛するように付いている。青年の前には4人の騎士達が先導していた。
嫌な夜だった。
夜も更けているのにもかかわらず、生暖かいまとわり付く様な風が吹いている。時期はずれとも思える。
先導している騎士達も馬から降りて、前方に見える修道院を、目指して歩いている。
胸騒ぎがする。何とも言えぬ感覚が、全身を駆けめぐる。
青年は小走りで修道院の入口に辿り着く。
壊された扉が見えた時には、「皆、走れ」と号令を出していた。そして扉の前に、青年は愕然とする。目の前に娘がいた。
美しく輝く白銀の髪。僅かに緑みをおび、存在感を示している。瞳は暗闇の中で琥珀色に光る。
何よりも無表情で無機質な目。まるで虚空を見つめているよう…。冷ややかな切れる様な美しさが、その場を圧倒した。
虚空を見る瞳が真っ直ぐに青年を見据える。どくんっと心臓を鷲掴みにされたように目を逸らせなかった。
頭の中に、ある伝承が浮かび上がる。
「…琥狼だと…」
かつて500年程前に存在していた者。伝承でしか残っていない。誰か伝えたのかも残っていない。
その存在が、まったく同じ容姿がそこにいる。
しかし、異質であった。目の前にいるその娘は、少女と女の間だろうか…、手には剣を持っている。
血が付き、滴り落ちている。剣も美しい青。澄んだ海の様に、また深みのある濃い空の色、紺碧のよう。
その場で始めに動いたのは、床に座り込んでいた女だった。
黒い長い丈の服を着ており、シスターだと思われる。
「どうか、ご容赦下さいませ。この子が助けてくれなかったら私共は殺されておりました。子供は攫われていたかもしれません。どうか…、この子を、殺さないで下さい」
青年の前に走り寄り、おでこを床に付ける様に頭を下げる。
はっと我に帰る。そして、この惨状を目の当たりにした。
今にも縋り付く勢いのシスターに頭を上げさせると片膝を付いた。もう一度、目の前の娘に視線を合わせる。
何も言わぬ娘は、青年とシスターをずっと見ていた。そのまま振り返ると歩き出す。そして床に横たわっているまだ若い女の前まで来ると、両膝を付き体を半分抱き起こした。
ほんの一瞬だったが、無機質な目に感情が宿った様に見えた。
「サランはもうすぐ結婚するはずだったのですか。シスター見習いに上がるはずだったのですか」
誰に聞くというわけでもなく問いかける。青年の前にいたシスターが娘に振り返り答えた。
「そうよ。王都で式を挙げ、修道院本部へ移る予定だったわ」
「…、予定だった」
その場にいた者が、娘の行動に度肝を抜かされる。
誰ひとり止める事おろか、動く事も出来なかった。
左腕でサランと呼んだ女を抱える。右手は娘の左目に当てていた。右手に琥珀色の丸い光が、目から吸い出される様に出てくる。
「代償は左眼」
右手の手のひらに浮く、光る琥珀の球体。それをゆっくりとサランと呼んだ女の胸元へと近付けると、スーッとそのまま胸の中へと溶けるように消えていく。
やがて動きを止めた胸が上下にゆっくりと動き、鼓動し始める。
両手で抱え直すと、ゆっくりと立ち上がる。
そのまま前にある部屋へ入ると、中で布のかすれる音がした。
時間などほんの少し。出てきた娘は何も抱えておらず、さっきの女は部屋で寝かされているようだ。
やっと体が動いた青年は娘の前まで歩いていく。
娘は真っ直ぐに青年の顔を見つめる。娘の左眼は色を失っていた。失ってもなお、淡く白銀に光っている。
「お前は何者だ」
この言葉しか思い浮かばない。
「…」無言のままだ。
娘の手には、もう剣は握られていなかった。そのまま両膝を床につけると、頭を下げた。何も抵抗しないと態度で表している。
「お願いします。騎士様、この子をクリスを、罰しないで下さい」
入り口の近くでシスターが泣きながら訴える。助けて欲しいと…。固まり震えていた子供達は娘の側までくると、青年の前に両腕を伸ばしキッと前を睨みつける。ただ目の前で首を落とされた男を見た若い修道女見習いだけは、錯乱したまま戻らず「化け物」と繰り返しぶつぶつと小言をしゃべっていた。
「ありがとう。でも、みんな下がっていて」
子供達が振り返り娘を見るとそれぞれ抱きつき、わんわんと大声で泣き始めた。それぞれの子供達のあたまをなでてやっている。
…姿が、変わってる…。これが、さっきまでこの場を圧倒した娘か?
白銀の長い髪、琥珀の瞳は消え失せ、赤茶の短い髪に緑の瞳をした少女がいた。やや大人になりかけで、まだ幼さを残したクリスと呼ばれた娘がそこにいた。
しかし青年の心臓がまた、どくんと大きく鼓動する。
鷲掴みされた様な、あの感覚とはまた違う。
「ルイ様」
いつの間にか、双子のご護衛騎士がすぐ後ろにいた。
「す、すまない」大きく息を何度か吸うと、気持ちを落ち着かせる。
しっかりしなければ。俺は何のために、ここに来たのか。
ちゃんと考えねば。
「ムーランを呼べ」
首にかけていたそれを手で引き千切ると、後ろの2人に渡した。呼べばすぐ来ると。と。
青年ールイは、子供達と同じ目線までしゃがむと、
「大丈夫だ。何もしない。だから、話をさせてくれないか?」
怖がらせないように、少し笑みを浮かべながら子供たちに言った。少しの間、娘の側からルイをじっと見ていたが、ゆっくりと立ち上がるとシスターのいる入り口の方へ歩いていく。
もうあの圧倒感はない。ひとりの娘がここにいるだけだ。
だが紛れもなくあの姿は、伝承通り琥狼と呼ばれる者。
間違えるはずもない。
ならば…、あるはずだ。
「本当の名は、何というのだ?」
本当の名前はと聞かれ戸惑う。忘れる訳はないが何故この青年と思われるこの人は、そんな事を聞くのかと思う。
そして今まで何をしていたのか、もちろん覚えている。どうしてそうなったかは分からない。
ただ本能というべきだろうか?そうすべきだと感じた。
結果は、この有り様を見れば分かるだろう。
目の前にいる、この身分が高そうなこの青年達が何故いるのか分からない。
分からないことだらけだ。
少し頭がぼんやりする。立っているのも苦しくなる。
「もう一度聞く。本当の名はなんというのだ」
クリスより頭二つ程に大きい青年を見上げる。
じっと視線をそらすことなく見据えて、話すのを命令することなく待っている様に見えた。
「…ユズキ」
「それが本当の名か?」
「たぶん伝わらないので、短くしました」
「伝わらない?」
「ええ、通用しない名です。だから、分かりやすい方でいいました」
そうかとつぶやく様にいうと、青年はクリスに近づいた。
「俺は、ルイ・フォンシード。王宮直属の騎士団総隊長だ。
後ろにいるのは直属の部下と第二騎士団員」
前に出るなと手で制し、青年ルイはクリスこと、ユズの肩に手を置いた。まるでクリスという名前は、もう名乗るなと言っているように思える。
「お前をここに置いていくわけにはいかない。分かるな。もちろん処罰もしない。ひとつ聞きたい。さっきの修道女はどうなったのだ?」
「さっきの?」
「左眼を代償にしただろう…」
手を左目に当てる。
サラン大丈夫だろうか。
彼女に触れた時に、記憶が流れ込んできた。
幸せそうな表情で寄り添う二人の姿が…。シスターリリーにシスター見習いに昇格したことを話す姿が。それを奪ったと分かった時、自分を責め許せなかった。何とかしたいと彼女を戻したいと強く思った。
"代償を差し出し願いなさい。必ず、その願いは、聞き届けよう"
誰かは知らない。戻してくれるというなら、何でもやる。
疑うこともしない。そうするしかないのだ。
だからユズは左眼を代償にしたのだ。後悔も何もない。
「眠っています。たぶん…」
体がぐらりと傾く。
意識を保っていられなかった。
前のめりで倒れていく。
その時、誰かの腕に支えられた気がした。ゆらゆらと浮遊感がして完全に目を閉じてしまった。
その後、盗賊は駆け付けた騎士達によって討伐された。
修道院側には誰一人、死者はでていないと、報告されていた。
ある者が、事実を置き換えた。
一部の者だけの、真実の記憶だけを残して。




