011 ルーカスに隠された病
学校の医務室のドアを開けた途端、薬草の少しツンとした香りが私の鼻にまとわりついた。
香りの発生源を確かめようとキョロキョロと室内を見回す。するとすぐに、壁に沿ってズラリと並ぶ薬棚の中に、様々な薬草が瓶に詰められているのを発見する。
どうやらこの部屋に充満する薬草の匂いは、あの棚が原因のようだ。
「あのう、急病人なんですけど」
宙にルーカスを浮かせたまま、私は天井が高く広い部屋の中を見回す。すると奥にある白い衝立の向こうから顔を覗かせた、医務室の保健医であるダコダ先生が、ぎょっとした顔で固まった。
「一体何があったの?」
横たわりながら宙に浮くルーカスに視線を留めたまま、青い顔をしたダゴダ先生が私にたずねる。
因みにダコダ先生の顔が青いのは、ダークエルフという、一般的に闇落ちしたとされるエルフの子孫だからである。その証拠にまるで夜露を集めて作られたような、美しく輝く銀色の髪を一つにまとめたダコダ先生の耳は人ざる形でスンと尖っている。
「アデル先輩の色香にあてられたのかも知れません」
大真面目な顔で告げる。
「まさか。いや、あり得るか……」
思案した表情のまま、白衣を翻し私の元に辿り着いたダコダ先生は、宙に浮くルーカスを覗き込んだ。
「あら、この子はホワイト科のルーカス・アディントンじゃない。とにかくええと、このベッドに彼をそっと下ろして頂戴」
私はダコダ先生の指示に従い、細心の注意を払いながらルーカスをベッドにそっと下ろした。
「それで、中庭からここまであなたが浮遊魔法をかけて運んできたの?」
ルーカスの閉じた瞼を無理矢理開かせ、瞳を確認するダコダ先生に問われる。
「はい」
私は答えながら、ベッドに横たわる青白い顔をしたルーカスを見下ろす。
何だかんだムカつく事が多い人だ。けれど、苦しそうに呼吸を荒くする姿は出来れば見たくない。それに加え、今すぐ何とかしてあげて欲しいと、ダコダ先生に願う気持ちにならなくもない。
悪役的には全くもって、落第点な考えが脳裏をよぎり、私は小さく首を振る。
(これはきっと、同郷のよしみという感情からくるもの)
正しくは国外追放された為、私は両親やルーカスが祖国だと大事に思うであろう、ローミュラー王国に住んだ事なんてない。だから『同郷のよしみ』というのも若干違う気がしなくもない。
(でもまぁ、ローミュラー王国の民族的な血は流れているわけだし)
同郷ではないとは言い切れないような気もする。
私は自分の中にうっかり浮かんだ、善なる気持ちにそれらしい理由をつけておく。
「流石は神の子フォレスター家のお嬢様ね。ブラック・ローズ科に籍を置いておくなんて勿体無いくらいの見事な魔力量。あ、これは独り言よ。フェアリーテイル魔法学校では生徒の学びたい気持ちを尊重するのがモットーですからね」
不機嫌に眉を顰める私の表情を見たダコダ先生が、わざとらしく取ってつけたように告げる。
「それでルーカスは、一体何でこんな状況になっているのですか?」
「心配しなくて大丈夫。彼は持病持ちだから。魔法剣技の授業の後は、こうなりがちなの」
「初めてじゃないって事ですか?」
(それに魔法剣技の授業の後になりがちって)
一体どういうことなのだろうか。
私は答えが欲しいと、ダコダ先生の顔を見つめる。
「彼は端的に言えば、生まれながらの魔力欠乏症なのよ。それに加えて半グール化した状態で止まっている。だから無理をして魔法を使うとこの通り。体が悲鳴をあげ、自己回復のために意識を失ってしまうと言うわけ。それに加え、この発疹……うっかり草でも食べたのかもね」
私は初めて聞く病名と衝撃的な病名。その二つに眉根を顰める。
「グール化ってどういうことですか?」
グールとは、人間と似た姿をした食人鬼のこと。
そしてグール化するには……。
『その程度はあれど、誰しもがうちに秘めた邪悪な心。それに完全に飲み込まれた時。悪貯まりを抱えるローミュラー王国の人間は、誰しもグールに成りうるんだ』
いつぞや父が私に明かした話を思い出す。
(でも待って。ルーカスが?)
私が知るルーカスは、グール化するような邪悪な心を持ち合わせているようには見えない。それに何より、ルーカスはナターシャが言うように『植物マニア』だ。
食物として『肉』を摂取することが必要な生物であるグールになった場合、あんなにも植物を愛する事ができるのだろうか。
様々な疑問を抱えたまま、ダコダ先生の顔を見つめる。
「ルーカス君はグールじゃない。正しくは半グール化している人間ね」
「半分だけグールって事ですか?」
私の言葉にダコダ先生は頷く。
「通常であれば完全にグール化するでしょうね。けれど彼は生まれながらにして、魔力欠乏症を患っている。だから、完全なるグールにはなれなかった」
「それはいいことなのですか?」
私の質問にダコダ先生は難しい顔をしながら口を開く。
「どうだろうね。完全にグール化すれば、グールの仲間として受け入れられる。食人鬼としてのイメージが強いグールは人間から攻撃対象とされる事が多い。だから群れをなし、お互い守り合って生きている場合が多い。つまり、彼は人間、グール。どちらからも受け入れて貰えない存在ということ」
「そういうことだね」
ダコダ先生は眠るルーカスに切なそうな顔を向け、ため息をつく。
「それって一生治らないものなんですか?」
「グール化については、ローミュラー王国独特のものだから、私にははっきりと断言できない事が多い。けれど魔力欠乏症を補う方法はある。だけど完治はね、今の医療魔法技術では残念ながら」
小さく首を振るダコダ先生。つまり治らないということだ。
「補う方法があるなら、何故ルーカスはそれをしないのですか?」
少なくともルーカスはローミュラー王国の王子だ。
私が質素倹約をモットーに家族と慎ましく暮らしている間、当たり前のように毎日美味しい物をたらふく食べ、高価な衣装に身を包み、欲しいと願う物を難なく手にし、何不自由なく暮らしていたはず。
(しかもたった一人。大事な跡取り息子なんだし)
まさに目に入れても痛くないほど大事にされる存在であるはずだ。
けれど現在私の視界に映るルーカスは、苦しそうに顔を歪めている。
ローミュラー王国がいったいどういう国なのかわからないし、どんな教育を良しとしているのかも知らない。
けれど少なくとも、私の父はとても優しい心を持った人間だ。
(父さんだったら、私が転んで怪我をしたくらいでも大騒ぎするのに)
何故、ルーカスの両親は大事な一人息子の病気を放置しておくのか。
(意味がわからないんだけど)
私はルーカスを取り巻く環境に、憤慨する気持ちを抱える。
「そもそも魔力を人に分け与える。そんな芸当、相当な魔力量を保持できる器持ちじゃないと無理なのよ。まぁ、あなたなら可能だろうけど。けれどそんなことはしたくないでしょう?」
何気なく放たれた言葉に私の思考は囚われる。
(確かに父さんと母さん。そして私の敵である者に魔力を分け与えるだなんて、吐き気がするほど嫌だけど)
けれど、そういうしがらみを抜きにし、合理的に考えた場合。
(魔力が余っている私が、同級生にわけてあげる)
その考えは悪くない気がしなくもない。
「例えばですけど、魔力を分け与えるって、具体的にどうしたらいいんですか?」
「そうね。指輪を使って魔力を調整するのが、一般的な方法ね」
「指輪ですか?」
思いがけない回答に、私は目を丸くする。
「指輪と言っても、魔力を溜めておける医療用のものよ。彼が魔法を使う時、指輪に貯めておいた魔力で補うの。そうすればこんなふうに魔力が枯渇し、意識を失う事もなくなるはず」
一通り診察を終えたらしい、ダコダ先生がルーカスの体にそっと掛け布団をかぶせた。
「ただし、定期的に魔力を補充する必要がある。そして大抵の人はそれを面倒だと思う。そもそも魔力を余るほど保持する人間を探すのも難しい。だからあまり普及していないのが現状ね」
ダコダ先生は聴診器を耳から外しながら、私に困ったような表情を向けた。
「定期的にって、どの程度の頻度なんですか?」
「魔力の使用量によって変わるから一概には言えないけれど、彼の場合は一週間に一回程度で大丈夫なんじゃないかしら」
「一週間に一回でいいんですか?」
てっきり数時間おきに魔力の補充をしなければならない。そう思い込んでいた私は肩透かしを食らった気分になる。
「あなたがもし、ルーカス君に魔力を分け与えてもいい。そう思うのであれば、ゴブリン横丁にある店『高貴なるヒゲ』という店を尋ねてみるといいわ。きっとお目当ての指輪を作る相談にのってくれると思うから」
「まだ決めたわけじゃないですけど……でも、色々とありがとうございます」
私は素直に頭を下げる。
「あなたにとって、ルーカス君は憎しみをぶつける相手だという事は承知しているわ」
「それは……」
「でもね、弱ったルーカス君を仕留めても、思うような達成感を得られないと思う」
「…………」
「私からあなたへの助言は一つ」
ダコダ先生がポンと私の両肩に手を乗せる。
「復讐を成功させる秘訣。それはまず、自分が復讐するその時まで、復讐相手には元気でいてもらうよう、監視しておくこと。横取りされたり、病死なんかされたりしたら、あなたは一生復讐を果たせなくなってしまうでしょう?」
「……確かに」
なんとなく物は言いよう。そして上手く丸め込まれているような気もしなくはない。
(でも確かに、誰かに横取りされるのは嫌かも)
人の良い父と母を苦しめた。その事に対する復讐は娘である私がする。
それは私がフェアリーテイル魔法学校の組分け編み棒を握った時に願ったことで、私が生きる目標でもある。
(指輪か……)
私は複雑な思いを抱えながら少しだけ頬が色づき、息が整ってきたルーカスを見下ろす。
「どうする、ここで目覚めるのを待つ?」
ダコダ先生の言葉に私は首を横に振る。ここでルーカスを待つ義理はないし、助けたからと更に懐かれても面倒だ。
「いえ、行きます」
「そう。ルーカス君を助けてくれて、ありがとね」
ダコダ先生に見送られ、私は保健室を後にしたのであった。
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