ランダロール図書館
3ー011
――ランダロール図書館――
図書館が有るのか?ヒロトにはそんな思いが浮かぶ。
軍隊では図書館など存在はしない、そもそも有っても隊員が図書館に本を見に行くことは無い全ては端末から見ることが出来るからだ。
無論小さな端末では見にくい故に本の大きさに合わせた大型の端末もあり、学校の教科書もまた端末であった。
紙の本が売買されるのを見たことはなかったが、実際は中継ステーションの様な多くの人間の集まる場所には図書館もあったと聞いている。
ヒロト自身は図書館に行った事は無かったし、紙の本の必要性を感じたことはなかったからだ。しかし人類宇宙軍から離れた今はその知識を欲しいと思う気持ちが強く現れた事に驚いた。
ヒロトは看板の有る建物に引き込まれるように入っていく、これまでは図書館に入るような心の余裕すら無い生活を送ってきた自覚はあったが、現在の状況を知るには非常に有効な手段だとも思ったからだ。
中には書架がいくつも有ったが蔵書はさほどに多いものではなく、大きさも色も比較的画一的なものであった。
考えてみれば当然であろう、この街が出来てから200年である。しかもその前身は人類宇宙軍の戦艦である。戦艦のマニュアルくらいしか蔵書と言える物は無かった筈である。
したがってここにある本というのは、この地下都市が出来た後に作られたと考えてよいだろう。
図書館の中は閑散としており、テーブルやソファーも置いてあったが本を読んでいる人間もいなかった、入り口に近い場所には雑誌のような物が数冊置かれていた。
雑誌が作られている事に驚いたが、週刊誌を作っている出版社が存在しているのだろうか?
他にもハードカバーの小説や、名前だけは知っている古典の小説も置いてある。
目を引いたのは外部の景色を撮影したグラビア誌も存在し、作者が外部探査部隊広報部となっていた。
「本に興味がお有りなのですか?」
背後から女性の声が聞こえたので振り返ると、小柄でメガネを掛けた中年の女性がにっこり笑っていた。その女性を見たヒロトは強い衝撃を受けて体を硬直させる。その女性の頭には毛の生えた長い耳が生えていたからだ。
司書なのだろうか?にこやかに微笑む女性の頭の上でヒコヒコ動く耳は明らかにアクセサリーではなく生き物の様に見える。
…奇形なのだろうか?…あるいはなんかの病気か?…宇宙艦隊でも見たことは無かった。…聞いていいのだろうか?…いやそんな事をすれば傷つけてしまうかもしれない、…不快に感じるかもしれない…。
そんな考えが頭の中をぐるぐると回った…いや、だけど気になる……。
そしてヒロトにはなぜかこの耳に見覚えが有るような気がした。
「兔人族を見るのは初めてかしら?」
女性は笑みを絶やさずヒロトの心を見透かすように言葉を返した。
「す、すみません、ついぶしつけな態度をしてしまって…」
図星を突かれたヒロトは少し恥ずかしい思いを感じる。
「いいのですよ、慣れていますからね。図書館に来られる方は大体決まっていますし、ワタシも外では帽子をかぶっています。この耳の事を知っている方はあまりいません」
しゃべる度に女性の口の中の大きめの歯が2本見え隠れする。明らかに兎のげっ歯である。
「そ、その耳は本物なのですか?」
「もちろんそうですよ、あなた方人族の方たちよりもずっとよく聞こえる耳なんですよ」
穏やかな話し方をする女性であった。自分の母親とは随分疎遠になってしまったが、何故か母性をくすぐるような上品な感じの女性であった。
この時になって自分の母親は2000光年離れた場所でとっくに死んでいるのだという事を改めて意識をする。
自分が先に死ぬであろう事を覚悟して出征してきたのであるが、自分が生き残って親は500年近く前に死んでしまった。考えて見れば随分親不孝な事をしてしまったものだ。
「兔人族というのは一体何でしょうか?」
「この都市の外部に住んでいる原住民の事ですよ」
「原住民!?この星にはあなたのような人間が生きているのですか?」
「そうですよ、この星には大きく分けて兔人族と狼人族の2種類の人間が住んでいます」
衝撃的な発言である。よもやこの星に人間と変わらない知的生命体が存在しているとは思いもよらなかった。宇宙スケールで見ればこれは奇跡以上の事なのだ。
「ま、まさかそんな事が、いやしかし、外の大気は有害なのではないのですか?」
「あなた方には有害なようですけど、私達は先祖の頃からずっとここで暮らしていますからどうということはありませんけどね」
なんてことだ、何故ロージィさんはこんな重要なことを最初に教えてくれなかったんだ?
「お客さんもいないことだし、裏の部屋でお茶でもいかがですか?一人で飲むのも寂しいですからね、お客さんを時々誘って一緒に飲んでもらっていますのよ、お菓子もありますから」
兔人族の司書に誘われるままにヒロトは図書館の休憩室に入っていった。司書の座るカウンターの裏には客室のような部屋がしつらえられており、ソファーの様な物も置かれていた。
質素ではあるが品の良い部屋になっている。小さな流しも有って食器棚にはいくつかの食器が並べられているが、その中には明らかに酒と思われる物も置いてあった。
「お茶とクッキーで良いかしら?それともお酒を飲みたいですか?」
おいおい、このおばさんそんなに酒好きなのか?
「い、いえ、お茶をお願いいたします」
お茶とクッキーをテーブルに並べてヒロトの前に腰をかける。
「自己紹介がまだでしたね、私は兔人族でドルト台地出身のシリア・ランダースと言います」
「あ、はい。自分は元人類宇宙軍空間機動兵団所属、ヒロト・ハザマと言います」
シリアはヒロトの肩書に何の反応も示さずにっこり笑うとお茶をすすった。おそらく意味がわからなかったのだろう。
多分、他の人たちも同じかもしれない。ここで人類宇宙軍の肩書は全く意味が無く、権威を表すものでないことに気付いた。それなら今後は言う必要もないだろうとヒロトは考えた。
ヒロトもお茶を一口すすると芳醇な香りが口の中に広がる。
「クッキーもどうぞ、私が自分で焼いたものですけど」
クッキーは歯ざわりよく口の中で砕けると甘い味と香りで満たしてくれる。
「これはすごく美味しいクッキーですね」
「ありがとうございます、長い間研究をしてこの味を作り出せたのですよ、お茶の葉も色々試してこの葉っぱにたどり着いたの」
どうやらお茶もクッキーもこの人の手作りらしい、素晴らしい才能だと思う。
シリアさんは初老に近い感じであったが、姿勢もしっかりしており若々しく美人でもあった。話し方も知性に溢れこの星の原住民にはこの様に知的な人間が揃っているのだろうか?
「兔人族の方々というのは皆その様な耳を持っておられるのですか?」
「元々我々は非常に臆病な種族でしてね、周囲の危険を早く察知できるようにこの様な耳になったと言われています」
明らかに文明人と言えるような態度なのでそうとはわからなかったが、こんな耳を持つ以上それなりに周囲に危険が溢れている場所での生活をしてきた種族なのだろう。そう言えば狼人族とか言っていた、兎と狼か?それはやはり危険な状況では有るだろうな。
「狼人族というのはどの様な種族なのでしょうか?名前からして…その…凶暴そうな種族のような気がしますが…争いとかは無かったのですか?」
「そうですねえ、身長が3メートルの巨体を持ち、で力が強く、勇敢で俊敏性に優れ、鋭い鼻と耳を持ち、一日中でも走りきれる健脚を持っていて狩猟と農耕を行う種族ですね」
なんだ、その怪物は?そんな連中がこの世界を支配しているのか?
「そんな怪物の様な連中がいたのでは、大気に毒が無くとも人間は恐ろしくて外には出られませんね」
「怪物ではありませんよ。鉄器を作り、布を織り、石の建物を建てて住み、畑を耕し村を作って生活をしています。社会秩序が有り、慈愛に満ちた性質を持った種族なのです」
この世界には種類の違う種族が共存しているという。何故だろう?普通は生活圏を巡っての争いが起きてもおかしくはないのに、この人はその種族に敵愾心を持つこと無く敬愛の念すら抱いている。
「しかし種族や文化が異なれば、そこには必然的に生活圏をめぐる争いが起こると思いますが…」
体格からしてもこの人は人間並みの大きさだ。戦いが起きれば簡単に蹂躙されそうな気がする。実際に先祖は周囲の危険から身を守るためにその耳を持ったのだろう?
「彼らは大地に住み、兔人族は台地に住んでいますからね、生活圏は重なっていないのですよ」
「台地というのはもしかして動く台地という物ですか?それが通ると枯れた大地が耕されるという」
「そうですよ、もうお聞きになったのね。兔人族はその台地の上で畑を耕して生活をしています」
「狼人族がそこに攻め込んで来ることは無いのですか?そんな強力な種族であれば戦争になったら勝てそうもないように思いますが」
「台地には獣がいませんからねえ、彼らは肉食がどうしても必要ですから台地の上は彼らにとっては魅力のない場所なのですよ」
「兔人族の皆さんは肉を食べないのですか?」
「ごく一部の者を除いては肉は食べません、それが兔人族の特徴です」
なるほどこの世界の種族は完全に棲み分けが行われており種族同士の戦争は起きていないのか。
ヒロトのいた世界では人類の生活圏である星の支配権を巡って何百年もの間戦争を行ってきた。それどころか今や戦争を行うためだけの社会体制を作り、戦争のためにだけに人類は生存している。
一度外に出てこの世界の住民に会ってみたいとヒロトは思った。
「なにか外の世界の様子がわかる本は有りませんか?読んでみたいのですが」
その途端にシリアさんの顔にはものすごく嬉しそうな笑顔が広がる。
「いい本が有りますわよ」
彼女に連れられて書架の所に行くと一冊の本を手に取る。
「外部探査部隊の報告書と撮って来た写真を合わせて本にしたものなのよ、無論報告書よりはずっと読みやすくなっているとおもうわ。写真もたくさんあるから外の状況はわかるでしょう」
「ありがとうございます、読んでみます」
彼女はカウンターに連れて行くと貸し出し手続きを行ってくれた。端末を見ると新しいリストが現れていてそこに本の名前と貸し出し期限が載っていた。
彼女に礼を言って本を持ち帰り家に帰って本を開く。平遥な文章とカラーの写真で作られた本は、とても読みやすく外部の状況が理解できるようになっていた。
これまで殆どの情報を端末等に頼ってきたが、初めてと言えるその本はそれなりに楽しむことが出来た。そして端末と本は全く違う読書感を与えてくれる物だということに気がついた。
兔人族や狼人族の写真も有り、村の様子も写されていた。狼人族は顔の部分は完全に狼のようだが体の部分は全く人間のそれである。
彼らと一緒に写っている人間の姿も有ったが、3メートルの巨体は嘘ではないようだ。服装を見ても民族衣装のような服に革の長靴を履いており、機械文明は無い様だがそれなりに文化的な生活をしているように見える。
しかし子供の狼人族は人間と変わらぬ大きさで人間と同じ顔をしており、成長期に狼の顔に変化するらしい。かなり特異な進化を遂げた種族と思われる。
ただ兔人族の写真はなく記事だけだ。おそらく調査隊も接触が出来なかったのだろう。読み終わった後、本の最後の奥付を見るとシリアの名前が載っていた。
これは…シリアさんが作った本だったのか…。




