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「君はまだ狙われている」
初対面の男性から真剣な顔でそう告げられたら、誰でも困惑するだろう。
黒インガの襲撃により、営業停止を余儀なくされたPALCO周辺の大通り。
その手前、辛くも被害を免れたものの、閑古鳥に占拠されてしまったカフェの中で、私は見知らぬ男性から警告を受けていた。
店内から大通りを見やると、キープアウトと印字されたテープの向こうで、重装備の警備員たちが慌ただしく作業している。
犯人は倒されたけど、あの人たちにとって事件は何ひとつ片付いていない…いや、そもそも何が起きたのかすら把握できていないのだろう。
私だって。
ターゲット、つまり誰よりも当事者だったにも関わらず、私には犯人の目的・意図・背景の何もかもがわからない。
…そう、ターゲットだったのは間違いないと思う。
私にだけ向かってきたロボット、助けてくれた睦月、そして何より黒インガの「ヨシノ」という言葉。
黒インガが名指ししてこなければ、いくらか現実逃避のしようもあったかも。
けれど、面と向かって名前を呼ばれてなお偶然に期待できるほど、私は楽観的じゃあない。
それでも、まだ「終わったんだ」という安心はあった。
駐車場の2階から見下ろした黒インガは、鉄製の騎士に貫かれて完全に沈黙していた。
それで、事件の幕は降りたんだと、そう安心していた。誰だってそう思うはず。
人生で初めて直面した命の危険、極度の緊張状態。そこから解放されて、埃の溜まったコンクリの床にへたり込んでいた私に、今度は生身の人間が声をかけてきた。
深緑のジャケットに包まれたがっしりとした体躯、無造作に掻き上げた癖毛、精悍な顔つき。日常で見かけたら、アウトドアマンだろうかという印象こそあれ、不審に思うような出で立ちではない。
しかしシチュエーションは、ただでさえ人の立ち入らない廃屋。非日常にも程がある体験に混乱していた私にとって、警戒しない理由は無かった。
そこにきて、追い討ちをかけるような「まだ狙われている」という宣告。
困惑する。
でも、明らかに怪しい見知らぬ男性と、アイスコーヒーを挟んで向かい合っているのは、それなりの理由があった。
彼は、睦月の現オーナーなのだ。
1時間ほど前。
黒インガと死闘を演じた睦月は、私以上にびくともしなかった。
ややあって、その様子に気づいた私は、その場における唯一の味方の異変にひどく狼狽えた。
放っておくわけにはいかないけど、女子高生に持ち運べるような重さでもない。
そもそも、持ち出したとしてメンテナンスの当てが無い。
どうしたものかと、しっかりして睦月などと声をかけていたとき、
「睦月は心配いらない。それより、ここに居ては危険だ」
そう言って現れたのが、彼だ。
「だ、誰!?」
「その警戒心は正しい。しかし、悪いが今は悠長にアイスブレイクしてる時間は無いんだ。じき、新手がここにやってくる。逃げるぞ」
手短にそう言われて、私は動くことが出来なかった。
腰が抜けて、立ち上がれなかったのだ。
情けなくも何とも無い。あれだけのことがあって、むしろ今までよく倒れなかったものだと、我ながら思う。
「あ、足が…」
「なんだ、動けないのか?」
まるで生まれたての子鹿のような私の様子に、彼は真剣な顔で辺りを見渡すと、その場に片膝をついて黙り込んだ。
「…どうしたの?」
気分でも悪いのかと思い声をかけた瞬間、今度は勢いよく立ち上がった。男ではなく、睦月が。
不意のことだったので、小さく悲鳴をあげてしまう。そんな私に
「大丈夫だ。俺が操作している」
そう言いながら、男がゆっくり腰を上げた。
「あなたが?」
「ああ。睦月は、俺のインガ…IMGアバターだ」
「どういうこと?」
「すまない、話は後にしよう」
と、睦月が私を担ぎ上げ、男と共に勢いよく走り出す。
「あなた、何者?」
「それも後で話そう。口を閉じてるんだ、舌を噛む」
そうして旧市街から抜け出した私たちは、落ち着いて話せる場所を探し、現場近くのカフェに入ったのだ。
そして、冒頭の通り「狙われている」と。
「……ごめんなさい、あなた…」
「陽計だ、陽計啓介。名乗り遅れてすまないな。君のことは知っている。染井ヨシノさん、だね?」
「え、ええ。でも、なんで?」
ヒバカリと名乗った彼は、間の抜けた私の問いに微笑み、
「それは、なぜ君の名前を知っているかってこと?それとも、なぜ助けたのか?いや、睦月を連れている理由?」
「いや、えっと…」
「もしくは、なぜ君が狙われているか?」
思わず、息を呑む。
「全部、です」
「だろうね。だが、すまない。君が狙われている理由は、俺にもわからない」
「そう…」
「しかし、誰が君を狙っているのか、それは知っている」
瞬間、脳裏に四本腕の怪物が浮かんだ。
ヒバカリさんが睦月を動かしていたように、あの黒インガにもオーナーがいる。もちろん、そのことには気づいていた。
でも、いざ「自分を狙っている人物」と認識して考えると、また違った怖さがある。
蜘蛛型ロボットでPALCOを襲撃し、黒インガで旧市街まで私を追いかけてきた、黒幕。
はっきり言って、私は誰かに狙われる謂れは無い。
清廉潔白とは言わないけど、誰かの恨みを買うなんてこと、ないはずだ。
「誰、なんですか?」
名前を言われてもわからないだろうけど、知らないよりは良い。
それぐらいに思っていた私は、ヒバカリさんの答えに言葉を失った。
「…君の、お父さんだ」