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暗い路地裏を5分ほど歩いて、ヒバカリさんは小さなガレージの前で足を止めた。


周囲に人気が無いことを確認して、シャッターを開ける。


小ぢんまりとした入口の印象とは裏腹に、建物の中は広々と奥行きがあり、ちょっとした工場のようになっていた。


車の部品のようなもの、それを弄るロボットアームのようなもの、バールのようなもの…。


様々な機器が立ち並ぶ屋内は、物の数のわりには意外にも整然としており、家主の几帳面な性格が伺える。


ここが、ヒバカリさんの家…?


「ヨシノくん、少し待っていてくれるか」


そう言って、ヒバカリさんは入口付近の壁に手をつき、


「ハル、俺だ」


『…君、なのか?』


どこからか、機械を通した声がした。


と、天井からカメラ付きのコードのようなものが、まるで樹上から首を伸ばす蛇のように降りてくる。


「ハル、防犯意識の高さはお前らしいと思うが、久しぶりに旧友が顔を見せたんだ。オモチャじゃなく、生身に挨拶したいんだが?」


『…こっちだ』


機械の蛇が首をしゃくり、ガレージ奥を指す。よく見ると、フロアの端に小さなドアがあった。


どうやら作業場の奥に居住スペースがあるようで、私たちは蛇が促すままそちらに向かう。


ドアの前に着くと同時に、中からひとりの男性が姿を現した。


パーマなのか癖毛なのか、軽くうねった髪を後手に束ね、丸眼鏡をかけた細身の男性。

あごに軽く髭を蓄えているけど、羽織っている丈長のカーディガンも相まって、何となく中性的な印象だ。


普段なら優しく柔和な雰囲気であろう彼の表情は、眉間に皺が寄り、怒りと驚き、そして疑心で満ちている。その目は、ヒバカリさんのみに向けられていた。


「…久しぶりだな、ハル」


「…どうやら、本当に君のようだね。久しぶりなんてもんじゃない。5年も、どこに消えていたんだ?」


「すまない、寝坊したんだ」


「ふざけるなよ!?あんな消え方して、僕がどれだけ心配したか…」


「すまなかった。悪気があったわけじゃあ、無いんだが…」


ハルと呼ばれた彼は、どうやらヒバカリさんと旧知の仲らしい。


5年前…に、何かあったのだろう。堪えかねた、といった様相で、感情的に詰め寄っている。


ヒバカリさんは対照的で、頭を掻いて「まいった」という感じだ。


「僕だけじゃない、オワセだって…。どこを探しても、足跡ひとつ見つからなかった。オフィスからは君のデスクが撤去されるし、青野さんは何を聞いてもダンマリだ。挙げ句の果てに、先生までいなくなって…僕らは…僕は……くそっ、一体どうしてたんだよ」


「すまない。その、なんだ…寝坊だ。寝てたんだ」


「君…まさか、喧嘩をするためにここに来たってのか?」


「違う、そうじゃない。俺にも上手く説明できないが、あのときは、まさかこんなに長くなるなんて思っていなかった」


ハルさんが真っ赤になる。


「説明しろよ。上手く説明できないだなんて、そんなことで納得できるか」


「謝るよ。だが、俺もこの件には困惑しているんだ。説明は期待しないでほしいが、話をさせてくれ」


ヒステリックに食ってかかるハルさんと対照的に、ヒバカリさんは心底申し訳なさげでありながら落ち着いており、この友人をどう宥めたものか適切な答を探しあぐねているようだ。


なんだか、痴話喧嘩でも見せられている気分。


その様子はまるで、無断の朝帰りを平謝りする夫と感情的に心痛を爆発させる妻のようだ。


このまま蚊帳の外に置かれ続けても困るので、


「あの…2人は知り合い?」


ハルさんがハッとした顔になり、咳払いをして眼鏡の繋ぎ目に手をやり、クイと上げる。


ヒバカリさんは、何となくバツの悪い表情だ。


「…ごめん、気を遣わせちゃったね。ヒバカリ、この子は?」


「ああ、メッセージで伝えた通りだ」


ハルさんは私の顔をまじまじと見て、今度は意外そうに目を見開いた。


「じゃあ、染井先生の…」


「お父さんを知ってるの?」


「知ってるも何も、先生は僕の元上司…いや、師匠みたいな人さ」


今度は私が驚いた。


あの人見知り激しい父に、師匠なんて言って慕ってくれる部下が?


自宅で物静かにしていた姿からは、とても想像できない。少なくとも、私は父の友達にすら会ったことが無いのだから。

それこそ、結婚して子供を作れたことが奇跡と思えるくらいには、人付き合いから縁遠い人だったはず。


「まあ、それほど長く一緒に働いていたわけじゃないんだけどね。3年くらい、かな。僕は、財善で先生の部下だったんだ…もう、5年も前になる」


「5年前…ヒバカリさんとも、当時から?」


蒸し返してしまった。


ハルさんは言葉を詰まらせ、ヒバカリさんを一瞬見やると、口をもごもごさせて咳払いした。


「そう…そうなんだ。自己紹介がまだだったね、僕は新川春彦。こいつ…ヒバカリとは、腐れ縁でね。大学の頃からの付き合いで、財善にも同期入社した仲だ」


「いや、それだけじゃない。こいつは俺の相棒なんだ、ヨシノくん」


「相棒だって?君の言う相棒ってのは、何年も音信不通になっておきながら、急なワガママを押しつけてまかり通る相手のことか?」


「実際、お前は助けてくれたじゃないか。染井先生から引き継いだ睦月を、俺に預けてくれた」


睦月を引き継いだ?


いまいち話が見えないけど、睦月はここに居たのだろうか。


「俺は、ヨシノくんを守らなくちゃいけなかった。お前がインガを渡してくれなかったら、今ごろ彼女は無事じゃなかったろう」


話を聞くと、やはり睦月はこのガレージに保管されていたらしい。


ヒバカリさんは、今朝方に今回の事件を察知して、ハルさんにコンタクトを取り機体を回収、私の保護に向かったのだという。


「あのメールアドレスを知ってるのは、今や一部の人間だけだ。あんな古いアドレスにメールを寄越すなんて、君以外に居ない。それに、少女の身が狙われているなんて書いてあったら、助けないわけにいかないだろう」


「それを信用してくれるから、お前は俺の相棒なんだ」


真っ直ぐに見据えられ、ハルさんはまた眼鏡に手をやり、クイと上げる。


「…ハル、5年前のことだが、俺は自分で姿を消したわけじゃない。心配かけたことは謝るが、わかってくれ」


「…ああ、そうだね。僕の方こそ、すまない。久しぶりに君と会って、混乱してたんだ」


ようやく、2人の(というより、ハルさんの)空気が和らいだ。


「入ってくれ。何もないけど、コーヒーくらい出せる」


そうして、やっと私たちは玄関口からリビングに通された。


ハルさんは小さくため息をついてソファに座り、私たちにも腰を下ろすよう促してくれる。


「あの、ヒバカリさん。なんで、ここに…?」


「ん、ああ…説明がまだだったな。まず、睦月のメンテナンスをするためだ」


「メンテナンス?」


「ああ。稼働したのは短時間とはいえ、なかなかに無理をさせたからな。実は、いくつかのパーツがイカれている。

あいつは、俺たちが使える唯一のインガだ。できるだけ万全にしておいてやりたい。

しかし、俺は不器用でね。それに、睦月は染井先生のスペシャルだ。修理してやりたくても、下手に手を出したら却って逆効果になる。

というわけで、先生の技術を受け継いでいて、かつ信頼できるハルに診てもらう必要があったんだ」


なるほど。私を抱えて走り回れるくらいには元気だったけど、ああ見えて睦月は傷んでいたのだ。


私としても、あの子には壊れてほしくない。


でも、


「その睦月は、どこ?」


「ああ、彼ならこっちだ」


そう、ハルさんが立ち上がり、部屋の奥に案内してくれる。


民家にしては大きくてゴツい引き戸を開けると、そこは映画やドラマで見かけるオペ室のような空間だった。


大型の精密機械が壁際に設置されており、天井からはいくつものコードが部屋の中央に向かって伸びている。


大小様々、物によっては枝分かれして、まるで空間に根を張った毛細血管。


あらゆる血管が収束する心臓部にあたる箇所、そこには手術台のようなシートに横たわる睦月のボディがあった。


開腹するように開かれたジャケットの内側には、機械の内蔵が詰め込まれている。


原理は全くわからないけど、それらは生々しく脈打っていて、とてもグロテスクだった。


インガの内部は初めて見たけど、これは本当に精密な機械なんだろう。明らかに、素人が迂闊に触っていい代物では―――


「ちょっとゴメンよ」


振り返ると、奇妙なゴーグルをつけたハルさんが立っていた。その手は、何やら骨組みのようなものがまとわり付いた手袋が嵌められている。


その異様な見た目に一瞬たじろいでしまったけど、どうやらインガのメンテナンスに必要な装備だろうことは察しがついた。


と、ハルさんは乱暴な勢いで、その骨組みつき手袋をした右手を睦月に突っ込んだ。


ガチャガチャと何かをいじる音に、時おりバチっと電気が弾けるような音が混じる。それに合わせて、AEDを施された患者のように、睦月の身体が跳ねる。


あの精密機器の塊に対して、あまりに大胆ないじり方をするので、ちょっと心配になってしまった。


「うん、これなら何とか修復できる。ふたりとも、リビングで待っててくれるかな。台所にあるものは、好きに使ってもらって構わないよ」


「ああ、少し休ませてもらおう。ヨシノくん」


ヒバカリさんに促され、リビングに戻る。好きにして良いと言われたけど、家主の知らぬところで部屋を物色する趣味はなし、私は柔らかなソファに腰をおろした。

途端、急激な眠気が。そういえば、色々あって私の心身も相当に疲れが溜まっている。


まどろみに誘われるがまま、私は瞼を閉じて、心地よい眠りに落ちていった。

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