台地の神殿
3ー032
――台地の神殿――
「神殿が…破壊されています」
コクラム台地の巫女長であるアンローラがつぶやく。
「うむ、私の方でも見ることが出来る…」
神殿長のランカールが答える。
二人の前にある龍神ダイガンドの御神体が、宝石のような本体の内側でチラチラと光を発している。台地の神殿の奥にある御神体の祀られた最高祭祀場でふたりは御神体に向き合っていた。
現在二人が見ているのは龍神ダイガンドから送られて来た翼竜による大地の神殿攻撃の記録映像である。既に神殿は破壊されてしまった状況の確認であった。
人々が集まる祭壇にも御神体は設置されてはいるがあれはただの飾りであり、ここに有るのが龍神様と意思を疎通できる本物の御神体である。
さりとて冠位の低い巫女、神官では意思の疎通が出来ず、選ばれた高位の者だけが龍神との意思疎通が可能なのである。
彼らは権威主義により祭り上げられた冠位ではなく、実際に龍神ダイガンドとの言語通信能力が有ることを示さなければならない実務的な能力なのである。
普通の巫女、神官では言語による通話は難しく、数人、時には数十人の人間が一斉に瞑想を行って出来る事なのである。
巫女、神官に相当する能力の有る者だけが、明確なイメージと言語通信が可能であり、共に瞑想する巫女神官も同様にその通信を聞くことが出来るのだ。
巫女同士の交信に置いても大雑把に意味を感知していたのが、文章を正確に伝えられるという大きな相違が有る事に驚かされる事になる。
それにより上位者はその能力を下位者の前に示し、その権威を高めることが出来るのだ。
巫女長や神殿長の官位はそういったレベルの能力者なのである。
「巫女候補3人は神殿に取り込まれている最中のようです」
「うむ、魔法陣が瓦礫の下敷きとなっているとなれば生還は難しいじゃろう」
「しかし未成熟の若い翼竜を使われるとは龍神様も思い切った事をなさる」
ふたりとも深いトランス状態に入り言葉を使わずに意思を疎通している。通常であれば必ず書記を用意しその発言を書き留めるのであるが今は誰もいない。記録には残せないやり取りが続いているのだ。
「僧兵達はどうなったのでしょうか?」
「今のところ連絡は無い、龍神様もそこまでは見ることが出来ないらしい。あるいは個人の運命など気にかけることではないのかもしれん」
「何れにせよ神殿は完全に破壊されたようでございますな」
「気にするでない、龍神様の御威光で程なく再建される、あの神殿はそうやって何千年も存在してきたのだ」
「今回のエンルーはかなり高い能力を示しておりましたが惜しいことでございますな」
神殿長はこの発言に不快感を覚える。エンルーは末席とはいえ神殿長一族の家系に繋がる子供である。勢力を維持するためには捨てるには惜しい。
もっとも末席の名家などというものは、簡単に主を変えるのでさして惜しいとも思わないがそれをアンローラに言われるのは腹が立つ。
龍神ダイガンドからの指示がなければ養子縁組で自分の勢力に組み入れるべく動いていたに違いない。そんな考えが漏れないように気をつけながら瞑想を続ける。これが訓練を続けた神官と未熟な者の違いである。
トランス状態でも常におのが意思を手放すことなく思考を交わすことも、鍛錬のうちに既に慣れてしまったことであった。
巫女長の家系が勢力を伸ばすことは神殿長の家との力関係を危うくする。表向きは穏やかに語りながら懐には刃を忍ばせているのである。
それがコクラム台地における神殿の一族の在り方であった。
とは言え龍神様が自ら手を下すというのも尋常ではない、それほどあの巫女候補には何かしらの問題が有ったのであろうか?
ふたりが急速にトランス状態から覚めると、部屋の外に誰かが来ていることに気がつく。
「なにものか?」
「僧兵長ゼンガー、及び通信管制官のレングリアでございます」
扉を開けることなく外から名前を名乗る。
神官長は心のなかで舌打ちをする。本来祭祀場の係官を介して先触れを行うべきものである。
しかし僧兵長のゼンガーはその部門の責任者であるが故に、先触の代わりに最高祭祀場を訪れる資格がある。
「急用か?現在は龍神様との交信中である」
「巫女候補及び僧兵の動向が判明いたしました」
先日神殿に向かった巫女候補の事である。ご苦労なことだ。その件は龍神様のご加護でこちらはすべて見通しているというのに。
「よし、第一会議室にて待て」
最高祭祀場は流石にまずいと考え、第一会議室を指定した。
「御意」
会議室に行くと先にふたりの男が祭祀場で待っていた。
一人は兎顔の巨人で初老の男である僧兵長で、もうひとりは通信管制官の神官でありこちらは市民の姿をしている中年の男である。
「通信管制官の一人が思考波通信を受け取りました、先日神殿において洗礼を行ったエンルー、メイ、シジンの3名の思考波と考えられましす、残る全員で意識を集中した所当人に間違いが無いと確証を得ました」
通信管制官のレングリアが報告を行う。この男は管制室の実質的なナンバー2である。通信管制室長は神官長、巫女長に次ぐ3大役職で、常に御三家がこの役職を支配しているのである。
「む、何が有ったのか詳細はわかるか?」
「残念ながらそれ以上のことまではわかりかねます。なにぶんにも巫女候補達は、まだ巫女となったばかりですので、未だ思考通信に関しては未熟と言わざるを得ません。問題は何者かの攻撃を受け、現在は狼人族と共にいるようです」
「狼人族がか?彼らが巫女候補たちを救ったのか?」
「どの様な経緯かは存じませんがもう一つ、僧兵2名の死が示唆されております」
僧兵長のゼンガーが険しい顔をして報告をする。
「送り出した巫女候補達に一体何が起こったのでしょうか?」
「私たちにも状況はわかりません。なにぶんにもまだ子供でありますれば、まだそこまでの交信能力は無いと考えざるを得ません、神殿長であればあるいは…」
通信管制官のレングリアは慇懃に頭を下げる。これ以上の通信を望むのであれは神殿長自ら通信を行うように促しているのだ。
「しかしエンルーは既に12歳と聞く、であれば相応の能力が有ってしかるべきではないのですかな?レングリア殿」
「口を慎みなさいゼンガー、巫女候補選抜は巫女長である私の管轄です」
巫女長の言葉に頭を下げる僧兵長。
「お許しを、しかし僧兵にまで死者を出したとなれば、早急に救出部隊を組織せねばなりませんので」
「準備にはまだ数日かかります、翼竜は今日にも帰投致しますが、次の出発までは休息と食事が必要なのです。翼竜は生き物なのですよ」
「御意、それでは龍神ダイガンド様を通じて現地の状況の掌握だけでも出来ませんでしょうか?最悪の場合は僧兵が徒歩で救出に向かいますゆえに」
巫女長達は、今の今まで龍神様と交信をして状況を探っていたのだ、僧兵長のこの男はそれを知った上で言っているのだろうか?そんな猜疑心が二人の心をよぎる。
通常巫女候補を神殿に送る場合、交易品を持って付近の村で3日程のバザールを行い巫女の帰還を待つのが普通である。
ところが今回の交易では巫女候補を送り届けたのち、龍神様の指示により、彼らの帰還を待たずに出立してしまったのだ。
「伺ってみましょう、下がりなさい」
「はい、失礼いたします」
頭を下げて外に出ると、ゼンガーの腹の中は怒りで煮えくり返るようであった。
(巫女殺しが……)
「は?何か言われましたか?」通信管制官が聞いてくる。
「いやレングリア殿、こちらのことだ。それより彼らとの通信が出来たら何でも良いのですぐに私に報告していただきたい、出来る手立ては全て打ってやりたいのだ。なんとしても彼らを無事に救出したいのだ」
「わかりました、我々も全力を尽くします」そう言って通信管制官は去っていった。
通信管制室と最高祭祀場は台地の神殿内のすぐ近くに存在している。
最高祭祀場は龍神との対話の為に有り、通信管制室は台地の運行や翼竜、その他の場所との通信の為に有る。それぞれの連携が必要なのですぐ近くに存在してはいるが、その性格上あまり連携が取れているとは言い難かった。
ゼンガーは自室に戻ると椅子に深く腰を掛ける。
「あのタヌキどもめ…」思わず言葉が漏れる。
僧兵は肉を食い巨人化した兔人族のみで構成されている。だいたいは孤児か家から勘当された者達だ、犯罪者の子供もいる。
世の中に居場所の無くなった子供たちを孤児院に引き取って、神殿の下働きとして使っているのだ。その中から選抜し神殿に忠誠を誓うような人間に肉を与え僧兵として巨人化させている。
神殿への忠誠と言ってもその忠誠の形は様々である。重視されるのは神殿の巫女と神官に対する忠誠心である。
ゼンガーは、台地における、システムとしての巫女というものの本質に関しては、実のところ良くはわからないでいる。
だが天と繋がり遠方との通信が出来るこのシステムは台地にとって必要不可欠であり、事の重要性は十分に理解している。
巫女候補とは天との繋がれる才能の有る者のことらしく、大地の神殿で洗礼を受けることによりその才能が開花されるとされている。
巫女はその重要性と希少性から、広く開かれた教育制度の中で才能のあるものを見つけ出して育てているのだ。
その過程についてはゼンガーに理解はできないが、彼の仕事はその貴重な巫女、神官を守ることにあった。
それは良い、しかし才能は遺伝するものであり巫女、神官による婚姻は、より濃い血を持つ家を生むことになる。
その家は名家と呼ばれ台地の中で強い権力を持つことになる。
名家は自らの権益を増大させる為により優秀な感応者を求めるが、同時に他家の優秀な者は、自らの家の地位を貶める存在でしか無い。
台地の神殿内における各名家の足の引っ張り合いやつぶしあいは、勝手にすれば良いことである。それが幼い感応者に向けられない限りにおいてはである。
神官長ランカールのザイドリッツ家、巫女長アンローラのエイムアッシスト家は2大名家の一つだ。
その名家同士の足の引っ張り合いの中で多くの優秀な感応者が葬られてきた。
家どうしの足の引っ張り合いなどで、彼らが被害を被るのは構わないが、幼い巫女候補の子供がその生命を脅かされるのは看過できない。
かつてゼンガーがまだ子供だった頃、同じ孤児院に仲の良い女の子がいた。その子には非常に高い感応者の才能があり、巫女候補になるのは当然と思われていた。
しかしある日その子はいきなり消えてしまった。
何が有ったのか全くわからなかったが、ある日孤児院の保母が漏らした事に驚愕をした。名家と呼ばれる家から養子縁組の話があり迎えが来ていたが、そのまま消えてしまったと言うことであった。
証拠は無いがその子の才能を恐れた他の名家の人間が、その子を台地から突き落としたという噂が流れてきた。
実のところこの手の話は結構多かったのである。
名家同士の勢力争いはそこから排出される巫女の数によって決まっている。彼らはその権益を守るために優秀すぎる巫女はお互いに排除する為に暗躍していた。早い話が暗殺や追放である。
幼馴染の娘は孤児であり、名家以外から優秀な巫女が出れば名家の立場が危うくなる。そんな理由で養子を求めた家に対抗する家によって、彼女が消されたのであろうと思われた。
ゼンガーは怒りに震え、如何なる状況でも二度とそのような事を起こさせないことを誓った。そしてゼンガーは希望して僧兵となり肉を食った。
いまは僧兵長となり、何人かの信頼できる部下とともに、排除される可能性のある巫女候補を守る活動を極秘裏に行っている。
「エンルーはこれまで見てきた中でも最も才能のある子供だった…」
しかし彼女は名家の生まれではなかった。名家の序列からすればかなり下位の弱小名家である。
名家の巫女候補は、その身辺に他人を寄せ付けない程の警護を行い、その身を守っている。
しかしエンルーは名家では無い、それ故にその能力が知られれば、極めて危険な状態になる事が予想された。
ゼンガーは家族と相談を行い、なるべくその能力を隠すようにはからい、普通は7〜8歳で洗礼を受けさせるところを12歳になるまで待たせていたのである。
その間エンルーには密かに魔法の訓練を行い、自らの身を守れる能力を身に付けさせてきた。
今回の洗礼に行くにあたってゼンガーは僧兵のヤンスーカとエンリーヤに極秘の司令を出しておいた。
洗礼を行えばその能力が確実にわかってしまう。ふたりは帰投前に狼人族の村を訪れエンルーをそこに置いてくるように命令していた。家族にもその様に説明をし、エンルーにも言い含めておいた。
まさか僧兵ぐるみの暗殺を行うとは考えても見なかった。逆に子供たちだけが助かったのはどういう経緯なのだろう?
「失礼します」
まだ若い僧兵の男が入ってくる。
「なんだ?シングード部隊長」
「いえ、僧兵が2名行方不明になったと小耳にはさみまして」
この男は神殿上層部に対する信任の厚さで頭角を表してきた若者だ。
はっきり言えば神殿に忠誠を誓う者で、ゼンガーにとってはある意味、獅子身中の虫では有る。ところが当の本人はその事に気が付いていない。
「現在は情報収集中である、皆の力が必要になったときは大いに活躍してもらうことになる、それまで隊員の士気を保て」
「隊内には狼人族の犠牲になったと言う流言も起きております。中には台地を降りて復讐に行くと言う者までおります」
「兔人族の僧兵が狼人族の狩人にかなうものか、別命あるまで現状を維持しておれ」
「これは異なことを、我ら精強の僧兵部隊が大地の野蛮人に負けるとでも」
そうか、こいつはまだ大地の任務を任された事がなかったのだったな。
狼人族はその体の何倍も有る巨大な魔獣を倒せる事のできる、怪物なのだと言うことをまだ知らないのだ。
「ワシの10倍くらいは強い奴がゴロゴロいる、命が惜しくなければやってみるが良い」
「おやおや、ゼンガー殿ともあろう方が弱気なことを」
せせら笑うような発言であるが、実際に狼人族に会った事すらない。ただのうぬぼれ屋に過ぎない。
「彼らは野蛮でもなければ無知でもない。彼らの戒律を守っている限り、兔人族であっても保護し育ててくれる。大地を放逐された何人もの巫女が彼らとともに暮らしている事を知らんのか?望めば兔人族の暮らす干潟まで、なんの報酬も求めずに送り届けてくれるのだぞ」
「おお、これは失礼致しました。何かご命令があればお呼び下さい」
慇懃に挨拶をして出ていくシングード、彼にしてみれはゼンガーは狼人族に媚びる腰抜けと映っているのかも知れない。




