追憶
エリンは、夢を見ていた。
その夢は、あまりに悲しいものだった。
そして夢と言うにはあまりに現実味を帯び過ぎていた。
なにせ痛みまであったからだ。
それは夢ではなかった。
エリンの『前世』の記憶、その追体験だった。
『前世』は三百年前の国王だった。
国民の半数以上が国王を罵っていた。
国王は『淫魔王・羞恥王・愚賢王』と蔑まれていた。
その国王は、いま――
◇
玉座の前での凶行だった。
「このうつけ者がぁああ! 陛下、お気を確かに! 今直ぐアーメリア様を、急げっ!」
ならず者や暗殺者の類いによるものではなかった。
『私』にとっても覚えめでたい、騎士の鑑とさえ言われた男の犯行だった。
おそらく、人生で初めて犯した大きな過ちと思われた。
「ははっ、やった、やってやった! お前みたいな淫乱恥王、居ない方が世のためだ。とっととくたばれっ!」
その場にいた近習たち――特に騎士たちの多くが戸惑っていた。
その顔に、見覚えがあったからだ。
王城に招いて『私』が昇爵した男だ。
国境線を四十年近くも守り続けた質実剛毅の大人物だった。
私の背後を護る騎士たちはその時も護衛の任に就いていた。
その時から誰一人として顔ぶれは変わっていないのだ、覚えていて当然だった。
「誰かその者の口を塞げ、さっさと連れ出せ! くっ、陛下の御下命だ。決して傷一つ負わせるな、伝令を怠るな!」
「「――は、はっ!」」
誰がそうかは思い出せないが、上司と部下の関係にあった者もいたはずだ。
いつかの式典で聞いた、「誰もが駆け出しの頃に恩があります。一を聞いて十を知り、百を悟る。その思慮深さに尊敬と憧れを抱き、それは今も変わっておりません」と。
だから察した、「わざとああして見せている」と。
『私』は咄嗟に命令を下した。
全員に向けて言葉を発したはずだったが、『私』の望むよう取り計らってくれたのは、トルチェスだった。一番遠くにいたトルチェスにしか届かなかった。彼女はエルフで耳が良かった。
(……思えば、昔から『私』のぼやきを拾っては、先回りしてくれていたな。まるで毛毬を投げるとすぐに追いかけ、戻ってくる愛らしい子犬か子猫のようだった。人生の大先輩に対し、失礼ながらもよく思ったものだ)
そちらを呟くことは無かったが「一度、言ってみても良かった」と、後悔の念が浮上したのは己の死を悟ったからだ。死の訪れに際して時間の感覚が緩やかになったことを感じていた。
そして、目まぐるしく想起される人生は、見も知らぬ女性との閨事の記憶ばかりだった。私の人生は情欲に塗れていた。四六時中、誰かの肌が体に触れていた。
理由があったとは言え、その悍ましさが死に際の『私』を苛んだ。良い人生だったとは決して思わない、思えなかった。
現に、こうして凶刃に倒れているのだ、他人から見ても、そうなのだろう。
(私の死に顔に添えたい思い出は……先立った妻との蜜月の日々。そして……そうだな。いつ如何なる時も、私の側にいてくれたトルチェスとの……ぐっ――)
――急に体が重くなり、その場を動けなくなった。視界が霞んだ。そして、耳も遠く、肌の感覚も鈍くなっていった。血錆のような匂いと、鉄の味だけは一層強くなったため、その二つの感覚だけは最期まで『私』に付き合うつもりなのだろうと思った。
頬が血の池に沈む。「よくもこれだけの……」と、呟きが漏れるほどの血溜まりができていた。もう……あと僅かだった。六十余年の付き合いになる身体の各部は『別れの挨拶』もなく……最後まで付き合うはずの、それらすらが忽然と途絶えた。
(孤立は……今に始まったことではない……か。私すら……肉体の悦びには……目を……背け……て……いた…………)
『私』は悲しい男だったと薄れゆく意識の中で感じた。打ち拉がれながらも「この言いようもない寂寥感と共にこの世を去ろう」と、最期の意思で目を閉じた。
――頬に、何か温かいものが触れ、耳に馴染んだ鈴の音が届いた。
「……とうとう、この日が来てしまったのですね。……私は……私は……」
――頭が持ち上げられ、柔らかい枕が敷かれた。
(幼い頃、こうやって陽だまりの中で午睡をむさぼったものだな……)
最期の別れを告げるため、散り散りの意識をかき集め、気丈に振る舞う覚悟を胸に灯した。
「良い。トルチェスよ、悲しむことは……ない。今まで、よく仕えてくれた。感謝……ぐぅっ……皆にも……伝え……て…………」
「陛下ぁあああああぁぁ……ぁ……ぁ……」
生憎、声にまでその意思を宿せなかったが、「彼女は耳が良いからな」と、今際の際にまで彼女を頼る不甲斐なさに自分らしさを感じた。
(もう少し……鈴の音に、聴き入り……たかったのだが……な……)
言葉には出せずとも、笑顔で感謝を告げ、『私』は意識を手放した。
◇
……そこで終わりだと思っていた。
次に意識が浮上したのは、しめやかに執り行われる『私』の国葬の場だった。
『私』に実体はなく、俯瞰していた。
そこに見知った顔を見つけた。
彼女の輝く美貌は、人目を惹いていた。
人々の視線を辿ることで彼女に行き着いた。
(私の葬儀、なのだがな……)
ほぼ全ての視線が彼女に釘付けだった。
『私』の人生は常に彼女と共に在り続けた。
先立ってしまった妻よりも長い付き合いで、唯一の心残りは彼女を残して逝くことだった。
彼女は、いつも、純真無垢の心根を表わしたような冴え冴えとした白の軽甲冑を身に纏っていた。そして、いつも、黄金に輝く流麗な長い髪を靡かせていた。
『私』の見てきた限り、エルフの女性騎士トルチェスは六十年間はその姿のままだった。
「膝枕のときぐらいは外してくれても良いのだぞ?」と、何度か彼女に言った事もあったが、「いいえ、ご心配には及びません」と、こちらの意図するところとは違った返答が常だった。
幼い頃から、いついかなる時もその容姿と衣装は変わることがなかった。
彼女の美しさとその姿は、ずっと変わらないはずだった――。
今は、流麗な黄金色の長い髪を結い上げ、漆黒のドレスを身に纏っていた。
そして、深い悲しみと憂いを帯びた表情は……。
エルフらしい整った顔立ちと、エルフらしくない天真爛漫さが、彼女に相応しくない悲哀の色に染まっていた。それに、疲れも滲み出ていた。
どうやら『私の死』が彼女の心に影を落としたようだった。
代わり映えのない衣装と髪型には、彼女の覚悟があったことを私は知っていた。
(それを『私の死』が……捨てさせてしまった……)
言葉にならない、自責の念が込み上げた。
だが、目にした彼女の美しさが、私の意識を奪った。
これまで、代わり映えのない『至上の美しさ』だったものが、今は悲壮と憂いを帯びたことで、『表現することを謀る美しさ』に昇華されていた。触れ得ざる神性までもを宿していたのだ。
私はいたたまれなくなった。
それにも拘わらず、彼女に視線を奪われていた。
それを心が、『私』の行いを赦さなかった。
涙が溢れ、その視界を覆った。
彼女の青緑の入り交じる『ターコイズ』色の瞳も、涙で潤んでいた。
(……魂の存在であっても涙は流れるようだ……な……)
トルチェスの震える手には、報告書が握られていた。
そこには次の一文が記されていた。
『ハーウェイは部下たちが抱える悲壮な悩みに心を痛めていた。犯行理由も含め当時の言葉をそのまま以下に記す。「ある部下は婚約者を、ある部下は娘を、ある部下は孫を想い、涙に暮れていた。なおかつ、淫行を働く悪に嘆いたものは国民の半数以上だった。討つべき巨悪は、その強権を以て初夜権――口にするのも謀られる悪政を、全ての年若い子女に強要した。だから、老骨を散らす覚悟で凶刃を振るった」――惜しむらくは、国境線に居続けたため内情を知る由がなかったことだ』
所々が雫を落としたかのように、滲んでいた。
既に『私』の視界も、歪んでいた。
名残惜しい気持ちしか無かったが…………天からの迎えが到着した。
『私』の手を取る天使達に連れられ、『私』は天高く昇っていった。
途中、はるか高空から、我が国『ヴァーレリア』を見下ろした。
『私』が人生のほぼ全てを捧げ、守った国だ。
そして、彼女と過ごした国だ。
(これからはどうなるかはわからないが……)
深いところから込み上げてくる感情があった。
だが、惜別の想いで上空を見上げた。
彼女の今いる場所に、これ以上は雨を降らせたくなかった。
そして、光が『私』を包み込んだ。
◇
前世の追体験が終わった。
エリンはまだ眠りこけていた。
今エリンが見ているのは夢だ。前世の記憶ではない。
愛読書の『英雄譚』の登場人物たちとは違う、エリンだけの大冒険を夢に見ていた。
「すーすー」と寝息を立てるエリンは、今日、『冒険者』としての第一歩を踏み出そうとしていた。
まだ、冒険者登録は完了していなかった。
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