第十六話 新たな相談事
「……よう。久しぶり――でもないか」
ノエルはライラックの腰を抱いたまま、リュシールに応えた。
「また抜け出して来たのか? いい加減、夜遊びはやめたらどうだ?」
言いながら、ライラックの髪をいたずらにさわる。
「君もそう思うだろ?」
状況がわからぬライラックに同意を求めると、彼女は「さあ、どうかしら」と、くすりと笑った。
それがリュシールの癇に障れば、気分を害して帰ってくれるのではないか。
そう期待したのだが、リュシールは冷静だった。
「シャルマン、わたくしの問いに答えて。わたくしはあなたに、そこで何をしているの? と聞いたのよ」
まっすぐ伸びた背筋に、揺るぎのない眼差し。
彼女がまとう空気は凛としていて、そこだけ世界が違うようで。
――ああ、やっぱり綺麗だな。
ぼんやりと、そう思ってしまっていた。
――って、何を見とれてるんだ、俺は。正気に戻れ!
「何をしているって、見てわからないか? 今から彼女と夜を楽しむところだ」
今日は絶対にほかの女と遊ぶ。
そう決意していたノエルは、「じゃあな」と、さっそくこの場を去ろうとする。
けれど、「待ちなさい」と、リュシールに引き留められた。
「わたくしは、あなたに用があってきたの」
「知るか。俺にだって都合がある」
「ならば何時になったら用が済むの? あなたに教えてほしいことがあるのよ」
「別の日にしてくれ。今日は無理だ」
「そう。ならば明日は?」
「明日も無理だな」
「では明後日?」
「約束できない。というか、どうせたいした話じゃねえんだろ? それに付き合うほど俺も暇じゃない」
ノエルは斬って捨てるように言った。
するとリュシールは、ひどく悲しそうな顔をする――というよりも、悲しそうな感情を押し隠すような表情をしている。
――って、なんなんだ急に! さっきまで無表情だったじゃねえか!
ノエルは途端に焦り始めた。
下唇を噛んで、伏し目がちで、ややうつむいて。
ドレスの胸元をぎゅっと握って感情を殺そうとする彼女の姿を、やけに健気に感じてしまう。
――したかねえな……。
ノエルは無意識のうちにリュシールのもとへと向かっていた。
「シャルマン様!?」
背後からライラックの声が追ってくるが、応える余裕はない。
「ねえ、シャルマン様! このあとどうするのよ!」
「おい、なんなんだ、その顔は。らしくねえな」
ノエルはリュシールの顔をのぞき込んだ。
「顔って、何? わたくしの顔がどうかしたというの?」
「鏡で見てみろ。悲しくてしかたがねえって顔してるぞ」
「べ、べつにわたくしは悲しくなんてないわ!」
けれど、それが強がりであることは明白だった。
「べつに悲しくなんて……ただ、あなたに話を聞いてほしくてここに来たから、ほんの少しショックだっただけで……」
「――ああ、もう! なんだってんだ」
ノエルは自身の前髪をくしゃりとかき混ぜた。
――結局、こうなっちまうのか。
「いいよ、わかった。今日の遊びはやめだ。あんたの話をきいてやる」
「えっ……本当に?」
「その顔を見ちまったら、気になっておちおち女も抱けねえ」
「だ、抱くって……! 本当に節操の無い男ね! ……けれど、本当にいいの? べつに今からでなくとも……あなたの用事が済むまで待っていることもできるのだし……」
リュシールは今さらライラックの存在を気にしているようだった。
「何を今さら」
ノエルは背後に立つライラックに、「悪いな」と謝罪をし、彼女とリュシールを連れて店の中へと戻った。
「セドリック!」
二階にいる彼を呼びつけ、ライラックと引き合わせる。
「悪い。あとは任せた」
事情を察したセドリックは、幸運だ、と言わんばかりに相好を崩した。
「たまには良いことをするじゃないか、シャルマン。ああ、心配しなくても大丈夫。僕が君以上に彼女のことを楽しませてみせるさ」
外見が良くて、金払いがいい男であればシャルマンでなくてもよかったのだろう。
ライラックはセドリックに肩を抱かれて店を出て行った。
――さて。仕切り直しだ。
ノエルは二階のいつもの席にリュシールを座らせた。
店員に、自分の分のワインだけを持ってこさせる。
リュシールはこの店で提供される飲み物や食べ物に、決して口をつけない。
自分が王女であるとの自覚を最低限には持っているのだろう。
「で? 話って?」
「あの方のことで、あなたからの助言がほしくて」
リュシールは前のめり気味に答えた。
「ああ、あんたと婚約者との食事会に関してか」
「どうして知っているの!」
「俺を誰だと思ってる?」
ふん、と鼻でわらえば、リュシールはほうっと息を吐いた。
「やっぱりあなたって本物の占い師なのね。そんなことまでわかってしまうなんて……」
――って、この俺が占い師なわけねえだろうが。
誰だと思ってる? の正しい答えは、『ノエル本人』だ。
「で、食事会について、俺に何を聞きたい」
ノエルは店員が運んできたワインを口に含んだ。
「わたくしが食事を作りたいの」
直後、「ぶーっ!」と、口からワインを吹き出してしまう。
「ちょと、汚いわね!」
「しょ、食事を? あんたが?」
げほごほとむせながら問えば、リュシールは眉根を寄せた。
「落ち着いてから喋ってちょうだい」
「これが落ち着いていられるか! 食事を作るって、誰が? 誰の?」
「決まっているでしょう。わたくしが、ノエル様とわたくしが食べる食事を作るのよ」
「なぜ!」
「これに書いてあったの」
リュシールは背後に控える侍女から一冊の本を受け取った。
そこには、『これであなたも愛され上手! 男の胃袋と心をがっちりつかむ! おすすめレシピ十選』とのタイトル文字がある。
「おー……またわっけわからねえもん持ってきたな。どこで売ってんだ、そのクソみてえな本」
「お姉様が置いて帰ったのよ」
彼女の姉。つまりアナイスのことだ。
夫との仲が良好に戻った彼女は、先日、隣国へと帰っていったのだが、まさかこのように面倒な置き土産をしていったなんて。
「完全に遊ばれてるぞ、それ」
「けれど姉は、あの方に好かれるためには、こういう努力をしたほうがいい、と言うのよ。手料理を嫌がる男性などいない、って」
「そうとも限らねえし、そもそもそれ、庶民レベルの話だろ」
「でも、わたくしの姉はとにかく異性に好かれるの。だから、たまには姉の言葉を信じてみてもいいのかもしれないと思ったのよ。……まあ、同性にはとにかく嫌われる性格の悪い人なのだけれど」
後半はただの悪口だ。
――なるほどな。だから執務室で食事をしたいって言い出したのか。
合点がいった。
料理人がいない環境であれば、自分が手配をすると主張もしやすい。
「でもあんた、料理なんて一度もしたことないんじゃねえの?」
「そうね。するような環境で育っていないもの」
「今から習得するなんて、どだい無理な話だろ」
「失礼ね。無理か無理じゃないかは、わたくしのポテンシャルをみてから言ってちょうだい」
リュシールは背後に控える侍女に、なにやら指示を出した。
すると数分後には、テーブルいっぱいに皿――上に蓋がかぶされた状態のそれが並ぶ。
どうやらリュシールは、王宮で料理をし、できあがった品をここまで運んできたらしい。
「さあ、食べてみてちょうだい。それであの方のお口に合いそうかどうか、アドバイスをしてほしいの」
「マジか……。引くほどやる気だな」
これまた面倒なことになったと、ノエルは額をおさえた。
――俺のために練習で作った料理を、俺が試食するって?
なんともおかしな話だ。
「しかたねえ……ただしまずかったら遠慮無くまずいって言うからな」
しぶしぶながらも、ノエルは皿にかぶせられた蓋に手をかけた。
自信満々な様子のリュシールだ。もしや料理が彼女の性に合っているのかもしれない。
「お手並み拝見だな」
わずかな期待を胸に、蓋を開ける――が、即座に蓋を閉じた。
「アホが! 犬も食わねえわ、こんなもん!」
なぜなら中に入っていたものが、黒こげな上にどろどろしているという謎の物体で、しかも異臭がしたからだ。




