096 終戦を迎えて2
王都のモリアティーニ侯爵邸にいくつもある部屋のうちの一つ。客室の扉を開けると、高級感あふれる空間が広がっていた。床には華やかなペルシャ絨毯が敷かれ、優美なシャンデリアから落ちる光が、室内を程よく照らしていた。
優雅な調度品が配された客室には、風情ある絵画が飾られており、以前は窓から庭園の美しい景色を見渡せたようだ。
現在その庭園は、戦争により荒れ果ててしまっている。だが、王都では復興に向け、全体的に動き出している。よって来年の今頃は、モリアティーニ侯爵家の庭園も、色とりどりの花を咲かせているかも知れない。
「ルシア様……っと、陛下。おめでとうございます」
現在ルーカスの面倒を一手に引き受けている、マージョリーが、部屋に侵入した私に人の良い笑顔を向ける。
「ありがとう。ルーカスの様子は?」
「今日は今までで、一番体調が良さそうです」
マージョリーは嬉しそうに告げると、私にツツツと歩み寄る。そして口に手を当て、内緒話の姿勢をとった。
「今日は一度も苦しまれておりませんでした」
「それって」
「殿下……ええとルーカス様は、込み上げる欲望を抑え込める状態になったのかも知れません」
マージョリーはホッとしたように微笑む。
「良かった……」
「はい、本当に」
「このまま、BGの禁断症状が出ない事を祈りたいわね」
「えぇ。きっとルーカス様はこの試練を乗り越えられるはずだと、私は信じております」
マージェリーは力強く言うと、ツツツと、さらにお互いのドレスが触れ合う位置まで私に詰め寄る。
「ルシア陛下、私は席を外しますので、何かあればお呼び下さい。どうぞごゆっくりルーカス様を癒やしてさしあげて下さいませ」
「言い方……」
いかにも男女の何かを期待しているといった様子のマージェリーに対し、私はいつも通り、薄目を返す。
「ほほほほほ。では失礼致します」
マージョリーは含みある笑顔のまま、恭しく頭を下げる。そしてそそくさと退室してしまった。
「まったくもう」
マージョリーの背中を見送った後、私は勝手知ったるといった様子で部屋を横断する。そして続き部屋となる、寝室の扉をノックした。
「ルーカス?入るわよ」
返事がないのは承知の上で声をかけつつ、私は入室の許可を得ないまま、部屋の中へ足を踏み入れた。
天蓋付きの豪奢なベッドの上には白いシルクのシーツがかけられ、美しい刺繍入りのベッドカバーが、部屋に上品な彩りを添えている。そしてベッドの上には私の予想通りといった感じ。顎までしっかりと掛け布団をかけられ、横たわるルーカスの姿があった。
ベッドサイドには、マージョリーによって持ち込まれたであろう、水差しとグラスが置かれている。
しかし肝心の本人はというと、静かに寝息を立てているようだ。
「あらら……疲れちゃったのかな」
先ほどまで、マージョリーが座っていたらしき椅子に腰掛けながら、私は苦笑する。
現在彼は、私が負わせた傷の治療中な上に、BGによる副作用と人知れず戦っている。
傷の方は、安静にしている事で治る。けれど、人間を捕食したという衝動を抑えるには、かなりの精神力。それから体力を必要とするようだ。
「頑張ってるもんね」
私はルーカスの頬にかかった髪を、指先で払う。それから掛け布団から出た、ルーカスの手に私と揃いの金の指輪がはめられているのを発見し、私は思わず微笑んだ。しかし、すぐにロドニールの顔が浮かび、私は慌てて首を横に振る。
(だめ。ロドニールは私を庇って命を落としたんだから)
だからルーカスを好きな気持ちは、誰にも悟られてはいけない。
私は、己の心に沸き起こる、甘い感情を咎める。
「これは治療の一貫だから」
誰もいない部屋で、私は一人言い訳を口にし、ルーカスの手をとる。そしてフェアリーテイル魔法学校時代と同じように、静かに自分の魔力をルーカスにわけ与えた。
この行為のせいで、ランドルフがルーカスの身体に固執してしまったという可能性は捨てきれない。けれど、私はミュラーから告げられた「グールにならない」という、その言葉の意味は魔力ではないかと疑っている。
私はグールにならない。つまり私の魔力にはBGに蝕まれたルーカスの身体を、浄化する力があるのではないだろうかと、推理した。それにやらないより、やった方がマシだ。そう思う私は、毎日こうして、ルーカスに魔力を分け与え続けている。
現に私が魔力を流し初めてから、彼の疲れたような、苦しそうな表情が和らいでいるような気がする。何より私も、こうしてルーカスに魔力を注いでいると、自然と心が落ち着くのである。
「ねぇ……早く元気になってよ」
私は切実な願いを込め、彼に囁く。するとルーカスは、無意識なのか、甘えるように私の手を握り返した。
「っ!」
不意打ちに胸が大きく跳ね、顔が熱くなるのを感じる。
「あーもう……俺を心配するルシア、かわいい」
ゆっくりとルーカスの目が開き、神秘的な輝きを放つ宝石のような、紫に輝く瞳がお見えした。どうやら私は、寝たフリをしていたルーカスにからかわれたらしい。
「起きてたんなら言ってよね。というかちゃんと目を開けておいてよ」
恥ずかしさを隠すようにぶっきらぼうに言うと、ルーカスは私の手を握ったまま、楽しげに笑う。
「だって、ルシアがキスしてくれるかもと思ったから」
「しないわよ」
「瀕死の騎士が、美しい姫のキスで目が覚めるってのは、定番だろ?」
「それは物語の中だけよ」
「じゃあさ、現実の俺はルシアの騎士じゃないのか?」
ルーカスは悪戯っ子のように微笑む。
「違うでしょ。ルーカスは私にとってふく……」
私は言いかけて、慌てて口を噤む。つい、癖で「復讐」と口にしかけてしまったからだ。
「俺への復讐はもう終わったんだよね?」
「そうだった、ような?」
確かに私は、瀕死のルーカスの復讐は終わったという問い掛けに対し、肯定した。
「疑問形が気になるけど。それで、これからは王女殿下とお呼びした方がいいの――」
「絶対やめて」
私はルーカスの言葉に被せるように、早口で言う。
「嬉しくないのか?君はソレを目指していたんじゃないのか?」
「別に目指してないし、父さんが王座に付くこと。それならわかるけど。それに所詮私はお飾りだから」
「そっか、ごめん。俺は君から奪ってばっかりだな……」
ルーカスはどこか寂しげな声で呟いた。
ルーカスと私は、終戦の日に起こったこと。それについてお互い話を避けている。だから私はルーカスから詳しく聞いたわけではない。けれどマージェリーからの情報によると、今回ルーカスは、グールとしての本能のままに行動していた時の記憶は、ぼんやりとしか残っていないそうだ。
ただ、ロドニールを食べてしまったこと。それは、周囲から発する憎悪のこもる感情で、何となく理解できたと、彼は口にしていたらしい。
つまり、ルーカスも私と同じ。ロドニールの死に人知れず責任を感じている。
(まぁ、そうだよね)
流石に気にするなと言う方が無理だろう。そして私も、未だロドニールに対する気持ちが整理出来ていない状態なので、出来れば彼の話題は避けたい。
「ルーカス、今日はBGの禁断症状が出なかったって。マージェリーに聞いたよ」
私があえて笑顔で話すと、ルーカスは困ったように眉尻を下げた。
「まだ、完治したって訳じゃないし。いつ誰を襲うかわからないから」
ルーカスは悲痛な面持ちで、言葉を絞り出す。
「でも、ちゃんと耐えられてるんでしょう?」
「あぁ。だけど、その分反動が大きいみたいで……。今も凄い怠くて、眠いし」
「え、大丈夫なの?」
「平気だよ。ルシアの魔力が効いてるから」
「……魔力を分けるだけで、そんなに体調が変わるものなの?」
私は首を傾げる。
「んー。なんていうか、ルシアに魔力を分けてもらってると、安心できるっていうか。癒されるんだよな」
ルーカスが何気なく放った言葉。それは私にも当てはまる事だった。私もルーカスに魔力を与えていると、安心するし、全ての煩わしさから開放され、癒されるような気がする。
「そうなんだ。じゃあ、明日も魔力をわけてあげるわ」
私はあえて恩着せがましく告げる。
「ありがとう。ところで、ルシア」
「何?」
「俺の傷が完全に治るまで、毎日魔力をわけてくれるつもりなのか?」
「まぁね。私に出来るのはそれくらいだし」
「嬉しいな。それに、魔力をわけてもらう度に、俺たちの距離が縮まってるような気がするんだよなぁ」
ルーカスは私の手を握りながら、顔を近づけてくる。
「そうね。多分、ルーカスの勘違いだと思うわ」
私は冷静に答える。
「……冷たい」
ルーカスは拗ねる子供のように唇を尖らせる。
「冷たくないよ。私は、ルーカスの身体を治すために魔力を分けてるだけだし」
私はルーカスの手を、やんわり振り払う。
「身体を治したら、俺がルシアを襲っても許してくれる?」
「駄目です」
「なんで敬語なの?」
「ルーカスが馬鹿なことを言うからでしょう」
「ルシアのけち」
「けちで結構。とにかく、今は大人しく寝ててよね」
私は立ち上がり、逃げるように部屋を出る。
「おやすみ、ルシア」
ルーカスの声を背後に、私は部屋の扉をパタンとしめる。そして扉の前で、私は大きく息をついた。
正直、ルーカスとの会話は楽しい。けれど、私はルーカスとどうなりたいとか、どうしたいとか、そういう具体的な考えは持っていない。何故なら、命をかけて私を守ってくれたロドニールに対し、失礼だと思うから。
「ロドニール、ごめん」
私はルーカスと楽しく過ごしてしまった事を、今は亡きロドニールに謝罪するのであった。




