044 地獄のグリムヒル
研究熱心な誰かが行った統計によると、人は一日に最大三万回以上。多くの決断をして生きているらしい。
その決断とは。
『復讐をする方法はどうしょう』
『結婚相手はどちらにしよう』
といった大きなものから。
『今日は何を食べよう』
『どの道を歩こう』
『レポートの議題は何にしよう』
『先生になんと言い訳をしよう』
など身近なものまで多岐に渡るらしい。
確かに些細な事ではあるが、私も常に選択を迫られ生きている。そして、決断を続けていると脳が疲労し、徐々に決断の質が低下するそうだ。
――ということを、私はナターシャいわく、『まるで上品なワインみたいに、年を重ねるごとに味わい深くなっていくらしいよ』という、時代を超えてもなお、魅力ある声の持ち主。魔法の鏡によって教えてもらったところだ。
「そして「決断疲れ」に陥ると、衝動的な決断をしやすく、ミスも増えると言われております。よって、制服があることにより、日々の決断を一つ減らすこと。これは実に効率的な考えでもあるのです」
主であるナターシャの不在により暇を持て余しているせいか、「制服と私服、どっちがいいかな?」という単純な私の質問に、いつもより遥かに懇切丁寧に説明してくれる魔法の鏡。
「なるほど、つまり制服の存在は毎朝必ずやってくる、「今日は何の服を着よう」という、煩わしいけれど、決して逃れる事の出来ない厄介な決断を一つ減らしてくれているということなのね?」
魔法の鏡にのせられた私もつい、制服について深く考察する。
「それに加え、物語を紡ぎ出す者達の「さて、どんな服を着せるか、どう描写するか」という実に悩ましい、決断を解決してくれる魔法のアイテムでもあります。ま、これは冗談ですけれど。ハハハハハ」
魔法の鏡が、独特のリズムで笑い声をあげた。
「なるほど。やっぱり今日は制服にしておくことにする。それから色々と勉強になったわ。ありがとう、鏡さん」
「いえいえ、お役に立てて何よりです。ところで、本日はどちらへ」
「ルーカスとグリムヒルにいくの」
私は髪を梳かしながら答える。
「ならば尚更、制服をお勧め致します。制服割引が適応されますし」
「やっぱり、そうだよねぇ」
フェアリーテイル魔法学校の生徒御用達となるグリムヒルでは、制服割引きが適応される店が多く存在する。そのためよっぽどの事がない限り、学生は制服で遊びに行くことが多い。
しかし上級生ともなると、普段は袖を通す機会が滅多にない、とっておきの私服で出掛ける人も多い。そしてその傾向は、男女でグリムヒルを訪れる場合に多く見られる。
そんなわけで、私もたまには私服にすべきなのかも知れないと思い、鏡に問いかけてみた。その結果、やはり制服が無難だという結論に達したというわけだ。
「お召し物で悩まれている。つまりルシア様は本日、お嬢様とご一緒ではないのですね?」
突然確認するように問われ、私はドキリとする。
「え、う、うん。ナターシャはほら、その、図書館で宿題しなきゃだし」
実のところ本日ナターシャはグリンヒルで、親に、鏡に内緒でバイトをしているのである。
『ブルーノのボディーガードを雇うために提示された金額にあと少し足りないんだよね。だから今週末はイベントバイトしてくる。勿論、親にも鏡にも内緒で。だからルシア、口裏合わせよろしく』
ガシリと両肩を捕まれ、半ば「絶対言うなよ」と脅されたという状況。よって私は鏡に対し、ナターシャのバイトの件を漏らすわけにはいかないのである。
「あ、そうだ。今日の天気はどうなんだろう」
私は慌てて話を逸らす。
「今日のグリンヒル周辺は、おおむね晴れの予報ですね」
「じゃ、魔法の折りたたみ傘はいらないわね。ありがとう、鏡さん」
「お気をつけて、楽しんでいらしてください」
明るい声で鏡から告げられ、私はホッとする。
それにしても監視されている事を除けば、時代と共に進化を遂げた魔法の鏡は、実に役に立つアイテムだ。
「一家に一枚。当たり前のように常備される日も近いかも。量産型の登場に期待ね」
私は他人事気味に呟くと、ポシェットを斜めがけにした。
呪い替えしたパンクな編みぐるみがブランと揺れる。
「やっぱ、可愛い」
私はお手性の編みぐるみキーホルダーと自分を褒め、鏡に微笑みかける。
そして、元気よく「行ってきます」と鏡に声をかけ、部屋を飛び出したのであった。
***
石畳の通りには古めかしい魔法店が軒を連ね、通りに面したショーウインドウには、奇妙な宝石や魔法の道具が「私を買って」とばかり、光を反射している。
辺りには食欲をそそる匂いが漂い、大道芸人が演奏し練り歩く魔法の楽器の、愉快な音色が響いている。その音の合間に、魔法使いたちが騒がしくやりとりをしている声がして、路地裏に顔を向けると、まるで隠れ家のような店舗が目に入る。
そこでは、古くから伝わる貴重な魔法書や、珍しい薬品などが売られている。さらには、変装術を施された生き物たちが商品の陳列台の上。竹籠の中に並び、魔法使いたちの足を止める役目を果たしていた――とまぁ、いつものグリムヒルはそんな感じ。
しかし今日、ルーカスと共に訪れたグリムヒルは、だいぶ様子が違っていた。
「何だか雰囲気が、いつもと全然違うんだけど」
私は立ち止まり、自分を庇うように胸の前で両手を交差する。
最初の違和感の正体は道の端に等間隔で立つ魔石灯に巻かれた、ピンク、水色、赤、黄色、緑と五色のど派手なリボンの存在。
そして次に気付いたのは、通常であれば、新聞や軽食などを販売する露天に、見たこともないキラキラしい笑みを浮かべる、五人の青年が描かれたポスターや缶バッジの数々。それからハート型にくり抜かれた、これまた五色の魔石がついたペンダントなどの、私をおぞましい気分にさせるグッズが、所狭しと並べられていること。
さらに私の目を引いたのは、魔石灯に巻かれたリボンと同じような五色にわかれたタスキを斜めがけする、カラフルなドレスに身を包む女性の軍団だ。彼女達の手に握られた扇子には、「手を振って」だとか「ハートお願いします」だとか、そんな得体の知れない言葉が書かれていた。
「あの人も、あの人も、あの人も。アレは一体何なの……」
グリムヒル全体が、えもいえぬ熱狂的な雰囲気で溢れている事に唖然とし、その場で固まる。
「あーピュアラブプリンス。通称ラブプリとグリムヒルの組合がコラボしてるって。そう言えばドラゴが言ってたっけ。あ、もしかして今日はライブの日なのかもな。しくった」
申し合わせた訳ではない。しかしいつも通り制服姿のルーカスが、とても悔しそうな声をあげた。
「なにそれ?」
「歌って踊って、愛を振り撒くプリンスユニットらしい」
「何そのゲロ甘な設定」
私は至る所に下げられた、カラフルな垂れ幕を睨みつける。
日頃から接するおどろおどろしい物には愛着こそ抱くが、今目に映るものはまるで正反対。この世の幸福を詰め合わせたような、キラキラとした空間だ。
「まぁ、ブラック・ローズ科で血みどろ紳士推しのような君からしたら、受け入れがたい甘さだろうね。だけど、世界中のプリンセスやら、夢見る子ども達にはウケているみたいだよ」
「でも所詮、あれは偽物の王子様なんでしょ?」
私は垂れ幕に描かれた、ビビットな色使いにクラシックな要素が取り入れられた、如何にも王子様といった派手な衣装に身を包む、緑髪の青年を見つめる。
「いや、それがどれも本物なようだ。君の視線を釘付けにしている憎たらしい緑髪のあいつは、フロッキー王国の、正真正銘の王子だよ」
ところどころ思念が入り混じりつつも、ルーカスは私にグリムヒルを、今まさに汚染しまくるラブプリとやらの情報を与えてくれた。
「そもそもアイドル活動できるほど、王子ってそんなに暇なものなの?」
私は懲りずに、素朴な疑問を口にする。
「王族って大体子沢山だから。暇を持て余す、手頃でそれなりに容姿の整った第三王子以下を全世界から集めたらしい」
「なるほど」
妙に説得力あるルーカスの解説に私は納得し頷く。
「日を改めるって手もあるけど」
ルーカスの影に隠れるように、キョロキョロと落ち着かない私に対し、ルーカスが気遣う言葉をかけてくれる。
「ルシア、来週末の予定は?」
「血みどろのライブにナターシャと」
「そっか。来週は血みどろか」
ルーカスが顎に手を当てて悩ましい表情を浮かべる。
「再来週末はもう試験前だしなぁ」
「夏休みで良くない?」
「待てない。試験を乗り切るためにも、君とデートしなきゃ」
「…………」
(私はルーカスの栄養剤か何かなのだろうか)
どうしても私とのデートを諦めきれない様子のルーカスに対し、スパッと諦めさせる方法はないものかと思案した、その時。
「ルーカス様!!」
突然背後からルーカスの名を呼ばれ、反射的に振り返る。するとそこには見覚えのある、青い髪色を持つ、女子がいたのであった。




