第十八話 予行練習の夜
それからの三日間は、我慢の連続だった。
約束通り、いつもの酒場を貸し切って行われたノエルの料理教室。
リュシールは食材や器具や食器類を持参した上で熱心に料理に取り組んだが、まったく経験が無い上に、残念なことにセンスも皆無だと判明してしまう結果となった。
「食材をそのまま鍋にぶち込むな!」
「包丁を持つときは周囲に気をつけ――あぶねっ! 今、俺の服切れたぞ!」
「火を点けるときは集中しろ! このままじゃ店が燃える!」
「調味料はほどほどに! 砂糖が鍋からあふれてんぞ!」
などと、ノエルは三日間、夜八時から深夜まで、叫び通したのだ。
それでもめげることなく、リュシールは頑張り続けた。
「もういいかげんあきらめたらどうだ? これで自分が料理には向いていないってことがよくわかっただろ?」
ノエルが何度その台詞を投げても、彼女は一度だって首を縦には振らなかった。
――箱入り王女のくせに、意外と根性あるんだよな。
ノエルに自分の作った料理を食べて欲しい。そして自分のことを愛して欲しい。
その一心で、とにかく努力を重ねる彼女。
その姿を間近で見ることは、ノエルにとって、思いのほか気分のいい時間となった。
そして今日。
料理教室が開始されて四日目の夜が訪れた。
「さて、今日はいよいよ予行練習だね。楽しみだな」
うきうきとした様子で言うのはセドリックだ。
「なんでおまえまで毎日来るんだ。さっさと帰れ」
ノエルはうんざりしながら酒場のドアを開ける。
中に入るなり閉めようとしたが、隙間にすかさず身体をねじ込まれた。
「いいじゃないか。君のために頑張る彼女に、君が料理を教える――こんな愉快なことがほかにあるかい? それを肴に酒を飲むくらい許してくれるだろう?」
「悪趣味だな」
舌打ちをしながら、一階のテーブル席に落ち着く。
リュシールはまだこの場に到着していないようだった。
――さて、いよいよ今夜で終わりか。
明日が食事会当日であるため、今夜は、明日の予行練習をする予定となっている。
王宮のリュシールの部屋の調理場で、実際に明日使用するであろう食材や器具を用いて、彼女がひとりで調理をする。その後、出来上がった品をこの店に持ち込み、ノエルが試食する――そのような手筈になっているのだ。
――この三日で、教えられることはすべて教えたからな。
さすがに少しはまともになっているだろうと、ノエルはワインを飲みながら彼女の到着を待った。
けれど、時計の針が夜九時を指しても、リュシールが現れることはなかった。
「……あいつ、遅くねえか?」
約束は八時だというのに、けっこうな遅刻だ。
「いったい何をしているんだろうねぇ。男二人で飲んでいてもつまらないよ」
セドリックが肩を落とす真似をした。
「なら今すぐ帰れ」
誰も止めねえぞ、などと話しながら、さらに彼女を待つ。
しかし。
「……もう十時だぞ。さすがに遅すぎるだろ」
もしや彼女に何かあったのだろうか?
予定が入ってしまったとか、王宮から抜け出すことが困難になってしまったとか。
――それならそれでかまわねえんだが……。
もし、ここに来る途中に、何事か起きてしまっていたなら?
彼女が乗る馬車が物盗りに襲われたり、事故に合ったり、彼女の身に何かよくない事がふりかかってしまっていたなら――。
――のんびり待ってなんていられねえ!
ノエルは椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「あれ? どこに行くんだい?」
セドリックの言葉を無視して、店の出入り口へと急ぐ。
けれどその時、ようやく店のドアが開いた。
「あんたは……」
ノエルは足を止める。
出入り口に立っているのは二十代半ば程度の見なりの良い女――リュシールの侍女。
彼女はノエルを見つけると、かなり焦った様子で走り寄ってきた。
「あの方が……! リュシール様が、大変なんです……!」
「どういうことだ!?」
ノエルは侍女の肩をつかんだ。
「あいつに何があった! 今、どこにいる!? 無事なのか!」
侍女は何度も首を縦に振る。
「無事です! 無事ですが……とにかく、こちらにいらしてください!」
「どこだ!」
「私が乗ってきた馬車に……! すぐにリュシール様のもとまでご案内いたします!」
言われるがまま外に出て、普段、リュシールが利用している馬車に乗る。
「行くのかい?」
ワイングラスを片手に見送りに来たセドリックに、「あたりまえだ!」と、馬車の窓を開けて応えた。
「ふうん。で? どこに行くって?」
「あいつのところに決まってるだろうが」
セドリックはくすくすと笑う。
「面白いね、行き先も確認せずに行くのか。君らしくないな」
「何わけのわからねえこと言ってる」
「いや、こっちの話さ」
やがて馬車が動き出すと、セドリックはひらひらと手を振った。
「くれぐれも気をつけて。君が君であるとばれないようにね」
* * *
――って、こういうことか、セドリック……!
彼と別れてから二十数分後、ノエルは馬車の中で激しく頭を抱えていた。
車窓に映る特徴的な景色に、大いに見覚えがあったからだ。
石造りの巨大な建物に、華美な装飾、作り込まれた庭園。
そこは夜であっても煌々と火が灯る、王宮だ。
「ちょっと待ってくれ。あいつは……彼女はここにいるのか?」
向かいに座る侍女に問えば、彼女は無言でうなずいた。
「王宮で何があった?」
問うてみるが、返事はない。
「何かトラブルか?」
もう一度、侍女が首を縦に振る。
「無事なのか」
ふたたび、こくり。
「……で、俺が行く必要が?」
するとぶんぶんっと、力強く何度も頷いた。
――マジか……って、危なすぎんだろ、さすがに。
けれど馬車はもう王宮の敷地内に入ってしまった。
いまさら引き返せば怪しい動きをしていると警備の騎士に止められる可能性もあるし、そもそも手綱を握る騎手がノエルの命令に従ってくれるとも限らない。
――それに、さっきからあとを付いてくるあの馬……あれって……あれだよな。
ノエルは頭を抱えて溜息を吐いた。
八方塞がりだ。ここまで来てしまえば、もうどうしようもない。
「……俺を連れてこいって言われたのか?」
「ええ、そうです」
ようやく侍女が声を発した。
「あんたたちが使ってるという抜け道……本当に安全なんだろうな」
「間違いありません」
「誰かに会う可能性は?」
「今まで一度もございませんでした」
ノエルは馬車の椅子に背をあずけた。
ここまで来てしまったならもう覚悟を決めるしかない。
変装もしているし、なんとかなるだろう――と思いながらも、いつもよりさらに髪を乱し、伊達眼鏡をかけていることを確認する。
――どうかばれないでくれよ。
胸中で祈っていると、やがて馬車が止まった。
とにかく顔を隠さなければとうつむきながら、ノエルは馬車から降りた。
* * *
「……おい、なんなんだ、このありさまは」
王宮内に入り、案内されたのはリュシールの私室だった。
――誰にも会わなくて、マジ感謝……!
普段は信じていない神にだって今ばかりは礼を言う、と、ほっと胸をなで下ろしたのもつかの間。
「これは……」
部屋に入るなり、ノエルは思わず天を仰ぐ。
――あれだけ教えたのに、なんでこうなるんだ?
部屋の一画に作られた調理場。
その横のテーブルには、黒こげになった数々の料理が並べられていた。
どう見ても失敗作。
しかも、思わず唖然としてしまうほどの出来映えだ。
「シャルマン様、どうぞこちらに」
侍女に促されて続きの別室に移動する。
そこはベッドルーム。
リュシールの寝室なのだろう。天蓋付きの豪奢なベッドに、彼女は突っ伏していた。




