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第三十二話 求婚

 その後、どうにかリュシールを思い留まらせたノエルだったが、主人の入浴を心配した侍女達が部屋に戻ってきてしまえば、もうそこに留まるわけにはいかなかった。


「アストレイ隊長……!? いつの間に殿下のお部屋に?」

「いや、殿下と少々お話があったのだが、今ちょうどお暇しようと考えていたところで」

「ええ、そうよ。誰か、ノエル様の馬車を塔の入り口まで呼んでちょうだい」


 結局、翌日にノエルとリュシール、二人揃って王を訪ねることを「必ずですわよ」と、リュシールに約束させられた上で、ノエルはアストレイ家に戻ったのだ。


 そして翌朝。

 睡眠もわずかに、ノエルは朝陽が差し込む王宮に戻ってきていた。

 馬車を降り、襟を正して、リュシールの部屋に向かって歩く。


 ――幸い、今日は休みだからな。あいつの要望に応じてやることができるが……。


 勤務日だったらこうはいかないと考えながら、天井に向けて両腕をのばし、寝不足でだるい身体を整えた。


 と、階段の踊り場で、偶然、セヴランとクリステルと出くわした。

 広間で朝食を摂り、部屋へ戻るところなのだろう。


「やあ、アストレイ隊長。おはようございます」

 朝陽に照らされたセヴランの笑みは、いつもよりまぶしく感じられる。


「おはようございます」

 左胸に手をあて、深々と一礼。

「本日、殿下は街へ視察に出られるご予定でしたね」

「ええ」

 セヴランたちは足を止めた。


「ラグランジェの街はとても栄えておいでだ。勉強させていただこうと思いまして」

「私は本日、休暇をいただいておりますが、我が近衛隊が完璧に警護いたします。どうぞご安心を」

「アストレイ隊長は、本日、リュシール殿下と過ごされるのですよね?」

 セヴランに急に問われれば、ノエルは戸惑った。


「なぜそれを……」

「リュシール殿下に教えていただいたのです。というよりも、街への視察に殿下をお誘いしたら、アストレイ隊長とお約束があるからと断られてしまいまして」

 はははっ、と、なんてことのないようにセヴランは笑う。


 ――あいつは……いったい何を考えてやがる。


 ノエルは頭が痛くなった。

 隣国からの客人――しかもリュシールとの婚約を目的に来訪しているであろう皇太子の誘いを軽く断るのは、いかがなものか。

 しかもその理由に、他の男との約束を告げるなんて。


「それは申し訳ございません。もしよろしければ、視察の件、私からリュシール殿下にお話させていただきますが」

「いえ、必要ありません。お邪魔虫になる気はありませんから」


 ――って、いったいどういうことだ?


 ノエルは眉間に皺を寄せた。

 セヴランからしたら、邪魔なのはノエルのほうではないのだろうか。


「先日の夜会で、リュシール殿下はおっしゃられていました。長らく想っている方がいるが、結ばれなかったと……かなり気落ちして、その夜はワインを少々飲み過ぎてしまわれたようですが、そのお相手はアストレイ隊長――あなたなのですね?」


 おそらく、リュシールが侍女に抱えられて部屋に戻ってきた夜のことを指しているのだろう。


「はい」

 ノエルはうなずいた。

 リュシールの想いを確認した今、セヴラン相手でも退く気は無かった。


「その上で、今日、お二人で過ごされるのでしょう? ということは、お二人のお気持ちは通じ合ったと?」

「ええ。セヴラン殿下には申し訳ありませんが、リュシール殿下は私との将来をお約束してくださいました」


 するとセヴランは、「え?」と目を瞬いた。


「なぜ私に申し訳なく思うのです? とても喜ばしいことではありませんか」

 ねえ? と、背後に立つクリステルに同意を求めている。


「は? え?」

 ノエルが戸惑っていると。

「ええ、とっても素敵なお話ですわ! わたくしも早く、あの方とそうなれるように努力しなければ……!」

 クリステルが胸の前で両手を組み合わせ、「すてきです!」と、何度も繰り返した。


 ――いやいやいや、ちょっと待てよ。おかしいだろ。

 

 その頃にはもう、ノエルは問題の正解がわかりかけていた。


 婚約を破棄しなければならないかも、と、嫌がらせのように匂わすオリヴィエ。

 一方、その件にとくに関わっていないであろう王。

 ノエルとリュシール、二人の関係を喜ぶセヴランに、自分もそれに続きたいと願うクリステル。

 

 ――なるほど、そういうことか……。


「アストレイ隊長、ではまた」

「ええ、失礼いたします」


 ふたりと別れ、ふたたび歩き出したノエルの予感は、もう確信と変わっていた。


   *   *   *


「おはようございます、殿下」


 リュシールの私室の居間に入ると、おそらくノエルの到着を今か今かと待っていた彼女が、やや緊張した面持ちで迎えてくれた。

「お、おはようございます、ノエル様……」


 ――ちくしょう、おどおどしてて可愛いじゃねえか。


 ノエルは彼女の手を取る。


「つい数時間前に別れたばかりなのに、早くあなたにお会いしたくて」

「わ、わたくしもです。ノエル様と少しも離れていたくなくて……」

「では今夜こそ、朝まで私とともに過ごしていただけますか?」

 手に口づけをしながら問えば、彼女は頬を真っ赤に染めて狼狽えた。


「そ、それは……」

「朝までずっと、あなたのことを感じていたい」

「…………っ!」


 見るからに狼狽えていたリュシールだったが、次の瞬間、驚くべき行動に出た。


「失礼いたします……!」

 立ち上がった彼女は突如、ノエルの整った前髪をぐしゃぐしゃにすると、例の伊達眼鏡をかけさせたのだ。


「って、なにしやがる……! これから王に会うってのに、シャルマンになってどうするってんだ!」

 姿がそれになると、口調もやはりそれに引きずられる。


「だって、ノエル様がまぶしくて……!」

 リュシールは両手で顔を覆った。

「ノエル様も――あの方もわたくしのことを望んでくださっているのだと思うと、もう嬉しすぎてどうしてよいのかわからなくて……!」


「って、あの方とか、第三者のような言い方をするな! ノエルは目の前にいる俺だろうが!」

「それはそうなのだけれど、シャルマンだと思うと、私の動揺もかなりおさまるというか……」


 ――そんな話、あるか!?


「おもしろくねえな」

 ノエルは「ちっ」と舌打ちをした。

「なら変えてやるよ。シャルマンでも油断できないようにな」


 がぜん燃えてきた。

 ノエルはリュシールを抱き寄せると、すぐさま唇を奪った。


「ちょっと、何するの……!」

 シャルマンの姿で彼女に手を出すのは初めてだ。

「本当の俺は、そんなに優しくねえぞ?」


 むさぼるように口づけを深め、続いて耳元や首筋にキスの雨を降らせる。


「あっ……」

 あえぐ彼女の背をなぞり、のけぞったところで、またしても唇を重ねた。


「……いい顔になってきたじゃねえか」

 とろけるような眼差しの彼女に、ぞくりと肌が粟立つ。


「綺麗だ」

「きれい……? わたくし……?」

 力が抜けてしまったのだろう。リュシールは、ノエルにほとんど身を預けるようにしてきた。


「……このまま寝室にいくか」

 夜まで待つ必要もないと、彼女の首筋を舌でなぞり、そのまま抱きかかえた。

 と、部屋の角で「ごほんっ」と咳払いをする声が聞こえる。


 ――やべえ。忘れてた。


 リュシールの侍女が、気まずそうな顔で、そこに立っていた。


「お邪魔して申し訳ございません。リュシール殿下が、陛下に謁見を申し込んでおりまして……その時間が間もなくなのですが……」

 侍女が申し訳なさそうに言えば。

「あっ……そうだったわ」

 はっとした様子で、リュシールがノエルから離れた。


「お兄様にも来ていただく予定なの。できればアストレイ侯爵にも同席していただきたいと父に頼んだのだけれど……」

「ならじゃれてる暇はねえな。……大丈夫か?」

 上気する彼女の頬をなで、乱れた髪を整える。


「ええ、ありがとう……」


 ついでに自分の髪も整え、伊達眼鏡を隊服の胸ポケットにしまった。

 これをリュシールに持たせていると、なにかと面倒なことになる。


「では殿下、まいりましょう」


 ノエルになって手を差し出せば、リュシールはまたしてもうっとりとした顔をした。

「ノエル様……ええ、よろしくお願いいたします」


 さて、二人の婚約が問題なく認められるか否か。


「絶対に、絶対に! 今度こそ、盤石なものにしてみせますわ!」


 拳を握って息巻くリュシールだったが、ノエルには自信があった。

 というか、なぜオリヴィエが婚約破棄をリュシールに匂わせてきたのか――ノエルなりに思うところがあったのだ。


   *   *   *


「おはようございます、陛下。お時間を作っていただき、感謝いたします」

「いや、こちらこそだ。ノエル、君には謝らなければいけないことがある」


 通された部屋には、王、オリヴィエ、そしてノエルの父が集まっていた。


 椅子に座る王と、その隣に立つオリヴィエの前で、ただちにひざまずく。

 するとノエルの脇に父がやってきた。

 リュシールは王とノエルの間に立つ。


「立ちなさい、ノエル。まずはこちらの話をさせてもらおう」

 王はいきなり頭を下げてきた。

「申し訳ない。リュシールとの婚約の件……娘のわがままに君を巻き込んでしまった」


 どうやら、婚約を一方的に破棄した件を詫びているらしい。

「とんでもございません。陛下にそのようにおっしゃっていただく必要はございません」

「そうよ、お父さま。すべてはわたくしが悪いの」

 リュシールは王の肩に手を添える。


「いや、正直なところ、今回のことは何が何だか私にもわからなくてな」

 王は首を傾げた。

「リュシール、おまえがきちんと説明してくれればすっきりするのだが……」

「王、その件なのですが……」

「お父さまに聞いていただきたいことがあるの」

 ね? と、リュシールはノエルに視線を送ってきた。


 しかしノエルは小さく首を振る。

「それに関しては、この私から」

 つまり、リュシールには黙っていてほしい、との合図だった。


「リュシール殿下との婚約破棄の件ですが、いきなりのことで、正直、私も戸惑いました。けれど昨日、殿下とお話しをする機会をいただきまして」

 ノエルが話し始めれば、王は「ほう」と、興味深そうな表情で耳を傾ける。

「結果、殿下と私との間で、些細な行き違いや勘違いがあったことが判明いたしました」


「そうなのか?」

 王の確認に、リュシールが「ええ」と頷く。


「殿下と二人でしっかりと話し合い、それらを無事に解消することができました。その上で、殿下のご意向も確認させていただくことができました。――つきましては、陛下」

 ノエルは王の前でふたたび膝を付いた。


「リュシール殿下と私は、やはり未来をひとつにしたいと願っております。互いにとって唯一無二の存在であると感じているのです」

 ですから、どうか。

「リュシール殿下とこの私との結婚を、陛下にお認めいただきたいのです」


 まさか、ノエル自ら王に結婚を願うことになるなんて。


 ――こいつと出会ったばかりの頃の俺が知ったら、何を馬鹿げたこと言ってんだって、腹を抱えて笑うだろうな。


 その光景を想像して、ノエルは密かに笑った。

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