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第九話 悪い女と悪い男

 ノエルのあとを追ってきたのだろう。

 リュシールは鬼のような形相で、ノエルを――いや、その横にいるアナイスを睨んでいた。


 ――遊びが過ぎたか……これはまた面倒なことになっちまったな。


 アナイスと抱き合うような格好をしているノエルだ。

 さて、なんと言い訳をすれば誤魔化すことができるだろう。


「王女殿下、これは……」

 とにかくなんとかしなければ。

 その一心で、口を開く。


「これは……そう、つまづかれたアナイス様に手を差し出した末にこうなってしまったのです。他意はございません」


 ノエルはアナイスから身を離した。

 けれど彼女は、なぜかノエルの身体により強くしがみついてくる。


「アナイス様……!?」

「お姉様、何を……!」

 リュシールの表情が、より厳しくなった。


「邪魔をするなんて、無粋な子ね、リュシール。今、とてもいいところだったのよ? 見てわからない?」

 アナイスの細い指が、見せつけるようにノエルの首筋をなぞった。


「アナイス様、おやめください……!」


 どうにか彼女と距離をとりたかったが、相手は王女だ。逆らうことは許されない。

 しかも離れようとすればするほど、彼女はノエルに抱きついてくるのだから、始末が悪い。


 ――ああもう、なんだってんだ、面倒なことしやがって……!


 ノエルは観念したとばかりに両手をあげ、アナイスに抱きつかれるままとなった。


「リュシール殿下、落ち着いて聞いて下さい。これは――」

「いいえ、ノエル様、何もおっしゃらないでください!」

 強い口調で遮られた。


「わたくしはわかっておりますわ。お姉様に迫られて、困っていらしたのでしょう!?」

「え? いや、それは……」

 困っていた、と言うには、自分も少々ふざけすぎてしまった感があるのだが。


「ひどいわ」

 リュシールがふたたびアナイスを睨んだ。


「お姉様、どういうおつもりなの!? ノエル様とわたくしが、こ、こ、婚約……! 婚約したこと、もちろんご存知なのでしょう!?」


 ――って、『婚約』って口に出すのに、そこまで照れることねえだろうが。


 こちらまで恥ずかしくなってくる。


「ねえ、お姉様! どういうおつもりなのよ! ちゃんと説明してちょうだい!」


 リュシールは目に涙をためて叫んだ。

「今すぐノエル様から離れて!!」


 けれどアナイスは、それを鼻でわらった。


「ふふっ、むきになっちゃって、やはりまだまだ子供ね、リュシール」

 妹のことをさらに挑発するつもりなのか、ノエルの胸元にしなだれるように頬を寄せてくる。


「あなたとノエルが婚約? ええ、知っているわ。オリヴィエから聞いたもの」


 オリヴィエとは、アナイスの弟であり、リュシールの兄である二十一歳の王子――この国の皇太子だ。


「けれど、それがなに? 所詮、内定しただけの話でしょう? それにノエルはもともとわたくしのものだもの。誰と婚約しようが、関係ないわ」


 ――いやいや、語弊のある言い方はやめてくれ!


 ノエルは無意識のうちに額をおさえる。


 たしかにノエルは二年間、アナイスの護衛として彼女の元にいた。

 けれどそれはあくまで仕事。それ以外の何でもない。


 なのに先ほどの言い方だと、聞いた側は完全に男女の仲を想像してしまうではないか。


 ――まあ、わざとそうしてるんだろうけどな。


「それにリュシール、あなただって、わたくしのおかげでノエルの存在を知ったのでしょう? 四、五年前、わたくしの部屋に意味もなく遊びに来ては、側にいたノエルのことばかり見ていたじゃない」

「え……」

 ノエルはつい口を開いた。

「リュシール殿下……そうなのですか?」


 ということは、彼女がノエルのことを見そめたのは、かなり前ということになる。


「それほど前から、この私のことを……?」

「そ、それは……」


 答えに詰まったリュシールは、顔を赤くしてうつむいた。

 その態度でわかった。

 アナイスが言ったことが真実である、と。


 ――こっえええ! 年季の入ったストーカーじゃねえか!


 背筋に冷たいものが走った。


「いい? リュシール、人のものに手を出してはいけないの。わたくしがいぬ間にノエルとの結婚をお父さまに願うなんて、卑怯な子のすることよ」

「ノエル様はお姉様のものではないわ! それにお姉さまはもう結婚されているじゃない!」


「結婚なんて、ただの契約よ。夫婦であっても、心までは縛れないわ」

「そ、そんなことないわ! わたくしとノエル様は、お姉様たちのような冷めた夫婦には決してーー」

「しかもあなた、ノエルの気持ちを無視して縁談を進めたのでしょう?」

「え……」


 瞬間、リュシールは身体をびくりと震わせた。

「それは……」


「どうしてもとあなたが願ったと聞いたわよ? でなければ死んでやると、お父さまを脅したとか」

「そ、そんなことは……!」


 リュシールの顔色が、たちまち青ざめる。

 それ以降、彼女は言葉を失い、ただうろたえるだけだった。


 ――まあ、予想どおりだけどな。


 彼女の本性を知っているノエルだ。

 リュシールが自身の命をちらつかせ、父である王を脅したと聞いても、とくに驚きはなかった。


 それよりも、目の前でわかりやすく落ち込むリュシールのことが、次第にかわいそうに思えてきた。


 ――さすがにいじめすぎだろうが。


 アナイスがノエルのことを、さも自分のもののように振る舞うから、なおさら嫌な気分になった。

 落ち込むリュシールの肩を、どうにかもってやりたくなってしまう。


 けれど。


 ――これは……もしやチャンスなんじゃねえのか?


 ノエルはふと閃いた。

 こここそを、ターニングポイントにするべきなのではないか、と。


 十日前の夜のことを思い出す。

 ノエルに長年、想いを通わせる相手がいる、とリュシールが知れば?

 彼女自ら婚約を破棄してくれるかもしれない、と考えた時のことを。


 ならば今回こそが千載一遇のチャンス。

『ノエルはわたくしのもの』とのアナイスの言葉を真に受けたリュシールが、二人がかつて恋人同士だったと勘違いをしてくれればもうけものだ。


 姉と関係のあった男のことを夫にしたいとは、さすがのリュシールも思わないだろう。

 となれば、ノエルの思惑どうりにことは運ぶかもしれない。


「アナイス様もリュシール殿下も、ひどまず落ち着かれてください」

 どうしたものかと思案しながら、ノエルは二人の間に入った。


 するといきなりリュシールがこの場から走り去る。


「殿下……!」

 思わずあとを追いそうになるノエルだったが。

「だめよ」

 アナイスに手を引かれ、止められた。


「追ってはだめ。わたくしよりあの子を選ぶなんて、許さないわ。それにあなただって、あの子と結婚したいわけじゃないんでしょう?」


 ――それはそうだが、立場的に「大正解!」と、元気いっぱい言えるわけねえだろうが!


「泣いていたわね、あの子。よほどショックだったのかしら」


 そう聞かされれば、ノエルの脳裏にリュシールの泣き顔がよみがえった。

 先日、「嫌いにならないで」と、ノエルに懇願してきた際の、彼女の姿。

 その瞬間、ノエルの胸が、しめつけられるように痛む。


 ――俺もいったい何がしたいんだか……。


「……アナイス様。いい加減、この手を離してください」


 いまだノエルの腕に巻き付いていた、彼女の腕。

 それをやんわりと離し、ノエルは側にあったベンチになげやりに腰掛けた。


「で? 妹君をあのようにいじめて、あなた様はいったい何をされたいのです?」


 溜息混じりに問えば、アナイスはあっけらかんとした様子で口を開いた。

「簡単だわ。あなたをあの子に渡したくないだけよ」

「なぜ?」

「あなたのことを気に入っているから」

「なるほど、アナイス様は、御夫君のドイトリア王太子殿下と、そんなにもうまくいっていないのですね」

「それは……!」


 意表を突かれたのだろう。

 そして図星だったのだろう。

 アナイスはたちまち顔色を変えた。


「ずいぶんと失礼な発言をするのね、ノエル。夫のことなど関係ないわ。久しぶりにラグランジェに帰省して、あなたに会って、やはりあなたを手に入れたいと思っただけよ」


「そうですね……若い女と浮気でもされましたか。それで『離縁してやる!』と激高し、身勝手に帰ってこられた、とか?」

「あなた、なぜそれを……!」


 アナイスは、刃のように鋭い眼差しをノエルに向けてきた。

 けれどそれで怯むノエルではない。


 ――まったく、面倒なことに巻き込みやがって。


 整えていた髪をぐしゃりとかき混ぜ、にこりと笑う。

 脳裏にはまだリュシールの泣き顔が残っていた。


「ご自分がお幸せでないからといって、妹君にやつあたりをするのは感心いたしませんね。これから幸せになろうという彼女のことを、ねたましく思いましたか?」

「――……! そんなこと……!」


 もはやぐうの音もでないのだろう。

 アナイスは両の拳を握ったまま、唇を噛んでいる。


「あなたは私のことなど、そこまで欲してはいないはずだ。……まあ、あなたの護衛を務めていた当時は、正直、あなたに気に入られていたことにも、誘われていたことにも気づいていましたが」

「……本当に食えない男ね、あなた……嫌な男」


 立ち上がったノエルは、アナイスの肩をぽんと叩いた。


「このお話は、リュシール殿下には内緒にしてさしあげますよ。殿下から何か問いただされても――たとえば私たちの仲を疑うようなご質問をいただいても、とくに否定も肯定もいたしません」


 ――そのほうが俺にとっても都合がいいしな。


「では私はこれで失礼いたします。あなた様の護衛に関してなにかご要望がございましたら、ぜひ近衛隊にお申し付けくださいませ」


 左胸に手をあて、にこりと微笑む。

 アナイスは悔しげに唇を噛んでいたが、最後には「ごきげんよう」と、赤薔薇のように艶やかな微笑を見せた。

 さすが王女、と、ノエルは胸中で感嘆した。


   *   *   *


 ――あいつ、来てんだろうな。


 その日の夜、シャルマンに変装したノエルが例の酒場に入ると、カウンターの向こう側に立っていた店主が、無言で二階を指さした。


 やはりそうか。

 溜息を吐きつつ、二階へと上がる。


 いつもの席には、頭にヴェールを被ったリュシールが座っている。

 その背後には、お付き兼護衛の侍女が。


「シャルマン……やっと来たわね! ここ数日、何をしていたのよ!」

 ノエルの姿を見つけるなり、リュシールは不機嫌顔で立ち上がった。


「俺が何してたってあんたには関係ねえだろうが。べつに約束もしてねえし、そもそもそっちが勝手にーーうおっ」


 ノエルはぎょっとした。

 リュシールが突如、ぼろぼろと涙をこぼし始めたからだ。

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