037 慌ただしい朝
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。アラーム消して、ついでにカーテンも開けて」
すでに「この学校で一番美しいのは誰?」と先祖代々伝わる魔法の鏡に問いかける事を潔くやめたナターシャの声で、私の朝は始まる。
「かしこまりました。お嬢様」
鏡から聞こえるダンディーな声も、ナターシャに都合良く執事扱いされる事を受け入れている。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん。今日の予定を教えて」
モゾモゾとベッドから起き出したナターシャは、大きな欠伸をしながら尋ねる。
「本日ナターシャ様のご予定は、一、ニ限目おとぎ理論、三、四限目は毒薬草学。その後ランチ休憩となり、五、六限目は呪文学。七、八限目が変身術の合同授業でございます。因みに復讐学で出されたレポート提出の期限は、本日までとなっております。お忘れなきよう、お嬢様」
ダンディーな声がナターシャの予定を知らせる。何となく誰が美人か問われていた時よりも、生き生きとした声色のように思えるのは、気のせいではないはずだ。
「今日の午前中は座学のみかぁ」
げんなりした声を出し、またもやパタンとベッドに倒れ込むナターシャ。そんなナターシャを眺めつつ、私は並んで置かれたベッドに横たえていた体を起こす。
「おはよう、ルシア」
「おはよー」
「復讐学のレポートは終わってる?今日までらしいよ」
ナターシャが親切に教えてくれる。
「うん、もう提出しちゃった」
「さすが、得意な学科の宿題は早いのね」
「まぁね」
ナターシャに相槌を打ちながら、ベッドから立ち上がり、そのまま部屋に備え付けの小さな洗面台に向かい、歯磨きを開始する。
対するナターシャは、ベッドから起き上がる気配はなく、マジカルモバイルと呼ばれる、魔法通信機器の画面を眺めている。
フェアリーテイル魔法学校では四年生になると、巷で大流行中のマジカルモバイル、通称マジモバの所持を許される。
因みにマジモバとは、妖精達が作り上げたと言われる、超高性能魔法通信機器の事。
通信機能の他にも様々なアプリケーションが次々と開発され、その利便性の高さから従来の通信機器全てを凌駕するアイテムと言われている。
また学校内では、マジモバイコール上級生の証でもあり、生徒同士によるコミュニケーションツールとして積極的に活用されている。そのため、上級生におけるマジモバの所持率は、百パーセントといっても過言ではない。
勿論私の元にも両親が進級祝いということで、手のひらサイズのマジモバを、バクのキャラクターと共に有名なキャッチコピー、『夢は食べません、お届けします』でお馴染み、タピル印の宅急便が届けてくれた。
極貧生活の日々を思えば、よくそんなお金があるなと正直驚いた。けれど、どうやら現在は王族派の保護下にあり、後援者のお陰もあって、前よりは楽な生活が送れているようだ。
とは言え、堂々と表を歩けるわけでもないらしく、昔と変わらず潜伏生活を続けているらしい。
(早く父さんと母さんが堂々と、お天道様の下を歩ける世界に戻さなきゃ)
私は復讐心を密かに募らせるのであった。
「わ、いいねが沢山ついてる」
ナターシャがマジモバ片手に明るい声をあげる。
私同様、両親から進級祝いにマジモバを贈られたナターシャ。彼女は機械音痴な私と違い、既に体の一部と言えるくらい、嬉々としてマジモバを使いこなしている。
そのうちの一つが、若者の間では必須とも言えるマジグラムというSNSアプリだ。
ナターシャはそこに自分の好きな物の写真や動画を投稿したり、他人が投稿した写真や動画にコメントを付けたりして楽しんでいる。
「よふぁったね」
歯ブラシを咥えながら、私は相槌を打つ。
因みに今のは「よかったね」と言ったつもりだ。
「前に実家に帰った時、姉さんが『ヴィランブームが近いうち訪れる』って、鍋をかき混ぜながら怪しく微笑んでたけど、意外にその予想が当たったのかも」
「さふぅがほねひふぁん」
今度は「さすがお姉さん」と言いたかったのだが、上手く発音出来なかった。
「何言ってるか全然分かんないんだけど」
ナターシャに指摘され、私は急いで歯磨きを終了させる。そしてうがいをしたあと、爽やかミントなブレスになったのを確認し、ナターシャに告げる。
「さすがお姉さんって言った」
「何だ、それだけか」
ナターシャは興味なさげにそう呟き、「そろそろ行かないと遅刻しちゃう」と、やっとベッドから起き上がる。
「えっ、嘘、待って、待って、やばい。誰かを呪いたくなるくらい嬉しいんだけど!!」
「うぉっ」
制服に着替えるため、クローゼットの扉に手をかけた私に興奮した様子で体当たりをしてくるナターシャ。
「なに、一体、なに?」
「だから、やばいんだってば。まじで!?」
語彙力を完全に失ったらしい、ナターシャはやたらと「やばい」「まじで」を連発してはしゃいでいる。
「ルシア、落ち着いて聞いて」
ガシリとナターシャに両肩を捕まれた。
(ナターシャがね)
内心そう思いながらも、私は話を先に進めるべく、コクコクと頷く。
「血みどろのブルーノからDMが来た」
ナターシャは満面の笑みを浮かべると、私の手を取りブンブンと上下に振る。
「血みどろから?」
ナターシャの興奮の源とされる血みどろとは、今をときめく若手パンクバンドだ。しかもナターシャはインディーズ時代から血みどろ紳士の熱狂的なファンなのである。
(そう言えば、前に一度、グリムヒルで見かけた事があったような)
あれは確か『ヤギたちのお喋り亭』のカウンターでナターシャとアップルサイダーを飲んでいた時のこと。何故か同じ場所に居合わせたブルーノが私達に気付き、一緒に飲もうと誘ってくれた。しかし、折角だからと誘いに乗ろうとしたタイミングで、マンドラゴラを小脇に抱えたルーカスが登場。まんまと邪魔された。そんな苦々しい記憶が鮮明に蘇る。
「ねぇ、ルシア見て。やばくない?これ」
ナターシャは片手に持つ、マジモバの四角い画面を私に向けた。
「見て、このアイコン。血みどろだよね?」
ナターシャが指差す画面の先には、確かに血みどろ紳士というグループを示す、血まみれになったガイコツ紳士のキャラクターが丸い円の中に表示されている。
「わ、ほんとだ」
私は素直に感嘆の声を上げる。
「でしょ?どう思う?これ」
「やばいね」
「でしょー」
ナターシャはマジモバを握りしめ、嬉しそうに笑う。
「なんか嬉しいね。血みどろから連絡が来るなんて思ってなかったし、しかもあのブルーノからだよ。こんな日がくるとは……」
「うん」
「しかもさ、仲良くなったら、ライブの席とか融通してもらえるかもだし」
「確かに。チケット代を浮かせるチャンスだもんね」
私は欲望丸出しの発言をしながら、クローゼットから黒い制服を取り出す。
ブラック・ローズ科に所属する上級生の制服は、黒いビスチェに三段ミニスカートの上に、チュールレースが付けられたもの。ミニスカートを覆うように縫い付けられたチュールレースは、前よりも後ろ側の丈が長くなるようデザインされた、まるで魚の尾のようになった、独特なシルエットになっている。
攻撃的で、それでいて美しい。そんな妖艶に見えるデザインが私は気に入っている。
「チケット代はお布施だから払うし。もしかしたらライブ以外でも会えるチャンスがあるってほうがやばくない?」
ナターシャも自分サイズの制服に手を伸ばしながら、楽しげに語る。
「ブルーノって見た目は怖いけど、案外いい人みたいだったもんね」
「ブルーノがルシアの事を気に入ったりして」
「まさか」
ナターシャの言葉に思わず吹き出してしまった。
「吹き出してる場合じゃないわよ。前にヤギたちのお喋り亭でブルーノと偶然会った時。あの時確かに、ブルーノはルシアを気にしていたし」
「まぁ、私は可愛いから」
謙遜する仲でもないので、私は自分の可愛さを素直に認める。
「あっ、でもあの時確か。うん、ルシアは駄目ね。なんてったって、植物マニアの彼氏持ちだもの」
「……だから違うってば」
いつも通り否定の言葉を口にしながら、左手の薬指に未だしっかりと絡みつく、マンドラゴラの葉がモチーフになった指輪に恨めしい視線を送る。
「はいはい。ごちそう様。それにしてもブルーノになんて返信したらいいかな……」
ナターシャはマジモバの画面を見つめ、考え込んでいる。
「普通に連絡ありがとうでいいんじゃない?」
「えぇ、それだけじゃつまらないじゃん」
「そう?」
「何か面白い返しはないかな。印象に残るようなさ」
「じゃ、好きな曲の感想を送るとか」
「あ、それいいかも」
私の拙いアドバイスを採用する事にしたらしいナターシャは、真剣な表情でマジモバの画面を操作し始める。
(自分の推しからメッセージが来るだなんて、確かに夢見たいだもんね)
私は微笑ましく思い、ナターシャの横顔を眺めていた。しかし壁にかけた時計の小窓から、自分で自分の首を締めたガイコツが断末魔の叫びと共に飛び出した。
「あ、やば。朝ごはんを食べる時間がなくなっちゃう」
「ホントだ。でも待って、返事しないと」
ナターシャはマジモバの画面に釘付けだ。
「そんなのあと。腹が減っては復讐出来ぬって言うでしょ」
「何よ、そのルシア特化な変な諺」
「とにかく、まずはご飯よ」
渋るナターシャを急かし、慌てて身支度を済ませる。
そして私達は急いで食堂に向かったのであった。




