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第三十三話 すべての結末

「リュシール殿下とこの私との結婚を、陛下にお認めいただきたいのです」

 そうノエルが王に願った直後。


「えっ……つまりモトサヤってこと?」

 真っ先に口を開いたのははオリヴィエだった。


「ノエル……いつの間にそのようなことに」

 ノエルの父も驚いている。


 無理もない。

 数日前には、『万が一、王族に対する不敬罪で捕まったらすまねえ』と、不穏な言葉を残して消えたノエルなのだ。

 父からすれば、まさかの展開だろう。


「ねえ、ノエル、それ本気で言ってるの? 相手はこのリュシールなわけだけど、本当にそれでいいわけ? 後悔しない?」

 オリヴィエがふたたび口を挟んでくる。


 ――って、いいから願ってんだろうが。


「もちろん、私は真剣に殿下との結婚を願っております。後悔などと、決してしないと確信しております」

 ノエルが答えれば、オリヴィエは驚愕の表情を浮かべる。


「本当に、本気になったって? ……ノエル、おまえの趣味ってけっこう変わってるね?」


 ――うるせえ、ほっとけ。 


 ノエルは視線を王に戻した。


「お父さま、お願いですわ! わたくし、やはりノエル様と結婚したいのです。一時はノエル様に申し訳なくて、身を退かなければと決意しましたけれど、でもノエル様も、あの、わたくしのことを……その、の、望んでくださったのです……! きゃあっ! 言ってしまったわ!」


 ――って、ここで照れるの、やめろ。


 ノエルはげんなりしつつ、再度、願う。

「お願いいたします、陛下。このノエル、ひとりの男として、必ずや殿下をお幸せにいたします。そしてアストレイ家の嫡男として、ラグランジェ王家へ永久の忠誠を誓います」


「ノエル、おまえ……!」

 血相を変えたのは父だ。


 ノエルがアストレイ家を継ぐことを、父はずっと望んできた。

 そしてノエルは、それをずっと拒否し続けてきた。

 けれどこうなったら――王女の降嫁を本気で望むとなれば。


 ――俺が継ぐしかねえじゃねえか。


 ようやく覚悟が決まった。

 リュシールを手に入れるためには、避けて通れない道なのだ。


「陛下、この私からもお願い致します!」

 この気を逃してたまるかと思ったのだろう。

 父がノエルの横で膝を付いた。


「我が息子、不肖ながら、必ずやリュシール殿下を大切にするでしょう。そして息子は聡い。私の期待以上に有能な人間に育ちました。親馬鹿と笑ってくださってもかまいませんが、必ずや国の役に立つ存在となるはずです」


 ――有能な人間に育った、か。


 その時ふと、母の顔が脳裏を過ぎった。

 彼女がノエルにしてくれた様々なことが、今、はっきりと報われたような気がした。


「……ふむ、そなたたちそれぞれの願いはよくわかった」


 王は顎に手をやって考え込むそぶりをしたが、すぐに。

「よかろう」

 と、あっさり了承した。


「ノエル、そなたの実力は誰もが認めるところだ。そしてアストレイ家の王家への貢献にも、常々感謝している」

「陛下、では――」

「そなたたちの婚約を内々に――いや、公に認めよう。ただちに諸々の儀式の日取りを決め、国民に知らせよ。王の第二王女、リュシールの結婚が決まった、とな」


「お父さま……! ありがとうございます!」

 リュシールが飛び上がるようにして喜んだ。


「陛下、感謝申し上げます」

「なにとぞよろしくお願い致します」


 ノエルと父は、深々と頭を下げる。

 が、これで終わりではない。

 ノエルにはまだやらなければいけないことが残っていた。


「陛下、ここでひとつ、明確にさせておきたいことがあるのです」

「なんだ? 申してみよ」

 許しを得たノエルは、オリヴィエを見た。


「以前、まだリュシール殿下が婚約破棄を望まれる前に、オリヴィエ殿下がおっしゃられたそうなのです」

「あっ……そうだわ、お兄様! あれはいったいどういうことなの!?」

 皆の視線がオリヴィエに集まる。


「さて、いったいなんの話? って、もうこんな時間だ。僕は仕事があるからそろそろ――」

「お待ち下さい、殿下」

 この気を逃してたまるか。

 ノエルは退室しようとするオリヴィエの前に立った。


「オリヴィエ殿下、あなたはリュシール殿下と私との婚約が破棄になるかもしれない、と、リュシール殿下におっしゃられたのですよね?」

「えっ、なんのことかなぁ?」

「お兄様、とぼけないで! その時はノエル様のことをあきらめろと、わたくしに言ったじゃない。王族に生まれた以上、しかたのないことだから、と。もっと国のためになる結婚をしろ、って」


「陛下」

 ノエルは続けた。

「その時、私はってきり、陛下も同様のお考えなのだと……何かやんごとない事情が生まれてしまい、私たちの婚約をお認めにならないのだと考えました」

「いや、そのようなことはないな」

 王はあきれたように二の句を継ぐ。

「それに、オリヴィエがリュシールに言った言葉は、つい先日、私がオリヴィエに言い聞かせた言葉だ」


 ――やはりそうか。


 ノエルは納得した。

 おかしいとは思っていたのだ。

 リュシールに婚約破棄を匂わせながらも、ノエルの前ではそれを知らん顔。

 そして夜会の際、誰かから逃げるように、やけにノエルに絡んできた。

 極めつけはこの婚約を王が反対していなかった、とリュシールから聞いたことだ。

 

「では、こういうことでよろしいですね?」

 ノエルは結論を口にする。


「オリヴィエ殿下は、隣国ノワールの王女、クリステル殿下と婚約をすることとなった。しかしオリヴィエ殿下ご自身は、それを望んでおられない。で、それの当てつけ――失礼、八つ当たり――いや、つまりそれが面白くなくて、リュシール殿下に意地悪な行為をはたらいた、と」


「え……」

 リュシールが呆然と目を瞬いた。

「お兄様、そうなのですか!?」

 そうなんだよ、と、ノエルは内心で答える。


 つまり隣国との親交を深めるための政略的婚姻は、リュシールとセヴランとではなく、オリヴィエとクリステルが対象だったのだ。


 ――おそらく、急に決まった婚約だったんだろう。


 それがどうにも腑に落ちなくて、けれどどうやっても回避できるものではなくて。

 リュシールに八つ当たりをして憂さを晴らすくらいしか、あの時のオリヴィエにはできなかったのだろう。


 ――酒場から俺のあとをつけてきたのも、翌朝、シャルマンである俺の前に現れたのも、嫌がらせのうちのひとつか。


 シャルマンの姿で急遽、リュシールの私室を訪ねたあの日の光景が、脳裏を過ぎる。


「とんだ迷惑だわ……! あれでわたくしがどれほど頭を悩ませたことか!」

「いいじゃないか。結果、おまえは望む相手と結婚できるんだから。何の不満がある?」

 ひらきなおったオリヴィエが、「はっ」と、自嘲気味に笑う。

「僕なんて相手はおろか、時期だって選ぶことができないんだからね」


「そうはおっしゃるけど、お兄様、どなたか結婚したい相手がいらっしゃったの?」

「いない」

 オリヴィエは即答した。


「だったらそこまで悲観的にならなくてもいいじゃない。クリステル様はとてもお可愛らしい方ですもの、お心を通わせてみたらきっと――」

「そういう問題じゃない!」

 オリヴィエは拳を握った。


「僕は縛られるのが嫌なんだ。ただでさえ皇太子という立場で相当なストレスが溜まるっていうのに、結婚して、仕事以外の時間を彼女と過ごすって? あー、考えただけで生き地獄! つらい! しかも相手は王女だぞ。邪険に扱うこともできないじゃないか!」 


 ――って、まるで少し前の俺だな。


 ノエルはくすりと笑った。

「殿下、心中お察しします。けれど、真実の愛にふれれば、人はいくらでも変わるものですよ?」

 歯の浮くような台詞をあえて口にし、オリヴィエをいじめる。


「ノエル……くそっ、気にくわないなぁ、その訳知り顔。おまえなんてシャルマンの姿で相当遊んでいたくせに!」


 ――って、何を言い出す、この男!


「オリヴィエ殿下、その話だけは――」

 おやめください! と、ノエルが言いかけた時だった。


「オリヴィエ様……! こちらにいらしたのですわね!」

 部屋の扉が勢いよく開き、そこにクリステルが立っていた。


「まあ、皆様、お揃いでいらっしゃいましたの。とんだ失礼をいたしましたわ」

 申し訳ございません、と謝りながらも、にこにこ顔のクリステルはオリヴィエの元へ向かう。


「く、クリステル……! 君は、街の視察に向かったはずでは?」

「オリヴィエ様のお側にいたくて、取りやめましたの。さあ、何をして過ごします? 結婚後の生活についてお話を? それとも手を握って『好き』と百回言い合いましょうか? それとも何かほかに、わたくしたちの愛を深める術はございますでしょうか」


 ――って、こっちはこっちでなかなか強烈な王女だな。


 目をきらきらと輝かせるクリステルは、弱冠十四歳にして、リュシールに勝るとも劣らない猪突猛進タイプのようだった。


「くっ……私は仕事がある! 君と遊んでいる暇はない!」

「ならばあなたのお側で、あなたのお仕事が終わるのを待っておりますわ。退屈ですって? とんでもございません。わたくし、オリヴィエ様のお綺麗なお顔が大好きですの。きっと何時間でも眺めていられますわ!」

「や、やめろ、来るな……! おとなしく街に視察に行ってくれ……!」


 オリヴィエは「ひいっ」と悲鳴を漏らしながら、部屋を飛び出していってしまった。

 そのあとを、「オリヴィエ様! お待ちになって!」と、クリステルが追う。


「……まったく、騒々しいな」

 王がうんざりとした様子で額に手をやった。


 ――たしかに、これでは国の未来が不安だな。

 

 だが今はそれより、自分とリュシールの未来がひとつになったことを喜ぼう。


「陛下、これからよりいっそう精進して参る所存ですので、どうかよろしくお願いいたします」


 最後にそう言い残して、ノエルはリュシールの手をとった。


   *   *   *


「びっくりでしたわ。まさか、お兄様の嫌がらせだったなんて……」


 リュシールを部屋に送る途中。

 隣を歩く彼女が、ほうっと息を吐いた。

「クリステル様のことも、あんなに嫌がって……かわいそうです」


 ――いや、あれはなかなかきついものがあるぞ。


 ノエルはオリヴィエに同情する。


「あ、きれい……」

「薔薇ですね。もうそんな時期か」


 ふと通りかかった庭園の前で、ふたりは足を止めた。

 そこには白、ピンク、赤や黄色など、色とりどりの薔薇が咲き誇っている。

 それをぼんやり眺めていると、「ノエル様?」と、リュシールが顔をのぞき込んできた。


「どうかなされましたか?」

「ああ、すみません、つい想像してしまって」

「何をですか?」

「あなたの花嫁姿を」

「え……」

 リュシールはたちまち頬を染める。


「結った髪をたくさんの薔薇の花で飾ったら、どんなにかお美しいだろう、と。そうだな……濃い色じゃないほうがいい。白とか、薄桃とか。あなたの金色の髪に、とてもよく似合いそうだ」


 近くに咲く薄いピンク色の薔薇を一輪、手折り、棘を抜く。


「……ほら、やっぱり綺麗だ」

 彼女の耳元にさせば予想以上に美しく仕上がって、ノエルは自然と笑みをこぼした。


「殿下?」

 気付けばリュシールが、目を潤ませていた。

 おどおどしながら、けれどしっかり、ノエルに抱きついてくる。


 二人はしばらく、そのままでいた。

 穏やかな風が薔薇の葉を揺らす音と、花のかぐわしい香りが、二人のことを優しく包んでいた。

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