035 謎の青年とマンドラゴラ1
吹き抜けになった中央ホールを抜け、日当たり抜群なガラス張りの廊下を進む。そして三角屋根の施設を目視し、私は警戒を強めた。
(右よし、左よし)
周囲に人がいないのを確認し、素早く温室の扉を開け、そして慌てて閉める。
「……さて」
私の目の前には大きなドーム状の空間が広がっていた。天井には無数の天窓があり、そこから光が差し込んでくる。
その光のおかげで室内の温度は適温に保たれており、季節に関係なく、色とりどりの花々が咲き誇っていた。
しかし迂闊に手を伸ばすのは危険行為だ。
何故ならここは植物系の魔物を生み出すために存在する怪しいプラントなのだから。
そう、この施設はただの温室ではない。
魔法植物学で成績優秀者にのみに与えられた、いわば巨大な実験場なのである。
「……また成長してる」
広い温室の中央にある円形の大きな台座の上には、巨大な鉢植えがこれ見よがしに置かれていた。そしてその鉢植えから元気よく伸びているのは、どうみてもマンドラゴラの葉だ。
問題はその大きさだろう。既にマンドラゴラの緑の葉は、私の背と大差ないほど成長している。
「鉢植えの中のマンドラゴラ本体は、どのくらいのサイズに成長してるんだろう」
興味深く眺めながら呟く。するとマンドラゴラの葉が僅かに揺れたように見えた。
(これ以上は駄目な気がする)
葉の表面から何やら細い根のようなものが伸びてきたのを確認した私は、温室の奥へと足を進める。そして花壇の隅に置かれた小さな樽の脇に白衣を着たまま倒れている人物を発見し、私は顔をしかめる。
「……遅かったか」
変身術の授業で居残りとなった私が目を離した隙にこれだ。
「ルーカス、あなたも懲りない人よね」
私は呟きつつ、地面の上に仰向けに倒れているルーカスの手に触れる。すると私の魔力をルーカスの体がすんなりと受け入れた。
最初はルーカスに触れる事に戸惑いがあった。けれど、回数を重ねるうちに、こうして魔力を分け与える行為にもだいぶ慣れてきた。
問題はそれをあてにして、魔力を分け与える約束をした日に、ルーカスがここぞとばかり張り切ってしまうこと。しかも大抵、ルーカスの魔力切れの原因は植物関連に魔力を使い過ぎることなのだから、もはや目も当てられないといった状況だ。
「ほんと、研究熱心なのはいいけど、少し学ぼうか」
愚痴りながらも、私の手を通してルーカスの体に魔力が流れていく。
少し癖のある髪をそよぐ風に揺らしながら、彼は静かに寝息を立てている。
どうやら今回はそこまで酷い状態ではなさそうだ。
「良かった」
人知れず呟き、頭上にあるガラス窓から差し込む、心地よい光に心を落ち着かせる。
普段は人の声で溢れる学校内。けれど私の耳に飛び込むのはルーカスの吐息と、植物の葉が入り込む風に揺れる音だけ。
(何だか眠くなっちゃう)
ルーカスに魔力を注ぎ込みながら、私はついウトウトしてしまう。そして襲い来る睡魔と戦うこと数分。私は再び地面に横たわる、ルーカスに視線を落とす。
(これで一安心かな)
ルーカスの顔色が土色からピンクに変化しているのを確認し、一息つく。しかし、ホッとしたのも束の間、突然背後から声をかけられ、私は飛び上がった。
「随分と仲が良いんですね」
慌てて振り返ると、そこにはホワイト・ローズ科を示す、白い騎士服を模した制服姿の青年が立っていた。
(誰?!)
銀色の髪に青い瞳、端正な顔立ちだが、どことなく冷たい印象を受ける。そんな青年を見て、私は戸惑う。
学校内で見覚えのない人物の登場に驚いたという事もある。しかしそれ以上に、彼が纏っている雰囲気が只者ではなかったからだ。
彼は一体、何処から来たのか。そもそも何故この場所にいるのか。
そして何より。
(見られてしまった)
突然現れた青年の視線は明らかに、私の手が触れている部分に向けられていた。そして現在私の手が掴んでいるものは、ルーカスの手であり、それはつまるところ、ルーカスと私がそういう関係だと誤解を招く可能性が高く……。
(というか、もう訂正するのも無駄なくらい、学校内では周知の仲。そう思われている気もするけど)
諦めたら終わりだ。よって『ルーカスと付き合っていない』という事実は、私達の関係性が変わらぬ限り言い続けるべきだろう。
「えっと、これは同郷のよしみであって、特別な関係ではないというか……」
しどろもどろになる私を前に、青年の口角が上がる。しかしその笑みには優しさはなく、まるで獲物を見つけた獣のような表情だった。
(ホワイト・ローズ科の生徒なのに)
何ともブラック的な、含みある笑みをするのだなと、私は興味深く青年の顔を見つめる。
「あ、あの、何かご用でも?」
恐る恐る尋ねてみると、彼は笑みを浮かべたまま首を傾げる。
「貴女があまりにも美しいものだから、つい見惚れてしまいました」
「え」
予想外の言葉に戸惑っていると、青年はゆっくりと近づいてきた。そして私の頬に触れようと手を伸ばしたところで、横から伸びてきた手に遮られる。
「……っつ」
痛みで思わず顔を歪めたらしい青年の右手首を掴み上げたのは、魔力が回復したのか、血色の良さを取り戻したルーカスだ。
「勝手に人の婚約者に触らないで貰おうか」
怒りの声をあげ立ち上がったルーカスは、青年の腕を捻り上げる。
「ルーカス、ちょっとやりすぎだってば!」
「大丈夫だよ」
焦って叫ぶ私とは対照的に、余裕のある態度で答えるルーカス。
「放せ」
しかし青年は冷ややかな声で短く言い放つと、素早く左手で腰元からナイフを取り出し、ルーカスを目掛け、振り下ろした。
「おっと」
ルーカスはその攻撃を避け、そのまま後方に跳んで距離を取る。そしてすかさず懐に手を入れると、そこから取り出した、怪しい植物を相手に投げつけた。
すると次の瞬間、鋭い破裂音と共にまぶしい閃光があたりに広がる。
「うわっ!!」
至近距離にいた私は目を開けていられず、反射的に瞼を閉じる。
「……っく」
耳鳴りが治まり、ようやく目が開くようになると、私の目の前では青年が地面に片膝をついていた。そしてその青年の首筋に短剣を当てているのは、いつの間にか接近していたルーカスだ。
(いつの間に)
私の知るルーカスからは想像できないくらい、鮮やかな身のこなしに驚く。
「動くな」
ルーカスは静かに告げた。
「お前が何者かは知らないが、これ以上動けば容赦しない」
「え、この人、ホワイト・ローズ科の生徒じゃないの?」
「僕は知らない」
「そうなんだ」
「だから油断は出来ない」
「……確かに」
私は改めて青年を見る。すると青年は俯いたまま、小さく肩を震わせているではないか。
「もしかして泣いているの?」
「まさか」
「じゃあどうして震えているの?」
「さてね」
「もしかして、ルーカスがさっき投げた植物でしびれているとか?」
「どうだろうね」
私は青年の顔を覗き込む。すると青年の唇が微かに動いた。
「…………った」
「ん? 今なんて言ったの? よく聞こえなかったんだけど」
聞き返すと、青年は勢い良く顔を上げた。
そして満面の笑みを浮かべると。
「やっと見つけた!! 僕の愛しい女神様!!!」
そう叫びながら抱き着こうと言わんばかり、私に向かって大きく手を広げた。
「え? 何?! どういう事!?」
意味が分からず慌てる私の視界に、ルーカスの姿が入る。そして瞬きをする間もなくルーカスは私の腕を掴むと、自分の方へと引き寄せた。
その結果私はルーカスに抱きしめられる事となる。
「ちょ、ちょっとルーカス、苦しいんだけど」
「大丈夫、僕がついているから安心して」
「いや、全然安心できないから。それより早く離して」
必死に訴えてたものの、ルーカスは私を抱き締める力を緩めようとしない。よってここは実力行使だと、私はぶらりと下がったままの右手にシュルリと杖を召喚する。
「ス、ストップ!!」
杖を召喚した音を耳にしたのか、ルーカスが私から手を離し、降参のポーズ。両手を上にした。
「調子に乗りすぎだから」
私は杖を収めながら、ルーカスを睨む。
「こう見えて僕は、わりとチャンスは逃さないタイプなんだ」
悪びれず胸を張るルーカス。
どうやら反省するつもりはないらしい。
(もうっ)
何を言っても無駄だと悟った私は、青年に向き直る。
「あの、私、貴方に会ったことありますか?」
私の問いかけに、青年は首を横に振る。
「いいえ、初めてお会いします。ですが一目見た時から貴女に心奪われてしまったのです。どうかこの気持ちを受けとめて下さい」
そう言うと青年は再び私の頬に触れようと手を伸ばす。その手をルーカスがピシリと叩く。
「ルシアに心奪われる気持ちはわかるが、誤魔化すな」
ルーカスがズィと私の前に出る。
「お前はこの学校の生徒ではない。何故なら」
勿体ぶったようにルーカスが言葉を切る。
緊張感漂う空気の中、私はゴクリと唾を飲み込む。
そしてルーカスの口から続く言葉を促すように、彼の横顔をジッと見つめるのであった。




