第三話 悪女な王女様
――いやいやいや、ちょっと待て、俺こそ何をやってんだ……!
反射的に声をかけてしまった直後、ノエルは即座に顔を背けた。
まずい。
こんなところでうっかり会ってしまったら、いったいどういうことになるのか。
ようやく正気に戻り、そそくさとこの場を立ち去ろうとする。
幸い、ノエルは変装をしている。
いつも整えている黒髪は無造作に。
視力に問題はないのに、眼鏡を。
そして服装は、黒いシャツに同色のジレとパンツ。
とても近衛隊隊長とは思えないほど、簡素な格好だった。
であるから、彼女も気がつかなかったのだろう。
「ちょっと、そこのおまえ、待ちなさい」
冷ややかな声音が、ノエルを引き留める。
「何をやっている、とは、まさかこのわたくしに言ったの? おまえはいったい何者?」
「いや、人違いだった。失礼したな」
慌てて立ち去ろうとするノエルだったが。
「待ちなさいと言っているのが聞こえなかったの? わたくしはおまえに『誰?』と質問しているの。つまり素性を明かしなさいと命じているのよ。このまま逃げようなんて許さないわ」
彼女の細い腕が、ノエルの行く手を阻んだ。
――って、昼間に会った女とは、まるで違う横柄な態度じゃねえか!
まさか本当に人違いだったりするのだろうか?
ノエルはそろりと彼女の様子をうかがってみるが。
――いやいや、やっぱり本人だろうが!
こんなに美しい顔をした女がふたりといるわけがない。
なぜ後先考えずに声をかけてしまった、自分。
ノエルは激しく自身を責めた。
「そこのおまえ、さっさと答えなさい。おまえはなぜわたくしに声をかけたの。わたくしが誰であるのか知っているの?」
「いや、知らなかったし、本当にただの人違いだ。邪魔をしたな」
うつむきがちに彼女から離れ、店の外へ出ようとする。
しかし、占い師の声に、ノエルはまたしても足を止めていた。
「いいかい、お嬢さん。このままではあんたとその婚約者は上手くいきっこない。残念だがね」
――って、何の話だ?
「お嬢さんには酷な宣告だが、この水晶がそう告げているんだ。その縁談は必ず破談になる」
「え……そんな……、ちょっ、ちょっと待ってちょうだい!」
王女は――リュシールは、占い師との間にあるテーブルに身を乗り出した。
「そんな……うまくいきっこないって、どういうことですの!?」
もはやノエルの存在などどうでもよくなってしまったのだろう。
食い入るように水晶に顔を近づけている。
「ほら、水晶のここが黒く淀んでいるだろう? これは負のメッセージ。近い将来、二人の間に波乱が起きることを知らせてくれている」
「そんな……嫌ですわ!」
「そうは言っても、これはすでに決められた未来なんだ」
リュシールは、ダンッ! と、机に両手を叩きつけて立ち上がった。
「なんとかしてちょうだい!」
「おいおい、ちょっと待て、黒く淀んでるって……」
正体が明らかになっていないのをいいことに、ノエルは王女の背後から口を挟んだ。
「それ、ガラス玉じゃねえのか? 中の気泡がそう見えてるだけだろ?」
「うるさいわね、ちょっと黙っていてちょうだい!」
彼女は「邪魔よ! 消えなさい!」と、ものすごい剣幕でノエルを睨んでくる。
「どうすればいいの!? あの方と結婚できないなんて、もはやわたくしの人生は終わったも同然だわ!」
背後に立つのが、その『あの方』であるとは夢にも思わないのだろう。
「お願い、どうにかしてちょうだい!」
リュシールは占い師にすがりつくように懇願した。
――って、昼間のあのしおらしい姿はどこいった?
とんでもない猫かぶり王女だ。
まあ、猫を被っているのは、ノエルも同様なのだが。
「お嬢さん……どうしても未来を変えたいのだね?」
「ええ、今すぐに!」
「ならばこれだ。この水晶のネックレスを肌身離さず身につけるがいい。あなたの望みを叶える力になるだろう。それからこの水。これには負の気を遠ざける効果がある。朝昼晩、食後に必ず飲むように」
「って、薬かよ。毎食後三十分以内ってか?」
あまりのうさんくささに、ノエルはついつっこんでいた。
「どちらもいただくわ!」
「まじか!」
「それからこの布団、これで眠れば快適安眠、お嬢さんの健康と魅力アップ!」
「ではそれも!」
「おい!」
「それからこの包丁! 知る人ぞ知るプロのもの! これを部屋に置いておくだけで、負の未来を断ち切ってくれる優れもの!」
「って、もはや訪問販売の押し売りじゃねえか!」
「もちろんいただくわ!」
「アホか!」
いちいち口を挟むノエルだったが、リュシールはそれを完全に無視し、侍女に財布を出すよう命じた。
「お嬢さん、あなたは運が良い。本来ならすべてまとめて七百万フラーだが、今日だけは特別に百万フラーにしておこう。まさに底値!」
「いや、値引率どうなってんだよ。それにどう考えても高けえし、完全にぼったくりだろうが!」
「たった百万フラー? それでわたくしとあの方は間違いなく結婚できるのね!?」
王女は侍女から財布をもぎとると、さっそく札束を占い師に渡そうとした。
「待て」
その手をノエルはつかむ。
――その金、国民から集めた税金だろうが!
「無駄遣いすんな! あんたのその金で、そこの店の弁当、何百個買えると思ってんだ!」
「なんなのよ、おまえ! さっきから口をはさんでくるけれど、その汚い手でわたくしにふれるなんて――」
と、そこで王女がぱちくりと目を瞬いた。
「そんな、まさか……」
「なんだ、どうした」
「……ノエル様?」
「は?」
「ノエル様なの……?」
刹那、ノエルは頭を鉄槌で殴られたかのような衝撃を受けた。