第二十八話 暴れる想い
「おつかれさまでした、リュシール様。このあとはどういたしましょう?」
「疲れたから、寝室で少し休むわ。ワインも飲んでしまったし」
「シャワーはどうなされますか?」
「その時は声をかけるから、それまではあなたたちも休んでいてちょうだい」
「では一度、自室に下がらせていただきます。何かございましたらすぐにお呼び下さいませ」
リュシールの私室の居間から、話し声が聞こえる。
晩餐から戻って来るなり、侍女たちを下がらせたのだろう。
すぐに静けさが戻ってきた。
コツ、コツ、と、リュシールのものらしき靴音。
やがて彼女の寝室の扉が開かれ、やや疲れ顔のリュシールが中に入ってくる。
「あ……わたくし、寝室の灯りをつけたまま……?」
「こんばんは、リュシール殿下」
ノエルが声を発すると、彼女は「ひっ」と小さな悲鳴を飲んだ。
「の、ノエル様……!?」
壁に背を預け、腕を組んでいるノエルのことを、どうして、と、驚愕の表情で見る。
「なぜここに……!」
「あなたとお話がしたかったからですよ」
「あっ……だ、誰か……」
人を呼ぼうと考えたのだろう。
リュシールは居間に戻ろうと踵を返した。
「逃がすとお思いですか?」
彼女の背後から腕を伸ばし、右手で扉の取っ手をつかむ。
すかさず左手を扉に付いて、彼女の逃げ場を奪った。
ノエルの腕の中で、背を向けた彼女が縮こまる。
――ようやくつかまえた。
「あなたの部屋に勝手に侵入するなど、とんでもない失礼を働いていることは自覚しております。……申し訳ございません。あとでどのような処罰も受けましょう」
「…………」
リュシールは無言。
背を向けたまま、固まっている。
「これ以上、あなたに無礼を働く気はありません。ただ、あなたと話がしたいのです」
それでもリュシールは、言葉を返してこなかった。
「殿下、どうか人をお呼びにならないで。私にお時間をくださいますね?」
――って、なんとか言ったらどうだ。
頑なに態度を変えないリュシールに、ノエルは次第に苛立ってきた。
ここまで完璧に無視を決め込むとは、あまりに身勝手すぎる。
「……そうまでして私とのことを、なかったことにされたいのですね?」
方針変更。
ノエルの感情に火がついた。
「ならば先ほどの言葉――これ以上無礼を働く気はない、との一言を、撤回させていただきます」
「え……」
「失礼」
ノエルは背後から、彼女の華奢な身体を抱きしめた。
金色の後頭部に口づけをし、肩にかかるなめらかな髪を手でどかす。
「あ……」
露わになる、白い首筋。
そこに頬を寄せ、小さな耳に音を立ててキスをした。
「ノエル様……! なぜこのようなことを……!」
「ああ、ようやく声が聞けた。お話ができなくなってしまったのかと、心配しましたよ」
くすりと笑って、顎から首、胸元にかけてを指でなぞる。
「やっ、おやめください……!」
リュシールはびくりと反応し、声と身体を震わせた。
「なぜです? 殿下は、私にこうされたかったはずでは?」
「嫌……! このようにひどいこと、しないで……!」
その瞬間、ノエルの理性の糸がぷつりと切れた。
――このようにひどいこと、だって?
気付けば彼女を抱き上げ、天蓋付きのベッドの上に放り出していた。
「ノエル様!?」
自らも彼女に覆い被さるように、四つん這いになる。
「このようにひどいこと、だって? この状況でよくそのようなことを言えますね」
もうダメだ。
スイッチが入ってしまった。
目の前が真っ赤になって、身体の奥底から衝き上げるような感情に駆られる。
くるしい、と、初めて恋の苦さを知った。
「ひどいことをしているのはどちらです? 急に婚約を破棄すると言い出して、きちんと話もしないで、私から逃げ回って……!」
そう、今までとは打って変わった態度で、ノエルを無視しし続けて。
「ひどいのはどちらだ。身勝手に婚約を願ってきておいて、あげく、私の中にずけずけと入ってきて……! こんなにも……こんなにも、あなたのことを好きにさせておいて!」
それなのになぜ急に、ノエルのもとから逃げようとするのか。
ノエルは彼女の両腕をつかんだ。
もう決して逃がすものか、と、ただそれだけを考えていた。




