出撃
5ー004
――出撃――
酋長会議はかなり紛糾するかに思われた。
50の村から120人以上の人間が集まれば簡単にまとまると思うほうがおかしいのである。
大酋長のバオ・クーは酋長会議に出席する際に着ける羽飾りを被って会議に挑む。しかし広場に集まった村長と酋長、それにいくばくかのシャーマンを前に黙して語る事は無かった。
しかし5つの村が攻撃を受け10人の狼人族が死んだ事を考えれば、行動を起こさない選択肢は無かったと言える。
「グルル・・お前たちは復讐を望むのか?」
大酋長が問う。
「真実を」
誰かが言った。
「我らの家族は翼竜によって殺された、彼らは竜神ダイガンドの下僕と言われている」
反対側から声が上がる。
「ではダイガンドを詰問しにでも行くかの?」
からかうような声が上がる。
「ガウッ!その前に娘を殺そうとしたコクラムの台地へ行って話を聞くのが筋であろうな」
大酋長は威嚇を持ってからかった者に答えた。
「「おお、それでは!」」
多くの酋長が同意した。
襲撃時の交信を傍受できたシャーマンが他にもいたので、事の由来は既に各村々に伝わっている。
何者による指示であるのかはわからないが、エルラーを狙った頃は明白であり、同時に天上神がそれを止めた事も皆の知るところとなっていた。
そうなればコクラム台地に赴き、神殿長を詰問することに異論が出ることもなかった。
「ただし死者を出すことは絶対に慎まなくてはならない。それは皆も理解しているだろうな」
アマクラ村の村長が主張する、兔人族を殺す事は交易の断絶を意味する、その事を良く理解しているのは村長であった。
「ガアウッ!生ぬるい!責任者を引きずり出し民衆の前で首を切るべきだ」
家族を殺された者の怨嗟の声を代表して酋長が主張する。復讐を望むのは当然の事であろう。
村長と異なり酋長は狩人の取りまとめである、死生観が武力に振れるのは致し方がない。
「我らが台地の人間を殺せば彼らも瘤翼竜を使った反撃を行ってくるだろう、そうなれば復讐の連鎖だ。我々とてそう何度も遠征を行う能力はない」
村長が反論する。彼の役目は村民の安全と生活を守ることにある。
「グルルゥゥ・・では彼らの蹂躙を許すのか?」
「台地と大地は互いに補完し合って生きている、それとも兔人族を皆殺しにしたいのか?」
村長のこの言葉には、流石に異を唱えることは出来なかった。兔人族の大半は肉を食わない幼体(市民)型であり、狼人族の半分程度の大きさである。弱き者を殺すことは彼らの生様を否定することに等しい。
「グゥゥッ、抵抗が有った場合手足を切り取る事は?」
「それは止むを得ない、死ななければ良い。ただし子供を傷つけることは許されぬ」
手足を切り落としても時間が経てば生えてくるが、子供を傷つける事は狼人族の矜持に反することなのだ。
狼人族の争いの不文律に、子供に対して危害を加えてはならないという物が有る。
身長3メートルの狼人族である、それより小さい兔人族の、更に小さな子供達に手を出せばどの様な惨劇になるか?考えるだけでおそろしい。
「それでは出発は満月の10の日とする、50の村から酋長を含む5人づつ。250人で襲撃を行う。各自戦闘用の装備と水筒を持ち、手鉤とロープを用意すること。食料は途中で獲物を狩る事とする。槍は移動の邪魔であるから短槍を使用することとする。」
「「「「御意」」」」
槍は狩りの道具であり、その使用は必ず相手を殺すことにある。それ故に長槍の持ち込みを禁じたのは実は兔人族を殺さないためであった。
5日後の、10の満月の10の日とは満月に近づいた時期を意味する。台地に近づいた頃に満月となる。夜目の効く狼人族にとっては満月が有れば夜でも昼間のように活動が出来る。
本来彼らには非常時には水すら必要はなく、獲物の血を飲めば事足りる。彼らは人間が大型魔獣になった生き物なのだ。
コクラム台地まで約500キロ、ほとんど荷物を持たずに駆け抜ければ3日で到着できる。彼らには幾人かのシャーマンも同行する。どの村にも能力持ちながら普通に暮らす人間がおり、彼らが作戦に同行し通信業務と位置測定を担当する。
ティグラはアー一族ではもっとも優れたシャーマンであり、他の村のシャーマンがベギム村に集まり通信ステーションとしての役割を担う。
村から出る襲撃部隊は酋長が先導する、全員が同時に出発するが、途中での狩りの問題も有り、集合場所だけは決めている。
酋長が村に帰り、村人に説明をすると殆どの人間が志願をした。中には成人に達していない子供すら手を上げてきた。
現代に置いても、若者は戦争に出征する時には敵を殺すことを考える、しかし自分が殺されることは考えない。
戦争に行きたがる若者は敵を目の前にし、敵もまた銃を撃ってくることに気がついた時に志願したことを後悔するのである。
人選は慎重に行われた。500キロの距離を走り抜き、台地によじ登り兔人族と戦うのである。同時に村の生産に支障の出にくい人間を選ばなくてはならなかった。
ボロックは残り4人の若者を選びだした。自らの補佐を求めてベテランのルムツを、若手チームリーダーのコルグと軽量のバンク、シャーマン能力の有るシンクである。
ルムツには、自分に何か合った時の為の補佐役に、コルグには将来のための経験を与える為に、軽量のバンクには手鉤で台地に登らせる為に、狩人としての能力は高くはないが、シャーマン能力の有るシンクにはティグラとの連絡の為に、それぞれを選んだ。
バンクには手鉤を、ムルツとコルグの二人にロープを持たせることにし、武器は短槍にナイフだけを装備させた。
通常狼人族が使う槍は3メートル近くあり、普通に考えれば十分に長槍である。これは大型の獲物を確実に突き殺せるように刃渡りも長いのである。今回は狩りが目的ではないので刃渡りの短い2メートル程の物を使う。持ち歩いているナイフが1メートル近いのであるからさほど変わらないとも言えるのだが。
「いいか、絶対に相手を殺してはならん、抵抗するものは手足を切り落とせ」
「「「「応!」」」」
「子供に手を出してはならん!相手は兔人族の子供だ、殴れば死ぬぞ」
「「「「応!」」」」
「僧兵は十分に戦闘的だ、我々狼人族の敵ではないが決して侮ってはならん」
「ガルルル!ボロック、それでも殺してはいけないのか?」
若手のコルグが血走った目で尋ねてくる。
「グルル、我々の目的は侵略ではない、あくまでも情報収集だ。殺すことは将来に対する禍根を残す」
「ガウッ!しかし我々の家族は殺された!」
「彼らが殺したのかどうかはまだわからん。翼竜を操れるのは龍神ダイガンドだけだ、龍神が指示したのか、彼らが願ったのかを確認せねばならんのだ」
「ガウウッ!そんなもの、龍神の責任にするに決まっているだろう!」
それでもコルグは食い下がる。若さゆえの感情だろう。
「グウウゥゥ!コルグ、納得できないのなら降りろ!この酋長の命令に従えぬのであれば追放をする、忘れるな!」
ボロックの本気を感じてコルグは口を閉じた。格の違うボロックの迫力に、コルグの尻尾は股の間に入っていた。
決行日の朝に大酋長のタング村に集合し、作戦の詳細を打ち合わせた後に出発をする。
各村のシャーマンも一緒に村に集まっており、そこの集会室を使って瞑想を行うことにする。無論ティグラとエルラーも来ており、50人以上のシャーマンが天と交感を行いながら侵攻部隊に同行するシャーマンへの案内を行うのだ。
集まったシャーマンの中には兔人族の者も多くいる。エルラー同様に台地から放逐された者かその末裔の者たちである。中には巨人化した者もいた、大地の生活の過酷さ故である。
村の広場に集まった狼人族の狩人の集団を村人とシャーマン達が見送りに出る。
「ご武運を…皆様に慈愛の神、月神のご加護がありますように」
エルラーが彼らに祈りを捧げるのを聞いてボロックはエルラーに跪く。
「おおエルラー、我らの神の名を覚えてくれたのか、ありがとう。これで力が100倍になる」
彼女に出来るのは彼らのために祈ることくらいしか無いのである。
「お前たち絶対に死ぬんじゃないよ」
「おう、おばば様。誰一人も欠けることなく戻ってくる、心配するな」
ボロック達はニッコリと笑ってティグラに答える。
「大地神の元、力神に誓い、太陽神、月神のご加護により、天上神が我らを台地に導いてくれるだろう」
大酋長の号令によって、250人の狼人族が一斉に台地に向かって走り始める。
その光景は圧巻ですらある。身長3メートル、体重200キロの巨人がまとまって時速約40キロで一斉に走っていくのである。武器以外の荷物をほとんど持つこと無く走る彼らにとって、この世界としてはもっとも早い移動手段なのである。
水は所々にある河や池で補給をし、食事は食える獲物を見つけ次第狩ってそこで食う。競争ではないのでトップを狙う意味は無い。とは言えこれだけの大人数が移動すると、周囲の獲物は逃げてしまうのでなるべく先頭に近い場所にいたいというのが本音である。
走り始めて3時間もすると樹海から出てしまう。樹海の外は枯れた森と固い台地である。樹木は枯れて倒れ、その木の上に苔や草が茂っている。土地は固くなるがこの星の生き物は固くはならない、その様な生き物だけがこの大陸では生きていけるのだ。
この枯れた森はそれほど古くはない。まだ枯れた木々がだいぶ形をなしている。狼人族はコースを変え樹海との境目を走っていく。樹海の中のほうが獲物は大きく濃い、樹海は木が大きく育てば下生えは衰退していく。見かけほど走りにくくは無いのだ。
多少遠回りになっても樹海の中を走ったほうが良いという判断があった。台地に近づくまでなるべくこのコースを取って獲物を探しながら走っていく。
突然群れから離れて樹海の中に入っていく者がいる。それを見て残ったメンバーもそれに続いていく。
おそらく獲物を発見したのだろう、身を低くして物陰に隠れながら近づいていくようだ。残りのメンバーはそれを囲むように大きく輪を広げていく。密かに近づいていくのに気が付かないのかもしれない。獲物はゆっくりと餌を食べている。
彼らが猟に成功したかどうかはわからない、他の人間には関係のないことだ。
そうやって時々群れから抜けていく者が増えてくる。
群れ全体を統率する者はここにはいない。目的地がはっきりしている場合はそこに至るまでの道程は各村の酋長が考えることだからだ。
ベギムの村のメンバーも走りながら獲物を探していく。ルムツがいきなり横にずれると物陰に伏せる。それを見た他のメンバーもその場に身を隠す。ルーグ(山羊に似た動物)の匂いを既に全員が嗅ぎつけていた。
ルムツが大きな体を隠しながら獲物に接近する。指示を出さずとも各自が勝手にバックアップの体制に入る。
一気に距離を詰めるムルツ、ルーグの一種が槍の一撃を受けて倒れていた。すぐに首を切り落として血抜きを行う。
「少し早いが昼飯にするぞ!」
他の人間はそのまま走り去っていく。彼らも適当な所で獲物を狩るのだろう。火を起こし切り分けた肉に塩を振り串に刺して炙る。
「この境界の帯域はどのくらいで離れることになる?」
「後1日は走れるだろう。その後は枯れた森を走ることになるが、倒木もかなりあるから相当にスピードは落ちると思われます」
シャーマン能力者のシンクが瞑想をした後に答える。
「最初から枯れた樹海の中を走る選択をした村もいたとは思うがな、どちらが良かったかは結果論だろう」
枯れ果てて50年も経てば倒木も虫に食われて粉になっているだろう。枯れた森にも多くの蟲がおり、それを食う動物もいる。決して生命のいない場所では無い。
したがって小物とは言え枯れた森で獲物を取ることはそれほど難しくはない。それ故に台地の無かった太古の時代にも人間は生きてこれたのだ。
シンクはふと考える、これまではあまりにも当たり前であり、考えることもなかった事ではあった。
台地は天上神によってもたらされたと言われている。それがどの様な経緯で兔人族にコントロールされるようになったのかは誰も知らない。
天上神によってもたらされた役目だと兔人族はしている、言葉や文字もその時に与えられたそうである。それ故に我ら狼人族との言葉が違うのだ。
狼人族の文字は兔人族から伝えられたものを狼人族に合わせて使っているのである。そう考えるとこの大陸の文化構成は多分に恣意的な匂いがする。
「おばば様の話では龍神教が出来たのがおよそ500年前、兔人族の台地の歴史はおよそ5000年前と聞いています。それ以前は台地のないこの大陸ではどの様に暮らしていたのでしょうか?」
台地がなければ大地は育たない、枯れた森も出来ない時代に人間はどうやって生き延びて来たのだろう?
「シンク、そういう難しいことを俺に聞くな、どちらかと言えばお前のほうが専門だろう。何なら攻め込んだ台地の神官に聞けるかもしれんぞ、ちゃんと生かしておけばな」
「そうですね、是非聞いてみましょう」
ボロック自身はこの村の酋長として狩人を統率するのが天命だと考え獲物と狩りの事しか考えることはなかった。しかしまだ若いシンクは様々な事に好奇心が強い。
感能者としての才を見出されたがティグラが生きている限りこの村のシャーマンにはなれない。だが彼はそんなポジションを求めてはいない、感能の能力は、彼の知恵や知識を増やすことの出来る能力であることに気づいたからだ。
ボロックは冗談で言ったのかも知れないが、シンクにしてみれば大いに本気の状況だった。
「夜に走りますか?それとも寝ますか?」
コルグがボロックに聞いた、夜目の効く狼人族である満月に近い今は、闇はあまり問題にはならない。今回は500キロを3日間で走り切る。迂回するから実質は600キロにはなる。
さして厳しい距離ではないが枯れた森はかなり走りにくいと考えなければならん。休息を十分に取ることも重要だ。
「今の時期はさして暑い時期ではないから昼に走った方が良いだろう」
本来その先祖は夜行性であったのだろうが、今の狼人族は昼行性が強く出ている。その理由は文化を持ち、狩り以外の活動を行う時間が増えたためである。物を作り、物を学ぶには明るい昼間のほうが有利であるという事だ。
狼人族は人間としての生活を送るために夜行性を捨てた。もちろんその能力は継承され今でも夜行は可能で、行動を昼にするか夜にするかは単に楽であるか否かだけである。
昼食後ゆっくり休んだ後暗くなるまで走り続け、途中の池で水の補給をし暗闇の中で獲物を狩った。
夜は全員で丸くなって眠る。見張りはいない。野営であっても近づくものがいれば必ず目を覚ます、彼らは兵士ではなく狩人なのだ。




