049 食べたい気持ち
医務室に向かう途中。既に人気のなくなった中庭に到着すると、既に青ざめた顔をしたルーカスが待ち構えていた。
「ルシア、大丈夫?」
「全然平気。ただの掠り傷に切り傷だから」
私はルーカスに傷を見せる。先程までタラタラと垂れていた血は、移動中に固まったようだ。
「ほらね。もう血も止まってるし、別に医務室に行く程じゃないかも」
私はルーカスを安心させようと、おどけた口調でそう告げる。
「正直、蚊に刺されたくらいだし、このまま寮に戻ろうかと思うんだけど」
階段から落ちたなんて格好が悪い。出来れば秘密裏に処理できないかと、私はルーカスにさりげなく提案する。
「……はぁ………はぁ」
しかしルーカスから返事はない。聞こえたのは、荒い吐息の音のみだ。
(ん?)
私は傷口に落としていた視線をあげ、前に立つルーカスの顔に移す。
「え」
ルーカスは私の傷口を凝視したまま、何故か両手を固く握り小さく震えている。
瞳がみるみる充血し、何かを堪えた様子だ。明らかに普段のルーカスとは様子が違う。
「どうしたの?」
私が声を掛ける間にも、ルーカスの紫色の瞳が赤く色を変えていく。そして、まるで血の気を失ったかのように、肌は驚くほど白く変わり、目の周りに黒い痣のような物が浮き上がった。
「血の香り……僕は食べ、たい」
ルーカスは絞り出すような低い声を発すると同時に、私に向かって飛びかかってくる。
「……っ」
私は反射的に距離を取ろうと後ろへ飛んだ。だが、一瞬にして追いつかれてしまう。そのまま押し倒され、床に強く頭を打つ。
「痛っ!」
痛みと眩暈で私の意識は一瞬飛びかける。
それでも私は条件反射的に、右手に杖を召喚しようと魔力を込める。しかし、それより先にルーカスの手が伸び、私の腕を押さえつけた。そして彼の魔力が私の魔力を封じ込めた。
(なんで)
いつの間にこんなに強くなっていたのだろうかと冷静に驚きつつ、私は自分がまずい状態である事を認識する。
「君をたべたい……」
馬乗りになり、私の手をグッと地面に押さえつけるルーカス。
まるで獲物を見つけた狼のように、私を見下ろすルーカスの口が大きく開く。そのせいで、長く伸びた犬歯が私の視界いっぱいに広がる。
「グ、グールになったの?」
ルーカスの力に抗えず、身動きが取れないまま呆然と呟く。とその時、忘れていた救世主の声が響いた。
「元帥の様子がまずい」
ドラゴ大佐の声と共に、迷彩服に身を包むマンドラ部隊が一斉に姿を表す。
「私たちは、元帥から受けた命令通り、あなたが生き延びるために全力を尽くします」
ドラゴ大佐が私に微笑みかける。
「ゴーゴーゴー!!」
マンドラゴラ部隊が一気にルーカスに向かって飛びかかる。
(助かった)
今まで何度かピンチを救ってくれたマンドラゴラ部隊の出現に、私は安堵し、体の力を抜く。
「やめろ、邪魔するな」
「元帥ダメです、目を覚ましてください」
「うるさい!!」
「私たちは、あなたを守るために戦う。あなたは、私たちのリーダーだ!」
「邪魔するな、消え失せろ!!」
ルーカスは飛びつくマンドラゴラを振り払いながら立ち上がる。
「消えろ、消え失せろ!!」
「元帥!!」
マンドラゴラ達は次々と、まるで蜘蛛が糸を吐き出すように、根っこを伸ばし、ルーカスに果敢に立ち向かう。
「怯むな、いけー」
「ゴーゴーゴー!!」
「元帥から受けた、今までの恩を、忘れるなぁぁぁ」
「うるさいんだよ!!」
ルーカスが怒鳴り声をあげ、再び片手に杖を召喚した。そしてルーカスを押さえ込もうと、飛びかかるマンドラゴラ達に向け、容赦なく炎の魔法を放った。
ボッと音を立てながら、マンドラゴラ達は叫び声をあげる暇なく、あっという間に燃え尽きてしまう。
「うそ……あんな簡単に」
ルーカスはシューティングゲームを楽しんでいるかのように、笑みを浮かべながら向かい来るマンドラゴラを次々と燃やしていく。
最後に残るのは一際ガタイの良い、ドラゴ大佐だ。
「だめ!!」
私は慌てて杖を召喚し、ルーカス目掛け空気の塊を投げつける。
しかし私の魔法はルーカスに弾き返され、校舎の壁を凹ませただけ。そしてルーカスが放った炎はドラゴ大佐の体を包み込む。
「元帥……ありがとう、私の友よ」
パチパチと炎が立てる音に紛れ、死を悟ったかのような、ドラゴ大佐の落ち着き払った声が辺りに響く。
私が最後にみたのは、ドラゴ大佐がこめかみに手を当て、ルーカスに敬礼する姿だった。
「やだ、どうして」
私は目の前で起きた一瞬の出来事に唖然となる。
マンドラゴラ達はそれなりに強者揃いだったはずだ。それが一撃で灰となってしまった。
何より、攻撃したのはルーカスで。彼はマンドラゴラ達を誰よりも大事に思う気持ちを持った人だったはずだ。
脳裏にルーカスがいつも大事そうに抱えていた、マンドラの鉢植えが浮かぶ。
「どうして」
私を何度も救ってくれたマンドラが、灰となり消えゆく姿にグッと唇を噛む。
襲い来るのは感じた事のない喪失感。
「うわぁぁぁぁ!!」
ルーカスが頭を抱え突然叫び声をあげた。その姿に私はハッとし、我に返る。
「逃げなきゃ」
私は自然と浮かぶ涙を堪え、ルーカスに背を向け床に手をつく。
「獲物、僕の、エサ」
背後からおぞましい声がかけられ、私は一瞬振り返る。すると、逃げ出そうと一歩踏み出した私めがけ、ルーカスがムチのようにしなる根っこを杖の先から放出させた。
「もうやめて!」
私は咄嗟に杖を召喚し、ルーカスの放った根っこめがけ、起こした風魔法を当て弾き返す。
「ルーカス、私はルシアよ!」
ルーカスを正気に戻そうと、自分の名を叫ぶ。
「ルシア……ぐぅっ」
私の名前で少しだけ刺激されたのか、ルーカスは苦痛に顔を歪ませた。
「今のうちに」
私はルーカスが戸惑いもがく隙を見て、とにかく前方へと走りだす。しかしシュルシュルと音を立て、背後から迫る根っこらしきものが、私の体に容赦なく巻き付いた。
「くっ」
自由を奪われた私の体は宙を浮く。そしてそのまま、校舎の壁に背中を強く打ちつけられる。
「ぐほっ」
肺の中の空気が全て抜け、呼吸が上手く出来ない。
(苦しい)
あまりの苦しさと、自分の無力さに思わず涙が滲む。
「あぁ、いい匂いがする」
ルーカスは壁に背をつけ、顔を歪める私と向き合う。
「ずっと、食べたかったんだ」
私の体を巻く根っこをするりと解くと、ルーカスはペロリと舌舐めずりした。そして視界を塞ぐように私の前に立つと、私の髪を手に取り、優しく撫でる。
私は震えながらその行動を見守る。
「おいしそうな、餌の匂いがする」
ルーカスは杖をしまうと、私の手首を片手で掴んだ。そしてその手を上にあげ、再度私を壁に強く押し付けた。
ありえない力と、歴然たる戦闘力の差を前に私は為す術がない事を悟る。
「君をたべるよ」
荒い息遣いのまま、私の耳元でルーカスが告げる。
私はこのままルーカスに食べられる。
(マンドラゴラ達みたいに、あっさりと)
失意が私の心を支配し、抵抗する気力を私から奪う。
(だけど)
せめて自分の最後くらい、しっかり見届けたい。私はつい、閉じたい気持ちになる瞼をしっかりと見開き、ルーカスを見つめる。
ルーカスの真っ赤に染まる瞳が私を捉える。まるで泣きはらしたかのような、その瞳の奥にルーカスの揺らぐ、苦しむ気持ちが私には見える気がした。
そしてキリルが口にしていた言葉を思い出す。
『愛する者を取り込みたいと思うのは、グールの逃れられない欲求』
ルーカスはもうずっと。それこそ出会った時から私にまとわりつく厄介なストーカーだ。
そんな彼が私の事を特別に思う気持ちは、迷惑なくらいこちらにも伝わっている。
(だからずっと)
ルーカスは私を食べたいという、グールが持つ本来の欲求に人知れず耐えていた。
ルーカスの赤い瞳が、今までの苦悩を表すように揺れている。そしてルーカスを苦しめているのは紛れもない、私だ。
(そっか、私は知らぬ間に彼に復讐していたのかも)
私は自覚なく、私という存在だけで彼を苦しめ続けていた。その事を理解した私の心は、恐怖心から解き放たれたように、スッと軽くなる。
「ルーカス。私はあなたになら、食べられてもいいよ」
私はルーカスの苦悶に歪む顔を見つめながら、唇を自分の唇に重ねた。重ねたルーカスの唇はとても熱い。それは彼が人間である証である気がした。
自分でもどうしてそんな事をしているのか、正直良くわからない。
だけど、浮かんだ今の気持ちは口にしたそのままで、ルーカスとそうしたいと思ったから、私は彼とキスしている。
私はルーカスに壁に押し付けられたまま、唇を合わせる。
これが初めてのキスだとか、相手がルーカスで良かったとか、そういう現世に未練たっぷりな、俗っぽい気持ちが浮かんでは消える。
「ルシア……」
焦点が合わないほど至近距離にいるルーカスが唇を離し、私の名を呟く。そして強く掴んでいた私の両手から自分の手を離す。
「ルシア」
まるで確認するように私の名をルーカスが再度口にする。そして今度はルーカスが私の顎を掴み、より深く、まるで食べるという言葉を実行するかのように、私に自分の唇を押し付けてきた。
(好きな人とのキスって)
もっと甘いものだと思っていた。
けれど実際は、噛み付く寸前といったもの。
心から幸せで蕩ける前に、私は食べられて死ぬのかも知れない。
だけど他でもない。
ルーカスならいいのかも知れない。
私はルーカスに身を委ねながら、自分の最期を覚悟する。
「や、め、ろ……」
突然ルーカスの唇が私から離れた。
「うっ」
うめき声を短くあげたルーカスが私の肩に頭を乗せ、苦しみはじめた。
「……食べちゃ駄目だ、食べない、食べたい。だめだ、僕はルシアを食べない」
正気を取り戻したらしいルーカス。その姿を眺める、一度は死を覚悟した私も「何を馬鹿な事をしたんだろう」といつもの気持ちをとり戻す。
そして「これはチャンスかも知れない」と思い、私はルーカスに語りかける。
「そうだよ、食べちゃだめ。私は美味しくないから、食べない方がいい」
「だけど、だけど……」
「だけどじゃないでしょ」
私はルーカスに言葉をかけながら、何故かミュラーに無理やり見せられる事となった、ローミュラー王国の歴史の映像を思い出した。
逃げ惑う人。背後から襲いかかり、目に映る人間を食べつくすグール。
地獄のようなシーンが繰り返し脳裏をよぎる。
「駄目だ、だけど」
ルーカスが私の肩に頭を擦り付けながら、苦しそうな表情で悶えている。
「どうしても我慢できない。食べたいんだ」
ルーカスが私に向ける、何処か焦がれたような表情。それは映像の中にいたグール。人を食べ尽くす事だけを考えている、本能を剥き出しにしたグールのまさにそれだった。
首筋に生暖かい舌が這う感覚がしたかと思うと、次の瞬間、鋭い痛みが走る。
「いたっ!」
一瞬の隙をついたルーカスに、私は首元を噛み付かれた。
痛みと共に、両親の笑顔が思い浮かぶ。それから、ナターシャが抱えた詐欺問題。そしてエリーザにやられっぱなしなこと。そして最後に舞踏会で会った、ルーカスの両親の憎らしい顔を思い出す。
(あの時一気に殺しておけば良かった)
私は悔しい思いで涙がとまらなくなる。
その時、ふと私の思考に直接「ルシア」と名を呼ぶミュラーの声が響く。
『君たちは、互いに惹かれ合っている。しかし君たちは、それぞれの運命を背負う者でもある。しっかりしろ。食べられている場合じゃない。お前はこの先ずっとグールを狩る側の人間なのだからな』
ミュラーが言い放った『狩る側』という言葉が私の思考を支配する。と同時に、ルーカスを拒絶するような強い思いが私の体を包み込んだ。
「保健室に早く私を連れて行ってよ!」
やけっぱちで叫ぶ。すると、狩る者という、私を支配する言葉が何かの形となり、全力でルーカスに襲いかかるのを感じた。
(あぁ、これが、狩る者の力なのかも)
ルーカスは大丈夫だろうか。
死んだりしないだろうか。
ほんとは、ずっと生きてて欲しかったのに。
私はぼんやりとした意識の中でそんな事を考える。しかしそれは束の間の事。すぐに目の前が真っ暗になり何も見えなく、感じなくなったのであった。
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