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第二十九話 ノエルとシャルマン

「……自覚があります。王女殿下相手に、どれだけおかしなことをしているのだ、と。自分でも驚いていますよ」


 ベッドにリュシールを押し倒したまま、ノエルはくつくつと笑った。


 まさか自分が、このような振る舞いをするなんて。

 恋は人を狂わせる――以前、セドリックがそう言っていたが、まったくだと今さらながら納得する。


 ならばそのまま狂ってしまえばいい。

 ノエルはもう開き直っていた。


「殿下……あなたに責任をとっていただきたいのです」


 急に何を言い出したのかと思っただろう。

「責任……?」

 彼女の蒼い瞳が戸惑いに揺れた。


「簡単なことです。私と結婚してくださればいいのですよ」

 あなたにはそうする義務がある、と、ノエルはにこりと笑う。


「ですがこの結婚は……!」


 反論の間を与えるつもりはなかった。

 断りの言葉など聞きたくなくて、ノエルは彼女の声を奪う。

「……っ!」


 唇を重ねれば、案の定、リュシールは黙る。

 そのすきに耳元で囁いた。


「はい、以外の答えはいりません」

「あ……」


 ふたたび口づけをし、やがて吐息が混じり合うほど深く求める。

 耳に、首筋に、鎖骨にキスの雨。

 彼女の心が、もう一度ノエルのもとに戻ってくればいいのに。

 そう願いながら夢中で彼女を求めていたノエルだったが、やがてはっとした。


「殿下……?」

 気付けばリュシールが、静かに泣いていたのだ。


 ――やべえ。やっちまったか。


 慌てて上半身を起こし、彼女を見やる。


「ひっ……く、ひっ……」

 リュシールは声を押し殺して泣いていた。

 ノエルが彼女の腕を離せば、すぐさま濡れた目元を両手で覆い隠す。


 ――泣くほど嫌なのかよ。


 心が、痛い。

 彼女を泣かせてしまった事実と、行き場のない自分の感情と。

 結局、いくらあがいたところで、もうどうしようもないのかもしれないとも思えた。


「うそ、つき……」

 リュシールの唇が動いた。


「え?」

 はっきり聞き取れなくて、ノエルは首を傾げる。

「殿下……? 今、なんと?」


「嘘吐きって……言ったのです」

「それは……私のことですか?」

「だって、嘘吐きだから……!」

 いよいよ泣きじゃくり始めたリュシールは、吐き出すように言った。


「わたくしと結婚したいとか、わたくしを好きだとか、ひっ……全部、嘘だから……!」


 ――って、ここまで言ってもまだ、信じられねえってのか?


 最後に酒場で会った際、リュシールはシャルマンに言っていた。

『あの方は、わたくしのことを好いてくださっているわけではない。命じられて、しかたなく婚約を了承してくださっただけ』と。


 その時、それは違うと言い聞かせたノエルだったが、いまだリュシールは、ノエルの気持ちを信用してくれていないのだろうか。


「なぜ嘘吐きだなどと……」

 ノエルは焦った。

「私のこの想いを――私の言葉を信じてくださらないのですか?」


 こくり。

 リュシールはあっさり頷く。


「だって、おっしゃっていたもの……」

「なにを?」

「俺だったらおまえみたいな女とは絶対に結婚したくねえ、って……」


 ――ん? そんなこと、言ったか?


 ノエルはぐるぐると考え込んだ。


 たしかに言ったような気がする。ずいぶん前に。

 けれど、面と向かって彼女に言うわけがない。


 ではいつ、どこで、誰に言った?

 その答えは、リュシールがくれた。


「シャルマンの姿で、言っていたでしょう……?」

「え?」


「ノエル様は、シャルマン、なのでしょう……?」

「――え?」

 瞬間、ノエルの呼吸が止まった。


 ――今、なんて言った? ノエル様は、シャルマン……? そう言わなかったか?


 反芻した直後、全身がびくりと震える。

 頭に回し蹴りを食らったかのような、剣で胸をひと突きされたかのような、とてつもない衝撃に襲われた。


「それは……いったい、どういう……」

 ばくばくと、壊れそうなくらいに心臓が高鳴っていた。


「ここまで言っても、まだ認めて下さらないのですか……?」


 リュシールはベッドの上で身を起こした。

「ノエル様が、シャルマンなのでしょう、と、聞いているのです……! シャルマンの姿でおっしゃっていたでしょう? 本当はわたくしみたいな女と結婚なんてしたくない、って……でも王女に望まれたから、しかたなく結婚したいふりをしているのでしょう? だからわたくしのことを好きだと言っているのでしょう!?」


 ――なんだ……? 今、何が起きている?


 頭の中は真っ白。

 呼吸、思考、身体の動き、ノエルのすべての動作が意図せず停止して、やがて気が遠くなった。


「ノエル様……応えてっ……!」

 リュシールが叫ぶ。


 それでもノエルが反応しなければ。

「なぜ何も言ってくださらないの……!?」

 彼女は指先で、ノエルの腕に、そっとふれてきた。


 直後、ノエルは呼吸を取り戻した。

「げほっ……ごほっ」

 ひとしきりむせて、何度もむせて、そしてようやく認識する。


 ――やべえ……。ばれてる……。


 全身が震えた。


「あの、殿下は……な、なにを……」

 声がびっくりするほど上擦った。

「ええと……おっしゃっている意味がよくわからないのですが……」


 ――誤魔化せ。


 今ならまだなんとかなる。

 ばれたらすべてが終わる!

 ノエルは全力で平常心を装おうとした。


「シャルマンのこと、認めてくださらないのですか……?」

「認めるも何も、何のことだか私にはさっぱり――えっ」

 急に膝立ちになったリュシールが、ノエルの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜた。


「殿下!?」

 目を丸くしている間に、強引に眼鏡をかけられる。

「これは……!」

「シャルマンがかけているものと似ている眼鏡です。ノエル様がもしこれをかけたら……とイメージするために手に入れました」


 ――って、これをされたらもう……!


「ほら……! やっぱりシャルマンじゃない……!」

 リュシールがうわあっと泣き出した。


 乱された髪に、いつもの伊達眼鏡とよく似たもの。

 こうなったらもう、他人のそら似というわけにはいかなかった。


 ――認めるしかねえか……。


 ノエルは魂が抜け出てしまうほどの溜息を吐いた。

 眼鏡をかけたまま、ベッドの端に座りなおし、頭を抱える。


「……いつから知ってた?」


 シャルマンの姿にされてしまえば、口調も自然とそれになった。

「誰に聞いた」

「シャルマンと最後に酒場で会った日の翌日……お兄様のお部屋での話を、立ち聞きしてしまって……」


 あの時か。

「なるほどな……」


 ベッドの天蓋を見上げ、またしても溜息を重ねる。

 これからどうすればいいのか、その時のノエルには、見当も付かなかった。

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