scene001_01
phase.1 World
「…要するに、課題解決こそが本質なのです。」
先生の締めくくりに合わせたように、終業のベルが鳴った。
本日はここまで、というお決まりの台詞を残して教室を後にする先生。残された生徒たちは、さほど賑わうこともなくしめやかに帰宅の準備を始めた。
というのも今日は大半のクラスメイトがオンライン受講だったので、教室には私と先生を含めて5人しか来ておらず、大した音も立ちようがないのだ。
タブレットの画面にはIMGのリモート講義アプリが表示されているけど、終礼と同時にほぼ全員がログアウトしていて、この教室以上に閑散としている。
高校2年生になって季節はすでに秋半ば。なのに未だ顔を合わせたことがない同級生がいるのは、慣れたとはいえやっぱり不思議な気分。
IMGで繋がれば今何をしていて何を思ってるのかも知ることが出来るけど、見知らぬ相手のプライバシーに触れるのは…どうしても抵抗感が拭えない。
昔は誰も人の気持ちなんてわからないのが当たり前だったのに。そう、昨日読んだ小説に書いてあった。
———私の心の中が、あの人に見えたら良いのに。
そんな恋する少女のセリフが登場したけど、ぞっとしない話だ。
心の中を見える化したIMGは、この少女の切ないもどかしさを奪い去ってしまった。
ああ、私にはこんなロマンチックな感情、一生涯味わえないんだな…。
「ヨシノ、PALCOいく?」
不意に背後から声をかけられた。
中学からの友人、浅野カオリだ。
私と違って社交的で明るく、クラスのグループチャットでも中心で賑やかにしているような子。
なんでか知らないけれど、(我ながら)そっけない私に声をかけ続けてくれている、気の置けない友人だ。
彼女は毎日登校してきているわけじゃないけど、週に1〜2回は教室にやってきて、必ず帰りに寄り道を提案してくる。
「おつかれカオリ。支度するから、ちょっと待っててね」
「ういー」
『染井さん、ちょっと』
タブレットをロックしようとしたところ、今度は画面越しに先生から声をかけられた。
「お疲れさまです、先生。なんでしょうか?」
『まだ教室なのね。帰るとき、職員室に寄ってちょうだい。あなた宛に荷物が届いているの』
「…荷物?」
『安心して。ウィルス検査はやってあるし、危険物でないことは確認済みだから』
どうやら、一瞬の不信感をIMGで読み取られたらしい。
先生はそう言ってるけど、私が変に思ったのはそんなところじゃない。
なんで、学校に私宛ての届け物があったのか?気になっているのはそこのところだ。
「わかりました。カオリ、悪いけど今日は…」
「うん、待ってるね!」
ニコッと笑って言い切る彼女からは、IMGなんか使わなくても他意がないことが伝わってくる。
ありがとう。そう呟いて、私は小走りで職員室に向かった。
「失礼します。川嶋先生いらっしゃいますか」
呼び出したからにはそりゃあ居るに決まってるのだけど、職員室に入るときはついお決まりでそう挨拶してしまう。
教室ほどじゃないにせよ、いつ来ても閑散としている職員室。その奥で、私に気づいた先生が小包みを振りかざし手招きしていた。
「これ、あなた宛に。amajunからね。でも、何で届け先を学校にしたの?」
ん?
どうやら通販サイトからの郵送だったみたいで、先生もなんで学校に生徒宛の郵送物が来たのか疑問だったらしい。
ウイルス検査と検閲を通ったので問題なしと判断したみたいだけど、なんだか怪しいな。
「…開けてみていいですか?」
「ええ、あなたの物だし」
手渡された小包みを開けると、中身は古ぼけた絵本だった。
タイトルは、オズの魔法使い。
…なんだか切なくて、だけども心が躍るような、それでいて安心するような。
そんな複雑な感情がふっと湧いてきた。
私、これ読んだことある。
「染井さん、大丈夫?」
「え?ああ、大丈夫ですよ。なんだか懐かしくて」
IMGを通して見た私が、かなり奇妙な状態だったんだろう。先生が変に心配してきた。
いや、それとも表情に出てた…?
とりあえず絵本は受け取って鞄に仕舞い、待たせているカオリの元に急いだ。
「お待たせ」
「んーん、そんなに待ってない。何だったの?」
「うーん、なんか昔の絵本。amajunからだったんだけど、買った覚えないんだよね」
「なにそれ?変なの」
「ね。でも、私その絵本読んだことあると思うんだよね」
「なにそれ?もっと変」
他愛無い会話をしながら、私たちはいつも通りの帰り道を行く。
学校から一歩出ると私は即座にIMGをログアウトするのだけど、カオリは嫌な顔ひとつしない。
この町で感情が見えない人間は、相当な偏屈扱いを受ける。
施設によっては、IMGのログイン情報がないと入れないほどだ。
まるで裸でいることを強要される気分。
孤独か過干渉かの二択を迫られたとき、私のような恥ずかしがり屋は前者に追いやられる他なかった。
もちろん本当の一人ぼっちに耐えられるわけでもなく、適度に裸を晒しているわけだけど。
だからカオリの存在はとても大きい。
IMGを全く介さない原始的なコミュニケーションに付き合ってくれるのは、彼女くらいなものだ。
心が見えないことを許容してくれる相手を前に、初めて私は素顔を晒せている。
「ねね、サイゼ寄ってこ、サイゼ」
と、カオリがPALCO近くのファミレス前で足を止めた。
「なに、お腹空いてるの?まだ15時だよ」
我が校の昼休みは、12時から13時までの1時間。まだ食後2時間ちょっとしか経っていない。
それに、カオリが登校してきた日はいつも一緒に食堂で昼を過ごしているのだけど、今日この子はハンバーグカレーなんてボリューミーな代物を平げていた。
スレンダーな子だけど、まさかアレを2時間で消化するほど燃費の悪い体質なのだろうか。
「いや、そーじゃないけどさ。ちょっと寄り道するくらい良いでしょ?」
「寄り道する前に寄り道って、アンタね…。まぁ、いいよ。付き合う、付き合う」
へへー、と笑いながら小走りになるカオリに手を引かれ、ファミレスに入店する。
平日とはいえ放課後のこの時間帯は客入りが良いらしく、店内はそこそこ賑やかしい。
運良く2人席に空きがあり、私たちは特に待つこともなくそこに通された。
「わたしストロングベリーパフェ!」
腰を下ろすか言うが早いかといったタイミングで、元気よくそう宣言するカオリ。
聞き慣れない商品名だったので備え付けの卓上タブレットでメニューを開いて確認し、そのビジュアルに驚いた。
「うわ、サイズが普通の倍くらいない、これ?」
「そりゃストロングだからね。新作なのよ」
どうやら、これがお目当てだったらしい。
あれだけガッツリとした昼食のあとに、これを選ぶのか。ちょっと引いてしまう。
「ヨシノも同じのにしなよ」
「あはは、私まだお腹空いてないから…。カオリが食べきれなかったらもらうよ」
しばらくして、カオリの前にはストロングベリーパフェが、私の前にはアイスティーが運ばれてきた。
いただきます!と、カオリが早速パフェに手をつける。
そして心底幸せそうに顔を緩ませた。
「サイコー。ヨシノも一口どう?」
「残ったらで大丈夫だよ。食べ過ぎてお腹壊さないようにね」
「残らないよ」
と、パフェをパクつきながら、カオリがスマートモブ(携帯端末)に触れてカメラを起動させた。
そして、撮るの忘れてた、と言いながらシャッターを切る。
「ねえ、その画角だと私も写ってるでしょ」
「これクラスのチャットスペースに投げちゃお」
「おい、私の許可をとりなさいよ」
この手のことは言って聞く子じゃない。
私が本気で嫌がってたら辞めてくれるだろうけれど、そこまで拒否するのも違うだろうと思うので、こういうときはちょびっと文句を言いつつ為すがままにしている。
このくらいなら、裸を晒した内にも入らない。
「あ、ヨウコが『私もヨシノちゃんとパフェ食べたーい』だって」
「はいはい、ありがとねって伝えといて」
「そのくらい自分で言いな!」
ごもっとも。
でもね、私はできるだけ放課後にIMGを使いたくないの。
カオリと二人で遊び、その様子がチャットスペースに投稿されて、レスを要求された私がやんわりあしらう―――ここまでの一連がいつものお約束みたいになっていた。
「あ、ユースケとタケシがカラオケ行ってる!あとで合流しちゃう?」
「私がカラオケ苦手って知ってるでしょ?」
「だよねー。ところでさ、ユースケちょっと良くない?アカリが狙ってるみたいなんだけど、私も気になるのよね」
なんで私に恋バナを持ってくるのか不思議だけど、カオリは中学の頃からこの手の話題が好物だ。
惚れた腫れたの恋愛事情について話している彼女は、実に女子らしくて、眩しい。
キラキラした様子を見せられるほど、私とは違うなと思わされる。私に大したリアクションは出来ないけれど、そうしているカオリは可愛らしくて、大好きだ。
「解散したあと、カオリだけでも行っておいでよ」
「いいや。今日はガッツリ買い物する日なのだ」
「なるほど、長丁場になりそうね」
「そうよ!だからこうしてスタミナ充電してんの」
驚くことにストロングなパフェが跡形も無くなっていた。この短時間に、本当に完食してしまうとは。
実のところ少しだけ食べてみたかった気がしていたので、ちょっぴり悔しい。素直に一口貰っておけばよかったかな。
「じゃー行こうか、ヨシノ」
卓上タブレットを操作して、各々会計を済ませる。
レガシーな店だとまだまだレジカウンターでの支払いがメジャーだけど、チェーン店ではこういうことができるので便利だ。
勿論IMGシステムあってのものなので、私も一時的にログインする必要がある。でも、その手間を厭うほど毛嫌いしているわけではない。
ややあって決済が完了し、私たちは荷物を持ってファミレスを後にした。
目的地である商業施設PALCOは目と鼻の先で、少し歩くだけで入り口が見えてきた。
「ヨシノ、わたし冬服ほしい」
「まだ早くない?」
「オシャレさんは新作を買うの!」
ケラケラと笑いながらPALCOに突入していく彼女を追って、私も駆け足になる。
入館してからアパレルショップ一直線のカオリは、まさしくステレオタイプの女子高生。
ちょっと勢いについていけない時もあるけど、この「ザ・女子高生」なところが、私は大好きだ。
「ダウンが欲しいのよ、今年は。絶対クるから。ヨシノも買え!」
「クるって…なんでわかるのよ」
「なんでわかんないのよ」
「はいはい、トレンドに無知な私が悪いのよ。でも、確かにダウン良いね」
でしょ?と目をキラキラさせて、店頭でニューアライバルと札付されたラックを物色するカオリ。
これ可愛い!こっちもオーソドックスで悪くない…迷うなー。なんて呟きながら、じっくり品定めをしている。
オンナノコはここからが長いんだよね。
いつものパターンなら、新作をひとつキープしたあとそのまま店内を巡回して、結局は2〜3着持ってレジに向かうことになる。
「ヨシノ、これ似合うんじゃない?」
…今日は私も何か買わされる流れみたいだ。
「んー、ピンクかぁ。ちょっと派手かな…色違いも見せてよ。カーキ色とか、無い?」
「若者が何言ってんの。絶対こっちが良いって」
「えー…じゃあ、試着してみるよ」
古くから、女児向け玩具といえばお人形と相場が決まっている。
かわいいお洋服をあれやこれやと着せ替えて、理想の「カワイイ」を形にする。ファッションというのは、その延長で自分を着飾る遊びでしかない。
そんな斜に構えた解釈しかしないから、私はいつまで経ってもおイモさんなんだろう。
おイモさんは、おマセさんにとって恰好の餌食。今の私はカオリにとって着せ替え人形同然だ。
まあ、こうして着せ替え人形にしてもらうから、私は辛うじてフツーのジョシコーセーをやっていられるのだけど。
新学期のころは、IMGを通じて男子から何度かラブレターを頂いた。ラブレターなんてのは死語だけど、デートのお誘いだったのだからそう言って差し支えないはず。
申し訳ないことに皆さんお断りしているのだけど、根性おイモさんもそれなりの「おべべ」で着飾れば、それなりにオンナノコをやっていけるのだ。
「なにブツブツ言ってんの」
「何でもないよ」
「あれ。うーん、ピンクじゃない感じ。こっち着てみて」
「はいはい…」
その後20分ほど私はカオリの着せ替え人形に徹し、結局、見繕われたミントグリーンのダウンを購入した。
カオリはというと、最初私に勧めたピンクのダウンに加えて5点ほど新商品を買ったようで、大きな紙袋を重たそうに肩から下げている。
そんなに服があって、本当に全部着まわせるのだろうか…。
本人いわく、着るから買うんだ、とのことだけれど。
「やー、買った買った。ヨシノ、今度これ着てシン大須行こ」
「シン大須かー。しばらく行ってなかったや。でもカオリ、あそこ行ったら必ず古着屋巡りするじゃない。これだけ買っといて、まだ足りないの?」
「オシャレさんは古着に行き着くの」
あれ、正反対のこと言ってなかった?
まったく、この子はどこまでも自分に正直なんだから。羨ましいけど、たまには呆れる。
というかそのお金はどこから湧いてくるのやら。
今日だけで3万円は使ってるはずだけど、まさか危ないアルバイトでもしているんじゃ…。
いや、企業自治が行き届いたこのネオ豊田で、そんなことできるはずないのだけど。
当たり前に考えるなら、家が裕福で不自由してないってところだろう。
…そういえば。
「カオリって、どこに住んでるんだっけ?付き合い長いけど、行ったことないや」
「私のうち?…どこだっけ」
思わず吹き出す。抜けてるところがあるなとは常々思っていたけれど、自宅の住所すら覚えてないのか。
「どの辺かくらいわかるんじゃない?北区とか中央区とか」
「んー…と」
と、そのとき。
フロアに甲高い悲鳴が響き渡った。
何かトラブルでもあったのだろうか?周囲の買い物客とスタッフたちも、何事かと様子を窺っている。
「何かあったのかな…ね、カオリ…」
カオリに声をかけたが、返事がない。ねえ、と返事を促して彼女の顔を見ると、騒ぎの方向を見つめて硬直していた。
嫌な予感がする。振り返り、悲鳴がしたあたりに目をやると
波が、起きた。