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第七話 後悔、のち希望

「何をしているんだ、俺は……」


 その日の夜。

 ノエルはいきつけの酒場のいつもの席で、頭を抱えていた。


「ああ、もう最悪だ。まじでほんとどうした俺。自ら首をしめちまってるだろうが……!」


「またわかりやすく落ち込んでいるね。どうしたんだい?」

 ワイン片手に現れたのはセドリックだ。


「セドリック……! 俺を殺せ!」


 隣の席に座った彼に、ノエルはすがり付くように懇願する。


「頼む! なんであんなことをしちまったのか、わけがわからなすぎるんだ! もはや後悔してもしきれねえ!」

「僕が? 天下の近衛隊隊長殿を亡き者にする? 何寝ぼけたことを言っているのさ」

「ならばせめて殴ってくれ……!」

「僕のこの手は野郎の顔を殴るためにあるんじゃない。女の子を可愛がるためにあるんだ。お断りするよ」


「ああ、まじでなんだっていうんだ……」

 ノエルはやけくそとばかりに自分のワインを飲み干すと、ついでにセドリックのそれも奪ってひといきで飲んだ。


「ノエル……ほんとうにどうしたっていうんだい? 珍しいね、君がそんなにも落ち込むなんて」

「ノエルって呼ぶな」

「ああ、ここではシャルマンだったね。面倒だな。で、何があったんだい?」

「わからない」

「は?」

「だから、なぜあんなことをしちまったのか、自分でもわからないんだ……!」


 そう。本当に、どうしてあのようなことをしてしまったのか。

 苛立つあまりにノエルは前髪をぐしゃりとかきまぜる。


 ――できるならこの場であなたを好きにしてしまいたい、だと? 私に抱かれる覚悟ですよ、だと?


 彼女の泣き顔を見た瞬間、理性がどこかへ飛んでいってしまった。

 自分に向けられる彼女の一途な想いがいじらしくて。

 つい、彼女を喜ばせたくなってしまったのだ。


「だからといって額にキスするなんて、やばいだろ、俺……! 完全にいかれてるぞ!」


「なんの話だかさっぱりわからないけれど、かなりの大ごとみたいだね」

「俺としたことが、判断を大きく誤った」


 今回の正解は、あの場で彼女のはしたない行為を非難し、冷たい態度で接すること。

 そうなれば彼女も自分の行いを反省し、ノエルとの結婚をあきらめてくれたかもしれなかったのに。


「おい、手っ取り早く女に嫌われる方法はないか?」

「簡単だ。クズな男を演じればいいのさ」

「クズ? どんな男だ」

「女にだらしがなくて、酒やギャンブルが好きで、それをちっとも悪いと思わない男さ」

「なるほど……って、それ俺だろうが」

「察してくれて嬉しいよ。つまりシャルマンとして君がやっていることを、ノエルである君がやればいいだけの話だ」

「だが経験上、女は他の女の存在に気づけば気づくほどしつこくなる」

「今回、君が相手にしているのは、その程度の女なのかい?」


 言われてはっとした。


 そうだ。彼女は、ノエルがいつもシャルマンとして遊んでいるような身分の女たちとは違う。

 至高の存在である王女なのだ。きっと気位も高いはず。


「いいかい、シャルマン。僕の経験上、身分が高い女性ほど、自尊心が高い傾向がある。つまり他の女の影を見せれば、君のことを軽蔑して去っていくんじゃないのかな」

「……なるほど。一理あるな」


 だがアストレイの家名に傷を付けることは許されない。

 そしてノエルが近衛隊隊長の座を追われることも、だ。


 つまりあまりにやりすぎてはいけない、というわけなのだが。


 ――クズ認定されるのは少々危険だな……。何か別の方法で、ほかの女の存在を匂わせたほうがいいか?

 

 と、そこでノエルは思いついた。


「そうか。ノエルに想う相手がいる、という設定にすればいいのか」


 長年、一途に想いを通わせる恋人がいると知れば、どうだろうか?


 ノエルの想いが揺るぎないことを、リュシールが知る。

 そして王命に逆らえないノエルが、恋人への恋心を胸に秘めたまま、自分と結婚するつもりであると認識すれば?


 自尊心の高い王女は、それを嫌がるかもしれない。

 そしてこの婚約を彼女の方から消滅させてくれれば、ノエルとしては万々歳だ。


 ――幸いにもこの婚約内定はまだ公にされてない。となれば、俺の評価も公に落ちることもない、か……試してみる価値はあるな。


 そのためにも、庭園での言葉――彼女への口説き文句を、どうにかなかったことにしなければいけなかった。


 さて、どうするか、と頭を悩ませていると、セドリックが「おっと」と、声を上げた。

「君に客人のようだよ、シャルマン」


 んあ? と無防備に視線を追えば、そこには金髪碧眼の美しい容姿の女が立っている。

 まさかの王女――リュシールその人だ。


「あんたは……! こんなところに何しに来たんだ!」


 苛立ちを隠さず、ノエルは立ち上がった。

「お嬢様の社会科見学か? ならばまずはどっかの工場にでも行ってこい! 今時は土産もくれるらしいぞ!」

「こんばんは。今日もこの下品な店にいてくれてよかったわ」


 こちらの言葉を華麗に無視した彼女は、ノエルとセドリックのテーブルに座る。


「話があるの。あなたも座りなさい」

 ノエルの二人称が『おまえ』から『あなた』に変わったが、腕を組むその姿は、やはり偉そうだ。


「残念だったな。ちょうど帰るところだ。あんたもこんな下品な店に出入りしてないでさっさと――」

「わたくしの話が聞こえなかったの? 座りなさい、と命じたのよ」


 ――まったく、この女は……。


 やはり昼間の彼女とは別人のようだ。


 うんざりしながら、ノエルはソファになげやりに座った。

 そしてつい、くつくつと笑みがこぼれる。


「そうだ……そうだったよな」


「何をぶつぶつ言っているのよ、薄気味悪いわね」

「いや、会えて嬉しいよ。……そうだよな、あんたはこういう女だったもんな」


 昼間の彼女のいじらしい姿が、たちまち脳裏から消えていく。


 今夜、ここで彼女に会ったおかげで、彼女本来の姿を思い出すことができた。

 これでもう二度と、『できるならこの場であなたを好きにしてしまいたい』などと口走ることはないだろう。


「で? いったい俺に何の用だ」

「それが、当たったのよ!」

「まじか! 何等だ!」

「は? 何の話?」

「宝くじでも買ってたんだろ?」

「何寝ぼけたこと言ってるのよ! あなたの昨日の予言――というか助言が当たったって言っているの!」

「……ああ、あれか」


 途端に憂鬱になった。


「それがね、あなたの言うとおり、あの……少々あれな服を着てあの方に会いにいったのよ」

「は? なんだって?」

「だから! その……はしたないというか、ちょっと露出が多めのドレスを着て、あの方に会いに行ったの!」


 いやいや、ちょっとどころじゃなかったぞ。

 ノエルは声に出さずにつっこむ。


「それで、あの方に『抱いてください』ってお願いしてみたのよ。そうしたら最初は困ったようにされていたのだけれど、最後は抱きしめてくださって、その……額にキスと、お約束をくださったの!」


「約束? そんなものした覚えはねえぞ」

 ついノエルになって答えてしまえば。

「何を言っているのよ。あなたとじゃなくて、あの方とよ」

「あ? ああ、そうだったな」


 危ない、と、ノエルは誤魔化すようにセドリックに声をかけた。

「おい、煙草があるならくれ」

「珍しいね。普段は吸わないのに」

「このよくわからねえ状況に疲れてきた」


 ワインだけではもう酔えない、と、ノエルは煙草に火を付ける。


「煙草は嫌い。レディに断り無く吸うなんて、無礼な男のすることよ」

「ならさっさと帰れ」

「絶対に嫌」

 はあ、と深く息を吐いたノエルは、結局、一度も吸わずに火を消した。


「で? 相手の男と何の約束をしたって?」

 今度はセドリックが注いでくれたワインをあおった。


「今度、わたくしの部屋に忍んできてくださるんですって!」


 ぶーっ! と、思わず口からワインを吐き出す。


「ちょっと、汚いわね!」

「し、忍んでいく、だと!?」

「あるいは近々、あの方のお部屋にわたくしをさらっていってくれるらしいわ。結婚式まで待ちきれないって。わたくしのことを、早く自分のものにしたいって……!」

「いやいやいやいや、言ってねえだろ! そんなこと!」

「なによ、見てもいないくせに、なんで否定するのよ」


 ――見るも何も、目の前にいる男こそがノエルなんだけどな!


「あんた、半端のない虚言癖の持ち主だな……! ここまでくると恐怖と尊敬が同居するわ」

「失礼ね」

「いや、マジで? あの言葉をそう変換しちまうってのか……?」


 今、あらためて実感する。

 彼女が相当にやばい女だ、ということを。


 ――まじでどうするかな。


 気が重くなって眉間を手でおさえていると、王女がうきうきした調子で手を叩いた。


「ねえ、お願いだから、またわたくしに助言をちょうだい! あなたほど当たる占い師は他にいないわ! 報酬はいくらでも払うから!」

「またそういうことを言って――」

 と、そこでノエルは名案を思いついた。


「つまり、あんたは俺を信頼するってことだよな?」


「もちろんよ。だって実際にあの方とお近づきになることができたんですもの! ああ、本当に素晴らしいことだわ!」

「だよな? 抱きしめられて、キスされて……だったら俺の言うこと、なんでも信じられるよな?」

「ええ! だからお願い、アドバイスを!」

「……よし、わかった」


 ノエルは顎に手をやってうんうん、と頷いた。

 いつしか胸中には希望が生まれていた。

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