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第二十一話 告白、そしてキス

「ノエル様に美味しく召し上がっていただければ幸いなのですが……」


 リュシールはひとりごとのように言った。

 どこか不安げな表情で、ノエルの様子をちらちらとのぞき見ている。


 続いて運ばれてきたのは、無花果とチーズのサラダだ。

 それをひとくち食べたところで、ノエルはいよいよ確信する。


 ――こいつ……! 俺が昨夜作った料理を、そのまま持って来やがった!


 予想外の展開に目眩がした。

 これはさすがに黙ってはいられないと、ナイフとフォークをひとまずテーブルに置く。


「殿下……つかぬことをお聞きしますが、これらは本当にあなたが料理されたものなのですか?」

「え……っ!」

 リュシールの身体がびくりと跳ねた。


「失礼な発言をお許し下さい。けれど、私にはどうもあなたが料理されたものには思えなくて」

「それは……あの、ええと……」

「お願いです、殿下。もしもこれらがあなたの作られたものでないのなら、そうおっしゃっていただきたいのです」

「ごめんなさい! わたくしが作ったものではございません!」


 ――って、認めるの早えな!


 ノエルは椅子からずり落ちそうになった。


「本当に、本当に申し訳ございません……! わたくし、嘘を吐きました……!」

 リュシールは、額がテーブルに付いてしまうほどの角度で頭を下げる。


「ああ、顔を上げて。ほら、髪が汚れてしまう」

 ノエルはリュシールの横まで行ってひざまずくと、彼女の顔をのぞき込んだ。


 ――って、今にも泣きそうじゃねえか。


 こぼれ落ちはしないものの、蒼い瞳が涙で濡れている。

 羞恥心に染まる顔は真っ赤で、引き結ばれた唇が小刻みに震えていた。


「殿下……どうか顔を上げて下さい。まずはどうしてこのようなことをしたのか、教えていただきたいのです」


 しかしリュシールはゆるりと首を横に振った。


「殿下、お願いです。私を見て。あなたのお気持ちを教えてください」

「このようなこと……本当にごめんなさい。わたくし、実は、料理がとても不得手で……」


 ――ああ、もちろん知ってる。


 ノエルは内心でうんうん、とうなずいた。


「それなのに、わたくし……苦手なのに、どうにかあなたに料理を振る舞いたくて……」

 ぽつり、ぽつりと、あちこちに落ちた言葉をつなぎ合わせるようにして、リュシールは話し続ける。


「何度も練習したんです。本当に、何度も……信じていただけないかもしれませんが」


 ――いや、誰よりも俺が一番よく知ってるっつうの。


「それでも結局、上手にできなくて……あなたに召し上がっていただけそうなものが、まったく出来なくて……」

 見本として作られた品を、さも自分が作ったもののように持ってきてしまったらしい。


「本当に……本当に申し訳ございませんでした……!」

 リュシールはもう頭が膝に付いてしまうのではないかと思うほど頭を垂れた。


「今日の晩餐会は中止にしてくださいませ。せっかくお時間を作ってくださったのに、申し訳ございません……!」


「それでいいのですか?」

 ノエルは溜息混じりに問うた。

「本当にこれで終わりでいいのですか」


 こくり、と、無言の頷きが返ってくる。


「あんなに楽しみにしていたのに? 何度も何度も練習をして?」


 ついノエルが知らないはずのことを口にしてしまうが、リュシールはとくに気にならなかったようだ。

「とてもあなたに顔向けできません。恥ずかしくて、このまま消えてなくなりたいくらいです……」

 ごめんなさい、と、またしても晩餐会の中止を願ってくる。


「……あなたが作ったものは?」

「え?」

「失敗したと言われる、あなたが今日、作った料理です。捨ててしまわれたのですか」 

「いえ、まだわたくしの部屋に残っていますが……」

「ではそれを」


 ノエルは扉の横に待機する侍女に命じた。

「それを今すぐここに持ってきてください」


 承知致しました、と、侍女たちは慌てて部屋を出て行こうとする。

 けれどようやく顔を上げたリュシールが、侍女を引き留めた。


「だめよ! いけないわ……! あのようなもの、ノエル様にお見せするわけには――」

「ああ、ようやくこちらを見ましたね」

 待ってましたとばかりに、ノエルはリュシールの手を握った。


「料理が到着するまで、あなたの側にいさせてください。二人でいられる貴重な時間だ、一秒たりとも無駄にしたくない」

「の、ノエル様……! ですが……!」

「いいから、料理のことは何も心配しないで。どうか私の好きにさせてください」

「そうは言われましても……」


 リュシールが戸惑っている間に、ノエルはふたたび侍女に料理を持ってくるよう命じた。

 そして間髪入れずにリュシールを抱き寄せる。


「あの、本当にあのようなもの、ノエル様にお見せするわけには……」

「もう不安にならないで。あなたが心配することなど、何もないのですよ」

 いまだ濡れる彼女の目元に、そっと口づける。


「あなたが努力してくださったことは、私が一番よく知っています」

 リュシールはもう声も出せずに、ノエルにされるがままになっていた。


「ああ、この指……私のために、こんなにたくさん傷を作ってしまわれたのですね?」

 ノエルは彼女の両手の指先にもキスをした。

「早く良くなればよいのだが……」

「あの、ノエル様……! あの、あの……!」


 ――さて、そろそろか。


 ノエルはちらりと扉に視線を流した。

 直後、侍女たちがワゴンを押して中に入ってくる。


「それは……!」

 血相を変えてワゴンに走り寄ろうとするリュシールを、ノエルは軽々抱き上げ、そのまま流れるような動作で、椅子に座った自分の足の上に座らせた。


「何を……!」

「食べさせてください」

「へっ!?」

「あなたが作った料理を、私に食べさせてください」

「ど、どうやって!?」

 リュシールは声を裏返らせた。


「このスプーンとフォークを使って。あなたのそのほっそりとした手で」

 ノエルは「ほら、早く」と、口を開ける。


「ですがこのようなものをお食べになったら、ノエル様のお身体がどうなってしまうのか……」


 ――って、やべえもん作っちまったっていう自覚はあるのか。


 それでもノエルは、「早く」と彼女を急かした。

「あなたがその料理を食べさせてくれるまで、私はずうっとこうしていますよ」

「そんな……」


 するとリュシールは、いよいよ覚悟を決めたのか、ごくりと息を飲んでフォークとナイフに手をのばした。


「ごめんなさい、上手にできなくて……本当にごめんなさい」

 何度も謝りながら、テリーヌらしきものを一かけ、フォークで刺す。


 ――テリーヌ……でいいんだよな、これ。


 口の中に入ってきたそれは、歯が心配になるほど堅くて、どうしてか煙臭くて、眉間に皺が寄るほど苦かった。

 お世辞でも美味しい、と言える代物ではない。


 それでもノエルは「もうひとくち」と。

「もっと」

 と要求し、結局テリーヌらしきものをたいらげた。

「あの、ノエル様……本当に大丈夫ですか?」


 ――大丈夫か? って聞かれたら、どう考えても大丈夫じゃねえな。


 不味さに涙が出そうになる。

 うっかり気を抜いてしまえば、吐き気すらも。


 けれどそれをどうにか我慢した。


「正直、美味しくはありません」


 率直に言えば、彼女はショックを受けたようだった。

「そ、そうですよね……やはり美味しくありませんよね」

「このテリーヌに関して言えば、ですが」

「不快な思いをさせてしまい、本当に申し訳ございません。今すぐ口直しに別の料理を――」

「ですが、嬉しい」

「え?」

「私に料理を振る舞いたいと、たくさん努力をしてくださったあなたのそのお気持ちが、とても嬉しいのです」

 リュシールは弾かれたように顔を上げた。

「わたくしの、気持ち……?」

 首をかしげ、呆然とした様子でこちらを見る。


「ありがとう」

 ノエルはリュシールの頬を、両の手で包み込んだ。


「どうやら私は、あなたのことを、とても好ましく思っているようだ」

 気づけばその言葉が、自然と口からこぼれ落ちていた。


 ――ああ、結局、そうなんだよな……俺は、この悪女な王女のことを。


「あなたのことを、とても愛おしく思っています」


 そう、これはもう、間違いなく。


 ――恋だ。


 ノエルは顔を傾けた。

 鼻先がふいに触れあえば、キスを予感したのだろう。

 リュシールは何かに導かれるように、そっと瞼を閉じた。


 ――ちくしょう、かわいいな。


 焦らすように額と頬に何度か口づけをして、最後に唇についばむようなキス。

 甘い吐息が漏れるのを感じたら、もう止まらない。

 ノエルは彼女の唇を味わうように、キスを深めていった。

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