神殿の決闘
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――神殿の決闘――
目に見えないほどのスピードで繰り出された突きをバオ・クーは前腕部に巻いた皮の防具で受ける。
大型魔獣の皮で作られた防具は特に丈夫で、獣の牙から腕を守ってくれるためのものだ。
たかが一枚の革と思うだろうが腕を食いちぎられるか否かの違いが出る、決してその防御力は小さくはないのだ。
素早い突きに対して体を移動し前腕部の防具で刃先をそらす。
「私はこの剣で大型魔獣を何頭も仕留めているのですよ」
すっと距離を取ると刀を構えたままトントンとステップをふむ。
「おまえ、さっき言ってた事と矛盾しとりゃせんか?大地は下賤なのではないのか?」
バオ・クーの言葉にもシングードは軽侮の表情を崩さない。
「我々もまたあなた方同様に肉が必要なのですよ。しかし台地には我々が食うに十分な肉は有りませんのでね、下賤な地にも降りなければならないのです。誠に慙愧に堪えません」
「成程、貴様は不本意に大地に降りて獣を狩っておるのか?食料となる獲物に対する感謝の気持ちはないのか?」
「なぜ魔獣に感謝しなくてはならないのですか、彼らの存在のおかげでこの世界は危険に溢れているではありませんか。我々はそれを少しでも取り除いているのですよ」
シングードの剣速に防戦一方となったバオ・クーの防具には刃物による切り傷がいくつも付いていた。
「なんじゃ、お主は生きとし生けるものに対する感謝の気持ちを両親から教わらなかったのか?情けないやつじゃのう」
それにも拘らずバオ・クーはのんびりとした口調を変えない。
「我々が安全な台地の上で安穏と生活しているとお思いですか?僧兵は戦いのために毎日訓練を行い、その上で私は剣を使う戦い方に習熟しているのです、降参なさい貴方に勝ち目は有りませんよ」
すすすっと間合いを詰めると突きからの切り上げ、切り下げと縦横に剣先を操る。僅かな隙を付いて岩の様な拳が襲う。もし当たれば本当に岩でも砕けそうな勢いだが、シングードはその直前に大きくジャンプをして拳をかわす。
すーっとバオ・クーの額から一筋の血が流れる。大酋長の劣勢は誰が見ても明らかであった。
しかし周囲の狼人族はふたりの対決を見守ったまま動こうとはしないし応援もしない。序列勝負の神聖なる作法なのであろうか?
それに対して僧兵達は大声で声援を送っている。シングードの剣先がバオ・クーの体をかすめ出血をさせる度に大声を上げている。
「やはり武道を学んだことのない人は武道の動きには付いてこれないようですね。脆い、脆すぎますよ大酋長さん」
周囲を飛び跳ねながら攻撃を続けるが、バオ・クーの拳は大振りを繰り返すだけでシングードにはかすりもしない。
息を切らせるバオ・クーに対し、全く息の上がっていないシングードの勝利は揺るがないように見える。既に腕に巻いた防具には多数の切り傷が作られ、バオ・クーの体にもいくつもの傷を負っており出血をしていた。
「いかかですか、もはや傷だらけではありませんか?私には一発も当たっていませんよ、もう負けを認められてはいかがですか?」
血まみれとなったバオ・クーは腕を前に上げて戦闘態勢を崩してはいない、間合いを取ったシングードが余裕の発言を行う。
「おかしいな、先程までうるさいほど多かった僧兵の声援が今では全く聞こえないな、どうかしたのかな?」
そう考えたシングードの心を見透かしたようにバオ・クーの顔が崩れてニヤリと笑う。ハッとして後ろを見ると僧兵達がみんな地面に伏しているではないか。その中から歩み出てくる男がいた。
「ボロック。結構遅かったな」
「申し訳ありません、音を立てずに移動したので遅くなりました。大酋長が時間を稼いでくれたおかげで誰も殺さずに倒す事ができました」
途中で別れたボロック率いる一団は音を消して神殿の裏手から近づき、バオ・クーとシングードの戦いに気を取られていた僧兵を背後から順番に倒していったのだ。
「こ、これは?貴様謀ったな!?」
顔をこわばらせたシングードが叫び声を上げる。
「グルルル、言ったはずだ、ワシらは狩人であって兵士ではないとな」
まともにぶつかりあえば双方に必ず犠牲者が出る、その事を危惧したバオ・クーはボロックに命じて神殿の裏から奇襲をかける作戦を取ったのだ。お調子者が序列勝負を挑んできてくれたので喜んでそれに乗ってみせた。
バオ・クーはさすがに大酋長である。単なる脳筋ではなく戦術、戦略の考え方のできる人間であった。
「こうなったら貴方を殺してこの不始末の償いとしましょう。そんな血だらけの体で私に勝てないことはわかっているでしょう」
シングードは大きく飛び上がると全力でバオ・クーに切りかかってきた。
「ガルル、阿呆が…」
呟いてバオ・クーは無造作に手を上げて刀を掴むような仕草をする。
「愚か者、私の刃を掴んだらその腕ごと真っ二つになるのですよ」
「そうか?」
無造作に刀を掴んだように見えたが、その手の中で刀が砕けて弾け飛んだ。
「ば、馬鹿な!こんな事が有るはずがない」
折れた刀を見てシングードは当惑の表情を隠せない。絶対的な自信に溢れ、相手を真っ二つに出来ると信じていたにもかかわらず、いとも簡単に刀を粉砕されてしまったのだ。
「ふん、衝撃波の応用だ、手の中に魔法を起動し衝撃波で刀を包んだのだ。これで大型魔獣の頭を掴むと連中は確実に気絶をするでな」
そこで初めて気がついた。狼人族は最初から僧兵を相手にはしていなかったのだ。ただ周囲を巻き込むこと無く、安全に僧兵全員を気絶させるためにこんな茶番に乗ってきたのだということを。
バオ・クーは素早く踏み込むとその岩のような拳を撃ち込んだ。大きく顔を歪ませて、シングードは5メートル以上もふっ飛ばされて伸びてしまった。
「大酋長のお怪我の程は?」
「力神の恩恵でかすり傷ばかりだ。此奴の剣は道場で学んだ剣なのだろう。切っ先の見切りで振るう剣では踏み込みが足らんでな、これでは獲物に致命傷は与えられん」
バオ・クーは彼の剣を完全に見切った上で、わざとかすり傷を受けて血を流して劣勢に見せていたのだ。狼人族に取ってはこの程度の傷は跡形もなく治ってしまう程度の物なのだ。
「神殿の外部にいた僧兵は全て片付けました、ひとりも殺してはいません」
周囲で見ていた狼人族が次々と気絶した僧兵の足の健を切っていく。兔人族なのですぐに治ってしまうだろうが、これでしばらくは戦闘に参加することは出来ないだろう。
「よくやった、我々とて台地との交流を断絶する訳にもいかんからな、遺恨は残さぬほうが良い」
「我々にも少なからず翼竜による犠牲者が出ています」
「うむ、それ故にまずは確認せねばならぬ、それではコイツを土産に神殿長殿にお目にかかろうか。これでも一応精鋭なのだろうからな」
大酋長は気を失っているシングードの襟首を掴むとそのまま引きずって神殿の正面に向かって歩いていく。
慌てて酋長であるボロック達が周りを囲んだ。建物内は隠れる場所が多く、序列勝負ではないので一人で入っていく義理もない。
神殿はぐるりを塀によって囲まれており、いくつかの入り口には山門の様な大きな扉が付いていた。外部の人間が入ってこないようにしているのだろうか?砦でもないにも関わらず閉鎖性の強い組織のようだ。
山門の扉は閉められていたが、ボロック達が既に山門内部に忍び込んで門番を倒していたので中に残っていた者の手によってすぐに開けられた。
神殿前の広場には何人かの一般兵が倒れていた、兔人族の耳でも気配を感じられないほど彼らの感覚は鈍っているのだろうか?そう思ってボロック達は山門をくぐった。
その瞬間ふたりの一般兵が槍を構え、音も立てずにバオ・クー目掛けて飛び降りてきた。
「がルッ!」
バオ・クーは一声吠えると、上に向かって衝撃波を打ち上げる。構えを取らずいきなりの発動であったので、衝撃波を受けた兔人族の一般兵は受け身を取る事も出来ずに跳ね飛ばされて、山門にぶつかって落ちてきた。
「グフフッ、コイツ生きているか?」
バオ・クーが兵士を蹴っ飛ばすと、白目を向いて仰向けになっている。
「はい、問題ありません。しかし小奴らに良く気が付かれましたな」
兔人族の様子を見て、苦々しくボロックは答える。
このボロックが目を盗まれるとは失態であった。まだまだ研鑽が足りないと強く思うとともに、大酋長への道は険しいと思った。
「グフッ、樹上に常に気を配るのは狩人の基本、小奴らめ、最後の最後に殺気を放ちおったわ。しかしボロックの目を逃れて気配を消すことが出来たとはこの僧兵もなかなかの腕、月神のご加護だ、むやみに殺すではないぞ」
「はいっ、こいつらは脚の健を切ってその辺に転がしておけ」
殺しはしないものの処置は結構苛烈である。もっともこの程度ではすぐに跡形もなく治ってしまうだろう。
「グウッ、しかし臆病を絵に描いたような兔人族にも多少は勇敢な者もいるのですな」
「どんな種族にも例外はいる。コイツのように自分がその例外だと誤解する人間もまた必ずおるがな」
片手で引きずっているシングードを示す。当の本人は顔が腫れて相当に崩れている。この後、修行をやり直して再起するか否かはこの者次第だろう。
神殿の通用門が開いて中からバラバラと一般兵が飛び出してくると様々な魔法を撃ち出してくる。中には小型のフェルガを放つものもいた。残念ながら狙いがあまり良くない、この魔法は細いので急所に当たらなければどうということはない。
バオ・クーの後ろから歩いてくる狩人達が風を使うと、炎弾系の魔法は威力は弱く簡単に消滅してしまう。その後に衝撃波と電撃波の一斉射撃を行うと、全員が魔法を受けて吹っ飛んでしまった。
普通の兔人族では流石に狼人族の相手にはならない。
「衝撃波や電撃波が意外と使い道が有るな、狩りではあまり使えない魔法なのだが」
「頭を掴まないと効果的では無いですからな、槍で急所を突いたほうが安全で確実です。それでも小物の狩りにはよく使われていますがね」
山門の外では周囲から出て来た市民が怪我人を引きずっていく。動かすことの出来ない僧兵の巨人はその場で手当をしていた。
兔人族はチラチラと狼人族を見ながら手当をしているが狼人族は咎める事もない。それよりも山門内部に入り込んだ仲間の為に外部からの支援に警戒をしている。
兔人族の一般兵は驚異にはならないが神殿の外部に僧兵が残っていた場合は厄介なことになる可能性も有るからだ。
一般兵を相手にしている間に神殿正面の扉が開き、巨人の僧兵が出て槍を構えて並んだ、その後ろから年を取った僧兵が現れる。僧兵長のゼンガーである。
「狼藉を働くのは何者か?ここは神聖なる龍神教コクラム台地神殿本館である、異教徒は直ちに退去せよ」
僧兵長の言葉とは裏腹に僧兵達は顔を血まみれにしたシングードの姿を見てかなり怯んでいるのが見える。
バオ・クーの、彼我の戦闘力の差を見せつけて戦意をくじく心理戦である。それを横で見ていたボロックはあらためて交渉と言う物のあり方に、いろいろと勉強になるなと考える。
「グフフ、すまんな、ワシらも家族を殺されているのでな、お宅の責任者にちょいと事情聴取させてもらおうと思っているのだが、そこを通しては貰えぬだろうか?一応手土産を持ってきたのだがな」
気絶したシングードの体を僧兵達の前に放り投げる。僧兵が突撃をするのであればこの男を踏み超えなくてはならず、突進力を削ぐ効果が期待出来る。ましてや全力のフェルガは彼らの後ろにいる兵士や一般市民に甚大な被害を及ぼすという警告の為である。
「ならぬ!貴様らごとき下賤な輩に我らが神殿が犯されるなど言語道断、命が惜しければ即刻立ち去れい!」
「いや、一応こいつはお前たちの仲間ではないのか?こいつはまだ死んではいないぞ、こいつを踏みつけにして我らと戦うのか?」
「構わん、僧兵は神殿に命をかける使命が有る者たちだ、戦って死んでもお前たちを阻止できれば報われた死だ」
もともと勝ち目はないと踏んで送り出されたシングードではあるが、かなり気の毒な言われようである。
「あんたの言葉を聞いてこいつは何ていうのかな?ひとつ聞いてみるか?」
バオ・クーが蹴飛ばすとシングードはうめき声を上げて体を動かす。
「グフウッ、しかしこいつは何じゃ?お主の部下のようだが?筋は悪くはなかったようだが己の力量がまるでわかっておらぬ。うぬぼれだけは人一倍強いがそれは兔人族の中での能力だ、狼人族とでは自力が違いすぎる事を知らんようだな」
「その未熟者に苦戦をしたおのが力量も知れるというもの。何じゃ貴様のその格好は?血まみれではないか。シングード部隊長程度に苦戦するような腕で我が僧兵部隊の槍衾を突破しようなどとは笑止千万」
「おいおい、この阿呆の事を言っているのか?口先だけで全く使えないのではないか?彼我の能力差すら計ることが出来んようでは如何ともし難い、こちらの奸計に簡単に引っかかりよる」
「奸計?この男をだまし討にしおったのか?卑怯な男じゃな」
状況はわかっていたがそれでも僧兵部隊の士気に関わるのである。ボコられたシングードを嘲るような事はことは言えるわけもない。
「やれやれ、平和的な話し合いを期待してきたのだが、そうも行かないようだな。こちらも台地の民を殺したくは無かったのでな。少し体を張ることにして時間を稼がせてもらっただけだ。おかげで裏に回らせた勢力で、そちらの僧兵は全部片付ける事が出来たぞ」
ゼンガーも外を守る僧兵達が狼人族に勝てるとは思ってなどいなかった。しかし多少でも兵力を削いでくれれば良いと期待をしていたのだ。まさかこの阿呆が、狼人族の大酋長に序列勝負を申し込むとは思いもよらなかった……勝てるわけが無かろうに。
それに気を取られた僧兵達が背後からの不意打ちで全滅したと言うのだから余りにも愚かすぎる。その報告を受けたゼンガーは絶望的な気持ちになった。
せめて和解交渉が出来る状況に持っていければまだ活路は見いだせたものを。
大酋長の後ろに控える狩人達は怪我ひとつしていない、僧兵側の完敗である。
「外にいた僧兵を全部殺したのか?」
「馬鹿をいうな、ひとりも殺してはおらん、もっともしばらくは動けんようにしてはあるがな」
「それについては感謝をしよう。まあ、こいつもこれで少しは学ぶことが出来たであろうな。しかし貴下を通す訳にはいかぬ、ワシにも職責があるでのう」
槍を持ったゼンガーが前に出る。
ゼンガーにしても戦力で狼人族を上回れるとは思ってはいなかった。しかし立場を考えればここで逃げるわけにはいかない。
シングードは剣術に関して言えば若くて体力もあり隊内随一の腕前であった事は間違いがない。善戦はしたようだがこの狼人族に勝つには力不足だったようだ。
今日がワシの命日になるのかな〜?
まあ相手が狼人族だから殺されない可能性も有るが、どちらにせよ自分の立場はこれで完全に失われるだろう。後ろに控えていた僧兵が槍を構えて前に出てくる。それに対して狼人族も槍を構える。
一触即発の臨戦態勢である。このまま戦闘が始まれば双方に大変な被害が出てしまう。