龍神教
5ー012
――龍神教――
神殿長の話を聞いていたバオ・クーの顔は、怒りのためかますます険しくなり牙がむき出しになっていた。
「貴様らはその子供たちがどうなるかわかった上で子供たちを見殺しにしてきたのか?」
「いえいえ、大半の子供は狼人族の保護下に入り無事と聞いております。兔人族の巫女候補が大地で生きていけるはずもありませんから」
巫女長の発言を聞いたバオ・クーはもう一本の手を切り落としたくなった。自らの犯罪を狼人族の支援を当てに免罪を求めるという卑劣極まりない発言だからである。
「ほう?それをどうやって調べたのだ?」
溢れんばかりの怒りを押さえて巫女長の顔を見る。怒りの形相が余りにも激しかったのか巫女長はヒイッとばかりに縮こまっている。
か弱さを強調しているんじゃねえよ、狼人族の女であればそんなみっともない真似はしねえぞ!
憤懣やる方無いバオ・クーであるが、狼人族の胆力を兔人族に求めるのもいささか酷な気がする。
「ここ20年程は私が調べている」
ゼンガーの発言にその場にいた全員が彼の方を見る。急速にバオ・クーの怒りの沸点は収まっていくのを感じる。
「ぜ、ゼンガー。それはどういう事だ?」
「ワシが僧兵長になってからこの台地台地で追放された子供は殆どを助けて狼人族の元に送っている。その事は酋長であれば知っていよう」
「ああ、その話はよく聞いている。何人かの兔人族の子供を受け入れた村が有るからな」
バオ・クーは大酋長である。一族の安全と繁栄を守るための存在であり、一族の情報は全て集中していく立場に有る。それ故に政治的判断を行い、今回の侵攻においても殺人を極力抑える選択を行える人間であった。
彼にしてみれば一族の子供の守護を放棄した彼らを許す気になれなかったのだ。
「エンルーもその予定だったのだが、翼竜の攻撃で僧兵2名を失った」
「お、お前は龍神様のご意向に逆らってきたのか?」
「当たり前だ、あんた達の蛮行を許してたまるか、ワシはずっと殺される危険の有る子供たちを守って逃してきたんだ」
「大酋長、総兵長の言っている事は事実だそうです。エンルーもティグラ殿もその様に言っております」
「ほう、僧兵長殿はなかなかに豪胆な神経をお持ちの御仁のようじゃな」
「当たり前じゃお主の槍術の師匠ではないか?」
バオ・クーは苦笑いを禁じ得ない。
「おかしな話だが台地から放逐された兔人族の巫女のおかげで我々狼人族のシャーマンの能力はかつてに比べて飛躍的に伸びているそうだ」
「そ、そうなのか?」
「狼人族のシャーマンが瘤翼竜を操れるということの意味がわかっているのかな?いまも狼人族の村ではシャーマンが揃って瞑想を行っておる」
その言葉を聞いた神官長の顔が青ざめてくる。
「さて、その龍神ダイガンドとか言うものが何故貴様らに取っても大切な巫女を、台地から放逐したがっているのか?その理由を説明してもらおうか?」
神殿長はガックリと頭を下げると龍神ダイガンドの成り立ちを説明し始めた。
記録によれば龍神ダイガンドの誕生と共に龍神教は誕生したらしい。
なんでも、524年前にタッテロッサ山のふもとに有った神都アルサトールに龍神が降臨をし、それが山の嶺をその口から吐き出した光によって破壊した所から始まっている。
その当時の龍神を描いた画家の絵を元に、神殿に有る天井画は作られたという。
その後その嶺は聖嶺と呼ばれる様になり、いつしかそこに住み着いた瘤翼竜を龍神の真祖と崇めるようになった。
当時の山麓から流れ出す水は土を固化させることは無く畑の耕作が可能な場所でしたが、小さな耕作地域を巡っていつも戦争を行っていたようであるが、山麓を破壊され水の流れがかわってしまったのだ。
そこで巫女達が天上神と交信を行った時に、聖嶺に住み着いた瘤翼竜がその瞑想に呼びかけて来たのだという。
その瘤翼竜が台地を呼び寄せ、神都アルサトールの周囲を定期的に運行するようになった。
そして狼人族のハグレを集め新しい村を作らせた。
聖嶺から流れ出る水と、台地によって耕された土地で狼人族は安定した生活を送れるようになり、その一部を年貢として神都アルサトールに奉納させることによりその地は大きく栄えるようになった。
その後、瘤翼竜は更に大きさを増し、龍神ダイガンドと呼ばれる存在になったという。
その大きさは全長が1500メートルとも3000メートルとも言われるが、タッテロッサ山の山頂に穿たれた穴の中に住んでいるという。
高位の神官のみがその山に登り、龍神ダイガンドの御姿を拝観することが出来るそうだ。
「本当にいるのか?そんな化け物みたいな瘤翼竜が?」
「何人もの高官がその御姿を目にしておるし、何よりも台地の神官もその山に登りこの御神体を賜って戻ってきておる」
「これがそうか?」
最高祭祀場の祭壇に置かれた光るカットガラスのようなものが御神体だそうである。
「手を触れてはなりませんぞ、我々にとっては信仰の証であり、龍神ダイガンド様と話の出来る唯一の手段でございますからな」
切り落とされた腕の手当をしてもらい、痛みが治まってきたのか手を吊ったままふんぞり返って語り始めた。
「それで?この御神体にはなにか喋るのか?」
「修行の足りない狼人族には聞くことも叶いません。選ばれた高位の神官のみが龍神ダイガンド様のお声を聞くことが出来るのです」
「いや、その高位の神官になれる才能のある巫女候補達を追い出していたのだろう?」
「全ては龍神ダイガンド様の深慮が有ってのこと、実際に台地から放逐された感能者によって狼人族の中にシャーマンとしての存在が確立されてきておったであろう」
「いや、シャーマンはもっとずっと前からいたぞ、台地の動きを知り次の移動先を知るためにシャーマン同士による瞑想は年中行われている。それによって我らは一族としての移動を行うのだからな」
「と、とにかく巫女候補の放逐は龍神ダイガンド様の指示によって行われたのだ。そしてそれは名家の御三家による台地の支配には非常に都合の良い状況だったのだ」
「だからさあ、ワシらの疑問というのが何故ダイガンドがわざわざ神殿組織の弱体を招くような事を行ったかだ?
神殿長が自分より優秀な感能者が邪魔なのはよく分かるが、何故ダイガンドもそんな事をしなくちゃならんのだ?神殿がダイガンドに何かを貢いでいるわけでもないのだろう。
ワシにはどう考えてもお主らが自らの利権の為にこういった事を行ってきたようにしか見えんのだ」
再びバオ・クーは自分のナイフに手をかける。
「し、しらん。本当だ、確かに自分たち以上の感能者が生まれる事は御三家にとっては好ましくはない。しかしそれは御三家がその者を養子にすれば済むことなのだ。にもかかわらず龍神様は放逐することを求められた」
「それなら貴様はその龍神が何故そのようなことを求めたと思う?」
「確証はございません。しかし巫女候補生達を見ておりますと、子供たちの中でも非常に強力な感能者はより弱い者の心のなかに入り込む事が出来るようなのです」
「ほう、興味深いな、巫女長殿。その話を詳しく教えて貰えないか?」
「瘤翼竜を操る巫女は多くおります。彼らは非常に頭が良く、場合によっては言語による応答すらします。しかし翼竜を操れる巫女はめったにおりません。彼らはあまり頭が良くなく命令を聞きません」
「めったに?たまにはいると言うことなのか?」
「おります。稀にではありますが。私は瘤翼竜は自らの意思で我々に協力しているのではないかと思っています。しかし翼竜にはそこまでの知性はなく我々に協力は致しません。
しかるに龍神ダイガンド様は翼竜を操る能力をお持ちです。もしかしたらそれに匹敵する感能者を嫌っているか、あるいは恐れているのでは無いでしょうか?」
「どうだ?シンク」
シンクはずっと深い瞑想に入っていた。おそらくタング村にいるシャーマン達との深い交感を行っているに違いない。シンクは目を開けるとバオ・クーの言葉に答えた。
「村のシャーマン達も同じ意見に達したようです」
何のことはない、台地のシステムの一翼を担う翼竜の親玉が自分の地位を守るために才能のありすぎる子供たちを放逐していたと言うことのようだ。
「龍神ダイガンドと言うのは本当に存在するのか?神殿の連中が作り上げた妄想じゃないのか?」
「誓って言うがそのようなことはない。我々は龍神ダイガンド様の声を聞き、そのお考えに触れることが出来るのだ。確かに龍神ダイガンド様は実在する」
「そうなるとそっちをなんとかしなくてはならんのか?まあ少なくともこの台地においては、あんたらはお役御免ということで良いだろうな」
「わ、我々の安全を保証していただけるのであれば…」
「しばらくは我々の一部がここに駐留して新しい体制を考えないといけないようだな。このまま我々が引き上げればまたこの連中はまた好き勝手にやり始めるだろうからな。
ゼンガー殿のお力を借りたいと思うがよろしいか?」
「わかった、ワシの最期の務めじゃな」
結局10村50人程が台地に残り、他の者達は引き上げる事になった。
これからアー族の中にいる兔人族の中で帰還を望むものは台地に戻れるように手配をするが、台地は他にもいくつも有る。彼らと交感による話し合いを行わなくてはならない。長い時間が掛かると思われる。
ひとつの戦争は終わったが、これから長い交渉の時間が必要だ。ひとつ間違えれば狼人族と兔人族、あるいは同族同士の戦争に発展しかねない。
狼人族としても、村から死者を出した上に働き盛りの人間を引き抜いているのだ。それほど長くは留まれない。