第三十話 最後の告白
リュシールと、最後に酒場で会った日の翌日。
オリヴィエの部屋を訪ねたノエルは、たしかにシャルマンに関しての会話を、オリヴィエと交わした。
その後、リュシールが扉の外にいたことを知ったが、まさかその話を聞かれていたとは思わなかった。
あの時、彼女の様子はたしかにおかしかったが、てっきり、自分たちの婚約破棄をノエルに知られたことにショックを受けているのだと、そう結論づけていたのだ。
――ちっ……やっちまったな。
ノエルはリュシールに乱された前髪を、さらにぐしゃりとかき混ぜた。
「……つまり、真実を知った、ってことか」
ぽつりと呟いた言葉は、ひとりごとのようになった。
ノエルの正体を知って、リュシールが抱く恋心もたちまち消え失せたのだろう。
だからこその婚約破棄か、と、すぐさま納得ができた。
――まあ、しかたねえよな。
シャルマンとしての自分がどれほどのクズであるのか、ノエルはもちろん自覚している。
彼女の気持ちが冷めるのも、当然の結果だろう。
「で、ちょうどあの皇太子にも惚れたってとこか……」
よかったな、と、乾いた笑声とともに漏らした言葉は、つい嫌みっぽくなった。
「結果、惚れた相手と結婚できるんだ。万々歳じゃねえか」
「違う!」
リュシールは打ち返すように言った。
「違うわ! セヴラン様との結婚なんて、望んでいない!」
いつしかリュシールも、シャルマンと話す時のような口調になっている。
「嘘吐け。あいつのこと、うっとりした顔で見てたじゃねえか」
「それは……とてもお綺麗なお顔をしていらっしゃるから、つい」
「にこにこ愛想よく笑ってたろ」
「相手は隣国の王族よ。そうしなければいけないでしょう」
あくまで認める気はないらしい。
「じゃあ単に俺のことが嫌になったから婚約破棄したってだけのことだな?」
なげやりに問うと。
「それも違うわ!」
またしても否定され、ノエルは次第に苛ついてきた。
「いや、違くねえだろ。俺がシャルマンだと知ってのこの結果だろ?」
なぜ認めない? と、ベッドに背後から倒れる。
すると目に映ったのは、泣き顔のリュシール。
「違う……違うもの……!」
――って、まだ泣くのかよ!?
「なぜ泣く!」
「だって、全然わかってくれないから……!」
「いや、そんなもんわかるわけが――って、いや、わかった。とりあえずわかった。だからもう泣くな。な?」
焦って起き上がったノエルは、無意識のうちに彼女の頭をなでていた。
「嘘よ、何もわかっていないわ……! わたくしが、どのような気持ちで婚約破棄を願ったのか……全然わかってくれてないじゃない!」
「いや、それをわかれって、かなりハイレベル問題じゃねえか」
「わたくしは、ノエル様がシャルマンだと知って、申し訳なく思ったから……!」
リュシールはドレスの胸元を苦しげに握った。
「もう死んでしまいたいほどに申し訳なく思ったから……! だから身を退こうと思ったのよ……!」
「って……」
――どういうことだ?
言葉の真意がわからなくて、ノエルは首をかしげた。
――なぜこいつが申し訳なく思う?
それに、身を退こうとは、いったいどういうことなのか。
「……シャルマンは言っていたわ。『俺だったらおまえみたいな女とは絶対に結婚したくえねえ』って」
ぼんやりしていた記憶が鮮明になる。
たしかに言った。
が、そうと認めるわけにはいかない。
「いや、そんなこと言った記憶は――」
「言われたの。覚えているの。だからノエル様がシャルマンであると知って、びっくりしたと同時に、申し訳なく思ったの。……本当は、わたくしとなんて結婚したくはないのに、って」
当初はそうだった。
けれど、今は違う。
「それは以前の話だ」
しかしその言葉はリュシールの耳には入らない。
「しかもわたくしは、シャルマンの前でひどい言葉を吐いたり、ひどい態度をとったりしたわ。素のわたくしや、料理がひどく苦手なところや、醜い考え方や……ノエル様には決して知られたくないようなわたくしの姿を、見せてしまったもの」
それはたしかに、と納得した。
あの酒場で初めて彼女に会った時、まさか同一人物か? と、なかなかの衝撃を受けたことを覚えている。
「でもそれはまあ、お互いさまだろ」
しかしリュシールは、「いいえ」と首を横に振った。
「それらを知った時、もうノエル様に合わせる顔がないと思ったの。申し訳なくて、恥ずかしくて、今すぐ消えてしまいたくなって……」
だから婚約破棄を願い、ノエルから逃げ回っていたらしい。
「なるほどな……」
そういうことだったのかと、ようやく合点がいった。
けれどべつに、彼女だけが申し訳なく思う必要はないのだ。
「あんたの気持ちはわかった。が、正体を隠していたのはお互い様だ。べつにあんたばかりが申し訳なく思う必要はない」
涙で濡れる蒼い瞳を見つめる。
「……悪かったな。あんたのノエル様を奪っちまって。できることなら夢を見せたままにしてやりたかったが……俺の詰めが甘かった」
ははっ、と自嘲気味に笑って見せれば、リュシールの頬がさらに濡れた。
「ただ、これだけは信じてほしい」
ノエルはひとつ、深呼吸をして、居住まいを正した。
「あんたは俺のことを嘘吐きだって言ったが、さっきの言葉は嘘じゃない」
そう。あの告白こそが、真実。
「あんたのことを好きだと言ったのも、俺と結婚してほしいと言ったのも、俺の心からの言葉だ」
「え……」
リュシールは驚きに目を丸くする。
「たしかに最初は、あんたとの婚約内定を恨んださ。どうにかあんたから破棄してほしくて、シャルマンとして偶然出会ったのをいいことに、占い師を気取り、どうにかしようと画策した。けれど……」
いつ頃からだったろう。
「あんたの本性を知って、あんたのまっすぐさ、純粋さにふれて……いつしかあんたを可愛らしく思うようになって……」
そう。恋をしたのだ、リュシールに。
それはノエルの初めての恋だった。
「もう最後にするから聞いてくれ。――俺はあんたのことを愛おしく思ってる」
自分の本性を知られた今となっては、もうどうにもならないことだけど。
「だからさっきあんたに言ったことは、すべて真実だ」
どうかそれだけは信じてほしい、と、ノエルは願った。
「さて」
ノエルは立ち上がった。
眼鏡を外し、髪を整え、シャルマンからノエルの姿に戻る。
「……殿下、このあたりで失礼させていただきます。幾度も無礼を働き、たいへん申し訳ございませんでした。あなたがお望みになるのなら、どのような処罰も受けましょう」
左胸に手をあて、にこりと笑って一礼する。
「どうかお幸せに……いつでもあなたが、あの花のような笑みを浮かべていられるよう、祈っておりますよ」
このままここを去ればもう、彼女とは何の関係もなくなる。
明日からはただの王女とただの近衛隊隊長の騎士。
国を挙げての大きな催し事でもなければ、顔を合わせる機会もほぼ無くなるだろう。
――ああ、ちくしょう、つらいな。
胸が押し潰されそうだが、行かなければならない。
――もし、あの酒場で、シャルマンとして出会わなかったら……。
ノエルのままの自分であったら、彼女と共にある未来を失わずにすんだだろうか?
そのようなことを考えて、ばからしい、と少し笑ってしまった。
シャルマンとして出会ったから、ほんとうの彼女を知ったのだ。
あの出会いがなければ、ノエルは彼女に恋をしなかっただろう。
「では、失礼いたします」
――行け、ノエル。最後くらい、彼女の望んだノエルの姿でいてやれ。
姿勢を正し、余裕の笑みを浮かべる。
隊服の裾を翻して踵を返し、リュシールに背を向ける。
そして一歩を踏み出した――のだが。
「行かないで……!」
突然、隊服の袖を引かれた。
「お願い、ノエル様、行かないでください……!」
彼女の必死な声が、ノエルの歩みを止めたのだ。
5月20日(金)に完結予定です。
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