第十七話 彼に愛されたくて
「その本、貸してみろ!」
ノエルはリュシールの手から、例の『これであなたも愛され上手! 男の胃袋と心をがっちりつかむ! おすすめレシピ十選』を奪い取った。
「どこにもこんなう●こみてえな料理、載ってねえじゃねえか!」
ぱらぱら漫画レベルのスピードで、中身に目を通す。
「失礼ね! わたくしが作ったのはこれよ!」
「これ? 男心をつかむには、まずはサラダから? ハニードレッシングサラダ? って、アホか! サラダがこんな黒こげになるわけねえだろうが!」
「それは、ちょっと間違えて火に掛けてしまっただけで……ならばこっちよ! これは上手に出来たの!」
リュシールは別の皿の蓋を開けた。
そこには彼女がサラダだと主張するものとまったく同じ物体が存在している。
「嫌がらせか! この臭いやつ大量に持ってくんな!」
「失礼ね! これはこのページに載っているクルミと赤の実のグリルチキンよ!」
「って……いい加減にしろよ」
そろそろ怒りの限界に達したノエルは、すっくと立ち上がった。
「こっち来い!」
「えっ、ちょっと、他にもまだあるのに……!」
文句を口にするリュシールの腕をつかみ、階下の厨房まで連れて行く。
「悪い。少し厨房と食材を借りるぞ。金は払う」
店主に言って、作業台の前に立った。
料理なら幼少期に毎日していたノエルだ。
台の上に転がる野菜を手につかみ、包丁を右手に握る。
「そこで黙って待ってろ」
そこから二十数分程度、ノエルは料理することに集中した。
そして。
「いいか、自分で作りたいなら、せめてこんぐらいのものできるようになってから言え……!」
前菜、スープ、魚料理、肉料理、口直し用のソルベやデザートなど、色とりどりの美しい料理の数々をリュシールの前に並べたのだ。
「こ、これは……」
ノエルが作った料理を前に、リュシールは圧倒されているようだった。
けれどすぐに正気に戻ったのか、こほんっと咳払いをする。
「たしかに見た目は素晴らしいわ。けれど問題は味よ。あの方のお口に合う料理――そのように高貴な味を、あなたが作れるとでも?」
「なら今すぐ食って確かめてみろ――といいたいところだが、あんたが食うわけにはいかねえもんな」
するとリュシールの背後に控えていた侍女が、「ならば私が」と手を挙げた。
「婚約者様のお好みはわかりませんが、リュシール様のお好きな味は把握しております。食事の毒味もさせていただている私ですもの、代わりにいただくには適任かと」
「どうぞ。毒は入れてねえから、安心して食ってくれ」
侍女はさっそく料理に手を付けた。
するとどうだろうか。
「これは……!」
驚いたように目を見開き、口元をおさえる。
「美味しい……! これも、このスープも、こちらの料理も……! なんて美味しいの!」
そのあとは言葉を発することなく、美しい所作ながらも、ものすごいスピードで次々と料理をたいらげていった。
「そんなに……? そんなに美味しいの?」
「ええ、素晴らしいお味ですわ! 王宮の料理人にも決して負けません――いえ、もしやそれ以上かもしれません……!」
リュシールは驚愕の眼差しをこちらに向けてきた。
「シャルマン、あなたっていったい何者なの……?」
「いや、本題はそこじゃねえ」
ノエルは厨房から出る。
「結局、あんたがこういったものを作れるかどうかってことだ」
「作るわ!」
「いや無理だろ」
「いいえ、できる!」
「そう思えるポイントがどこにあった?」
「わたくしは自分自身の可能性を信じているもの!」
「前向きすぎて引くわ!」
けれど彼女は、意志の宿った瞳をノエルに向けてくる。
「教えてちょうだい」
「は?」
「あなたのこの料理、わたくしに教えてちょうだい!」
「お、俺が……?」
――冗談じゃねえ! そんな面倒なことしてられるか!
「そんなつもりで料理したわけじゃねえぞ。自分のとこの料理人に頼め!」
「いやよ!」
「なぜ!」
「うちの料理人は皆、若くはないもの」
「意味がわからねえな」
「だから、わたくしはあの方が喜ぶ料理を作りたいのよ。だったら年老いた料理人の感覚よりも、あの方に年齢が近いであろうあなたの感覚を信用したほうがよいでしょう?」
「俺だってけっこうな年だぞ!」
面倒事をなんとしても避けたいノエルは、嘘を吐いた。
「そうなの? いくつになるの?」
「三十……いや、四十六だ!」
「四十六……?」
直後、周囲に形容しがたい微妙な空気が流れる。
――さ、さすがに盛りすぎたか。あきらかな嘘だよな。
後悔していると、リュシールが殊勝な眼差しを向けてきた。
「シャルマン、あなた……連日、このような酒場で遊んでいる場合じゃないのではなくて?」
「なんだ急に」
「もう人生も後半に入っているのだから、老後を見据えた生活や準備をするべきだわ。あなたが日常的に仕事に就いているのかどうかは知らないけれど、今、楽しているとあとで痛い目を見るわよ?」
「あ、あんた……」
たまにはまともなことを言うじゃねえか、と、ノエルはごくりと息をのんだ。
――それよりも、こいつは俺が四十六歳だとほんとに信じたのか?
アホか、と呆れながらも、どこまで純粋なんだと可愛らしく思えてしまったりもするから、困る。
「……とにかく、俺は不適任だろ」
けれどリュシールは、「いいえ」と食い下がった。
「料理の指導はやはりあなたにお願いするわ。あなたが四十六歳の中年男でも。だってあなた……少しだけ似ているんだもの」
「誰に?」
「わたくしの婚約者に」
反射的にげほげほ咳き込んだ。
「お、俺が? そんなわけねえだろ! そ、そんなことあるわけが……!」
焦るあまりに、背筋に冷たい汗が流れる。
「いえ、似ているといっても、ほんの少しよ! ほんとうに、たったのこれくらい!」
リュシールは親指と人差し指を、ほぼ隙間がないくらいに合わせた。
「だからといってうぬぼれないでちょうだい。そもそもあの方とあなたのような下品な男が似ているわけがないのよ? ただ、顔立ちとか、瞳の色とか、髪の色とかが、あの方と同じだから……」
だからシャルマンが美味いと感じるものは、婚約者であるノエルも美味いと感じるのではないか、と考えているようだった。
「とにかく! そういうわけだから、料理の指導はあなたにお願いするわ。早速明日から! 場所は王宮のわたくしの部屋で!」
「は?」
驚きすぎて、ノエルは一瞬、頭の中が真っ白になった。
「王宮のあんたの部屋? って、なにアホなこと言ってんだ」
「心配しなくても大丈夫よ。毎晩、ここに来ているわたくしだもの。王宮内の安全な抜け道を知っているの。たいした身分じゃないあなたでも、問題なく中に入れるわ」
「そういう問題じゃねえ!」
けれどリュシールは、ノエルの返答などもはや聞いてはいない。
「そうと決まったら忙しいわ。まずは食材の用意ね。それからわたくしの部屋に調理場も急ごしらえで作らなければいけないし、食器も素敵なものを選ばなければ……ああ、こうしてはいられないわ」
ひとりごとを言いながら、さっそく立ち去ろうとする。
その背に向けて、ノエルは叫んだ。
「おい、俺は行かねえからな! 絶対の絶対に行かねえぞ!」
「もしかして場所がわからない? 心配いらないわ。こちらから迎えを寄越すから安心してちょうだい」
「だからそういう問題じゃねえ!」
「ではまた明日。この時間くらいまでにここに来てちょうだいね」
「人の話を聞け!」
結局、リュシールは、「忙しい、忙しい」と繰り返しながら、あっという間に店を出て行ってしまった。
「いや、俺は行かねえぞ……」
ノエルはぽつりと呟いた。
「絶対に、絶対に行かねえからな……!」
というよりも、行けるわけがないのだ。
ノエル・ド・アストレイのことを見知っているものばかりがいる王宮に、シャルマン・クレールとしては。
「ちっ……しかたねえな」
ノエルはリュシールのあとを追って外に出た。
そして今まさに馬車に乗ろうとしている彼女のことを引き留める。
「おい、わかったよ。俺があんたにちゃんと料理を教えてやる」
「……? ありがたいけれど、何よ、今さら。さっきからお願いするって言っているじゃない」
「ただし、場所はこの店で、だ」
「え? ここ?」
リュシールは店の看板を眺めた。
「明日からの四日間、俺がこの店を貸し切る。で、ここの厨房であんたに料理をいちから教えてやる。それなら問題ねえだろ?」
食材や道具、食器類はすべてリュシールが持ち込みで。
それならば当日、同じ味を再現できるはずだ。
「その条件をのめないって言うなら他をあたってくれ」
「いやよ!」
「なら俺の言うとおりにすることだな」
少し考え込んだのち。
「……わかったわ」
リュシールはうなずいた。
「あなたの言うとおりにするわ。その代わり、あの方の心をがっちりつかむような料理を、わたくしに教えてちょうだい」
その手に握られているのは、例の『これであなたも愛され上手! 男の胃袋と心をがっちりつかむ! おすすめレシピ十選』の本。
それを目にした途端、先ほどの異臭がする料理の記憶や、高笑いするアナイスの顔を思い出して、苛立ちがこみ上げてきた。
「まずはそれ捨てろ」
リュシールから取り上げ、目で確認することなく背後に放り投げる。
直後、聞こえてくる馬のいななき声。
どうやらノエルが投げた本が、待機する馬の尻に当たってしまったようだった。




