048 完全敗北
私は柄にもなく、ここ数日悩んでいる。
勿論私の悩みの種は、親友に忍び寄る魔の手のこと。
ナターシャにブルーノの件は「詐欺だ」とはっきりと告げるべきか。それとも言わずに、傷ついた後のフォローに回るべきか。
正義を所構わず振りかざすホワイト・ローズ科の生徒であれば、迷わず友人が傷つく前に手を差し伸べるだろう。けれど、ナターシャも私も悪の道を進むブラック・ローズ科にどっぷり浸かった生徒だ。
私達は基本的に他人が不幸に全速力で向かっていようと、それについて高みの見物とばかり傍観するのみ。
何故なら、全ては自己責任という考えのもと、危険回避出来なかった本人が悪いからだ。
そもそもブラック・ローズ科では、転ばぬ先の杖とばかり、手を差し出す事が美徳とされていない。むしろ、余計なお世話。ありがた迷惑だと、手を差し伸べた人物を恨む傾向にある。
私としては、ナターシャに迫り来る悪を何とかしたい。けれど、ナターシャにお節介だと思われたくもない。
実に繊細で、ややこしい悩みにぶち当たっているのである。
(はぁ、どうすべきか)
私は悩みつつ、上級魔法実技の授業に出ようと、グラウンドに向かう渡り廊下を歩いていた。
すると私の頭に、ぬるりとした何かが落ちてきた。
「やだ、生たまご日和!?というか調理実習中のたまごが飛んできたのかしら」
ナターシャが私の頭に視線を釘付けにし、嬉しそうな声をあげる。
「でもおかしいわ。ここの上に調理実習室はない。となると、故意の反抗だってこと?」
「絶対そうでしょ」
私は体操着に着替えた状態で良かったとホッとしつつ、頭についた白身を地面に落とす。
「まぁ、恨まれてこそ一人前って言うし。おめでとうルシア」
笑いを堪えたナターシャは、私の頭に視線を向けたまま、祝福の言葉をかけてくれた。
そんな事があった日の翌日。
ナターシャといつも通り、大きな木の上に建てられた癒やし系カフェテリアで、メニューを注文するために作られた列に並んでいた。
静かに列に並ぶ私は、珍しく今日食べる物を既に決めていた。
(ピザ、ピザ、荒ぶる闘牛士ピザ)
今朝から私の頭を埋めるのは何故かピザ。
しかも銘柄固定で、荒ぶる闘牛士のピザしか食べたくない。
今日は絶対にピザを食べようと決めていたのである。
「迷うな。キノコ、魚介……どっちのサラダにしようかな」
相変わらずダイエット中らしいナターシャは、列に並びながらサラダの種類で頭を悩ませていた。
「ルシアは何食べるの?」
「ピザ。絶対に、ピザ。荒ぶる闘牛士のピザを食べる」
私は迷う事なく断言する。
「うわ、物凄い熱意。どれだけピザが食べたいのよ」
「朝起きてからずっと、もはや頭の中がピザに侵略されているみたい」
「それはまた、重症ね。誰かにピザでも食べたくなる魔法でもかけられたんじゃない?」
「まさか、そんなくだらない魔法かける人なんていないよ」
「確かに」
ナターシャと無駄口を叩きながらも、私の頭はピザで、しかも荒ぶる闘牛士のピザのみで埋まっていた。そして順当に列が進み、ついに私のオーダーの番が来た。
「荒ぶる闘牛士のピザを一つ、お願いします」
私は前のめり気味に厨房にオーダーする。
「あら残念。今日はベジタブルデー。つまり宗教上の理由からピザはないのよ。ごめんねぇ」
「な、な、なんてこと!?」
私は配膳につく、年齢不詳であるノームの女性の言葉に驚きで固まる。
確かにこの癒し系カフェテリアの初代料理長は、ベジタリアン料理を世に広めたと言われているミスターベジタブルと呼ばれる、うさぎ族の男性だったらしい。
彼は人生の大半を野菜料理に捧げたという、野菜料理のプロフェッショナル。
世界中のベジタリアンから「神」と崇められ、その名を知らぬ者はいない。
そんな彼の功績をたたえ、月に一度、癒し系カフェテリアではベジタブルデーを設けているのである。
その事をすっかり忘れていた私は絶望に打ちひしがれる。
「でもホワイトカフェテリアの方に、肉食の子用にピザがあったと思うわ」
「それだ!」
私は萎びた花が水を得て、シャンとするかのように元気を取り戻す。
「ナターシャごめん、今日は荒ぶるピザデーだから、ホワイトに行く」
「オッケー、残ってるといいね」
一難去ってまた一難。ナターシャの言葉で私を取り巻く状況が危うい事に気付く。
そう。普段は難なく手に入る荒ぶる闘牛士のピザも、ベジタブルデーはここ、癒し系カフェテリアから肉を求める人が各カフェテリアに、民族大移動するため、競争率が高くなるのである。
その事を思い出した私は猛ダッシュした。
それはもう、闘牛士真っ青の勢いで荒ぶりながら。
そして到着したホワイトカフェテリア。
まるで宮殿かとみまごうほど、豪華な雰囲気に包まれる中、私は迷わずカウンターに駆け込む。
そこで目に飛び込んで来たのは。
『荒ぶる闘牛士ピザ、完売』
メニュー表に貼られた、無情な『完売』の文字だった。
「そんな……」
私は絶望に打ちひしがれ、仕方なく踊る魚介のスパゲティーを注文した。
そして空いてる席をぐるりと見回し、私は発見する。
ルーカスが、荒ぶる闘牛士のピザを、今まさに口に入れんとする、ホワイト・ローズ科の女子生徒達に囲まれている姿を。
「ピザ!!」
私は思わず叫ぶ。するとルーカスがもはや条件反射といった感じで私の存在に気付いた。
「あ、ルシア!」
ルーカスはまるでボールを追いかける犬の如く、私に駆け寄る。
「珍しいね。今日はこっちで?目つきの悪い、君の友人は?一緒に食べていい?」
「ルーカスのお昼のメニューは?」
私はルーカスがピザでありますようにと願いつつ尋ねる。
「え、僕はサイコロコロステーキだけど」
「チッ」
私は思い切り舌打ちし、踊る魚介のスパゲティーを載せたトレイを持ったまま、一人空いている席に腰を下ろした。
「もしかしてルシア、機嫌悪い?」
「私の事は気にせず、ピザなご令嬢と楽しいピザパすればいいじゃない。あっちに行って」
シッシツと私は手を振り、ルーカスを追い払う。
「あれは園芸部の子達だよ。次に花壇に植える花についてのミーティング中。あ、もしかしてルシア、ヤキモチ妬いてる?」
ルーカスの呑気さが更に私の怒りを加速させた。
「私は忙しいの。一人にして!」
半ば八つ当たり気味にルーカスを睨みつける。
するとルーカスはしょんぼりしたのち、トボトボと肩を落とし、ピザパーティーの席に戻って行った。
ルーカスを追い払った私は、スパゲティーを口に入れながら、失われたピザの行方をチェックする。
食堂にいる生徒達が囲むテーブルの上。それぞれのメニューを盗み見る。すると、ホワイト・ローズ科の女子生徒における、荒ぶる闘牛士ピザ率が異常に高い事に気付く。
(もしや)
私はルーカスの座る席に視線を送る。すると、私に気付いたルーカスが小さく手を振る横で、エリーザが私に見せつけるよう、これ見よがしに荒ぶる闘牛士ピザを頬張っていた。
(や、やられた)
私はこれは全てエリーザによって、仕組まれたものだと理解する。
いつ魔法をかけられたのか。それは今のところ不明だ。
けれど私がもはや病的と言ってもいいほど、荒ぶる闘牛士ピザに囚われているのは、間違いない。園芸部員で、ルーカスに気があるホワイト・ローズ科のプリンセス。エリーザに魔法をかけられたからだ。
(おのれ、エリーザめ)
私は完全敗北を認め、悔しい思いで踊る魚介のスパゲティーにフォークをグサリと刺したのであった。
その後保健室に直行するも。
「媚薬を飲まされたのかも。でも、求める対象がピザだなんて、可愛いじゃない。解毒薬を飲むほどではないようね。一晩経てば治るわよ」
保険医であるダコダ先生に軽くあしらわれた。
そのせいで、私は一日中ピザに頭が占領される羽目になる。それはもう、抜き打ちテストの結果で過去最低を叩き出し、再テストになってしまうほどに。
***
そしてまた、翌日のこと。
前日に受けたテストのやり直しということで、私は『悪女の微笑み学』の先生に放課後、呼びだされていた。
そしてダコダ先生の言う通り。一晩寝た事により、ピザの呪いから無事自己回復した私は、難なく再テストをクリアした。
そして寮に戻ろうと一人で階段を降りていたところ、私は明らかに誰かに肩を強く押された。
「うわっ」
突然の事に、私は無様に階段を転げ落ちる。
途中、どこからともなく、スルリと伸びてきた根っこに支えられるも、受け身が間に合わず、お尻を思い切り打ち付けた。
「いたた……」
私が怒りながら顔を上げると、そこには見覚えのあるマンドラゴラ達が悲痛の面持ちで立っていた。
そう。ルーカスが派遣している私のストーカー部隊だ。
「申し訳ございません」
一際生育の良いマンドラゴラ。迷彩服のドラゴ大佐が私に頭を下げる。
「なんか、押されたような気がしたのだけれど」
「はい、姫は明らかに不自然な感じで、階段を転がり落ち始めました」
「……そうなんだ。それで、犯人の顔は」
私は多分あいつだろうと、脳裏に青い髪を揺らしながら、ピザを頬張る女子生徒の姿を思い浮かべる。
「それが、誰もいなかったのです」
「え?」
ドラゴ大佐の言葉に、私は首を傾げた。
「誰もいないって……まさか透明人間でも現れたっていうの?そんなことある?」
「いえ、我々も確かに殺意のこもる気配を感じておりました。しかし、姿が確認できず。くっ、面目ない」
ドラゴ大佐が苦い顔でグッと拳を握りしめた。その後ろに綺麗に整列するマンドラゴラ部隊の面々も、ヘルメットから飛び出した頭の草を萎びさせている。
「まぁ、お尻を打ったくらいだし。みんなが根っこで助けてくれたから、大丈夫。気にしないで」
私は階段の手すりを掴み立ち上がると、スカートについた埃を払う。
「痛っ」
ピリリと鋭い痛みが走り、足元を確認すると、膝の脇あたりに切り傷が出来ていた。
どうやら、ささくれた木の板で擦ってしまったようだ。
(まぁ、消毒しとけばこれくらい)
大した事がなくて良かったと思った瞬間。
「メーデー、メーデー、姫の膝に出血を確認」
私の足からタラリと垂れる血を目撃した、ドラゴ大佐が青ざめた。
「大丈夫だよ、これくらい」
「しかし、大事なお体に血が。元帥に報告は?」
「ハッ、既に済ませております!」
「只今入った通信によりますと、元帥は、医務室に直行されるとの事です」
部下より報告を受けた、ドラコ大佐がトランシーバーのような物を口元にあてる。
「よし、これより作戦コードEに移行する。繰り返す、これより作戦コードEに移行する。姫を無事保健室まで警護だ」
「こちら、チーム光合成、ラージャー」
「こちら、チーム葉緑素、ラージャー」
「ゴーゴーゴー!!」
マンドラゴラ達は元気な掛け声と共に、忙しない様子で辺りに散らばっていった。
「これは、医務室に行けってことだよね……」
ただの掠り傷に、切り傷だ。正直そこまで大袈裟にしなくてもと思った。
しかし周囲に潜むマンドラゴラ達からの「ゴーゴーゴー!!」という凄い圧を感じる。
私は仕方なしに、重い足を引きずりながら歩き出したのであった。




