prologue
ネオ豊田シティの皆さん!
今日この日は、歴史に刻まれることになるでしょう。
財善コーポレーションが本日発表したIMGnet。
従来のコミュニケーションツールであるテキスト・音声・ビジュアルに、感情を上乗せして共有できる、「以心、伝心。」のキャッチコピーを体現した次世代型SNS!
ネオ豊田シティの皆様は、同社開発の外部ネットワークシステム…オリジナル・ディメンション・エリアにおいて、この画期的なソーシャル・ネットワーク・サービスを安心・安全にご利用いただけます。
アカウントの発行およびデバイスの貸し出しは完全無料。
さあ、皆さん!IMGnetを通じて、以心伝心コミュニケーションを楽しみましょう!
———6年前、限定的にリリースしたIMGは瞬く間に全国へと対象エリアを拡大し、いまや不可欠なインフラとして人々の生活に根付いている。
テクノロジーにより文字通りの共感を可能としたこのサービスは、あらゆるシーンでコミュニケーションギャップを埋めるツールとして機能した。
特に画期的だったのは、犯罪の未然防止率が飛躍的に向上したこと。
感情を含めた個人情報をビッグデータとして管理するIMGは、社会統制システムとしても機能し、危険人物の特定および監視を容易なものとした。
要するに、危険な思考をもった人間はその時点でシステムからマークされ、行動に移す前に確保される仕組みが整ったのだ。
今や人々は、システムを介して思考を監視されている。それを、当たり前のものとして享受している。
…21世紀半ば、ひとつの感染症が世界中で蔓延し、人間社会はその様相を一変させた。
有史以来、あらゆる大陸を人為的に区分してきた国家という枠組みが、ものの10年で一気に形骸化したのだ。
感染拡大を食い止めるべく、当時の各国政府は市民に断続的な外出自粛・禁止を求めた。
伴って、消費活動は抑制されて全世界は恐慌状態に。
連鎖して犯罪行為やテロ、暴動が頻発したが、もはや国家にこれを鎮静する力は残っていなかった。
極め付けは、国際犯罪組織による各国主要都市への大規模な同時多発テロ。
民間人を含む数億人の命を奪ったこのテロ攻撃は、わかりやすく人々の国家に対する信頼を崩してしまったのだ。
市民の統治システムたる政府は、あらゆる国で機能不全をおこし、それに成り代わる形で民間企業が勢力を拡大させていく。
結果として、企業による自治体が各地で発足。
国家という枠組みは、個人情報の居住地に記載するデータ以上の意味を持たなくなり、実質的には企業への所属が身分の全てを保証する社会が到来した。
…それまで国家が管理していた個人情報のすべてを、所属企業がシステムによって管理・統制する社会。
かつてのSFコンテンツが警鐘を鳴らしていた、自由意志を民間が掌握する世界を、人々は望んで形成していった。
世に開かれた混沌より、窮屈な平穏。
自由意志など幻想であって構わないから、安心して暮らせる社会を。と、人々は疲弊の果てに管理社会の実現を選択した。
感情という最もプライベートなデータを取り扱うIMGが、こともなげに人々から迎合されていったのも、当然のことと言えるだろう。
システムを介してつながることで、見知らぬ誰かは親愛なる隣人に昇格する。
人の気持ちを知るという表現は文字通りの意味を持つようになり、想いは推し量るものから確認・分析する対象に成り下がる。
そんな虚構に他ならない社会性は、誰も彼も腹を割かなければ信用できない荒野において、秩序を保つ足がかりとなった。
開発者である私にも、思い描く理想に向けて、何もかもが順調に運んでいるように見えていた。
いま思えば、間違いだった。