浜辺の攻防
2ー010
――海辺の攻防――
バーグは獅子族としてはやや小柄だがそれでも身長190センチはある。狼の顔をした大型魔獣は人間の身体を持った身長が3メートルの種族のようだ。
それにしてもあの獰猛そうな顔はどうだ?獅子族の狩人でも2〜3人がかりで1頭を相手にする大型肉食魔獣だ。
ウェアウルフに良く似てはいるが少し違うようにも見える。自分にヘル・ファイアが使えればともかくひとりでは如何ともしがたい、無念さが募る。
村人たちは丸太の壁に囲まれた集会場か、北の洞窟に避難している頃だろう。あそこであれば大型魔獣は入ってこれないし食料の備蓄もある。
「あれは大型魔獣ではない、獅子族と同じ様に先祖の顔を持った狼族と言える代物だ」
獅子族と熊族は他の種族と違い、先祖の顔をそのまま受け継いだ種族なのだ。何故神は兎耳族や犬耳族、猫耳族にあの様なツルリとした顔を与えたのかは知らないが、この大陸にはこの2種類の顔を持った種族がいる。彼らもその種類に属する種族なのだろう。
そうなると少なくとも人間と同じ知性と理性を持つ存在である可能性が有る。
知恵のない獣が大型化したものではない。長い狩人生活はそういった獲物を正確に観察する目を培ってくれていた。
それにしてもデカい、立ち上がった身長が3メートルも有ると言うのは、完全に大型魔獣並みの体力を有している事を示している。
よく見ると彼らはズボンを履いている。決まりだ、彼らは形は違うが人間である。
「どうやら昨日の嵐で遭難した漂流者のようだ、しかしあんな連中は見たことも無い」
6種族の人間以外にあんな連中がいたのだろうか?あんな連中がいたとすれば、狩人ギルドで噂にならないはずがない。あんな連中が狩人をやったら大型魔獣だろうと楽に狩っているはずだから有名になっているはずだ。
「まさか黄泉の国からの来訪者じゃないだろうな?」
エルメロス大陸は竜の郵便事業に伴って航空路が開設され正確な大きさが図られた。東西に4000キロ、南北に2500キロ程度の大きさが有るが、周囲は海に囲まれている大陸である。
その海は4方を嵐の海域が囲んでおり、何人もの船乗りが挑んだが嵐を超えるのは不可能であると言われている。なにしろ嵐を超えて帰ってきたものがいないからだ。
それ故に嵐の海の向こう側は黄泉の世界と言われ、死者の住む世界だと信じられてきた。
だとすれば奴らは大型魔獣の生まれ変わりだろうか?あるいは躯を引きずって現れたのか?
バーグは心はそれを否定する。死者は物を食わない。彼らは嵐を超えてこの大陸にやってきた船乗りなのだろう。
自分の知らない世界の人間というものをすんなりと受け入れたバーグは、少なくとも迷信深い人間ではなかった。
しかし…と思う。人間であれば無用な戦いを避ける知恵は有るだろう…そう信じたい。多分言葉は通じないだろうが、意思の疎通くらいは出来るかもしれない。
数人の熊族の村人がやって来た、この近くの住人だろう、銛や棍棒を持っている。
村人に敵対するのであれば彼らを指揮して戦わなくてはならないが、大型魔獣と思っている村人が集まって来るとパニックが起きるかもしれない。
狩人では無いから仕方がないだろうが、臆病ではあるが追い詰められると反撃する熊族である。被害を出すのもうまくはない。
バーグは村人たちの前で立ち上がると彼らに告げる。
「あの連中は大型魔獣ではない、わしらと同じ人間だ。ワシが先に行って話をしてみるからお前さんたちは 他の者たちが早まらないように押さえておいてくれ」
「そ、そうですか?わかりました。バーグさんにお任せしますよ」
どう見ても腰が引けてるな、力が強くて臆病な人間はパニックを起こした時には一番始末が悪い、下手に動かないでほしいものだ。
バーグはなるべく胸を張って堂々とした素振りで姿を現す。もし漂流者であればむしろ援助を必要としているかもしれない、だとすれば話し合いが出来るだろう。
大型魔獣と間違えて皆逃げ出したが、彼らが理性的な種族であることを願いたい物である。
* * *
【気が付いたか?】
【ああ、何人かがこちらを見張っているようだ】
家の影からチラチラとこちらの様子をうかがう人間の影が見える。
【先ほどの連中の仲間だろう、多分援軍を呼びに行っているんじゃあねえのか?】
【野蛮な連中でなけりゃあ良いが、仲間が来ればこちらを捉えに出てくるかもしれねえ】
あの程度の連中であれば自分たちの事を恐れるのは当然だろう、何しろ大人と子供以上の体格差が有る。
【まあいざとなりゃあこっちにも切り札があるしよ、こっちに来るまで待っていたほうが良いだろう】
周囲への警戒を怠らずにふたりは肉を食い続けた。
【おい、誰か出てきたぞ。武器を持っているようだ】
【ひとりだけか?この村の戦士なのかな?獣の様な顔をしているが、さっきの連中とは違うようだな】
バークは銛を持ったまま漂流者の元に歩いて行き、20歩ほど離れた場所で止まると両手で銛を抱えたまま前に出る。武装をしていることを示して相手の戦闘意欲を削ぐ。
村人たちは手に手に得物を持ちながら建物の陰に隠れてゆっくり囲いを作っていく。敵対するのであれば即座に攻撃が出来るように威嚇を続ける必要がある。
【どうやら現地の連中のようだ、船乗りの村であれば助けを求められるかもしれねえ】
船で流れ着いた者を種族国籍を問わず救助するのは海に住む者にとっては当たり前の行為である。余程排他的な陸上種族でない限りにおいてこの原則は守られるものであった。
二人はバーグの方にゆっくりと歩いてくる。大きな体のバーグよりも遥かに大きい。彼らと交渉が出来るだろうか?バーグは股間が縮む思いであった。
狼人が歩み寄ると共に背後にいた熊族や犬耳族の村人も出てくる。手に手に銛や鋤、鍬等を持っている。
【大きさは子供並だが体は太い、力は十分に強そうだな】
【一気にまとめて来られるとやばいな、どうする?種族は近いみたいだから連中も魔法が使えるかもしれんし】
二人がバーグの目の前までやって来ると周囲の村人たちも物陰からじっとそれを見つめて動こうとはしない。バーグが手を上げて村人たちの動きを牽制している。
【どうやらこっちを攻撃するような素振りは見えないが、油断をするなよ】
【ああ、あいつらの持っている銛はかなりの大物用だ、それを十分使える力はあるようだしな】
「あれはお前たちがやったのだな」
バーグは荒らされた燻製庫の方を指差して言った。
【干し肉を食ったことに文句を言っているようだな。おい、腹が減ったポーズをとるぞ】
二人は腹が減ったというポーズを取ることにした。
おそらく見知った種族であればこのような事はなく、無条件で救助の手を差し伸べただろう。
しかし不幸だったのはこの二人が獣の顔をしており、大型魔獣並の大きさをしていた事に有った。
大型魔獣の恐ろしさを知っている村人たちが、彼らを恐れるのはごく当然の事であった。
「こっちへ来い、飯を食わせてやる」
バーグが二人を導いて村の広場の方に向かうと二人の周囲を人垣が囲む。
遭難者であれば助けるのが海に住む人間の当然の事であるが、見るからに巨大な体躯を持つ獣顔の巨人を恐れないはずはない。
何時に暴れ始めるのか?そうなったら自分たちでそれを止められるだろうか?そこにいた全員が今にも切れそうな緊張の中にいた。
緊張は実にかんたんな事によって切れるものである、それは子供であった。
「あっ、だめよっ」
逃げ遅れた母親がいた。逃げるタイミングを測って子供を抱いて物陰から見ていたが、母親の腕の中で持っていたマリを落としてしまう。
それを見た子供がマリを追いかけて飛び降りると二人の方に向かって走りはじめたのだ。
「待ちなさい、そっちは危ないのよ!」
母親が必死で叫ぶが子供はマリを追いかけるのに夢中で聞いてはいない。二人の異邦人の前にマリが転がり出ると、驚いた二人は慌てて身を翻す。
【うおおおっ!な、なんだ!?】
大声を上げた異邦人に対して、緊張の糸が切れた者が出るのも致し方のないことであった。
大型魔獣の前に飛び出した幼子を見た熊族の村人の理性のタガが外れた。
「うおおおお〜っ」
ひとりの熊族の男が銛を振りかぶって二人に突っ込んでいった。
「やめろ!手を出すな!」バーグが叫ぶ。
熊族の男は猟師であり、狩人ではない。狩人のように槍を一気に突き出す動作を取ることは出来ない。
銛を投げる動作はあまりにも大きい。それをを軽々と躱すと、思いっきり熊族の男をぶん殴った。
「下がれ!下がれ!手を出すな!」
しかし既にバーグの声は村人に届くことはなく、多くの人間が得物を持って異邦人に打ちかかっていく。
【このやろう!何だってんだ!】
【かまうこたねえ、やっちまえ!】
突然村人たちの正面に空気の刃物が現れ、持っていた得物ぐるみで村人の胸を切り裂く。カマイタチの魔法であるが、獅子族の物よりもずっと強力だった。
「うおおお〜!」「殺せえ〜〜っ!」
パニックに至った熊族には既に何も見えない、相手すらまともに見ずに鍬や鋤を振り下ろす。そうなると体の小さな犬耳族や猫耳族は危険なので一斉に逃げ出した。
「うわっ!」「ぎゃああっ!」
周囲から襲いくる熊族の猟師たちにカマイタチの魔法を乱発する。何人もの熊族の男の体が切り裂かれる。
「やめろ、みんな下がれ!暴れるのをやめろ!」
必死で村人たちを止めようとしていたバークの胸板にもカマイタチが当たり血が吹き上がる。
「ぐあっ!」胸をのけぞらせて倒れる。
それに気がついた村人は引き下がるが、そこには胸や腹を切り裂かれた者が何人も横たわっていた。
異邦人の二人はバーグの所に駆け寄ると羽交い締めにして怒鳴った。
【おとなしくしねえとこいつを殺すぞ!さっさと下がりやがれ!】
バーグには二人の言葉は理解出来なかったが、言いたいことは大体わかった。
「さ、下がれ…これ以上暴れるな…」
胸を切り裂かれ苦しい息の下で、バークは村人たちに下がるように合図をする。
村人たちは怪我人を引きずって遠巻きに離れる。
【おい、どうする?なんか物凄くまずいことになっちまってるぞ】
【しるか!とりあえずこいつを盾にしてここから逃げ出すぞ】
二人はバーグを盾にして包囲から抜け出そうと場所を移動し始めた。
そこにバサバサと音を立てて舞い降りて来る者がいた。大きく腹を揺らして着地するコタロウである。




