仮面の医院長
1ー009
――仮面の医院長――
気が付くと朝になっていてどこかの部屋のベッドに寝かされていた。
横にはメディナが椅子に座って居眠りをしている。どうやら看病をしてくれたみたいだ。
起きようとするが体が全く動かせない。
『筋肉疲労です、もうしばらくすると全身の筋肉痛が起きますが大きな損傷は有りません』
OVAの報告は簡素にして正確だ、誰のせいだと思っている?
コイツのお陰で体は能力以上の動きをさせられたので、全身の筋肉が動かなくなるほど悲鳴を上げていると言う事だ。
『俺が寝ている間に何が有った?』
『対戦相手に殴られ失神してしまったので病院に連れて来られました』
『……お前…それをただ見ていただけか?』
OVISはよく防衛行動を取らなかったものだ、パイロットの安全が最優先なのだろう?
『申し合わせの上での決闘でしたし、想定内の出来事でした。事実命に関わる損傷もありませんでした』
『あ…そう…』
どうやらOVISはヒロの生存に関して危険が有るとは判断しなかったらしい。
「ああら、目が覚めたのねよかったわ~」
鈴を鳴らすような声が聞こえた。メディナが目を覚ました様だ。
にこやかな笑顔がまぶしい、敗者に送られる励ましの笑顔だ。
「俺は…負けた…?」
「バスラ相手にあれだけ頑張ったんだもの青アザだけで済んだのは立派よ~」
げっ、アザが出来ているのか?
『全治3日程度の軽傷です、これも想定内の出来事です』
『想定を上回ったらどうするつもりだったんだ?』
『その時は運命です』
…OVISの存在意義はどこに行った。
「ほうら、立派な勲章よ~」
メディナは身動きできないヒロの顔の上に鏡を持ってきた。
鏡に映ったヒロの顔には見事な青アザが出来ていた、敗者を鞭打つのは止めてくれ。
「看病…ありがとう…」
ヒロは心により深い傷を負ってそのまま天国に行きたいと思った。
「いいのよ~、バスラにちゃんと面倒を見る様に言われたんだから~」
にっこり笑うメディナ、兎耳こそ有るが中身は普通の女の子と変わらない様に感じる。
もっともこれまでのヒロの生活では女と言えばすべては軍人である、女性と言う物を理解しているとは言いがたかった。
「あなたの服は少し変わったデザインね、脱がせてそこに置いてあるわよ」
まてよ、確か裸で殴り合ったんだよな。
「大丈夫よ泥だらけだったから寝る前にちゃんと体を拭いておいたから」
そう言えばやけにスースーすると思ったら服を全部脱がされていたんだ。
『パンツは履いていますからご安心ください』
『…助言をありがとう』
「ここは…病院?」
「あなたバスラの一発でノビちゃっうんだもの、慌ててみんなでここに運び込んだのよ~」
この世界の男はあれくらいではノビる事は無いらしい。
「ああ、心配しなくてもいいわよここの支払いはバスラが面倒を見るから、あいつが吹っ掛けたふんどし祭りだからね」
何だろう?女と言う者はこんなにも心を癒してくれる物なのだろうか?
実際この11年間軍の教育訓練を受けて来たのである、異性どころか他人との接触もかなり狭い範囲でしかなかった。
国家にとっては『敵』との戦いが全てであり、生産性の大半は戦争の為に費やされている。
市民は、下級市民と上級市民に別れ、二つの階級にはあからさまな差別が存在していた。
下級市民は単に労働の為に供されるだけで有り、衣食住は保証された物のそれ以上の贅沢は出来なかった。
各種の業務で優れた実績を上げた者だけが上級市民に格上げされる。
それ以外の手段としては兵士としての実績を上げる事しかなく、人生の全てをかけて上級市民を目指すのが当たり前の世界だったのだ。
それ故7歳を過ぎると適性検査を受けることが出来、適性が有るとされた物だけが志願して軍の教育施設に入学が出来るのだ。
しかしその中でも容赦なくふるい落とされ、ごく一部の者だけが兵士として出兵し、手柄を立てて帰還できた僅かな者だけが上級市民になれた。
『敵』との小競り合いはあちこちで存在していたのだ。
たいていは敵の宇宙船と接触し戦いが起きた場合、人類軍は圧倒的な火力の前に簡単に蹂躙されてしまうのが常だった。
そうした中、人類側の巧みな知恵で罠にかけ、『敵』の頭脳を破壊して宇宙船の拿捕を行う事例がいくつか起きたのだ。
拿捕した宇宙船からは驚く程の知識を得る事が出来た。人類が彼らと戦うための重要な技術の幾つかを奪う事が出来たのだ。
しかし敵の工業力は圧倒的であった。いくら彼らの技術を奪った所で同じ技術を敵は数百倍の生産能力で圧倒出来たのである。
人類の住む星系に『敵』の科学力を応用した隠蔽を施して、何とか人類惑星への直接攻撃には至っていない。
しかし同時にそれは人類の範図を広げる事を不可能にしていた。
人類支配圏の外側は、敵が制宙権を握っており外部への進出を不可能にしていた。
境界線での小競り合いによって拿捕された敵のデーターから、敵の本拠地と思われる星系の情報を得る事もあった。
数百年前から人類は何度も敵の本拠地と思われる場所への攻撃を繰り返してきたのだ。
人類の科学力は『敵』に依存し、極端に兵器に偏った生産能力によって戦争を遂行している。
何故戦うのかその目的すら不明確なまま人類は『敵』と戦う為に存在していた。
『戦わなければ人々はもっと幸せに過ごせたのだろうに?』
『その思想は反社会的思想です、敵の侵攻により人類は滅ぼされます』
『俺たちの社会は2000光年先だ帰れる保証はない、ここまで来てその社会に義理立てする必要も無いだろう』
『……………………』
そうだ、俺は人類の為に戦ってこの星に落ちてきた、帰還の望みが無い以上ここで生きていくしか無い。
俺の政府はもはや何の支援もしてはくれないし、上級国民への昇格の約束は反故にされてしまっている。したがってOVISの力を借りても文句を言われる筋合いはないだろう。
しかしOVISの支援を受けて戦いながらも、それを上回る身体能力を持つのがこの世界の住人らしい。
そんな世界の中で俺は一人で生きて行けるのだろうか?
ヒロが目を覚ましたのを見てメディナはやれやれと思った。
あのヒロの動きを見て流石にこれほどもろいとは思わなかった。普通の男であればあそこから反撃に出るものなのだ。
殴ったバスラが逆に慌てていた位なので、みんなでこの病院に連れてきた。
バスラが残ると言ったのだが、メディナは自分が残る事にした。
こう言った事にとことん向いていないのがバスラと言う男だからだ、多分部屋の隅で大いびきをかいて寝ていただろう。
それだけでは無くヒロの事が気にかかったのと……やはりこの男の後ろには何かがいる。
メディナがじっとヒロの顔を見ている、いや何となくヒロの後ろを見ているようだ。
「どう…した」
「あ、ああごめんなさい、何かあなたの後ろに誰かがいる様な気がして」
…なんだ?OVISの気配を感じたのか?
ヒロは冷や汗を流す。亜空間にいるOVISを感知できる技術は亜空間技術による物だけだ。
もしかしてここの種族には亜空間を感じる能力があるのだろうか?
「喉が乾いていない?食事は出来る?」
「体が…動かない」
痛みはまだ無いが、体に全く力が入らない。
『脳、並びに脊髄に損傷は見られません、極端な筋肉疲労が原因と思われます』
ありがたいOVISの診断が下される。安心して寝ていろという事らしい。
「いいわ、私が飲ませてあげる」
メディナは俺の上体を起こすと水を飲ませてくれる。
きれいな顔が目の前に見え良い香りが鼻腔をくすぐる、こんな経験は軍隊時代には一度たりともなかった事だ。
ええい!全身筋肉疲労でも一か所だけは元気な様だ、静まれ我が息子!
…いちにいさんしいごおろくひちはち!だるまさんが転んだ!だるまさんが転んだ!
『回復は順調な様です、すぐに筋肉疲労は治まるでしょう』
『うるさい!』
「バスラ…強い、みんな強い?」
「負けたことを気にしているの?そうねえあなたの種族は知らないけど犬耳族はみんなあんなものよ」
やはりあの男は特別ではないらしい、本当にあんな連中がゴロゴロいるのか?この世界は。
「大丈夫よ得て不得手が有るけどみんなその中で生きていくんだから、それより食事はできる?」
食事と聞いて腹が大きな音を立てる。昨日から何も食べていないのだ。
メディナがくすっと笑って食事を乗せた盆を持ってきた。
「はい、あ~ん」
スープをよそって口に入れてくれる。格好悪いが手足が全く動かないので仕方がない。
歯を食いしばっていたせいか顎の筋肉の動きもおぼつかない。
「……うまい」
食事はうまかった。軍の糧食よりずっとおいしく感じられる。
『美味しい食事は生活の余裕の表れです、生活に窮していれば栄養摂取が優先され味は次善のものとされます。これまでの街の様子から文化度はそれなりに高い事がうかがわれます』
珍しくOVISが口上を述べる、パイロットの精神安定プログラムだろうか?
『要するに人類宇宙軍の文化程度はこの街以下という事か?』
『上級市民になれば、自由糧食、自由繁殖、自由移動が保証されます』
『そいつはここでは十分保証されそうな気がするがね』
『…肯定、しかし自由繁殖に関しては懐疑的』
「なぜ…看病?」
何故彼女がヒロの看病を引き受けたのだろう?ヒロはメディナに尋ねる。まあ、バスラやアラークがいたらむしろ怖いが…。
「ん?ああ、あたしの事?」
「ん……」
「アラークに言われてね、バスラも熱くなりすぎたって言ってた、あんたそんなに強そうじゃなかったしね…」
完全に同情されている…情けない事に。
「思った以上に動きが良かったので、受けるつもりでいたのが本気になっちゃったのよ。アイツそういうとこ馬鹿だから」
そんな話をしながら彼女はヒロに食事を食べさせてくれた。
頼むからそんなに近寄らないでくれ、息子の事がばれてしまうじゃないか。
なんだろうこんな感じは軍にいた時にはなかったなと思う、とても心が安らぐ感じだ。
「お食事中失礼いたします、回診で〜す。ヒロさんお加減はいかがですか〜?」
白いワンピースにベールをかぶった兎耳族の女性が入ってきた。
現代的に言えば修道士のシスターの格好に近い服装で、ベールから兎の耳が飛び出している。
手にバインダーのような物を持っていて、おそらくはカルテであろう。
その後ろから同じ格好であるが黒いワンピースを着た女性が付いてくる。
「初めまして、私はこの聖テルミナス病院の医師見習のメランで〜す、こちらバルバラ医院長で〜す」
メランと名乗った白いワンピースの女性は、青い目の兎耳族の女性で美人ではあるがまだ幼い感じの残る人であった。
医院長と紹介された女性は何故か仮面をつけている。かなり大柄でドカンと張り出した大きな胸が服の下から自己主張をしている。
医院長は部屋に入ってくるとヒロの後ろに目をやって見上げる様な仕草をする。
そこにはOVISが立っている場所である、この医院長と呼ばれた女性もまたOVISの存在を感じる能力が有ると言うのか?
しかしメランと呼ばれた医師見習の娘は何も感じていないようですぐに脈を取り始める。
何故仮面を被っているのだろう、顔に傷でもあるのかな?
そんな事を考えていると、診察をする為かヒロに顔を近づけて仮面を上にずらす。
顔が見えるとドキッとした。黒い目をしたかなり美人だった、無論顔に傷跡など無い、むしろ彫刻の様な美人と言ってよい。
切れ長の目と、大柄でグラマスなボデイは確かに男を引き付けるかもしれない。
「すいません、今回もお世話になります」
メディナが院長に向かって頭を下げる。
「まあバスラさんの被害者はいつもの事ですからね〜」ニッコリ笑って医院長が答える。
「いつも…なのか?」
「ああ…ハイ、たまにはバスラさん自身が担ぎ込まれますが…」
…やはりここは原初の世界の様だ…。
「体が全く動かないのですが」
「失礼しますね」
医院長が手を持ち上げて離すとポタリと落ち、続いてペンの先で手の甲をつつく。
「感じますか?」
ペンで突かれる感じはあるが、やはり麻痺ではなく単なる筋肉疲労であるようだ。
「…ハイ」
『現在は疲労の為痛みをを感じる事が有りませんが、昼過ぎ位には激しい筋肉痛が始まると推測されます』
うるさい奴め、いちいち言わなくてもわかっている。
「痛みますか?」
医院長が青タンの周りを軽く触って痛みを確かめている。
「いててっ!」
「痛みが有るのは神経が繋がっている証拠ですよ、後遺症の心配もないでしょう」
医院長があちこちを診て回るのをメランがカルテにチェックを入れている。
医院長はベッドの横の方をじっと見つめた後で口を開いた。
「大丈夫ですよ、骨折はしていませんし、ただの脳震盪です。深刻な後遺症は今の所出てはいないと思われます。体が動かないのは極度の筋肉疲労です、昼過ぎには激しい筋肉痛を起こすでしょう」
院長の素振りは明らかにOVISの存在を意識している様に見える。やはりコイツもメディナ同様にOVISの事を感じ取っている。
「先生は何故仮面を被っておられるのですか?」
そんな物を被っていたら診察の邪魔だろうに。
「ああ、別に意味は有りません、顔が見えないほうが何となく神秘的でしょう」
ヒロの方を見てニッコリと笑う、確かにドキッとするほどの美人だ。
「その方…キレイ…」
「そうでしょう、そうでしょう~、こんな美人はそう簡単に拝めない様にした方が価値が上がるでしょう~、むふふふっ」
いや、なんかだいぶ感覚が斜めにずれている気がするが?
「まあ、宗教上の戒律のようなものですよ。ただし他人に強制するような戒律ではありませんから、お気になさらないで下さいな」
そういうと再び仮面を被りなおした、誰も何も言わないところを見るといつもの事なのだろう。
「この病院はこの街で一番大きいのよ、それで沢山の医者を育てて国中に医療を広めているという、とても偉い先生なのよ」
「そうですよ~、私はこの病院の他に医療学校と孤児院を経営している、とても、とても偉い医者なのですよ~、えっへん。」
ズンと胸を張るバルバラ、大きな胸が更に大きく飛び出す、自分で言ってて恥ずかしくは無いのか?
「メディナ…そうなのか?」
「とてもそうは見えない先生だけどね、狩人が怪我をした時はみんなこの病院に来るのよ」
「ハイ、ただし狩人の皆さんはとても頑強でしてネ~、兎耳族を除いてめったに病気にかからない上に、怪我をしてもすぐ治ってしまいますから~、ぜ~んぜん儲からないんですよ~」
見かけと違いかなりアレな性格をしているようだ。
「兎耳族は…だめ…なのか?」
「ほかの方の怪我はたいてい舐めておけば治りますから~、骨折したり内臓がはみ出しちゃったりしたら、流石に治療に来ますけどネ~」
かなり恐ろしい発言をさらりとされた気がする。
「まあ骨折も放っておけばくっつきますが~、ちゃんと位置を決めておかないとずれちゃいますからネ~」
この星の人間はまさしく野生の証明のような連中ばかりの様だ。
「そればかりか狩人組合で負傷したときの応急処置の講習までやってくれるから、ずいぶん死ぬ人が減ったのよ」
「おかげでこの病院もさ〜っぱり儲かりませんのよ~、まあそこはそれ、元気な事は良い事ですから~」
なんか、この院長の斜め方向のズレっぷりはかなりの物のようだ。
「残念ながらヒロさんの体は兎耳族並の耐久力しかありませんからネ~、くれぐれも怪我には気を付けてください~」
感じていた事ではあるが、やはりこの世界の住人は、人類の基準をかなりのレベルで超えているようだ。
『大丈夫です、いざと言うときは私がサポート致しますから』
『ああ、頼りにしているぜ』
「兎耳族並の体とは?どういう意味なのかしら?」
「魔獣の肉を食べてもそれを活性化する能力が無いからです~、兎耳族の方は肉を消化する能力が弱いですからね~」
肉を食う事がエネルギーの源と言う事なのだろうか?
『どうやら肉の中の一部の栄養素が彼らの体力の源と考えている様です、この医者はあなたにはその栄養素の消化吸収能力が無いと言っている様です』
『初めて会った人間にテストもしないで何故そんな事がわかるんだ?』
『……不明です』
「昨日はギルガールさんが顔を腫らしてきたので水で冷やすように言っておきましたが〜、まああの人も特別ですから。体中傷だらけでしたがいったい何が有ったんでしょうかねえ~?」
「ギルガール…昨日会った…竜人?」
「そうよ傷だらけだったものね」
「この世界の最強者、無敵の竜人族なのですがねえ~」
チラリとヒロを見るバルバラ。
『コイツなんかわざとらしく無いか?』
『状況の掌握が出来ません』