神殿病院の医務技官
5ー010
――神殿病院の医務技官――
「すごいっ、こんな動きは見たことがない」
周りで見ていたボロックを始め狼人族の狩人衆はその動きの見事さに舌を巻いていた。
「大酋長はこんな技まで持っていたのか」
狩りには全く役に立たない技ではあるが、子供たちの訓練には非常に役に立つ。速度、動作、反射の訓練にはうってつけだと思った
これは是非バオ・クーの教えを学ばせよう。そう決心するボロックであった。他の酋長も同じ様な目で二人の戦いを見ていたのは間違いない。
ゼンガーとバオ・クーは全力で戦っており、戦いながらふたり共とても嬉しそうな顔をしていた。
「貴様その技を何処で学んだ!?」
「フフフ、さあて何処だろうかな?」
その時ふたりを見ていた僧兵達が上空を仰ぐ、その直後に狩人達も気がついた。遠くの方から大きな振動が近づいてくる。
狩人たちが音の方向を見ると巨大な瘤翼竜がこちらに向かって低空を飛行してくるのが見えるではないか。
狼人族と僧兵達が対峙している神殿の建物自体がビリビリと震え始める。
「な、なんじゃ?何が起こった?」
「そ、僧兵長殿、瘤翼竜が!」僧兵の誰かが叫ぶ。
境内の上空を瘤翼竜が超低空飛行で通り過ぎる。風圧で神殿そのものが大きく揺れ、境内は暴風が吹き荒れた。
「な、なぜ瘤翼竜が……」
その時境内にいた全ての人間が瘤翼竜に気を取られ上空を見ていた。
しかし唯一これを好機と捉えた人間がいた、ゼンガーである。
槍を構えたまま全力でバオ・クーに向かって兔人族の速度で飛びかかって行く。しかし、相手の持つ槍が正面を向いている。そのまま突っ込めばその槍が自分に突き込まれるリスクがあった。
「相打ち上等!」
「グムウウッ!」
ところが驚いたことにバオ・クーは左手を槍の前に突き出して自らの手を貫かせるとそのまま矛先を握りしめる。驚愕の表情を隠せないゼンガーである。絶対必中の間合いであったがバオ・クーは左手を犠牲にして自らを守ったのだ。
「ちいっ?」
次の瞬間力任せに槍の矛先を自分の正面から外す。しかし空中を飛んでいるゼンガーの勢いは止まらない、そのままバオ・クーの右手が持つ槍を目掛けて突進していく。
(あ〜っ、いかん。これは死んだな)
このまま槍を突き出されれば、あるのはゼンガーの確実な死であった。
そう思ったのだが、バオ・クーは右手に持った槍をくるりと回して柄の部分でゼンガーの頭を思いっきりぶん殴った。
「ぐへっ!」
頭がもげたかと思うほどの衝撃を受けて意識が飛んでいく。そのまま白目を向いて地面に叩きつけられて動きが止まるゼンガーである。
「ウオオ〜ッ!」
それに気がついた僧兵達は槍を持って前に出ようとした。ところがそれより早く狩人たちは一斉に衝撃波の魔法を僧兵たちに叩きつけた。
躊躇することも、打ち合わせや命令を待つこともなく、見事な同一行動を取っている。
流石に狼人族の衝撃波の威力は強く、巨大な僧兵達も吹き飛ばされて地面に転がる。
そこに向かって飛び込んだ狼人族の一団は、迷うことなく僧兵たちの脚に槍を突き立てた。
「ぐわああっ!」「ぎゃああっ!」
「派手に悲鳴を上げるな!死にゃあしねえ!」
相手に槍を突き立てて言う言葉でも無いとは思うが、日頃から大型魔獣や超大型魔獣と戦って生傷の絶えない狼人族である、傷つくことに鈍感なのだ。
「あ、脚が〜〜っ!」「やめてくれ〜〜っ!」
「気にすんな!そのうち生えて来る!」
しかし台地に住む僧兵にとってはそうではない。たちまち狼人族に制圧されて全員がその場でのたうち回ることになる。
兵士でも無いのに一糸乱れぬ行動を取れるのは、正に獲物に飛びかかる狩人の本能そのものであった。
「どうやら龍神様もお前たちを見捨てたのかな?」
ボロックの言葉に涙目の僧兵達である。外に避難していた医療技官達がぴょんぴょん飛びながら入ってきて手当を始めた。
「おーい、爺さん。生きてるか〜?」
一瞬で境内にいる全ての神殿勢力を制圧したバオ・クーは、自らの手から槍を引き抜くと、白目を向いて倒れているゼンガーの腹を槍の石突で突っ付く。
「は?、き、貴様〜っ!」
気がついたゼンガーが慌てて後ろを見るが、既に僧兵達は制圧された上に脚を切られて呻いている。
「グアッ!あんたの負けで良いか?それとも最期まで殺して欲しいのか?いやいやっ、くっころはもういらんからな」
バオ・クーの手は槍に突き破られて大きく裂けている。本来は大怪我であるがまるで気にした様子はない。自分で紐を使って血止めをしている。
平気を装うバオ・クーでは有るが、正直痛い。涙が出そうな程の激痛が手から伝わって来る。
本当は手に衝撃波を纏わせたのだが、ゼンガーの突きがあまりにも鋭く、突き抜けてしまうという失態であった。
大酋長の立場上弱みを見せるわけにも行かない。気合と根性で平気な顔で笑みを作る。
「ば、馬鹿者!自らの手を犠牲にして槍を掴み、逆に相手は槍で突きもせずに柄でひっぱたくとは、何という節操のない戦法を取るんじゃ!」
完敗ではあるが、僧兵長としてはくっころを封じられた以上、こうやって突っ張るしか無かった。
「なんだよ、殴るのは駄目で槍で突き殺されなきゃ負けじゃないとでも言うんじゃねえだろうな?」
「もともとそういう取り決めじゃったろう。少なくとも私は本気で貴様と刺し違えるつもりはあったぞ」
医務技官がぴょこぴょことやってきてバオ・クーの手の傷を見ている。放置しておいたら傷口にアルコールをぶっかけられて悲鳴を上げる、こいつ何をするんじゃい。
「戦士が悲鳴を上げないでいただきたい。手が完全に2つに裂けてしまっていますよ、幸い手の骨は折れていませんが下手にくっついたら手の機能が失われます」
「そ、その時はもう一度切り直すさ…ててて」
「自分の体を何だと思っているのですか?強さの象徴である太陽神もその様な暴虐を望んではいませんよ」
医師は糸と針を取り出すと裁縫の様に傷口を縫い始めた。
狼人族はこの程度で悲鳴を上げることはない、それは不名誉なことなのだ。ただ、やせ我慢をしてはいるものの、やはり痛いものは痛いのだ。
「いや〜〜っ、狩猟神は、食わない獲物の殺戮は禁じているのでな〜」
「だからといって自分の手を犠牲にしてどうするんじゃ?」
「な〜に、魔獣に手を食いちぎられたのは初めてじゃないからな、脚を食いちぎられた事もあるが、結構生えて来るもんだぜ」
ゼンガーは嫌な顔をした、少なくともそう簡単に自らを傷つけられる度胸はそうそう付くものではない。
「それにしても、瘤翼竜を操れるとは、狼人族もなかなかに大したものだな、大酋長にしてやられたわ」
「ワシの手柄ではない、我らにもそれなりの占師がいるということさ。特に台地から追放された連中は優秀でな、それはわかるだろう僧兵長殿」
処置の終わった手は、医務技官がいつの間にか包帯を巻き始めている。台地の医者は手際が良い。狼人族では傷など舐めてりゃ治る程度の感覚なものなのだ。もっとも痛みはだいぶ少なくなってきたので正直言って助かる。
「そういえば貴様、何処で槍術を習った?狼人族では槍術が発展するような下地は無いと思うが?」
「そうだな、我々はめったに戦争を起こさない。だいたいが序列勝負によって決められるからな。それに槍術は狩りには全く使えない」
槍術では相手は同じ様な武器を使用することが前提になるが、獣の持つ武器は接近戦で使用される角であり牙である。それを避けるための槍術であり、獣が槍を持つことはない。
「それよ、あれは対人戦闘訓練だ、戦争を起こさないお前たちには無用の戦法ではないか」
「ところがな、序列勝負には結構有効でな、子供たちの育成には使わせてもらっているよ。忘れたのか?あんたが俺に教えてくれたものだぜ、あんたと手合わせしてすぐにわかったからな」
「私がか?そう言えばそんな事も有ったかな?たしかにお前の動きは私の流れを汲んでいる様に見える」
「あんたがもうちっと若い頃に俺の村に交易の護衛に来たことが有ってな、その時に槍術を村の子供たちに教えてくれたのを覚えているかな?」
ゼンガーが狼人族との交易の護衛に出たのはもう30年くらい前の事だ、その頃はあちこちで槍術を広めていた記憶がある、その時の弟子のひとりらしい。
「あの頃はまだ若かったからな、私も自分の身につけた技術を広めたいと思っていた時期だな」
まだ頭がグラグラするが、無理に頭を上げると地面に座り込んだ。
「その頃の俺はまだ大人顔になる前の年齢だったからな、顔なぞ完全に違っているからわからなかったろうが、俺はあんたと手合わせが出来て嬉しかったぜ」
ゼンガーにとってはこの言葉はふたつのことを知らせてくれていた。
ひとつは自分の伝えた槍術が狼人族の中でも伝えられていること。そしてもうひとつは自分たちが逃した巫女候補達が、無事に狼人族の村で生き延びてその地位を確立できている事であった。
「そうか、様々な所で人間同士の繋がりは出来るものだな、少なくとも私のやったことは無駄ではなかったということだ。それで?我らをどうするつもりだ?」
「どうもせん、神殿長に聞きたいことが有るだけだ。それが終わったら故郷に帰る」
バオ・クーの手の怪我を手当した兔人族の医師はどうやらさっき来た、リーダーっぽいやつだったようだ。バオ・クーの首に布を掛けて腕を吊ると手当が終わったのだろう、向こうに行こうとする所を首根っこを掴んでぶら下げる。
「な、何か御用でしょうか?私は他の怪我人の手当をしなくてはならないのですが?」
ぶら下げられながらも萎縮はしていない、兔人族の医師としてはなかなかの胆力である。手当は終わったんだからさっさとあっちへ行けよ、とその目は訴えている。
「なに、大した用事ではない。あんた医務技官と言ったよな、神殿内部のことには詳しいのか?」
技官はじっとバオ・クーを見ている、何と言って良いのか考えているのだろう。
「すまんがあんたには、神殿長のいる部屋に案内してほしい。僧兵長はこのとおりだし、案内してもらえずにそこいら中で戦闘をしながら探したくはないのでな」
兔人族の医務技官は、境内で血まみれになっている僧兵たちを見て複雑な顔をしている。
「神殿長に御用なのですか?」
「まあ、一応そのために訪ねて来たのだがな。結構な歓迎を受けているが、あんたらもこれ以上怪我人を増やしたくはないのだろう?」
医務技官の男がチラリとゼンガーの方を見る。ゼンガーは軽くうなずいて見せる。
「わかりましたご案内致します」
ものすごく渋い顔をしながら、ため息とともに答えた。
「まて、ワシも同行するぞ。貴様が神殿長を傷付けるのであれば看過できんからな」
ゼンガーも頭に大きなコブが出来ており、足元がグラグラしていたが槍を杖にして立ち上がる。
「心配するな、殺しはせん。手足の一本くらいはもらうかもしれんがな」
ニヤリと歯を剥き出して物騒なことを言うバオ・クー、隣で医務技官が冷や汗を流している。
「あ、あなた方の生き方は知りません。しかしこの台地ではむやみな殺生はご遠慮願いたい」
医務技官の声は抑えられてはいたものの、僅かな恐れのゆらぎが見て取れる。
しかし巨大な狼人族を前にして、そういう発言が出来ると言うこと自体に非常な意思を必要としただろう。
バオ・クーはこの医務技官に対する考えを少し改めた。
「兔人族にしては肝が座っておるな、名前を聞かせてもらえるかな?」
「神殿本館附属病院の医務技官でビラートと申します。それより下ろしてはいただけないでしょうか?」
「わかった貴官の要求には最大限の努力をしよう」
ゼンガーはビラートをそっと下ろした。
「努力ではなく実行すると確約してください」
「大丈夫だ、お主がいれば滅多なことでは兔人族が死ぬことはなかろう」
そう言われては仕方がない、諦めて神殿の奥に向かって歩き始める。
バオ・クーもビラートに続いて神殿の最深部に有る最高祭祀場に向かって歩みを進める。
最高祭祀場の入り口には僧兵2名が立っており狼人族を見ると槍を構えて大声で制止する。
ゼンガーが前に出てドアを開けるように指示すると大人しく扉を開けた。